ニューヨークで不快な経験をすることはよくあるが、一方で他人に対する配慮や尊重の思いが込められた言葉もよく聞いた。特に少数民族などのマイノリティーが不当な仕打ちを受けているのを見ると、自分のことのように謝罪する人がよくいる。ニューヨークではさまざまな人種や文化が存在しているが、それでも共同体を維持できる力はこのようなところにあると感じた。
1年前に韓国をたつ際「甲の横暴に対抗する乙の反撃」というニュースを見た(社会的な強者を甲、弱者を乙と呼ぶ)。「丁寧な言葉で注文する客には値引きする店がある」という内容だったが、確かに最近の韓国社会では「他人への配慮」がほとんど見られなくなったように感じる。「ぞんざいな言葉で注文すればぞんざいな言葉で返す」と壁に書かれた言葉が「乙の反乱」ということで大きな話題をさらい、また3-4年前にはネットのある掲示板に掲載された「しゅうととしゅうとめに会うときに嫁が着る服」と名付けられたTシャツが話題になった。そのTシャツには「親にとっては大切な子供」と書かれているのだが、これがいつしか飲食店従業員の制服として使われるようになっていた。
店で従業員に無礼な態度を取る客のことを最近は「ケスト」と呼ぶらしい。これは言うまでもなくケ(犬)とゲスト(客)の合成語だ。ドイツ・ベルリン芸術大学のハン・ビョンチョル教授は著書『エロスの終末』の中で、他人について「自分のフェースブックに『いいね』を返してくれる人間」程度にしか考えない韓国社会を「安楽とナルシシズム的な満足以外に関心がない社会」と皮肉った。他人への配慮がなくなり、自分以外の人間を道具としか考えないようになれば、ますます「甲の横暴がまかり通る国」「ケストの国」になるだろう。そのような国では誰も尊重されないし、もちろん記者自身も尊重されない。