2016年10月


>佐野さん、はじめまして。全相談を興味深く拝見しております。せっかくの機会だと思い、私も書き込みさせていただきます。

数年前、最愛の夫に不倫されて以来、人生がどうでもよくなりずっと自暴自棄です。お金も考えず刹那的に使ってしまいます。借金する程ではありませんが貯金は殆どありません。
壮絶な修羅場を何度か乗り越え、様々な理由で離婚せず現在に至ります。一番の理由は、我が強く破天荒らしい私と気が合い、一緒に暮らしていける稀有な人間だからです。夫とは同棲12年、結婚7年、子供はいません。
不倫された原因は私にもあるので、反省しその後同じ事を繰り返さない様に気をつけていて、現在関係は良好ですが、ふとした瞬間に猛烈な自己嫌悪と、同時に夫に対する殺意がわいてきてしまいます。
原因は、佐野さんには分かってもらえないと思いますが、私は性に対して潔癖で超保守的で(夫はその事を知っています)、私の最後の男が夫なのに、夫の最後の女が自分でない事がたまらなく嫌だからだと思います。
かといってもう夫とセックスすることは出来ません。夫も同じ気持ちだと思います。
開き直って私も不倫してしまおうかと考えたりもするのですが、前述の通りの性格と価値観なので、奇跡的に相手が見つかっても絶対に後悔するでしょう。
何を相談したいかというと、夫と自分を赦したいのです。不定期にわきあがる自己嫌悪と殺意を浄化させ、穏やかに暮らしたいのです。刹那的にお金を使わず、将来の事をまともに考えたいです。
それにはまず価値観を変えなければ、と思います。性に対して潔癖で超保守的なのは第二次性徴期から揺るがない強固なものなのですが(結婚するまで処女でいたかったくらいです)変えることは出来るのでしょうか。
もしくは、価値観を変えなくても赦す事は出来るのでしょうか。
長々と失礼しました。よろしくお願い致します。




はじめまして。ご相談を読みまして、率直に言いますと、率直に言うの勇気がいるんですが、内容の前にあなたの文章が自己陶酔的で鼻につく感じなのが気になります。あなた以外にもそういう感じの投稿あったんですが、あなたの場合はご相談内容とその傾向との関わりが大きいかなと感じ、言いました。かなりご不快になるかと思うんですが、申し訳ないんですが、さらし者にしようという意図は本当にないんですが、私の言っていることをご理解いただくために、そう感じた部分をカッコでくくってご相談内容を要約させていただきます。本当にすいません。


ハンドルネーム「ダリア」さんは、「最愛の」旦那さんが不倫をして以来自暴自棄で浪費癖が付きました。お金を「刹那」的に使います。不倫の問題は「壮絶な修羅場」ののち和解、その理由は「我が強く破天荒」なダリアさんと一緒にいられる「稀有」な人間だから。しかしダリアさんが性に潔癖であるため旦那さんに殺意が湧き、同時に自己嫌悪にも陥ってしまう。
どうすれば夫と自分を「赦」し、殺意と自己嫌悪を「浄化」させられるか、ということでした。
日常で使う言葉とはかけ離れた、誇張や紋切り型のイキりフレーズが多用されているように見受けられます。

こんな見せしめのようなことをして私が何が言いたいかというと、あなたは全てにおいて芝居がかっているのではないかということです。ご自身についての説明にこれだけ派手なフレーズを散りばめられるのは、ご自身に関してかなりの演出癖がおありだと感じました。普段頭の中で物事をお考えになるときもこういった仰々しい言葉を使っているのではないでしょうか?演出的な性格もあわせて、あなたはとんでもない感情の大波をご自身で作っているのではないかと感じました。

ご主人が不倫されて、実際のところそこまで感情が動かされたでしょうか?性的に潔癖なら悲しいとか嫌だとは思ったのでしょうが、浄化されるべき殺意だとかはちょっと話盛ってないですかね?いやこれ本当なんだよって場合は私には浄化のお手伝いは難しいのですが、そう言われればそんなでもない気がするけど…と思うなら、今お悩みのあれこれは諸々縮小できるかもしれません。自分が自分以外の何者かである期待を捨て、平易で没個性的な言葉で考えるようにすると、心が鈍くなると思います。自分に思い入れたっぷりでは、余計なもやがかかって結局ご自身の実際の姿は見えにくくなるのではないでしょうか。


>佐野さんこんばんは。
いつも楽しく拝見させていただいております。
最近高畑裕太が強姦で捕まりましたが、皆が面白がっている中で私は同情してしまいました。
赤ちゃんプレイやSMと同じ様に強姦することが性癖の人はどうすれば良いのでしょうか。
私はとある出来事をきっかけに嫌いな人を殴ることに快感を覚えてしまいました。
いつか本当に人を殴り殺せたらと思うことがあります。
私は幸運にも子どもを産むことが出来る身体にあるので子どもを殴り殺せるのではないかと思ったのですが、日本ではそれは許されていない様です。(私の理性や道徳と全く別のところに自分から出たものなんだから自分が好きにしても良いじゃないかという気持ちが少なからずある様です。)
理解ある友人に相談したら「そういう奴は病院に行くしかない」と言われましたが病院に行って治るとは思えません。
高畑裕太や私はこれから日本でどうやって行きていけば良いのでしょうか?



こんばんは。病院に行って治るんじゃないですか?いくつか前の記事でも触れましたが医者は「性欲を抑える薬」というものを持っています。昔、知り合いの芸人が(本人が言うには)完全に無意識で痴漢まがいの行為に及んでしまい、このままじゃ破滅だ!と通院し「性欲を抑える薬」を得て今はお笑いを引退しましたが会社員として立派にやっているそうです。同じように暴力性を抑えることも可能でしょう。人は「薬なんかで俺が変えられるか?」という意識誰でもあると思うんですけど結構変えられるらしいです。高畑さんの事件詳細知らないのでなんとも言えませんが、自動運転で事に及んでしまうのなら薬を飲みましょう。あなたも必要ならそうしましょう。

全体的にうっすら冗談めかして書いているところからあなたはご自身の珍しい欲求をアイデンティティのように感じているのではないかと思いましたがどうでしょうか。珍しいものにもオツなもの、大したことのないものがあります。私も若いころお笑いでよく失敗したことですが、過激でつまらないものはかなり虚しいものがあります。

切迫した印象はないので通院はしなくてもあなたが願望を成就させることはないかと思いますが、さっきも言いましたが必要に応じて薬を飲んだりして、高畑さんもあなたも日本で生きていきます。特殊で派手だけどつまらない願望は没にして、またご自身を探り直すといいと思います。


>佐野さんこんにちは。いつも楽しく拝読させていただいております。

私は、何事にも真面目すぎるということが悩みです。
というのは、何事にも徹底して取り組んでしまうため、自分と同じ熱量で取り組まない人に対して嫌悪感を抱いたり、自分が真面目に取り組んだことが認められないと不満を露にしてしまうのです。
その結果、相手から距離を置かれるようになったり、「わがままだ」とレッテルを貼られることもありました。

今までの人生、そのことで何度も失敗してきました。どうすればもっと寛容な心が持てるのでしょうか。




こんにちは。自分のアルバイトの話ばかりしてすみませんが、今新人のアルバイトが入っていて、仕事を教えるのが面倒で逃げているんですが、当然新人なので要領が悪いところもあり、明らかに二度手間に感じることをしたりするのですが、一方で自分が必ずしている仕事をその新人がしていないのを見たとき、確かにこれは絶対に必要な仕事とは言えないんじゃないか、と思うこともあります。私は割と色々ちゃんとやっておきたい方で、次のシフトの人との交代のときに洗い物が無く、ドリンクバーのグラスなども補充されており、入会申込書のストックもある程度あり…みたいなのが気になるんですが、気にならない奴を責めるのもギスギスしてやだな、とも思います。同じ時給をもらっていて仕事の量が違うと、どうしても損した気分になります。もちろんお前もうちょっと仕事しろよ、と言ってもいいし、十分それを言う正当性もあると思います。適当にやってる奴のしわ寄せは他の誰かに行ってるんだから、むしろそうすべきとも言えます。

いつも間にか私自身とあなたを混同してお話ししてましたが、ご相談は職場の話とは限らないですね。こういう話は当然程度の問題なんですが、人生で何度も失敗してきた、と仰るからにはあなたの程度は結構過激なんでしょう。きっちりやることと適当にやることは同じくらい重要で、誰も彼もめちゃくちゃで機能不全に陥った場からも、常に完璧を求め続ける超潔癖な場からも、人は逃げたくなります。それぞれの場でいい湯加減が求められ、人間関係もそれによって形成されます。嫌な言い方ですが、あなたはその作用によって淘汰されたのではないでしょうか。

ある「場」にあなたを含めた数人がいて、その中で最も「徹底して取り組む」のがあなただった場合、自分と同じ熱量で取り組むことを求めることは言い換えると「全員自分の基準まで引き上げろ」ということになるので「わがまま」と言われてしまうわけですよね。

あなたにとっては「自分の基準」などではなく常識、当たり前なことを参照して人にもそうするよう求めているのだと思いますが、その常識はすべて本当に意味のあることなのでしょうか。「常識などない」とまで言うつもりはありませんが、もしあなたが物の置き方一つにまでそれを感じてしまうのであればやや行き過ぎていると思います。「自分が第三者だったらこれを見たら…」のような感覚は、客観ではなく主観ですので。

集団の中の「湯加減」はその面子によって変わってきます。「今日はあいついないから伸び伸びやれるぜ!」みたいなやつです。あなたが集団の中で常にトップクラスで真面目なら、常に他人に対し苦々しく感じることになるかもしれませんが、おそらくその他人もあなたに歩み寄ってキツい思いをしていると思います。「いやあんな適当な奴らが…」と思うかもしれませんが、奴らにとってはそうなのです。そう思うことで寛容になれるかはわかりませんが、「様々な性格の人間の間でかろうじてバランスを保っている環境」と、「日常の細かい点まで特定の人物の善意が反映されている環境」なら、やはりあなたにとっても前者の方がいいのではないでしょうか。

>佐野さん、こんばんは!人生相談楽しく読んでいます^o^
最近、面白くて好きな芸人さんがいて、頑張ってくださいとかこのネタが好きですとか伝えたいんですが、その芸人さんはクールな感じの雰囲気で、出待ちで話しかけるのをためらってしまいます。
どんな風に話しかけたらいいか、アドバイスがあったら教えてください!
佐野さんは、今まで言われて特に嬉しかった出待ちの言葉、ありますか?また、言葉じゃなくても、こういう応援のされ方が嬉しい、みたいのがあったらぜひ教えてほしいです。



こんばんは!どんな風に話しかけるか、というのは話しかける時にご自身以外の何者かを装い、演技をなさるということでしょうか?多分芸人さんも困ると思うので、ごく普通に話しかけてあげて下さい。

クールな感じでも、飽き飽きするほど女が寄って来るほどの人気者でなければ、ファンが話しかけてきたらそれなりに喜んでくれるはずです。もちろん中には本当に人と話したりするのが苦手で…という人もいるので絶対とは言い切れないのですが、ツイッターとかで検索してみてその人の別のファンが一緒に撮った写真とかあげてたら、まずあなたも大丈夫です。

嬉しかった言葉、というのは特にないです。別の記事で触れましたが私はすぐに面白くもない、お笑いとも関係のない話に持ち込みますので。待っていていただけること自体は非常に嬉しいです。

応援のされ方、もちろんライブに来ていただけるのが一番でしょう。で、本題とは関係のない話をこの機会に書いておこうと思うんですけど、ある芸人のファンがライブに行くことを「応援」と言う(言わせてしまう)ことに違和感があって、まるでそのライブが目的ではなく、ライブの向こうにある何か(何かって言うかテレビ)を志向して、そこに押し上げていく、みたいな響きを感じてしまいます。いや、実際にほとんどの芸人にとってライブはそうなんですが、見てる人にそれを意識させるのは失敗ではないかと思います。見に来てもらったそのライブこそがお笑い芸人の目的で、実現した目標であるかのようにお客さんには感じてもらいたいと思っていますので…もちろん、応援するというのも楽しみ方の一つであることは承知しています。雑音は気にせずその方のライブに行ってあげてください。

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