自転車専用道を歩く歩行者について理解を深めるため、さまざまな可能性を鑑みてみる私なのだった。
なぜ自転車専用と書いてある、あるいは自転車のマークが描いてある道を歩いてしまうのか。
自転車は車道をメインに走るべしと言われてはいるものの、実情は車道に自転車の走る隙間はなく、なぜか歩道が広くなる工事が行われるばかりである。
そのような広い歩道の車道側は自転車専用レーンとなっている場合が多く、自転車はそちらを走れということになっている。これなら自転車に乗ったお年寄りや子供も安心して走れるというもの。
しかし、歩行者は違った。色分けしてあろうとも、自転車の絵が描いてあろうとも、構わず我が物顔で自転車用レーンを歩いてくる。あまつさえ車道を逆走してくる歩行者の姿も見受けられる。
このように困った歩行者の横暴はどうして生まれるのだろうか。これは何の識者でもない筆者が、この問題に鈍く切り込んだふりをして単にこじつけるだけの記事であり、読むだけ無駄であることを付記しておく。
1. 歩行者の意識が低い可能性
得てして歩行者の意識は低いといえる。歩道は歩行者のものであり、歩行者は行きたい方向へ自由に行けるという思い込みからくるものだ。歩くことに危機意識を持つ必要はなく、緊張感もなくなっていく。結果、歳月を経るほどに意識は低下していく。歩いているなら事故も起こらない、信号を無視しても大丈夫だろう。
これら意識の低下が引き起こすのは自転車レーンの歩行だ。意識の低下した人間は重要な情報や警告を無視する。自転車レーンを認識していようとも、もはや自転車マークがヨガや座禅パワーによって宙に浮いた人にしか見えないという事例が多くを物語っている。確かに浮いている人に見えるが、そうでないマークも一様に無視されていることから、やはり自転車レーンを認識していようがいるまいが意識の低下は認識の低下も招くと言わざるを得ない。
2. 一種のマウンティングである可能性
マウンティングとは猿の社会で行われる順位の確認作業である。
Weblio 辞書:マウンティング相手に乗りかかる・のしかかかる行為を意味する語。動物が交尾のため背後から乗りかかる体勢、あるいは、サルやゴリラなどの霊長類が自分の優位を顕示するため相手に乗りかかる体勢などを指すことが多い。
霊長類の自己顕示行為としてのマウンティングは相手がオスかメスかに関係なく行われる。転じて、人付き合いの中で何事につけても相手をそれとなく貶め、自分が優位に立とうとする行為や性向をマウンティングと呼ぶことがある。
生きるということが満たされた現代の人間が陥りやすいのがマウンティング行為だろう。幼少期より努力によって結果を得ることをしてこなかった人間は、「強く見られたい」「賢く見られたい」という欲求をたいした努力なしに満たそうとする。
強く見られたい人間は(ごく小さな)禁忌を破る。車道を我が物顔で歩いて強い自分をアピールする。わざわざ狭い自転車レーンを歩いて自転車に乗る人間をコントロールしている錯覚に陥る。
賢く見られたい人間はルールを無視する。車道を逆走すれば車がよく見えるから安全だ、こんなことを思いつく私は賢いと自画自賛する。信号無視をして時間短縮できる私は賢いと自分に感心する。
そうして反撃してこないサンドバッグの虚像を殴り続け、増大し続ける自尊心を抱えて自転車レーンを歩くのだ。
3. 身体に変調がある可能性
自転車レーンのない歩道を観察していると、歩行者は車道寄りを歩いているケースが非常に多いことがわかる。あえて危険の多い車道側を歩くのはなぜか。我々はこの事象に近いものを知っている。
カマキリを宿主とするハリガネムシは、カマキリの脳に特定のタンパク質を注入して行動をコントロールする。生殖をやめ、ハリガネムシに栄養を与えるため捕食し、やがて水へ入ってカマキリを溺れ死なせる。その際、ハリガネムシはカマキリの尻から外へ出て、水中で交尾の相手を探すのだ。
合理的な思考をしていれば車道を歩く危険性は理解できるはずだ。車道側を歩いている人間はハリガネムシのような何かに寄生されており、やがて車道へ出て自動車と衝突するよう導かれているのではないか(白目)。車と衝突したハリガネムシ的な何かは宿主の尻から出て、車道を泳ぎ交尾の相手を探す。これはあくまでも仮説だが、寄生虫の存在が確認されていない以外は非常に信憑性の高い説であるとここに主張するッ!(よだれ)
車が避けてくれるから事故が少ないだけで、避けてくれない車もいるから車道を歩くのはやめようネ。 (素材:無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや)
どんな可能性があるかは正直さっぱり知りませんが、すみ分けしてるような道路ではルールを守って安全第一で。変に事故を起こして後遺症が残ったら、お金もらってもやりきれませんよ。
と、締めてみたが、どうだ時間の無駄だったろう?
この記事へコメントする