石碑はシローカヤ湾南部の丘斜面にあり、太平洋を向いていた。石碑の高さは180センチで幅は50センチ。太平洋を向いている「表」側には5文字の漢字が掘られてある。スタッフは、発見された石碑は、少クリル列島に定住者が現れた19世紀末から20世紀初め、ユーリ島に移住してきた者により設置されたと仮定している。
もりたせいじ博士によると、この石は葬祭儀式の一部だという。同博士は、石の文字は、「馬」「頭」「観世音」という3つのグループに分かれており、全体では、江戸時代の馬の鎮魂を意味するという。当時、馬は神聖な動物だと考えられていた。
自然保護区スタッフによると、発見物の歴史考古学的価値は議論の余地がなく、保護を必要とする。
先に伝えられたところでは、露大統領報道官は「クリル問題の解決で我々は正しい方向で進んでいる」と述べた。
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| 0 | 編集する | カットする だから クリルは日本だと する必要もありません 答える 
| 0 | 編集する | カットする 19世紀から20世紀と記事中にはあるわけでタイトルの「古代」は引用間違い。 答える 
| 0 | 編集する | カットする ja.wikipedia.org/wiki/勇留島
新しいコメントを読む (0)catss4
世界中で 同じ文化も遺跡も 点在しています
ネットもぐら
石碑も新しく文字も読み取りやすい近年のものでしょうね。
だからクリルがロシアのものだという事にはならないよね。
放棄した事実は変わらない。
シリカ太郎
江戸時代の当初は無人島であった。
1799年、ネモロ(根室)とアッケシ(厚岸)両場所のアイヌが立会い、
秋勇留島などとともに双方の入会地となり、
後にネモロ側の漁場となった[1]。
明治時代からは珸瑶瑁村の一部となり、後に歯舞村に属した。
沖合漁業の拠点基地として栄え、戦前には501人が在住していた。
ja.wikipedia.org/wiki/歯舞群島
また勇留島や志発島、多楽島では
約200頭ずつ馬を飼育していたという。
ということのようですね。
おそらく、そこの土中に亡くなった馬を
供養して埋めたと思いますよ。
要するに、お馬さんの墓ですよそれ
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