終末論を教義とする死のカルトの支配下で生活するよりも恐ろしいことなど、ほとんどないはずだ。だが、イラク第2の都市モスルを過激派組織「イスラム国」(IS)の支配から解放しようとする試みが拙速に過ぎれば、つまり現地の諸勢力の相反する利益を調整できなければ、モスルにさらなる暗黒の日々をもたらす結果になりかねない。
イラクのアバディ首相が17日未明に開始を宣言したモスル奪還作戦は、勝たねばならない戦いだ。だが、どのような形で勝つかが決定的に重要になる。より広い和平に道を開くか、勢力間の緊張を高めてしまうかの分かれ目だ。これまでイラクで幾度も示されてきたように、国内少数派のイスラム教スンニ派住民(モスルでは多数派)は、シーア派至上主義に動かされていると見なすかぎり政府の取り組みに抵抗するだろう。
モスルは2014年6月からISに支配されている。数百人のIS戦闘員がモスル駐留のイラク軍兵士数千人を屈辱の敗走に追い込んだ。そこで浮き彫りになったのが、数十億ドルをつぎ込んだ米国のイラク軍再建計画に対する米国防総省の甘い評価と、現地の実態との落差だ。
ISのバグダディ指導者は、モスルで国家樹立とイラク・シリア国境の消滅を宣言した。そのモスルを奪還すれば、今年に入ってからの諸都市での勝利に続いてISをイラクの主要都市から事実上排除できるばかりか、世界的なテロ組織の構築を図るISにプロパガンダ上の大打撃も与えられる。
だが、数々の落とし穴がある。まず、モスル奪還作戦で早々に決定的勝利を収められるか、あるいは長く厳しい戦いになるのか、はっきりしていない。モスル防衛にあたるIS戦闘員の推定数はおぼろげで、IS側が仕掛けている地雷などの規模もわからない。
■政治的目標の一致が必要
現時点で明確にいえることとして、ISは意表を突く戦術能力を持っている。懸かっているのはモスルの住民約150万人の命だ。住民は、奪還作戦の間もモスルに残って死の危険を冒すか、危険な脱出に踏み切るかという過酷な選択に直面している。
多数の避難民が出た場合、援助機関は十分な対応を取れないだろう。イラク軍は、勢力間の緊張を悪化させずに奪還後のモスルの治安を維持するとともに、避難民がさらなる虐待を受けないよう保護しなければならない。過去の実績はお粗末だ。これまでのIS掃討作戦では、イランに支援されるシーア派民兵組織がイラク軍に同行し、民間人であるか否かを問わず、ISの支配地にいるスンニ派住民を全てスパイ扱いしようとした。イラク政府は、モスルでは民兵組織を関与させないという約束を守り通さなければならない。
モスル奪還作戦を支援する米軍にとっては、隣国シリアでアレッポを空爆しているロシア軍との違いを示す好機だ。だが、モスル周辺に入り乱れて火種を抱える各武装勢力の管理は決して容易ではない。今のところクルド人、トルコに支援されるスンニ派武装勢力、イラク軍、そしてそれぞれの支援国も軍事的な目標は同一だ。だが、政治的な目標についてもそうだとはいえない。
政治的目標に大きな隔たりがあるかぎり、ISの脅威の排除を見通すことは難しい。今はアバディ首相のモスル奪還作戦を担うイラク軍が攻勢に出ている。だが、長期的に過激主義を根絶するには、一体性のある国こそが共通の利益になるということを全ての勢力に信じさせる必要がある。その面では、ようやく仕事が始まったばかりだ。
(2016年10月18日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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