思うところは色々あるんですけれど、一点だけ。
残念ながらインターネットの記事というのは、きつい言葉や、非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえない世界っていう一面があって。
ここはちょっと、違うなーと。全く違うなーと。
「きつい言葉がないと振り向いてもらえない」わけじゃないんですよ。「きつい言葉を使うと安易に注目されやすくなる」というだけなんですよ。きつい言葉を使わないでも、きちんと書き続ければちゃんと見てもらえるんですよ。
言ってしまえば、「きつい言葉やショッキングなワード」に頼ろうとするのは、正攻法では注目を集められないから安易に注目を集めようとする逃げでしかない、とすら言えると私は思います。
昔こんな記事を書きました。
確かに、口汚い言葉というのは目立ちますし、それだけで人が寄ってきます。けれど、それは「単なる注目のドーピング」というだけであって、決して説得力をブーストしたりはしないし、論の正しさを補強したりはしない。むしろ、「ああ、この人は論と関係ないところで何かを貶めようとする人なんだ」という蔑視の対象になるだけです。
「口汚いことで得られる注目」って何の意味もないんですよね。いや、PVだか収益だかには反映するのかどうか知りませんけれど、議論自体については何も寄与しない。何も解決させない。むしろ、本来するべき議論の邪魔になるだけです。今回の件なんか、まさにそうでしたよね。
そんなものが欲しいと私は思わないし、誠実な書き手であればそんなものを望むべきではない、とも私は思います。
「きつい言葉や、非常にショッキングなワードがないと振り向いてもらえない」などといってしまった時点で、この人は言葉の使い手としての信頼性を完全に投げ捨てていると思いました。言葉の使い手なら、「きつい言葉を一切使わないできついことを書く」ことが出来て然るべきですし、そうするべきではないのか、と。
今後も「口汚い言葉」に頼った書き方は極力避けていきたいなーと思った次第です。