November 2006
November 21, 2006
FACULITY(フィンフェイ)
最近、頭が重く感じる。
それとは反比例するように頭の中はほとんど空っぽで、意識も思考も地面に落ちて、
そして散ってゆく雨粒のように散漫としていた。
どこから来たかも知れない汚水が集まり、流れ、どこかへ消えてゆく。
鼻をつく生臭い雨の匂い。生暖かい水滴が服にしみこんで気持ちが悪い。何だか吐き気がする。
――大きな水溜りを、勢いよく踏みつけた。
雨の日に聞きたくってうずうずするのは、いつだって「ユーモレスク」、その曲だ。
曇天を埋める灰色に靴にこびりついた泥に少しでもうきうきした要素を感じる機会があるとすれば、それはその曲と、町をゆく人々の異質に明るい傘の色くらいのものなんだろう、たぶん。
急な雨に近くのコンビニエンスストアで買い求めた、傘は透明な色をしていた。
前方の景色を全て透かしてしまうその傘は、憂鬱げな人々の顔も、空の暗い色も、すべて切り取って映してしまうので体裁がわるい。フェイタンはちゃちな雨具をふらりと一度振って、落ちてくる水滴を犬のように払った。
「おい、回すんじゃねえよこっちにかかるだろ」
「じゃあどこかに行けばいいよ」
「……」
無言になってもまだ着いてくるらしいフィンクスにフェイタンはひそやかな忍び笑いを漏らす。相手に聞こえてしまうかと思ったその声は、依然降り続くきつい雨音の中にうまく溶けた。
くゆらせた紫煙の原色みたいなフィエタンの瞳は、雨にかすんで出来の悪い宝石みたいだ。
普段より二割ほど機嫌の悪そうなフェイタンの皮膚の色は白く、顔立ちの額あたりには、皺のようなものがいくつか寄っていてガラがわるい。
フェイタンはもう一度くるり、と傘を振る真似をしてみせて、同じように素早く水溜りの上でターンした。そうしてガラの悪い青年と相対する。
「眉間に皺」
「……お前に言われたくねえよ」
「雨が嫌いか?」
「好きな奴なんざいねえだろ」
「ふうん。ワタシはわりかし好きね」
「変人。あーこいつと付き合うのほんと嫌。」
「だから別に一緒に歩くことはない、と言ているね」
「……」
また黙る。いつもとは少し違う雰囲気を持つ今日のフィンクスの真意を、フェイタンは少しばかり計りかねて、だからまた、手持ち無沙汰に傘を回してみせた。くるり。黒さばかりが目立つ豊かな髪が、無造作に雨に濡れて水滴を弾く、或いは染みこむ。
(そろそろ切ろうか)
フェイタンはそんなことを思いながら、問いかける言葉は上の空だ。別に明確な回答を期待しているわけではない、言葉遊びのようなもの。
「そもそも何で着いて来るのか」
「勝手だろ」
「勝手ね。……どこかに入るか?」
「いや、」
いい、と言う、フィンクスの紫煙の目は様々なものを含んで織り交ざったような色をしている。
元より二人は、そんなに良好な関係を保っているわけではない。
ただ蜘蛛を間にして成り立つ縁は、この雨の日に、妙なところで混じったようだった。
町は灰色にくすんでいた。
道路脇に植えられた新緑はしとどに濡れ、時折ちらちらとうつくしい碧色に光っては彼らの視線を奪う。
くるくると回す透明な傘の先に滲むビルや、道路や、信号機の点滅。色鮮やかな円状の傘の羅列とやわらかにくすみゆく音。狭まる視界と、遮断される世界。
晴れの日に比べると味気のない世界はけれど、フェイタンには新鮮に見えるものでもある。
(こんなにも「普通の」雨の日を、ワタシは今まで知らなかた)
家や、城や、そんなものを一瞬だけ忘却の彼方へ連れ去る風景。
雨音はなんだか、耳に甘くていとおしい。
「おい、フェイタン」
「……何か用か」
「肩。濡れてる」
「ああ」
ことあるごとに傘を振るフェイタンの肩にはフィンクスの言う通り雨の跡が克明についていて、シャツの色は既に変色しはじめている。
言われてはじめて知る、その冷たさは少し、くすぐったくて心地よかった。
「どうしようもねえくらい下手だな、雨の中を歩くの」
「お前に言われる筋合いないよ」
「俺のが上手い。てかな、傘を差すのが下手すぎる」
「何の理屈か、それ」
「理屈じゃねえよ」
鮮やかな葉の緑が異世界のものみたいにうつくしい。
フィンクスはなんだか苛苛したみたいな声をわざと作っているようだ。実際機嫌が悪いのだろうが、フェイタンがその瞳に認めたのは、もっと。
――歩調を緩めて並ぶ。自分より背の高い青年を見る。眉間には相変わらず、皺。
「…・…そんなこと、思いもしなかた」
「?」
「"傘を差すのが下手"」
「アホだろ」
「そうかもしれないね」
くるり、と。
弾けた水滴は空に回帰する、そんな気がする。
ああ、と、そうしてようやくフェイタンは思う。
「お前の感受性が強いこと忘れてたよ」
「…は?」
「だから着いてきてくれのか」
「……あほか」
怒りか羞恥か、そんなもので一瞬霞を全て振りはらった純粋の目を、フィンクスのその目を、とてもきれいだとフェイタンは思う。覗き込む。むらさきの中に自分の黒い黒い色が混じって、もっと深い色になってしまえばいい、などと。
「――そう悪くもないよ、雨。」
「悪い」
「悪いか?」
「俺は嫌いだね」
「そう、」
それなら、ワタシらの道は一生混じることはないね、と。
そういうのもいい、と。
言ったフェイタンの黒目に紫が僅か、映って曇る。アメジストの欠片を融合したみたいな気分になる。
(一瞬の運命とか、シンパシーとか、シンクロニティとか、そんなものに頼らずあくまでもずっと平行に並ぶ道が――たとえば雨に濡れていたとすれば、それはとてもよい光景なように、わたしには思える)
「ねえじゃあとりあえず、アジトに戻ってそれから、」
シズクにでもこの話をしてあげよう、と。
左肩をぬらしたままでフェイタンは、そんなようなことを言った。
・:*:・**・:*:・
受験で死にそうです。
こんなのかいてる場合じゃないね!
それとは反比例するように頭の中はほとんど空っぽで、意識も思考も地面に落ちて、
そして散ってゆく雨粒のように散漫としていた。
どこから来たかも知れない汚水が集まり、流れ、どこかへ消えてゆく。
鼻をつく生臭い雨の匂い。生暖かい水滴が服にしみこんで気持ちが悪い。何だか吐き気がする。
――大きな水溜りを、勢いよく踏みつけた。
雨の日に聞きたくってうずうずするのは、いつだって「ユーモレスク」、その曲だ。
曇天を埋める灰色に靴にこびりついた泥に少しでもうきうきした要素を感じる機会があるとすれば、それはその曲と、町をゆく人々の異質に明るい傘の色くらいのものなんだろう、たぶん。
急な雨に近くのコンビニエンスストアで買い求めた、傘は透明な色をしていた。
前方の景色を全て透かしてしまうその傘は、憂鬱げな人々の顔も、空の暗い色も、すべて切り取って映してしまうので体裁がわるい。フェイタンはちゃちな雨具をふらりと一度振って、落ちてくる水滴を犬のように払った。
「おい、回すんじゃねえよこっちにかかるだろ」
「じゃあどこかに行けばいいよ」
「……」
無言になってもまだ着いてくるらしいフィンクスにフェイタンはひそやかな忍び笑いを漏らす。相手に聞こえてしまうかと思ったその声は、依然降り続くきつい雨音の中にうまく溶けた。
くゆらせた紫煙の原色みたいなフィエタンの瞳は、雨にかすんで出来の悪い宝石みたいだ。
普段より二割ほど機嫌の悪そうなフェイタンの皮膚の色は白く、顔立ちの額あたりには、皺のようなものがいくつか寄っていてガラがわるい。
フェイタンはもう一度くるり、と傘を振る真似をしてみせて、同じように素早く水溜りの上でターンした。そうしてガラの悪い青年と相対する。
「眉間に皺」
「……お前に言われたくねえよ」
「雨が嫌いか?」
「好きな奴なんざいねえだろ」
「ふうん。ワタシはわりかし好きね」
「変人。あーこいつと付き合うのほんと嫌。」
「だから別に一緒に歩くことはない、と言ているね」
「……」
また黙る。いつもとは少し違う雰囲気を持つ今日のフィンクスの真意を、フェイタンは少しばかり計りかねて、だからまた、手持ち無沙汰に傘を回してみせた。くるり。黒さばかりが目立つ豊かな髪が、無造作に雨に濡れて水滴を弾く、或いは染みこむ。
(そろそろ切ろうか)
フェイタンはそんなことを思いながら、問いかける言葉は上の空だ。別に明確な回答を期待しているわけではない、言葉遊びのようなもの。
「そもそも何で着いて来るのか」
「勝手だろ」
「勝手ね。……どこかに入るか?」
「いや、」
いい、と言う、フィンクスの紫煙の目は様々なものを含んで織り交ざったような色をしている。
元より二人は、そんなに良好な関係を保っているわけではない。
ただ蜘蛛を間にして成り立つ縁は、この雨の日に、妙なところで混じったようだった。
町は灰色にくすんでいた。
道路脇に植えられた新緑はしとどに濡れ、時折ちらちらとうつくしい碧色に光っては彼らの視線を奪う。
くるくると回す透明な傘の先に滲むビルや、道路や、信号機の点滅。色鮮やかな円状の傘の羅列とやわらかにくすみゆく音。狭まる視界と、遮断される世界。
晴れの日に比べると味気のない世界はけれど、フェイタンには新鮮に見えるものでもある。
(こんなにも「普通の」雨の日を、ワタシは今まで知らなかた)
家や、城や、そんなものを一瞬だけ忘却の彼方へ連れ去る風景。
雨音はなんだか、耳に甘くていとおしい。
「おい、フェイタン」
「……何か用か」
「肩。濡れてる」
「ああ」
ことあるごとに傘を振るフェイタンの肩にはフィンクスの言う通り雨の跡が克明についていて、シャツの色は既に変色しはじめている。
言われてはじめて知る、その冷たさは少し、くすぐったくて心地よかった。
「どうしようもねえくらい下手だな、雨の中を歩くの」
「お前に言われる筋合いないよ」
「俺のが上手い。てかな、傘を差すのが下手すぎる」
「何の理屈か、それ」
「理屈じゃねえよ」
鮮やかな葉の緑が異世界のものみたいにうつくしい。
フィンクスはなんだか苛苛したみたいな声をわざと作っているようだ。実際機嫌が悪いのだろうが、フェイタンがその瞳に認めたのは、もっと。
――歩調を緩めて並ぶ。自分より背の高い青年を見る。眉間には相変わらず、皺。
「…・…そんなこと、思いもしなかた」
「?」
「"傘を差すのが下手"」
「アホだろ」
「そうかもしれないね」
くるり、と。
弾けた水滴は空に回帰する、そんな気がする。
ああ、と、そうしてようやくフェイタンは思う。
「お前の感受性が強いこと忘れてたよ」
「…は?」
「だから着いてきてくれのか」
「……あほか」
怒りか羞恥か、そんなもので一瞬霞を全て振りはらった純粋の目を、フィンクスのその目を、とてもきれいだとフェイタンは思う。覗き込む。むらさきの中に自分の黒い黒い色が混じって、もっと深い色になってしまえばいい、などと。
「――そう悪くもないよ、雨。」
「悪い」
「悪いか?」
「俺は嫌いだね」
「そう、」
それなら、ワタシらの道は一生混じることはないね、と。
そういうのもいい、と。
言ったフェイタンの黒目に紫が僅か、映って曇る。アメジストの欠片を融合したみたいな気分になる。
(一瞬の運命とか、シンパシーとか、シンクロニティとか、そんなものに頼らずあくまでもずっと平行に並ぶ道が――たとえば雨に濡れていたとすれば、それはとてもよい光景なように、わたしには思える)
「ねえじゃあとりあえず、アジトに戻ってそれから、」
シズクにでもこの話をしてあげよう、と。
左肩をぬらしたままでフェイタンは、そんなようなことを言った。
・:*:・**・:*:・
受験で死にそうです。
こんなのかいてる場合じゃないね!