しばらく更新していませんでした。二つほどご報告があります。

まず、私が問題となった9月19日のブログ内において、一部分を引用させていただいた方がいるのですが、行き違いから、メールが上手く届いておらず、結果として無断引用の形となった事態がありました。その方には不快な思いをさせてしまったので、お詫びに行ってまいりました。

その方は「だいちゃん」さんと言って、僕と同じようにサイバー社「スポットライト」の公認ライターでもあり、僕自身、だいちゃんさんのコラムを何度も目にしていた関係で、とても分かりやすくまとまっていた部分を4行ほど引用させていただいたところ、「著作権侵害だ」などと拡散される事態となりました。

「著作物」とは「もっぱら思想または感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術または音楽の範囲に属するもの」など、いくつかの定義が存在します(著作権法第2条)。

今回は、著作物に該当しない「国や地方公共団体又は独立行政法人の告示、訓令、通達(著作権法13条)」等に該当する表記が、だいちゃんさんのブログでとても分かりやすくまとまっていたので、該当の4行を引用させていただきました。

しかし、だいちゃんさんとの連絡が上手く取り合えないままに、無断(お断りなし)で引用することになり不快な思いをさせたことは間違いない事実です。これは僕の失態です。特に彼のようなPVが収入に直結するような方の場合、ちゃんとリンクを紹介してお互いが嫌な気持ちにならないようにすべきでした。
なので、

不快な思いをさせてしまったこと。
また炎上騒動に巻き込んでしまったこと

などを直接会ってお詫びしてきました。
だいちゃんさんはもともと、先天的な原因で20歳のころから透析を受けていらっしゃる方です。しかし、生活保護などに頼るのではなく、フリーのライターとしてブログなどを中心に発信を続け、今では僕を何倍も上回る広告収入を得ている人です。彼は今、自分のことを「ハイパーメディアブロガー」と名乗っていますが、身体障がいを持ち、人工透析を受けつつ、あそこまで自由に発信できる方は日本で他にいないはずです。
彼のコラムの中で僕が特に好きなのが

人生という「クソゲー」を攻略してみるのも悪くないかも

というエントリーで、若くして1級障がい者となっただいちゃんさんが、まっすぐに人生をとらえている姿がとても印象的な文章です。ちなみに、多分一番彼の文章で有名なのは乙武さんの話だと思いますが…(【乙武洋匡ちょっと出てこいや!!】妊娠初期に障害児が生まれるかどうか分かると便利です

もともと、好きなブロガーの方だったので、会ってみて話がとても合いました。もちろん、だいちゃんさんは僕にも言うべきは言い、理解すべきは理解してくれ、とてもバランスの取れた方でした。何時間でも話し込んでいられそうでしたが、その日は夜に予定が入ってしまっており、3時間弱で終了。もっといろいろと話したいことがありましたがとにかく会いに行けてよかったです。



もう一つはインターネット上で署名を集めることのできるサイトで、僕に対して謝罪を要求する署名を集めていた野上春香さん(仮名)とおっしゃる方と会えたことです。
その署名が2万5千を超え、僕に直接手渡しして下さったのです。
その時、ハフィントンポスト日本語版の方が

「こういう炎上的な騒動の時は、とかく『空中戦』になってしまい、大切な議論がなされないことがもったいない。よければ直接会って意見交換をしてみては?」

と呼びかけてくださったのです。二つ返事でOKし、野上さんともお会いすることが出来ました。

野上さんはご自身も腎臓に疾患があり、長らく食事制限や運動制限をしてきている方で、僕と同じ昭和50年生まれです(彼女は早生まれなので、学年は一つ上でした)。
こちらも、2時間以上にわたり、活発な意見交換ができ、素晴らしい時間になりました。

まず、何を持っても、不快な思いをさせてしまったことをお詫びし、集まった署名を拝受いたしました。
本来であれば、皆さんに直接お会いして顔を合わせてお話すべきですが、まずは野上さんにしっかりと謝罪、そして問題となったブログ記事が、どのような経緯で書かれ、どんな思いを詰めたのかをお話しさせていただきました。こちらはハフィントンポストさんの記事の出る前に全部話をしてしまっても申し訳ないので、記事が出たら、またその時にでも紹介させていただきます。

一点申し上げれば、野上さんに会えて一番よかったのは、お互いが「意見は違うが、それぞれ間違っていない」ことを確認し合えた点だと言えるでしょう。
野上さんは腎臓病を抱える患者の立場から「社会的弱者の立場に立った人たちは社会全体で守らなければいけない」という視点をお持ちでした。当然ですし、日本のごく一般的な価値観なのではないかと思います。

と、同時に私は昔から少子化にまつわる取材などを長年し続けてきた視点から「このまま医療費が増え続けてしまっては、搾取されている若者世代や借金を背負わされる子供たち世代の方が、実は社会的弱者になっていくのではないか」と危惧しています。野上さんは「搾取」と言う表現に違和感を感じてらっしゃいましたが、僕はここまで限界を超えてお金を取られている以上、表現的には「搾取されている」と言わざるを得ないと考えています。

このように、意見は違うとことも多々ありましたが、僕も野上さんも今から50年以上前(1961年)に出来た年金や保険システムが、今の時代に合う訳もなく、どこかで抜本的な改革が必要になってくること、その時は「残酷」ともいえる「選択」を強いられる可能性があることなどは意見が合致しました。野上さんに会えて、お話が出来て、本当に良かったです。




お二人にも伝えたことですが、僕の誤った表現によって、気分を害した人も大勢いらっしゃる以上、表現者である僕は丁寧に反省し謝罪していくことが大事だと考えています。

そして「謝って、はい、お終い」…ってのは少し違う気がしていて、自分の中で出来ることを今は考えて見つめ直しているところです。
今の僕は仕事も一つもありませんし、何の発信力もないですが、何度もブログで書かせていただいている通りで、僕は透析の現場を「見て、取材して」います。透析という治療自体が、お金がかかる以上に、患者の皆さんの苦悩がとても大きいことを実感しています。

なので。

僕は今回のことにある一定のけじめがつけば、日本の「腎移植」がもっと進むように、自分の出来る範囲から働きかけをしていこうと考えています。
これはまた後日書かせていただきますが、日本では、世界でありえないほどに「腎移植」が全く進められていない国なのです。本来ですと、そもそも先進諸国における「人工透析」という技術は「腎移植までのつなぎでしかない」という意識が常識です。

日本の人工透析患者数は、人口の比率で考えるとあまりにも多すぎるのです。

世界の中で進みまくって…までいかなくていいのです。せめて、もう少しだけでも、世界で平均レベル程度であっても腎移植が進めば、救える人工透析患者はかなりの数がいるはずなのです。

イヤな気持ちにさせたのであれば、落とし前は当然。
自分なりの行動に、いつか移していければと考えています。