ぼくは友達が異常に少ないです。
普段はカナダに在住しているけれども、久しぶりに日本に一時帰国中の現在、直接連絡を取り合う人は数名程度。
めんどくさがりで、変わり者のぼくに好意を抱いてくれる人は世間では少ないようだ。30年間生きていて、ちょっと寂しいなって思う時もある。
けれども、そんなぼくには、15歳の時から付き合いがある親友がいる。
高校の同級生。名前は「明志」(あかし)。
「明るい志」
ぼくが今まで出逢ってきた、どんな名前よりもかっこいい。
明るい志っていう、名前に負けないぐらい、彼はいつも明るかった。
彼の一言によって、大好きなスノーボードに触れて、結果的にカナダに住む事になった。今ぼくは、毎日を充実した人生を送っている。
彼がいなかったら、今頃ぼくは、どこで何をしていたのだろうか・・・。
そんな「親友」ついて思う事。
ぼくの親友との出会い
親友とは高校時代に知り合い、クラスメイトだった。
けれども、ブッチャケ、高校時代は親友でも何でもなかった。
「ただの友人」
顔を合わせれば、話はするけれども、プライベートで一緒に遊んだりした記憶はほとんどない。ぼくらは、3年間「ただの友人」だった。
けども、ある出来事がきっかけで、距離が非常に近くなった。
親友になったきっかけ
ぼくは本当にラッキーなことに、たまたま親友ができた。
運の要素が8割以上だったと思うし、誰もがこのラッキーが起こるわけではないと思う。
けれども、ぼくは日頃から意識していたことがあったから、ラッキーを引き寄せる事が出来たのだと思う。それは、ぼくは日頃から
「こんな人生だったら、楽しいだろうな」
って、常に妄想するのが好きなんですね。
時間があれば、ありもしない事を、色々と妄想をしています。
まぁ、妄想はただですから(笑)
そして、高校時代ぼくは
「今までにした事がない経験で、人生を捧げるぐらい夢中になれるものに出会いたいなー」
っと日々妄想していました。
最初のうちは、それが麻雀でした。
しかし、ぼくは体を動かす方が性にあっているようで、何か違和感を覚えていた。
高校卒業が近い2月、当時、タダの友人の明志君が
「スノーボードにいかないか、あまちゃん?!」
っと誘ってくれた。
めちゃくちゃ、楽しかったし、今でもあの時の衝撃をを鮮明に覚えている。
日常生活では味話ない高揚感、血の騒ぎ。
結果的に、ダダの友人と冬になると一緒に滑りまくった。
今では冬は週5日以上もスノーボードをするジャンキーになってしまったし、39度の熱があっても滑るほど、のめり込んだ。
寝る間も惜しんだ。
睡眠時間が著しく短い時は、リフトやゴンドラで寝て、降りる時に係りの人に起こされる事もあった。
タダの友人は気付いたら、ぼくのなかでは親友と呼べるに相応しい存在になっていた。
そして、親友とは一緒に新潟のゲレンデでアルバイトをしながら、切磋琢磨してスノーボードの技術を磨いていった。
お互いプロを目指していたわけではないけれども、1つの事を極めようとする過程は非常に楽しかった。
親友が、新しいトリックを覚えたら、ぼくも負けじと対抗して、
親友が、10メートルを超えるような大きいジャンプを決めたら、
ぼくも負けじと挑戦した。
時には怪我もした。
2013年2月には新潟の石打丸山スキー上でぼくは左膝を骨折した。
ぼくは「もう歩ける事は2度とないかもしれない」っと本気で思った。
受傷直後、左足の感覚がおかしすぎた。
一生車椅子生活だなっと本気で悟った。
少し地面に足を着くだけで、激痛が走った。
けれども、そんなぼくの姿を見て
親友が爆笑して「きっと大丈夫だな」っと安心した。
「前十字靭帯損傷の恐れがある」っと検査の結果言われたが、
ぼくには妙な安心感があった、親友が笑い飛ばしてくれたから。
結果的、3ヶ月後ぐらいには、日常生活を取り戻す事ができて、
5月にはまた、新潟のかくらスキー場で大好きなスノーボードを再開できた。
確か、復帰1発目のジャンプがフロントフリップ
(縦回転の技、宙返りのようになるため、リスクが高いとされている。)
で、一緒に滑っていた親友に呆れられたっけな。
親友とのこれから
ぼくらは結構、きままなタイプで、自由奔放。
親友ってまぁ、そんなもんなのかな。そもそも、向こうがぼくのことをどのように捉えているかは、本当の所は彼にしかわからない。
そんな親友は、いつの間にか婚約をしたらしく、近々結構するとの事。
12年前、お互いに結婚して、家庭を築くなんてことは想像もつかなかった。
これから、12年後は、親友とぼくはどんな変化をしているのだろうか。
親友との関係で一番重要なこと
1番大事な事は、「便りがないのが良い知らせ」ということ。
世間で一般的に言われる、
「親友だから、なんでも言い合う」
「親友だから、頻繁に会う」
そういった考えは違うと思う。別に、連絡の取りたい時に、ゆる〜くつながっていれば、いいのだ。
そして、言い合いたい事は、言えばいいし、言いたくない事は言わない。
そんな、「言わない」っという事を受け入れてくれる関係性も大事だと思うのです。
そもそも、あった出来事全部をいうって、物理的、理論的に無理だから、知らない事があって、当たり前ですしね。
親友論についてまとめ
親友がいた事は本当にラッキーな事だった。
18歳の自分から見たら、30歳の人生がこんなにも楽しいものとは思わなかった。
親友の一言のおかげで、夢中になれるものに出会え、カナダにも行った。
そこで、現在の妻にも出会う事が出来た。
ぼくの人生は親友が変えてくれたといっても、過言ではないし、毎日笑顔が止まらない。
これから、時には辛い事もあるだろうけれども、まぁ、大丈夫。
一緒に笑ってバカできる仲間がいるって思うだけで、人生なんとかなる気がしますしね。
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