同和教育(人権教育)を前回書いたのでそれに関わって、これだけは補足しておかなくてはということを。
m(__)m
この方のように、正直でセンスの良い方の方が、人権教育の専門家で、例えば人の気持ちになって考えようという人よりも
もしかしたら、前を切りひらいていく力があるのではないでしょうか
この方は暴論と言っていますが、私はそう思えません。いじめは楽しいのです。だから誰でも自分がストレスを抱えたり、弱くなると、加害者になる可能性があります。
そういうときに、相手に対しての同情では、とても解消には向かいません。
前回に登場した授業も、決してA子に対する同情の授業ではなく、A子がここまで考えていたんだ。すごいなというものでした。
いじめられている人の悲しみやつらさを知ろうとする試みよりも
その方の優しさや賢さ、たくましさに対する共感から、あこがれを得る楽しみの方が、前を切り開く力があるのではないか
ということを学びました。
いじめられてきた人だからこそ、人の尊厳の大切さを知り、それを失わなかった
生き方
私でいうと
今の現状だからこそ、私だからこそ の生き方は何かを
毎日のように探っています。
今の仕事も、学習塾だからこそ、学校教育ではできなかったことに挑戦しています。
少人数で、個々の見とりに基づく教育。原則授業は最小限にした教育等々‥
教師ではなかなかできなかった、海外旅行にもよく行きました。
今は身体的に、腰痛、椎間板ヘルニアからくる、左脚のしびれがあります。だからこそ、得られるものは何かを探ってきました。
結局は、例えば自分が余命半年と言われたときにどう楽しめるかを考えるきっかけになりました。
少しの変化に対しても気づきポジティブに感じる感性があれば、楽しめるのではないかと気づきました。わたしにとってこれはたいへんな収穫です。
だからこその生き方は、私が同和教育から学ばせてもらった最大の財産です。
感謝しています。