最近、より度を越してきた息子の後追い
後追いは、妻だけではなく僕に対しても起きます。
しかし、客観的に見てその後追いは全く異質のものなのです。
母親へはいないことの不安、父親へは遊んでくれーとの期待
以前から比較的積極的に息子と関わってきた僕は、息子にとってはおそらく「たくさん遊んでくれる人」という認識だと思います。
一緒に遊ぶのは妻よりも僕の方が上手で、妻が遊んであげてる時よりも僕が遊んであげた時の方がたくさん笑います。
一方で、息子の妻に対する認識はやはり「母親という安心できる人」です。
僕でも大抵のことは大丈夫ですが、たまに妻でないと息子が泣き止まない時があります。いつも一緒にいる母親は、息子にとってはいないと不安な人なのでしょう。
そんな息子の僕たちへ対する認識の違いからか、後追いの時の表情が全然違います。
僕(父親)に対する後追い
妻がそばにいて、僕がトイレなど別の場所に移動した時に息子が後追いをしてくるときは、基本、
「満面の笑顔」です。
時折、キャー――とかわいい叫び声を挙げながら高速ハイハイでついてきます。歯を磨いたりヒゲを剃ったりしている最中も、洗面所まで来て僕のズボンでつかまり立ちをします。
もう、「遊んでくれ―――!!」という息子の要望が透けて見えるようです。
妻(母親)に対する後追い
一方、僕がそばで一緒に遊んでいる時に妻がふと別室に移動した時の息子の後追いは、
「悲壮感だらけの大号泣」です。
もう不安いっぱいで、泣きながら「ぎゃぁあああ~~~ん」と叫びながら涙を流して妻を追いかけます。
視界から母親が消えて不安になったのか、カウンターキッチンなのでリビングからも妻の顔が見えるのですが、それでも「置いていかれた――!!」と感じるのか大号泣で追いかけます。
特に大泣きするのは、「リビングとキッチンとの間にある戸を閉めた時」です。
この戸が空いていれば、息子はいつでも妻の元に這っていけるからなのか、号泣することなくペタペタと移送してるのですが、この戸を「バタン」と閉めたらもう、泣き出します。
この後追いの違いを見て、息子の僕たちに対する認識の違いが明らかに違うんだなぁ、と実感。
泣き出しながら妻の元に駆け寄る息子を見て、「やっぱり母親の存在って(父親と)ちがうんだなぁ」と、ちょっと嬉しくなります。
二人同時に別々の場所に移動した時の後追いは?
面白いなぁと感心したのが「僕と妻のどちらも別の場所に移動した時」の息子の後追いを見たときでした。
息子は、「僕と妻二人とも視界にとらえられる場所に移動」します。
これが、もうほぼ100%
面白いくらいに、中間地点を目指して移動し、死角を避け、二人共を視界にとらえると安心するのか、その場に座り込みます。
父親と母親に対する後追いの時の息子の反応は違えど、どちらも視界にとらえると安心するんだなというのは、極力夫婦一緒に、息子に接する時間が短いながらも妻と同じように子育てに参加したいと願っている僕にとっては、とても嬉しいものでした。
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