最近の競馬に興味のない私ですが、たまたま見ていたニュースで飛び込んできた秋華賞の結果。1着はヴィブロスという3番人気で前走紫苑ステークス(GⅢ)2着の馬でした。
「ふーん。別に興味ないなぁ…」という感じでした。
馬主は大魔神佐々木氏
大魔神が顔をくしゃくしゃにして喜んだ。元メジャーリーガー・佐々木主浩オーナーの加奈子夫人が名付け親となったヴィブロスが完勝。佐々木オーナーは、全姉ヴィルシーナの2勝(13、14年ヴィクトリアマイル)に続くG1・3勝目をものにした
かつて一度だけ競馬にどっぷりハマった時のお話しです。
私がまだ学生の頃競馬のブームが巻き起こりました。(学生は勝ち馬投票券を購入できません。)きっかけは天皇賞秋をみんなで予想しようというもの(賭けてるヤツもいた)この年1番人気はナリタブライアンでしたが休養明けで振るわずの12着、勝ったのは2番人気のサクラチトセオー。サクラ色の勝負服は今でも忘れませんね。競馬ってギャンブルなのですが脈々と受け継がれる血統や携わる人々がいて成り立っているのだと知りました。そんなドラマティックな競馬にどっぷりハマってしまいました。
初の競馬場
社会人になって最寄りの競馬場に行き実際馬券を購入しました。売店でビールも購入。競馬新聞片手にパドックで馬の状態をチェック。(この時点でオッサンの空気満載…)それにしても間近でみるとツヤのいい馬悪い馬ってよくわかるんです。馬の気性もそれぞれで落ち着いてたり興奮していたりで投票の参考になります。レースの時間が近付くとファンファーレが鳴りさらにアドレナリンの分泌を感じます。目の前をサラブレッドが駆け抜けていく姿はまさに芸術。私自身酒は回ってるわ、金は賭けてるわで応援にもグッと力が入ります。まぁ大当たりはないんですが初の競馬は+5万円くらいにはなりました。その後も何回か足を運びましたが大勝ちはありませんでした。
競馬ゲームにハマる
シュミレーションゲーマーにとって競走馬育成ゲームは欠かせないゲームです。ダビスタは勿論ですがウイニングポストやクラシックロード2といったゲームにハマりました。
何年かの周期でコンピュータの馬が生き返るダビスタとは大きく異なるところです
クラシックロード2はマイナーなゲームなんですがダビスタより忠実で3Dでの出走シーンは当時としては衝撃的なタイトルでした。競馬ゲームを通して血統について勉強させていただきました。
大好きだったホクトベガ
ホクトベガ知ってますか?ベガの陰に隠れたもう一頭の「ベガ」9番人気で迎えたエリザベス女王杯で見事1着「東(美浦)の一等星、北斗のベガ!ベガはベガでもホクトベガ!!」このフレーズは忘れられません。生産者は掲示板に載るだけでいい。ということで競馬場にすら来ていませんでした。
ホクトベガが初めて芝コースを走ったのは、4戦目で初の重賞挑戦となった「フラワーカップ(GIII)」である。デビューからダートコースしか走ってこなかったにも関わらず2番人気に推され、見事勝利する。その後は牝馬クラシックの桜花賞・優駿牝馬に出走するも、いずれもベガの前に5着、6着に敗れた。同年秋のエリザベス女王杯では、牝馬三冠がかかるベガに対して、ホクトベガはトライアル競走(クイーンステークス、ローズステークス)においてユキノビジン、スターバレリーナに負けており、9番人気の評価であった。ベガはスタート後の接触が原因で右後脚を負傷しており、競馬場の診療所で球節付近を4針縫合した。
ここまでは普通の競走馬ですが…6歳馬となりダート路線に転向。数々の地方との交流レース参戦することとなります。
ダートには滅法強かった。どのレースもぶっちぎり。遅咲きのクイーンはダートで開花したのです。国内敵なしで迎えたドバイワールドカップですがレースでの事故により安楽死処置となってしまいました。
最終コーナーで「馬場の僅かな窪みに左前脚を取られて(主催者発表より)」転倒[9]し、さらに後続のビジューダンド(Bijou d'Inde)が巻き込まれる形で追突。ホクトベガは左前腕節部複雑骨折となり、予後不良と診断されて間もなく安楽死処置を受けた。
この事故で鞍上の横山騎手は雑誌等で批判記事を書かれたそうです。遅咲きの牝馬の雄姿は見納めとなってしまいました。
通常の牝馬が活躍するのは4歳くらいまででしょう。しかしホクトベガは同期の牝馬たちが引退した後に花開いたのです。一時は障害へ転向とも囁かれたようですがダート転向以降は力強い走りでファンを魅了しました。
ダートコースで圧倒的強さを誇ったホクトベガの功績を称え、かつて18馬身差という圧勝劇を見せた川崎競馬場では、1998年から現在までスパーキングレディーカップに「ホクトベガメモリアル」の冠を付けている。このスパーキングレディーカップも、かつてホクトベガが活躍した牝馬限定の中央・地方競馬交流重賞である。また、最期の地となったドバイにおいても、ホクトベガの名を冠した競走が施行された。
ホクトベガの死とともに私の競馬熱は冷めましたね。その後はサンデーサイレンス産駒が活躍するようになります。強い馬はみんなサンデーサイレンスといった感じでしたね。
今でもあのときドバイでちゃんと走れてたら何着だったのだろう…と思い返します。馬の年齢で6歳は人間でいう24歳らしいです。晩成のホクトベガはまだまだ活躍できたかもしれません。熟女ホースと思っていましたがその域には達していませんでした。そして感動をありがとう…
ご視聴ありがとうございました。