米国のダニエル・ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)が12日「北朝鮮が核攻撃を遂行する能力を備えることもあり得るが、そうなったら(金正恩〈キム・ジョンウン〉労働党委員長は)すぐに死ぬだろう」と発言した。記者会見という公の席で、敢えて行われた発言だ。北朝鮮が核を実戦配備するだけでも、金正恩委員長は即刻攻撃されるだろうという意味なのか、もしくは核攻撃の兆候を見せたら死ぬという意味なのか、明らかではない。しかし「死ぬ(die)」という非外交的かつ直接的な表現が、専門外交官の口から出たという事実そのものに注目しなければならない。
米国では、北朝鮮が先月8日に5回目の核実験挑発を行った後、先制攻撃に関する発言が相次いでいる。民主党の副大統領候補や元統合参謀本部議長が「脅威が差し迫っていると判断される場合、先制攻撃も選択すべき」と語った。主要メディアでも同様の主張が登場し続けている。そうして今度は、米国政府で東アジア政策について責任を負っている現職の当局者の口から「死ぬ」という表現まで出てきたのだ。
米国の対外政策は、外交と軍事の複合体として遂行されてきた。外交が壁に突き当たると軍事措置が実行される。北朝鮮の第1次核危機が発生した1994年、米国は先制攻撃実行直前の段階にまで達していた。外交で北朝鮮の核を阻止できないという事実が明らかになった今、米国が軍事措置を全く検討していないとしたら、それは異常だ。無論、先制攻撃といっても、まだ理論や図上演習レベルの話だろう。しかし北朝鮮に対する軍事措置という一種の「タブー」が、今や少しずつ崩れつつあるのは明らかだ。
先制攻撃が実際に行われるのか、いつ敢行されるのか、どのような方法なのか、その結果はどうなるのか、全ては不確実だ。避けられるものなら、できる限り避けるべきだということも明らかだ。しかし、北朝鮮があくまで核武装という最後の一線を越え、それが韓国の安全保障に及ぼす悪影響が、先制攻撃に伴う被害を上回ることが明白になれば、韓国国内からも先制攻撃不可避論が出ることになるだろう。韓国が望まなくとも、王手がかかる道へと進むことがあり得る、という意味だ。
外交的解決は放棄できない。ただし、軍事的な備えにも全力を尽くさなければならない。米国との意思疎通に万全を期しつつ、国論も結集させなければならない。今や、何一つ信ずるに足るものはない。国のリーダーシップは随分前に失われ、つまらない権力闘争、我執ばかりが横行している。こうした状況で、安全保障における最大の危機的状況を乗り切ることができるだろうか。自分たちが何をやっているのか、まず大統領と政府自身が振り返ってみるべきだ。時間はあまり残っていない。