60年ぶりに麻栽培を復活させた青年をリサーチせよ
上野 俊彦さん
鳥取県 智頭町
実はルーシー、ログハウスに向かう途中で道を間違えて偶然にも上野さんの麻畑を見つけました。麻は悪用してしまえば大麻。上野さんが栽培しているものは麻薬となる成分がないものですが、高い柵に覆われ、監視カメラがつけられています。遠目で見ると小ぶりの笹といった雰囲気。近くで葉を見れば笹とは違いますが。
上野さんは海外を旅行している時に麻に興味を持ちました。世界中のどこに行っても栽培され衣食住に使われている大切なもの。ところが、日本では"悪もの"扱い。ギャップに気づくとともに、一面の価値観だけがクローズアップされている日本での状況に疑問を持ちました。同時に麻という素材に興味を持ったのです。偶然にも、いや運命だったのでしょう。旅の途中で、帰国したら麻栽培の免許を取って栽培するという日本人と友人になります。帰国後、その友人に誘われて麻栽培の手伝いを始めました。間もなく、東日本大震災が起こり、上野さんは家族と移住を決意。子供の育つ環境を考えて選んだのが智頭町。これも運命の誘いでした。
実は智頭は忘れ去られようとしていましたが、数十年前までは多くの人が麻の栽培をしている地域だったのです。日本でも麻はさまざまなものに使われてきました。神社のしめ縄、横綱のまわし、着物、下駄の鼻緒、タコ糸、漁網、蚊帳、挙げれば切りがありません。七味唐辛子の中に大きなゴマのような黒い実、あれは大麻の実です。ある時、村の長老から智頭と麻の歴史の話を聞いた上野さん。実は・・・と麻栽培の体験を告白すると長老は「だったらここで始めればいいじゃないか」と言いだしました。「免許を取るのは大変だ」と説明すると。「はじめから諦めていたら何にもできない」と。そして、長老自身が60年前に作ったという麻縄とその父親が100年ほど前につくったという麻袋を持ってきて上野さんに譲ったのです。
長い年月が経った今でも使えそうな麻袋。そこにはモノを大切にする昔の日本人の心がありました。電流が流れるような運命を感じた上野さんは免許を取れるように動いていこうと決心。結局、行政の協力も得られて2ヶ月後には免許を取ることができたのです。それから昔ながらの栽培と加工を学び、今風にやり方を模索しながら栽培する畑を広げています。戦後は2万人を超える麻の栽培農家がいたのに、今は日本中で30人ほど。上野さんのことをメディアなどで知ったところから麻を買いたいという申し出は応えきれないほどあるとか。麻がどれだけ大切なものなのかを広く知ってもらい、国産の麻を絶やさないため、上野さんは仕事に取り組んでいく覚悟です。
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