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グローバル引きこもりブログ

「Common Lispと関数型プログラミングの基礎」というプログラミングの本を書いてます。他に「引きこもりが教える! 自由に生きるための英語学習法」という英語学習の本も書いています。

亡くなった人を批判してはいけない、という考えかたが分からない

globalizer-ja.hatenablog.com

先日、亡くなった高橋まつりさんについてこのようなエントリーを書いたのだが、これについて次のようなコメントをいただいた。

高学歴系キラキラ女子と鬱 - グローバル引きこもりブログ

トイアンナもそうだけど、あんな死に方した人の内面を勝手に勘ぐってこういう文章を開陳できる神経がわからん

2016/10/17 10:33

b.hatena.ne.jp

僕はこういうまともな批判は全然いやではないし、いろいろな事を考えるきっかけになるので毎回100くらいの批判をいただいてもいいくらいなのだが、これについては色々と思う事があるので自分の意見を書こうと思う。

まず、前にも書いたように、今回の事例はメンヘラ女子がメンヘラであるゆえに戦場に向かい、そこで力尽きた、という話なんだと思う。これは理由なしに言っているのではなくて、自分のメンヘラとしての経験があるから言っている。僕はもう何十年もメンヘラをやってるので、メンヘラの心の中で何が起きているのかはある程度分かる。しかも子供の頃から高学歴界隈で(僕自身は無学歴に近いけど)生きてきたものだから、高橋さんがどういう状況だったのかも大体見当がつく。

高学歴系キラキラ女子と鬱 - グローバル引きこもりブログ

恐ろしくわかるわ。同級生の女子でキラキラしていた子、40過ぎると自意識過剰のおかしなおばさんになってるケース多いんだよ。

2016/10/17 00:10

b.hatena.ne.jp

だから、上に紹介させていただいたコメントのように、多少なりとも高学歴界隈とかメンヘラ界隈の事を知っている人ならば大体僕の予想に同意してくれるはずだと思っている。分かっている人はみんな分かっている話なのだから。

メンヘラと厳しい親

高橋まつりさんも、すごい結果を出さないと、親に認めてもらえないような子だったと想像してるよ。

ありのままの自分を愛してもらえなかったんじゃない?

2時間睡眠でも、上司に罵声を浴びせられても、退職届を出したら親に見捨てられると怯えていた気がする。

www.neetwifek.com

先ほどのエントリーでは親の話までは書かなかったけど、親が厳しすぎたんじゃないか、というのはかなり疑うべきポイントであるだろう。

あんまりこういう事を言いたくないが、僕はメンヘラと頭がおかしい親は必ずセットになっていると考えている。親がまともなら子供はメンヘラにならないし、親がおかしかったら子供はメンヘラになる。いままで数十年生きてきたけれども例外はない。もちろん程度というものはある。親が相当におかしくてもメンヘラの程度が軽度で済んだ、ということはありうる。でも僕のこれまでの観察によれば、程度の差があれ親がおかしかったら大体子供はメンヘラになって、一生トラブルが付いて回ることになる。

なんで子供の頃の経験に一生が影響を受けるのか僕も不思議に思うのだが、残念ながら人間というのはそういう風に出来ているのだ。

秋葉原の事件を思い出す

8年くらい前に秋葉原の事件が起きた時、自分と加藤智大氏があまりに似ているので本当に驚いた。人間、育った環境が同じだとここまで同じような精神症状を呈するものなのか!と衝撃を受けたことを覚えている。

ありがたい事に、僕の場合は殴る蹴るなどの身体的な暴力はなかったから良かったが、他は五十歩百歩だった。僕も家ではテレビ禁止で、高校はトップ校だった。加藤氏との違いは、五十歩百歩とはいえ暴力のレベルが桁違いに低かったことと、親が途中で急激に正気に戻ったこと、そして何と言っても僕自身がアカデミックな人間に生まれついたという事だろうか。おかげで僕の場合はせいぜい引きこもりをするだけの事で済んでいるが、しかし幼稚園から20代の後半までは完全に精神のコントロールを失った状態だった。

だから、週刊誌などで加藤氏の育ち方を読んだときに、これは毒親の問題だな、とはっきり分かった。あれは100%親が原因の事件なのである。幼少時から10代に受けた精神的ダメージというのはリカバーできない。精神障害のために失敗をしてさらに精神障害が悪化する、というループから抜け出せないのである。僕が今、比較的安定して精神活動を行う事ができているのは、ほとんど奇跡といってよい。

それなのに、事件の後で秋葉原事件と毒親問題との関連を指摘する「識者」はただの一人もいなかった。僕に言わせれば、あんなのは毒親による強烈な暴力のせいで精神障害を起こしただけの事である。ところが「識者」は毒親の問題を無視して、したり顔で見当違いの理由を並べ立てながら「親には何の関係もない」なんていう始末だった。秋葉原の事件そのものよりもこっちのほうが何百倍もショックだったし、何千倍も強烈な怒りを感じた事をいまでもはっきり覚えている。

必要なことは言うべきだ

いささか話が本題から離れたが、今回の高橋さんの事例にも、ある種の批判を避ける空気を感じる。秋葉原の事件では毒親の暴力を批判するのはタブーだったし、今回は高橋さんの事についてよい事しか言ってはいけない、という雰囲気がある。

僕には、亡くなった人を批判してはいけない、という考えかたが分からない。良く「亡くなった人は抗議する事ができないのだから」というけど、必要ならば関係者が反論をするだろうし、その反論がないような事は所詮、大した問題ではない。

被害者加害者と立場は違うが、今回の一件も秋葉原の一件もメンヘルがらみの事件である。世間は電通の激務で鬱を発症したとか言ってるけど、そうではない。電通に入る前から鬱になってたに決まっている。メンヘルの問題と親の教育の問題を避けてはこういう話というのは理解できない。ところが世間は、メンヘルの問題と親の問題から逃げ回り、それらしい解釈を作り上げることに四苦八苦する。そして、同じような事が際限もなく繰り返されるのである。

なんでこんな事になるのか?すでに亡くなっている人とか遺族に気を使いすぎるのが問題なのだ。そして、世間の気に入らない事を言って叩かれる事に対してビビりすぎなのだ。

そんな事よりも、事実を理解することの方がはるかに重要である。事実というのはえてして残酷なものである事が少なくない。だから、世の中の人間というのは、みんな揃って事実から逃げようとする。「亡くなった人を批判してはいけない」というのもこの習性の一つの現れと言えるだろう。しかし、みんな揃って事実から逃げて、もっともらしいけれども全く見当違いの事を並べ立てる様は、やはり滑稽であるとしか言いようがない。

こういう事件が起きるたびに「かわいそう、かわいそう」と言っている人は、本当はかわいそうなんて全然思っていないと思う。ただ世間に合わせているだけだと思う。それで、世の中に合わせた議論ばかり流通しているから、おんなじ事が際限もなく繰り返されるのだ。

もし本当にかわいそうと思うならば、あらゆる保身を排除して、原因について徹底的に議論するべきなのではないか?と僕は考える。