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一枚一枚が イ病を語る 裁判や患者の日常 富山で写真を紹介

イタイイタイ病を記録した自らの写真について語る林春希さん=16日、富山市大手町の市民プラザで

写真

 四大公害病の一つイタイイタイ病(イ病)が国の公害病として初めて認定された一九六八(昭和四十三)年から約五年間、裁判や患者の日常を記録したフリージャーナリスト林春希さん(66)=本名・林春樹、名古屋市東区=の写真をスライドで紹介するイベントが十六日、富山市大手町の市民プラザであった。林さんは「風化させないためにも写真集で残したい」と話した。

 林さんは東京総合写真専門学校一年の十八歳の時から富山に入り、七二年八月、名古屋高裁金沢支部での控訴審で患者勝訴が確定するまでを撮影。イ病対策協議会の会長だった小松義久さんの家に泊まり込み、撮った写真はフィルム約千本分、三万六千カットに及ぶ。多くがイ対協に寄贈され、現在は富山県立イ病資料館が保管するが、ほとんどは未整理で眠っている。

 この日は八十一枚をスライドで紹介。当時は撮影ができた法廷内の原告らの表情や、カドミウムを流していた神岡鉱山(岐阜県飛騨市)などでの現場検証、亡くなった原告の野辺送り、神通川の水を引き込んでいた家の様子などを患者側の視点で切り取った写真が映し出された。

 原告の象徴的な存在だった故小松みよさんをはじめ、患者救済に尽くした萩野昇医師の萩野病院で談笑する患者の表情をヒューマンな視線でとらえた写真も多く、林さんは「患者の全面的な信頼を得ていた小松さんの横にいたので自然に受け入れてもらえたのではないか。萩野先生は偉ぶることなく、若い自分にイ病のメカニズムを教えてくれた」と振り返った。

 会場にはイ対協の高木勲寛会長、高木良信副会長らも訪れた。当時は十代だった小松さんの次女で資料館の語り部でもある小松雅子さんも「見たことがない写真も多く懐かしかった。風化させないよう活動に生かしたい」と気持ちを新たにしたよう。質疑応答では会場から「写真は富山の貴重な財産で、感謝したい。ぜひ写真集に」との声が上がった。 (松岡等)

 

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