ベコッベコッ、ぼくは部分的に舗装された道路を歌いながら走っていた。なんでもないような日々が幸せだったと思う。なんでもないンフふーフーフー、二度とは戻れないンーフー。
2年前にブラックな企業を退職した時、ぼくは心と足を失くしてしまった。三大欲求のひとつ、性欲を欠いた代わりに物欲をランクインさせた私には、移動手段と、がらんどうになった心を満たす為に、かっこいい自転車が必要だった。
自転車屋さんで寝そべり、トイザラスでおもちゃを欲しがるガキのように、床をドンキーコングみたいにバンバン叩いて妻に懇願、かわいそうが極まって私は無事、退職祝いという名目で高価なチャリを購入する事が出来た。
そんな愛車に乗るのはずいぶん久しぶりのことである。なぜならぼくはインドア派、つまり引きこもりであり、本当は高価なチャリなんて必要なかったんだ。
埃と蜘蛛の巣を纏い、ベロベロになったタイヤは、部分的に舗装された道路の上を通過する度に、ベコッベコッと音をたてた。足の長さを考慮してギリギリまで下げたサドル、高価なミニベロの、いつまでたっても慣れないそのシャープなサドルはぼくの両足の間にあるミニをベロベロにした。
到着したよとメールが入っている。歳上のお姉さんを待たせるなんて、ぼくはなんて恥知らずなんだ。ファミマをハシゴして、蒲焼さん太郎を買っている場合じゃなかった。
ぼくはメロスより走ったし、彼女はセリヌンティウスより待っていたに違いない。
ここは京都、それも京都市。他府県民に膨張したお米を投げつけてGet out!と叫ぶ、ぶぶ漬けCity。そのぶぶ漬けCityからわずかに外れた場所、どちらかと言えばぶぶ漬かれる側の場所に目的地はあった。
周囲の雰囲気に協調性なく、突如現れるログハウス風の建物。ぼくはこのように調和を無視してオシャレさで殴りにくるカフェは少し苦手である。ぼくはアンダーグラウンド出身、隣の家の外壁に阻まれ、光が一切差し込まない部屋で、一人で青春していたんだ。オシャレなんてものはガーゼシャツにラバーソールで完結するものだと思っていた。
そんなアイデンティティを持っているにも関わらず、今回私の方からこのカフェを指定させて頂いたのには理由があって、それはつまり、モテたかったからである。おかしいよね。だってこれからお会いする相手は男性のはず。しかし、ここはインターネット。女性のフリをして釣りをする男性が多数存在するのであれば、男性のフリをした女性がいてもおかしくないのではないか。そしてそれは実際に会ってみるまで分からないではないか。
そんな事を考えながら、鼻息荒く、店に到着。
店の前になんだか鹿島アントラーズの秋田選手をオシャレにした感じの男性が立っているが、視界に入れないようにする。私はワンチャンにかけて、ここへ来たのだ。ええい!ワンちゃんのようにひざまづき、ぼくのミニをベロベロしてスタンダップさせてみせよ!きみの蒲焼さん太郎で!
「凡人くん?」
音が頭蓋を砕いた。
夢は一瞬で砕けた。
鹿島アントラーズ秋田。
OMGその人であった。
恐る恐るその人を見る。
私の眼球に飛び込んで来たものは、店の照明を後ろから浴び、後光がさしたジャケパン姿のアントラーズ秋田。
その
オシャレなズボンの
チャックが
Full throttle.
Windows fully open society.
完全にツッコミ待ちであった。
オシャレなジャケパンがチャックを全開にして、やあ!と言っている。ぼくは静かに黒に引き込まれ、その開ききったチャックに、心をひらかざるを得なかったんだ。
店内、オシャレに押しつぶされそうになりながら、必死で足を組んだりしてして抵抗するぼくを前に、OMGさんは生ビールを飲みながら、お店の名物、黒ひげバーガーを食べていた。
なんということだ、これが大人か。これがちゃんとした大人のお兄さんなのか。マクドのテリヤキバーガーをはるかに凌ぐ大きさのビッグな黒ひげバーガー、その具をこぼすどころか、添付されたトマトまで挟んで食べている。
乾杯、直後の完敗。
ぼくはデミグラスソース的なやつをぼとぼとお皿にこぼしながら、思った。
ロコモコ丼にすればよかったと。
沢山お話をした。マネタイズの話、サブブログの話、他のブロガーの話、けれどもそれらはロコモコ丼への強い思いに敵わなくて、そのmp3は脳にダウンロードされる事なく通過した。
ぼくらを長い時間同じ空間に存在させたのは、本当に一欠片のアイデンティティだった。
彼の言葉を自分のカフェオレに混ぜ、ぼくはそれを啜った。アートは現代社会をただ生きていくには必要ないものだ。けれども人間が会話を始める、そのもっと前に、人は壁に絵を描いたし、子供は字を覚える前に、絵を描く。
芸術はもっとぼくらの身近にあっていいはずなんだ。それは音楽も、文学も同じ事だと思う。
ぼくたちはもう朝まで遊ぶ体力の残っていない30代。黒ひげバーガーを貪りながら、ひらいたチャックや、心の隙間に部分に、互いにエモいナイフを突き刺して飛ぼうとした。飛ばねぇリーマンは、ただのリーマンだ。そう自分に言い聞かせるように。
オフ会なんてやったところで、結局何も変わらない。
ぼくはOMGさんが選ぶ、アートがとても好きだ。
これまでも、これからもただそれだけ。
ベコッベコッ、帰り道、部分的に舗装された道路の上を通る度に、ケツの穴が響く。
なんでもない夜のこと。