2016年10月31日月曜日

今年の監督の創作姿勢については、これ以上は何も言わないことにしようかと思います

詳しくは自分の目で雑誌の記事を確認してから決めますが、

今年はもう作者の創作姿勢に対して疑問を持つのはやめよう
と考えています。


もちろん、今年のプリキュアの話です。



今のところ伝聞ですが、アニメージュ11月号の三塚さんのインタビュー記事に

・当時、監督のなり手がなかなか見つからず、お鉢が回ってきたのが昨年6月の事 
・しばらくはGOプリと掛け持ちで、監督に専念できるようになったのは開始3ヶ月前

という情報があるそうです。


※  ※  ※

今年のプリキュアには、プリキュアであるまえに「作品」として当然あるべきな、

■「どういう作品にしたいか」というビジョンや

■「こういうものが描きたいんだ」という強い意識・情熱が見えない、感じられなかったほか、

■自分のイマジネーションではなく、
誰かに言われたとおりの作品に仕上げようとしている様に感じる


・・と言うことは第2話・3話の感想から何度か書いて来ました。
http://teioblog.blogspot.jp/2016/02/02.html
(私が2話であんだけ大騒ぎしたのは、それに強い危機感を感じたからです。
空騒ぎになったらよかったのですが。)


しかし作品から感じる監督・構成の創作姿勢に疑問を呈しながらも、
心のどこかで「それには何か事情がある」、
或いは「自分の見当違いや見識の甘さ、視野の狭さにこそ原因がある」

「自分が知らないだけで、彼らには彼らなりのイズム、ポリシーがあって
敢えてこのような作品の形にしているのだろう」と信じる気持ちがありました。





ですが、この話を聞いてその仮定はなくなってしまいました。


「まさか」と思っていたことが、ほぼそのまんま「本当にそうだった」と、
この情報で分かってしまったのですから。


※  ※  ※

三塚さんはいわば、事故の疑いが濃厚だった「ドキプリ13話」のときのように
ピンチヒッターでとにかく番組に穴を開けないことを条件に仕事をした(と予想される)
時と同じような状況で今度は監督を任かされることになった、

と言うことなのですね。



自分がいつかは監督をやるという意識や、いざそのときのための心と技能の準備、
「自分が作るならこういう作品にしたい!」というようなイメージも用意して無かった上、
監督が決まってからもその作業になかなか取り掛かれなかったと。


私の、感想を書くための「熱」が上がらないという前代未聞の出来事にも、
非常に納得がいきました。


私の感想は作品から感じる熱を自分の熱にして、それを言葉に変える作業なのですから。


※  ※  ※

魔法世界や魔法の定義、ルールなどの設定がまるで詰められていなかった事、
魔法やキャラクター演出のアイディアがあまりにも少ないこと、
第1話からして自分の意思ではなく「誰かに指示された段取りを守ろうとしている」と感じられたこと
去年一度も呼ばれなかった演出家さんが肝心の第2話から起用されていたこと
中盤に「新展開」と銘うって起死回生をはかろうとした様子があること
毎回の演出・脚本によって品質に大きな差が見られること


それらは冗談ではなく本当に人材・準備不足が原因だったと見ていいのでしょう。
東映アニメーションは現在色んな作品に人手を割いているという話も聞きますし。



だから、「手抜き」と疑う方もいらっしゃるようですがやはりそうではないのだと思います。

今年の作者の皆さんも、恐らくやれることをやれる範囲で頑張っておられるのでしょう。
ただ、そのやれる範囲が去年とは大きく違うと言うことだと思います。


※  ※  ※


そういう事情が分かったら、私は作者の姿勢についてはこれ以上何も言えません。


だって、たとえば応援している球団があったとして、

「今年も優勝を狙うんだ」と信じているうちは応援に熱もこもりますが、
「今年はチームを来年までつなぐ事が目標」と分かった後には
同じ熱量で応援など出来ないでしょう。


ドキプリ13話に衝撃を受けてから1週間経ったときのように
「番組に穴を開けないでくれてありがとう」と考えるのがファンとしてあるべき姿勢なのかな・・と
考えたりしています。


※  ※  ※

構成の村山さんも大変なのかもしれません。

虚淵玄さん曰く、「脚本家は、監督・プロデューサーらが作りたいと思う物語を作るために
アイディアを提供するのが仕事」だそうですが、

その肝心の監督にイメージを作る余裕が無かったのですから。

基礎がない場所に建物を建てなければいけないようなものだったのかもしれません。
(そのことと「段取りと設定を描くことに気を取られている(様に見える)」事は別の話ですが)

゚・*:.:♪*・゜゚・♯*:.。. :*・゜

だから、今後は「毎回の演出脚本について」は今までどおり語りますが、
監督構成については多分、遠慮すると思います。



シリーズがこれで打ち切りにならず次に続いてくれるならそれで御の字。
そう思うなら無駄に心を乱すことも無いでしょう。


※  ※  ※

個性が弱いと思っていたみらいやキャラが不安定に感じられたリコについても
印象が変わりました。


あんまり悪く言ったら可哀相だと思うようになりました。


「愛し方が分からない親に育てられている子」を見るような感覚と言いましょうか。

みらいがリコをあれだけ好きになった事に理由が無いなんて、本当に気の毒です。
それに限らず、展開の都合で人格が決められてしまうキャラクター達が気の毒です。


はーちゃんは今のままでも文句無いですが、
みらいとリコはキャラクターとして幸せになって欲しいと心から思います。




今年の冬はまほプリで薄い本は描けないと思っていましたが、気が変わりました。
元気で明るくて楽しいみらいとリコが描きたくなりました。

1 件のコメント:

  1. 実は「Febri VOL.36」のインタビューでも同じ内容が語られています。
    別の出版社のアニメ誌ですし、当然全く別のインタビューなのですが、
    三塚氏にとってはよっぽど印象的なエピソードだったのか、あるいはファンに「知ってほしい」事情なのか。

    それによると、

    ・去年の6月(GOプリ第21話の編集作業中)にはじめて内藤Pから話があったが一度断った。
    ・その翌日あたりに鷲尾Pに呼び出されて企画メモ的なものを渡された。
    ・その企画メモではすでに主要な要素は決定していた(人間界と魔法界の2つの世界が「手をつなぐ」ことで繋がる、4つのスタイルに変身、ぬいぐるみで変身、スマホで妖精を育てると3人目のプリキュアになる、リンクルストーンというアイテム、途中で敵がガラッと入れ替わる)。
    ・6月の時点でもう「早め」とも言い難いのでこれはグズグズしていたらマズいなと思った
    ・ここで自分が断ったら他の人に当たることになるだろうしその時間のロスがもったいないなと考えた

    ということだそうです。

    このフェブリのインタビューは他にも非常に興味深いことが語られています。
    みらいとリコの性格は当初のイメージがらどんどん離れていったとか、
    プリキュアの各スタイルの戦術的な使い分けはあえて避けたとか。

    なお、アニメージュ11月号の一部をそのまま引用しておきます。

    「GO!プリ」のことも放っておけず、「魔法つかいプリキュア!」放送開始の3ヵ月前まで、2作品並行して手掛けていたのは正直やりすぎだったかもしれません(苦笑)。 (引用おわり)


    …思えばこのシリーズの序盤にのみ存在した「総作監」という役職も、この特殊事情に対応するためのものだったのではないかと。
    要するに時間不足の中バラバラにあがってくる絵を修正し統一する仕事だった可能性ですね。

    私がチクルンがらみのエピソードにかなり好意的なのは、これらのインタビューを読んだ上で、「最後にきちんと着陸させるための努力をしているな」と感じているからかもしれません。

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