死刑はほんとうに「極刑」なのか? 週刊プレイボーイ連載(261)


日本弁護士連合会が10月7日の「人権擁護大会」で死刑制度廃止を宣言しました。きっかけは2014年に袴田事件の死刑囚の再審開始決定が出たことで、「冤罪で死刑が執行されれば取り返しがつかない」というのが理由です。これは杞憂というわけではなく、1990年の足利連続幼女誘拐殺人事件では無実の市民が20年なちかく収監されたように、誤認逮捕はいまでも現実に起きています。

ヨーロッパでは英仏独など主要国が死刑を廃止しており、EU(欧州)は毎年10月10日の「死刑廃止デー」を共催し、国連でも「死刑執行停止決議」が117カ国の賛同を得て採択されています。その一方で日本では、世論の8割が死刑を容認するなど、世界の潮流からかけ離れているように見えます。

主権者である国民の圧倒的多数が死刑を支持しているのだから、民主的な決定に国際社会が口をはさむ権利はない、という主張はそのとおりでしょう。しかし気になるのは、日本では死刑が無条件に「極刑」とされていることです。

2001年6月、大阪の池田小学校に男が乱入し、出刃包丁で児童8名を刺し殺しました。犯人は幼少時代から奇行や暴力行為を繰り返し、強姦事件で少年院に服役したあと、職を点々としますがどれも長つづきせず、「このまま生きていても仕方ない」と思うようになります。しかし自殺する勇気がなかったため、1999年の池袋通り魔事件(2人死亡6人重軽傷で死刑確定)、下関通り魔事件(5人死亡10人重軽傷で死刑執行)を見て、死刑になることを目的に犯行に及んだと供述しています。

事実、男は地裁で死刑判決が出ると控訴を取り下げて死刑を確定させ、その後は「6カ月以内の死刑執行」を求め、執行されなければ精神的苦痛を理由とする国家賠償訴訟請求を起こす準備をしていたといいます。こうした奇矯な行動のためか、判決が確定してからわずか1年で死刑を執行されます。収監中に死刑廃止運動家の女性と獄中結婚し、最期に妻に「ありがとう」の伝言を述べたといいますが、自分が生命を奪った児童やその遺族への謝罪はいっさいありませんでした。

この事件が特異なのは、犯人の望みが死刑になることで、国家がそれをかなえてやっていることです。これでは犯罪者に報償を与えるようなものですが、不思議なことにこのことを指摘したひとはいませんでした。

欧米社会で死刑廃止が受け入れられやすいのは、「人権感覚」が発達しているというよりも、キリスト教において死(最期の審判までの待機)が一種の救済と考えられているからでしょう。

池田小事件の犯人にとって、生は地獄のようなものでした。だとしたらもっとも残酷な刑罰は、仮釈放のない終身刑となって老いさらばえるまで生きながらえることでしょう。それを考えると不安でたまらなかったからこそ、死刑の即時執行をひたすら求めたのです。

日本人が死刑を容認するのは、それが残酷な罰だからではなく、「見たくないもの」は目の前から消えてほしいと考えているからです。だからこそ、多くの子どもたちの未来を奪った凶悪犯に「安息」を与えても平然としていられるのでしょう。

『週刊プレイボーイ』2016年10月11日発売号
禁・無断転載

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死刑はほんとうに「極刑」なのか? 週刊プレイボーイ連載(261) への5件のフィードバック

  1. 尖沙咀 のコメント:

    >池田小事件の犯人にとって、生は地獄のようなものでした。だとしたらもっとも残酷な刑罰は、仮釈放のない終身刑となって老いさらばえるまで生きながらえることでしょう。それを考えると不安でたまらなかったからこそ、死刑の即時執行をひたすら求めたのです。
    日本人が死刑を容認するのは、それが残酷な罰だからではなく、「見たくないもの」は目の前から消えてほしいと考えているからです。だからこそ、多くの子どもたちの未来を奪った凶悪犯に「安息」を与えても平然としていられるのでしょう。

    「犯罪者」を「牢獄」という「集積所に囲っておくコスト」に対する考察が欠けているのです。

    「死にたい人間」というのは、不治の病に侵されていたり、精神病者を含めてたくさんいるとは思いますが、
    矯正可能な場合を除いて、さっさと死んでもらったほうが社会全体の負担が小さいはずです。

    そういう意味で
    自殺志願者に安楽死を
    http://www.tachibana-akira.com/2010/10/370
    と同じですが、

    犯罪被害者からすれば、「死刑」は「仇討ち」の現代バージョンなのです。

    福岡・豊前の小5女児殺害
    無期懲役判決 遺族「死刑しかない」 被告に険しい視線
    http://mainichi.jp/articles/20161004/ddp/041/040/030000c

  2. omak のコメント:

    尖沙咀さん

    >矯正可能な場合を除いて、さっさと死んでもらったほうが社会全体の負担が小さいはずです。

    死刑廃止を訴える人たちは、終身刑より死刑のほうがコストが高い、という試算を出しています。

    なお、私は死刑賛成です。

  3. こくぴと のコメント:

    冤罪は絶対にゼロにはできない。
    その一点の理由だけで死刑反対。

  4. 尖沙咀 のコメント:

    >死刑廃止を訴える人たちは、終身刑より死刑のほうがコストが高い、という試算を出しています。

    試算はあくまで「結果ありき」で計算されているもんですよ。

    刑務所というのは、ある種の人たちにとっては、
    「ラスト・リゾート=最後のセーフティーネット」
    になっているというのが、「累犯障害者」のいうところです。
    https://www.amazon.co.jp/%E7%B4%AF%E7%8A%AF%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B1%B1%E6%9C%AC-%E8%AD%B2%E5%8F%B8/dp/4101338728

    そんな中で、死刑囚をどんどん囲っていると、フィリピンの刑務所みたいになりますよ。
    http://www.afpbb.com/articles/-/3095807

    もっともこれの方が「犯罪抑止力」には効果的かも。

  5. 論屋 のコメント:

    >犯罪被害者からすれば、「死刑」は「仇討ち」の現代バージョンなのです。
    それおかしいですよね。
    「遺族感情に配慮して厳罰〜」とかいうけど、じゃあ身寄りのない人間をぶっ殺した場合は「遺族感情に配慮しなくていいから、厳罰にしません」
    ってなんのかね?

    報復とか感情的な情緒と、国の治安を守る刑事システムとは分けて考えるべきなのです。分けて考えられるほど冷静になれないなら、語るべきではないでしょう。

    刑事裁判は報復の場ではないのです。冷たい?冷たいと思います。大部分の人にメシを食わせている近代とはそういう冷たさで成り立っています。
    もし報復したいなら、自分で武器を取ってヤるべきです。処罰はされますが、後世の人が浄瑠璃とか戯曲にしてくれるでしょう。

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