英国の労働市場政策は過去20年にわたり、国民を職に就かせることを最重要課題としてきた。そのため、職務手当や給与と訓練に対する補助金を支給し、失業手当や就業不能給付金は容赦なく削減してきた。この「雇用優先」の取り組みは、少なくともそれ自体の定義からすれば成功している。金融危機の後、先進諸国は経済回復が遅れているが、英国の失業率は5%を下回り、労働力参加率は過去最高を記録している。
しかし、この一見、羨ましいほどの高さの雇用率の裏側には、賃金の伸び悩みや生産性の低下、給与格差の拡大があり、雇用の質に疑問符が付いている。問題の焦点は、従来の常勤の正規雇用から一時雇用、労働時間に関する取り決めがなく企業の要請に応じて働く「ゼロ時間契約」、パート、そして米配車アプリのウーバーテクノロジーズや英宅配ベンチャーのデリバルーなどで見られる個人請負など、より不安定な労働形態へと徐々に変わってきていることだ。
このような状況の下、メイ首相は雇用確保や労働者の権利に関する懸念に対処すると公約した。メイ氏はこのほど、労働市場の規制や慣行の見直しに、労働党政権時代に首相官邸の「政策ユニット」で責任者を務めたマシュー・テイラー氏を充てた。
これは時宜にかなった取り組みだ。柔軟な働き方が広がる利点は多い。パートや個人請負として働けば仕事と家庭の両立がしやすくなるし、定年を控えて仕事量を減らすことが可能だ。主な収入を補うこともできる。
収入が不安定になることに不安を感じ、従来型の仕事を選んだとしても、自由な時間を確保できる人は多い。しかし、少数派とはいえ無視できない数の人たちは、意に反して不安定な雇用契約の下、低賃金で働いている。
■ネットで請け負う独立形態の急増が背景
これは世界的な流れだ。同時にこの流れはフリーランスの仕事の紹介サイトの米アップワークや民泊仲介サイトの米エアビーアンドビー、手づくり品売買の仲介サイトの米エッツィーなどインターネット企業の台頭や、経済的必要性からも加速している。こうしたサイトに登録する独立事業者の割合は全体からすればまだ低いが、ネット市場は急速に膨らんでおり、長期的には労働市場を一変させる可能性がある。
これこそが新しい政策が必要なゆえんだ。たとえ従来型の雇用関係であっても、いまや従業員はこれまで雇用主が負担してきた、例えば年金に関するリスクを負う必要がある。労働者の大部分は今後、最低賃金や産休、病欠、失業保険などの保障枠から外れてしまうかもしれない。保障された収入がなければ、借り入れや納税申告、支払い請求などが難しくなるかもしれない。
政策上の優先課題は、こうした新しい働き方をする労働者が企業に恣意的に使われないようすることだ。労働者が保障より柔軟な働き方を重視し、選ぼうとするのを妨げる必要はない。だが、企業が雇用主としての責任を逃れる一方、雇用条件だけを都合のいいように決められるようにしてはならない。政府は公平性を維持する必要がある。英国でウーバーの運転手の雇用条件訴訟で間もなく判決が下されれば、ひとつの判断基準になるはずだ。
雇用形態の変化に合うよう、福祉制度や職場の権利を見直すことはさらに難しい。既存の団体交渉の仕組みを変えることになるかもしれない。労働者が有給休暇や失業保険の権利を会社や働き方が変わっても「携帯」し、継続できるようにすることが必要かもしれない。あるいは、もっと別の発想で制度をつくってもいいだろう。
労働市場の変化は多くの人にとって新しい雇用機会を提供する。しかし、そうした機会を安心して受け入れるには、政府によるそれなりの保障が必要だ。
(2016年10月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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