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Yoshikiの日記

三十路になる男の日本一つまらない日記です

死について考えることが多くなっている

その他

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29歳(明日で30歳だけど)にしてそんなことを考えるのはいささか性急かもしれないが、最近よく「死」について考える。自分の死についてというよりは、家族や知り合いの死について考えることの方が多い。

うちの両親はすでに60歳を超えているんだけど、自分の中では「60歳を過ぎる=死について考える年齢」と思っている。60歳ならまだまだ生きれるじゃんと思われるかもしれないが、昔は「人間五十年」という時代があったし、母方の祖父が60代前半で亡くなっているから、尚更そう考えるのかもしれない。

もちろん両親は重い病気にかかっているわけではないし、孫も生まれたしでまだまだ生きそうな感じではある。ただ、たまに地元へ帰省して親戚の叔父さん叔母さんに会うと、みんなあっちが痛いこっちが痛いと言っているし、やはり昔に比べて薬や病気についての会話が多くなっている。

父親の兄弟はもう70歳になる人もいるので、確実に身内の死は身近になっているなと感じる。まあ生きているものは全て死に向かって進んでいると言っても過言ではないし、死それ自体は自然の摂理なのでしょうがないよなとは思う。いざ身内に死なれたらやっぱり悲しいけど。そこはもう割り切るしかない。

また身内の死とは別に、自分自身の死についても10~20代よりは強く意識している。もう人生三十年が経過するからなのか、少しだけだが「自分もそんなに遠くない未来に死ぬんだよな」と考える。そしてその頻度は昔より確実に上がっている。

生きている間に、自分に何ができるか?と考えると、やはり子孫を残しておくことが最善なのかなあ……?と考えている。最近兄に子供が生まれ、妹ももうすぐ出産予定。まがりなりにも生を受けた人間として、次の世代へその生を受け継ぐ義務は少なからずあるんじゃないか?と考えたりもする。その方が親も喜ぶし。

ただ問題なのが、子供を生むために必要な「お相手」を得る予定が皆無だということ。現在進行形でロンリーウルフだし、これから先もパートナーを得る予定は未定。出会いが無いというのも原因のひとつだけど、一番の原因は僕自身が心から「パートナーが欲しい」と思っていないから。なんだかんだ言っても、一人は楽。色々な意味で楽。

過去にはこういう記事も書いたけど、今も本心はあまり変わっていない。恋人が欲しいというよりも、様々な「欲」を解消する相手が欲しいだけなのではないか。生涯を共にするパートナー?んなもん、面倒くせえや。そう思ってしまっているのではないか。

そんな僕が、将来自分の子孫を残すことなんてできるのか。このまま独身で死んでしまうのではないか。それで両親はどう思うのか?兄妹はどう思うのか?僕は死ぬ間際に後悔しないのか?というか、こんなダメ人間の僕に子孫を残す資格なんてあるのか?

……てな具合で悩み続けながら、明日僕は晴れて三十路を迎える。20代のこれまでは失敗しかしていなくて黒歴史のオンパレードだけど、30代は一体どうなるのだろうか。楽しみでもあるけど、恐怖心も抱えている。20代と同じような黒歴史だらけになったらどうしようか。まあ、深く考えてもしょうがないか。

気の向くままに全力で、30歳の1年間を生きていくことにしようと思う。

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