今、目の前でアメリカ人がソファに腰掛け電話をしている。
6人ひと部屋の寮のコモンスペースで。上半身裸で。
僕はアメリカに来て、3度も部屋が入れかわった。
ふと思い返してみると、上半身裸の男が多かった。
日本でも当たり前のことだっけ?
なんとなく気になったのでちょっと考えてみる。
論点の説明
僕の家には上半身裸のお父さんも、お母さんもいなかった。
小学校の修学旅行でも、大学の友人と行った九州旅行でも、上半身裸で大富豪をするヒトはいなかった。
そしてシェアルームはこちらに来たのが初めてだから、実際どうなのかがわからない。
アメリカに来て、上半身裸でうろつくヒトをたくさん見た。
最初の部屋のスーパーアメリカンたちは、上半身裸で寝ていた。
彼らの休息する姿は、サバンナの水場で沐浴をするトムソンガゼルを思い出させた。子供の頃ディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーでみたやつだ。
つぎに移動した部屋では、日本人が上半身裸で牛乳を飲んでいた。
この時点で人種の違いという可能性は排除されたことになる。
そして今の部屋では、フィリピン人のルームメイトが鏡の前でプロポーションを確かめている。日に2時間くらいは鏡に映る自分をみつめている。彼の目にはどんな彼自身がが映っているのだろう。
彼だけではない。
いま僕の目の前で電話しているアメリカ人もそうだ。
ちょっとばかしお腹がでているけど。
アメリカという国の空気がそうさせるのか。日本でもそういうものなのか。
僕が引き寄せているのだろうか、それすらも定かではない。
上半身に自信があるから説
上半身裸で暮らすことを想像してみる。
現在、ヒトサマにはみせられないおなかだ。
上半身を晒け出すようになれば、筋トレをしだすかもしれない。
逆に考えると、僕は上半身に自信がないから四六時中シャツを着ているのか?
そうか。筋肉か。
上半身裸かそうでないかで、男の自信の度合いが変わってくるのか。
その結論にたどりつくと、僕は情けなくなった。
でもあらためて目のまえを見てみると、筋肉の「へ」の字もないアメリカ人が電話をしているではないか。
彼が言葉を発すると、お腹がかすかに揺れる。
なんとなくこの結論は違う気がしてきた。僕は救われたのだ。
上半身裸だとやすらぐ説
彼らは己のやすらぎのために上半身裸になっているのではないだろうか。
あのトムソンガゼルたちを思い出すと、どうもそんな気がしてくる。
上半身裸のアメリカ人が電話を終え、部屋へと戻っていった。
これは試してみるしかない。
僕は服を脱いでみる。
ただ寒かった。
そして恥ずかしかった。
まとめ
僕は真実を知った。
上半身裸になるのは、ただただ個人の習慣なのだ。
だから日本とかアメリカとか、関係ないのだと思う。
きっとそうだ。
そうだよね?
なんてくだらないものを書いてしまったのだろう。