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夏の落としもの

作者:日向夏
「せんぱーい、この荷物どこに置けばいいですかぁ?」

 少し間延びした声が聞こえる。正樹は、けだるそうに先輩と呼ばれた男を見る。青い空、白い雲を背景にガタイの良い男が視線の先にいる。

「あっ、それ、重いだろ。置いといていいから」

 先輩こと白沢は、焼けた肌に腕まくりしたシャツ姿で言った。隆々とした筋肉だが、それが無駄筋だということを、正樹は知っている。筋トレとプロテインの産物だが、それが重い荷物を運ぶことはない。異性の後輩に優しく、同性の後輩に厳しい彼だ。筋トレと称して押し付けるつもりだろう。

「うわー、今年もきれいねー」

 女子部員が海を眺めて言った。毎年、合宿と称して来ている海だ。天気もよく水面は光を浴びて綺麗に輝いている。贅沢を言えば、人が多すぎることだが、それを言っては元も子もない。今、続々と来ているものたちも、海に入れば人ごみの一部となる。

 先走ろうとした部員たちが、上着を脱ぎながら浜辺へと繰り出そうとするが、それは止められた。

「はいはーい。遊ぶのは、荷物コテージに運んでからね」

 面倒見のいい副部長が言った。泣きぼくろの美人に言われると部員たちは大人しく車から荷物を出しはじめる。

「アイスボックスはコテージの管理人さんに渡してね。冷蔵庫貸してくれるから。あと、そこ、邪魔になるからバーベキューセットおかないで。周りの迷惑になるでしょ」

 てきぱきと指示を出す副部長、実に面倒見がいい。去年、彼女がリーダーシップを取っていたら、と正樹は思わなくもない。でなければ、あんなことも起こらなかっただろうに、と。
 毎年、同じ場所、同じコテージで、同じように行事ごとをやるのだが、取り仕切るメンバーによってその進行もかわってくる。今年は、彼女がいるので上手くいくように見えるが。

「副部長、これどうすりゃいいのー?」

 甘ったれた野郎の声が聞こえた。茶髪をだらしなく伸ばして後ろにひとまとめにしている男が、仰々しく花火セットを持ってきた。先ほど、後輩の女子部員に優しいことを言っていた白沢だ。案の定、無駄な筋肉をひけらかしつつも、軽い荷物しか運んでいない。

「それ、コテージの中」

 副部長は面倒くさそうにコテージを指さした。

「はいはーい。副部長は頼りになるなあ」
「白沢くんが部長でしょ」
「だって、俺、去年風邪ひいてきてなかったし。一回、多い分、副部長のほうが慣れているでしょ」
「もう」

 白沢はにやりと笑って花火セットをコテージの中に入れた。

 毎年の合宿、昼間は海で遊び、夕方からバーベキュー、それが終わったら花火大会へと進む。それが毎年の通例だ。そして、もう一つ欠かさないイベントがある。

「……今年は、やめない? 花火だけで終わらない?」

 副部長が、部長こと白沢に言った。
 白沢は、にやりと笑う。

「やめないよ。毎年、恒例だもん」

 白沢は、茶目っ気たっぷりの顔で言った。
 その顔がひどく憎らしいと正樹は思う。

 やらなくていいのに。
 どうせ周りの迷惑になるのだから、ひっそりコテージで眠ってしまえばいいと思う。それが誰よりもみんなのためだと。





 副部長はその後、何度か申し立てたが意見は却下された。いくら部活のマドンナなる死語のような存在であったとしても、恒例という言葉を打ち消すには弱い。
 時間の過ぎ去るのは早く、浜辺に転がった花火の欠片を片付ける時刻になっていた。バーベキューで飲み過ぎた輩は、浜辺で寝そべっている。慣れた手つきで二人一組で、泥酔組はコテージへと運ばれていく。さすがに、そいつらまではこの後のイベントに参加できない。

 残った部員は、片付けを終えるとそれぞれ準備をしてもう一度集まる。

「おーい、準備出来たかあ? 携帯充電切れそうな奴来い、懐中電灯渡すから」

 何を始めるかといえば、夏の合宿には定番だろう、肝試しだ。
 都合がいいことに、このキャンプ場の近くには廃校がある。十年ほど前に少子化で合併したために使われなくなったもので、いまだ取り壊しの目途はたっていない。

 そんな高物件に、馬鹿な大学生が乗っからないわけがない。

 そして、毎年、近隣に迷惑をかけつつことを行うのだ。去年は表向き大きな問題は起きなかったが、今年はどうだろうか。去年のツケがどんと迫ってくるのでは、と正樹は考える。

「じゃあ行くぞー。暗いからはぐれるなよ」

 昼間とうってかわってリーダーシップを発揮し始める部長こと白沢。よほどやる気なのか、背中に大きな荷物を持っている。対して、副部長の顔色は悪い。

 おつむの軽い部長と違い、副部長は世間体を気にする。正直、乗り気じゃないだろう。

 そんな副部長に、白沢は、

「そんなに嫌なら寝たふりOKなんですけど? びびってる奴、寝てるしさ」

 と、耳打ちをしている。泥酔組の数人はたぶん素面だ。そうやってさぼれば、付き合いが悪い輩とは思われない。
 正樹はそれを不愉快に眺める。去年、そうやってさぼろうとしたのは、正樹だった。

 副部長は眉を歪ませて、そんな真似するわけないじゃない、と怒って見せる。と、同時に顔を赤らめていた。正樹はまた、不愉快になる。あのチャラ男の権化のどこがいいのか、と言いたくなる。

 正樹は不機嫌なまま、皆のあとをついていった。





「うわー、最悪。部長、ぜってー俺のこと嫌ってるわ」

 二年生の男子部員が気だるそうに言った。場所は、廃校の教室、くじで負けたものは脅かす役になるのも毎年の定番だ。

「しゃーねえだろ。でも、なんだかんだで、部長、自分も脅かすほうに回るって言ってたぞ」
「はあ? どうせお気に入りの子、脅かすついでに喰っちまう気じゃねえの」
「それなら、絶対、副部長のがいいって。うっせーもん、今年の奴ら。ほらそれに、化粧。流行かなんだかしらねえけど、狸みたいな顔やめてくんねえかな、見分けつかないんですけど」
「そりゃ、お前の物覚えがわりーからだろ。俺的に副部長はねーんだけど、どちらかといえば去年いた先輩の……」

 好き勝手なことを言ってやがるな、と正樹は思いながら、ここにとどまっていても仕方ないなと教室を出る。
 真っ暗な廊下は、窓から入る月明かりでなんとか歩ける程度の明るさがあった。

 正樹が歩き続けていると、教室の一つから変な物音が聞こえてきた。もう、一組目がやってきたのかな、とのぞいてみると脅かす側の一人がなにやら作業をしていた。

「電気つながってるって本当なんだな」

 男子部員は独り言をごちながら作業を続ける。プロジェクターを利用して、なにやら映像を映し出す気らしい。大きなスクリーンが天井から引っ張り出されていた。

 男子部員のいる場所は元視聴覚室だったところだ。毎年、定番として回る教室が決まっている。理科室、音楽室、視聴覚室、トイレともう一つ、保健室を回って裏庭の焼却炉の前を通ってから、皆の待つ前庭へと戻る。夜の学校というのはそれだけで不気味なので、特に脅かす側ががんばる必要はないように思えるが。

 正樹の入学する前に、この付近で轟音が響いた事件があったらしい。廃校になってまもなくのことだ。真夜中に読経が響き渡ったのは、誰が原因だか言わなくてもいいだろう。脅かす側の部員が調子にのって視聴覚室にあった機材をいじったらしい。ずいぶん不幸なことに、視聴覚室は放送室としても使われていたことで、近隣の皆さまに多大なご迷惑をかけたという。

 それ以来、視聴覚室では機材を扱うな、というお触れが出ているはずだが、そんなことはお構いなしらしい。

「ぜってー驚くから」

 にやにやとほかの部員が驚くのを楽しみにしているようだ。

 正樹は静かに教室に入ると部員の持ってきたものらしき荷物を見る。

 ホラー映画のDVDだった。よくあるテレビ画面から飛び出てくるタイプのものだ。

 それを真夜中の視聴覚室で流そうというものだから、たしかにホラーだろう。彼なりに考えたエンターテイメントだろうが、迷惑なものだ。簡単に校舎を一回りするだけでいいと思うのに。未だ、電気が生きていることに、行政はなにをしているのかと思ったが、建物自体はまだ使えるので、たまに利用されているのかもしれない。教室は十年使われていないわりにはまだきれいで、荷物がそこかしこに置いてあることから、倉庫の役割もしているのだろう。

 正樹は他人事のように、正樹に気付かぬ部員をおいて静かに教室を出る。

 そうだ。
 正樹は、少し思い立つことがあった。 
 配線を一つ、いじってもらいたいのだが、彼は気づいてくれるだろうか、とじっと見る。音源をつなぐ場所がよくわからないのか、彼は首をかしげながら配線とにらみ合う。

 そこだよ、そこ。

 正樹の言葉が届いたのか届かなかったのかわからないが、彼は正樹の言う場所へと配線をつないだ。

 プロジェクターをセットし、リモコンで操作できるようになると、男子部員は教室の隅へと隠れた。あとは脅かされる側が来るのを待つだけだろう。

 正樹は、それを確認すると、教室の外へでる。





 また、しばらく歩いていると、物音が聞こえたので中をのぞいた。教室の中には独特の人間臭がした。段ボールがやたら置いてあり、古びた家具類が並んでいた。

 どんな人物が住んでいるか容易に想像できた。

 人が来なくて電気が使える雨風しのげる場所となれば、それは良物件だろう。たまにやってくる人間をうまくさけさえすれば、天国だろうに。

 どこぞのゴミ置き場で集めてきたのかわからない荷物のその中に、一つ使い古された鞄を見つける。バーゲンでワゴンの上でたたき売られているような量産品、でも丈夫で使い心地のよいそれは、鍵をモチーフについた飾りがついていた。

 鍵、それが頭に響く。

 おじゃましました、とそっとつぶやき、正樹は再び廊下を歩く。

 どうやら、ここに住んでいる人もいるらしい。その人間の幸運を祈る。性格の悪い大学生たちに見つからないように、としか願うしかない。

 それにしても、なんで、ここ、鍵をかけないんだろう。

 正樹は思う。だから、こんな風に大学生が肝試しに来たりするんだ、と。今のところないようだが、一昔前なら族のたまり場にでもなっただろう。
 田舎には鍵をかけない風習があると聞くが、こういう公共施設だった場所でも同じなのだろうか、と頭を捻る。

 鍵、という言葉で正樹は自然と手を胸の前にやった。手もとにはなにもなく、なんだか物足りない感じがした。
 なんだっただろう。





 定番のコースをまわり、正樹は最後の裏庭へと出る。そこには、大きな荷物を持った白沢がいた。彼はなぜあんな荷物を持っているのか、その答えを正樹はなんとなく気づき始めていた。

 ようやく彼は気づいたのだろう。
 気づかなくてもいいことに。

 白沢が何をしているのか、といえばうろうろと周りを見ている。何かを探しているといってもいい。

 その手には、なぜか古びた鍵がたくさんあった。楕円形のプラスチックのタグが付いていて、それぞれ名前が書かれている。指先でくるくる回すそれには、『プール』、『体育倉庫』、『体育館』、そして『井戸』と書かれてあった。

 元職員室にでもあったものだろう。まだ、倉庫として機能している場所なら、そんな鍵も保管されているだろう。ただ、白沢が当たり前のように持っていることから、たいしたお宝があるとは思えない。あるとすれば、きっと役に立たないガラクタか、人目を避けたいごみのようなものだろう。

 なにをしでかす気だ。
 なにを探す気だ。

 そんな質問を正樹の代わりに聞いてくれる人物が現れた。

「白沢くん、なにしてるの?」

 凛とした声で副部長が現れた。懐中電灯も持たず一人でやってきた。

「別になんでもないけど。いいの? 副部長? 怖くないの、明かりもなくてさ」

 へらへらと笑いながら不真面目な部長ははぐらかそうとするが、副部長は引かない。

「冗談やめてよ。なに、その荷物。問題起こさないでよ」

 白沢は両手を広げる。

「問題ねえ。どんな問題だろ。それよか俺、ここに落し物したかもしれないんだけど、副部長は知らない?」
「知らないわよ。いつ、昼間?」

 副部長は、そっけない物言いに聞こえる。でも、見る人が見ればわかるだろう、彼女の本心が。
 どこにでも素直になれない女はいる。

「去年の夏」

 白沢は笑っていった。
 副部長の表情が反転する。

「冗談やめて」

 そうだ、去年白沢は合宿に来ていない。馬鹿しかひかない夏の病気にかかっていた。

「俺が冗談やめたら、何になるっていうの? まあ、俺がふざけてても、副部長一人がいれば問題ないっしょ」
「そんなことないわよ。部長こそ、しっかり皆をまとめてよ。私だけじゃ本当に大変なんだから」

 泣きぼくろの美人は、実に優等生らしいことをいう。普段の穏やかさと違って、今はいら立っているようだ。それを聞いて、白沢は愛想笑いを見せる。

「ねえ、副部長?」
「なに?」

 白沢は鍵を左右の手に分けて持った。右に『プール』、『体育倉庫』、左に『体育館』、『井戸』。

「副部長って、メールのとき、顔文字打つ方?」

 いきなり関係ないことを口にした。

「な、なに。いきなり」
「別に。ただ、あんまりメールしないなあって思っただけ。電話はするのにさ。メール嫌いだっけって思ったの」

 白沢は右手の鍵をポケットに入れると、左手に持った鍵を一つずつ左右の手に持ち直す。

「あと一つ」
「なに」

 副部長の声が上ずっている。極度に緊張すると声が上ずることを正樹は知っている。彼女とは古い付き合いだ。

「正樹どこへいったか知らない?」

 副部長の動きが止まる。ただ目線だけが月明かりに照らされた白いプレートを見ていた。

「……知るわけないじゃない」

 そっけなく彼女は言った。なぜ、白沢が鍵を持っているかたずねもせず。優等生ならそこで「それ、どうしたの?」とたずねるのが正解だというのに。

「そうだよね」

 部長はへらへら笑いをしながら、歩いていく。

「どこへ行くの」

 副部長の言葉に白沢は笑って答える。

「正樹のとこ」

 冗談めかした声で笑いながら言った。

 来ないでくれ。

 やめてくれ、やめてくれ。

 正樹がそう願ったところで、その言葉は届かない。
 彼には見えない、気づかない。いま正樹がここにいることを。

 そして、副部長はぼんやりと白沢の背中を見つめるだけだ。その両手はギュッとむすばれ、血がにじんでいた。

 正樹は、ただ本来の自分のいる場所へと戻るしかなかった。





「ようやく見つけた」

 ははは、と白沢は笑う。嫌いだ、なんでこの男は正樹の気に食わないことばかりするのだろう。
 どうして、ここがわかったのだろう。

 裏庭の焼却炉の近く。子どもが間違って落ちないようにと、作られた仕切りの中に井戸があった。蓋をされ、ぐるぐる巻きに鍵がかけられている。

 もう何年も、何十年も使われていないそれの底を見つめて白沢は笑っていた。

 深い深い穴の中、そこには腐敗した水と白骨しか残っていない。地虫に食い尽くされた身体は、その面影はないだろう。ただ一つ、骨からすり抜けたアクセサリーをのぞいて。

 無駄な筋肉、ここでようやく使うのか。

 すでに眼球のない眼で、正樹は彼を見る。
 白沢はロープをつたって降りてくる。腐敗臭漂う古井戸に。子どもが悪戯に落ちたりせぬようしっかり鍵のかけられたそこへと。

 一年前、行方不明になった正樹を見つけるために。

 いらないもの、ごみのようなものとして破棄された正樹を見つけるために。

 やめてくれ。

 そんな叫びは白沢には届かない、彼は、ぬかるんだ底に降りると懐中電灯を正樹に向けた。

 見ないでくれ。

 悲痛な顔、いつものようにへらへらしていればいい。馬鹿みたいに要領が良くて、女にももてる。そんな奴がこんな汚い場所で汚いものを見る必要なんてない。

「……ようやく見つけた」

 ふざけた笑みの代わりに、穏やかででも悲しい笑みを浮かべる。腕が伸びる。

 さわるな、と叫んだところで、白沢にはわからない。気づかない。すでに、正樹はそんな存在だから。

「せっかく筋肉つけてきたんだぞ。こんな痩せちまったら、意味ねーだろ、馬鹿が。無い胸がこれじゃほんとの洗濯板だ」

 ははは、と笑い声が聞こえる。
 正樹は泣きたい、でも、泣けない。
 そこにいるのは、ただの骨で、彼の知っているものとは別物になってしまったのだから。

 彼の首には、派手なシルバーアクセサリーの他に、似合わない細いチェーンが混じっている。その先には、小さな鍵飾りのトップがついている。

 そして。

 そして、腐敗した水底には、鍵穴のついたプレートが落ちていた。胸の違和感はこれだった。いつのまに落ちてしまったのだろう。

 暗い井戸の底から空を見上げる。うっすら明るい月の光、それが小さくなっていく。まるで天岩戸のように、井戸の入口が塞がれていく。黒い人影が塞いでいくのだ。逆光で見えないその顔は、きっと「あなたが悪いのよ」とつぶやいていることだろう。

 光がなくなるとともに、白沢の降りてきたロープも落ちてきた。ここを上る術はなく、塞がれた蓋には厳重に鍵がかけられることだろう。

 一年前と同じように。

 正樹だけでなく、白沢も破棄しようとしていた。

『そのネックレスなんなの?』

 食いついてきた女の顔は、嫉妬に満ちていた。穏やかな眉も優しげな目元も母性を感じさせる泣きぼくろも、その女のものであるはずなのに。これ以上、なにが欲しいというのだろう。

 別に欲しかったわけでも、見せつけるわけでもなかった。ただ、どうしてもというあの馬鹿みたいに情けない顔に負けただけだ。いやになる、あんな顔に弱いなんて。

 相手の気まぐれ、そんな簡単なこと。

 正樹が身につけていたのは、たまたま、正樹は鍵のデザインが好きだった。他にいくつか鍵モチーフのアクセサリーは持っているし、最近買った鞄はそのモチーフが多くてお気に入りだった。

 気にしなくてもあなたの邪魔はしない。

 なのに、女はわざわざ正樹を呼び出した。酒に酔ったふりなんて、古い付き合いの彼女には通じなかった。

『それちょうだい』

 わがままな彼女、いつもそうだった。皆の前では優等生ぶる。だけど、反動からか、たった一人だけ傲慢にふるまう。
 その相手が正樹だった。

 もし、去年の彼女が今のように忙しい立場だったらどうなっていただろう。正樹にかまう暇もなく、仕事に明け暮れていたはずだ。
 本当に去年、彼女が副部長ならよかったのに。

『いや』

 どうしてそれが口にでたのかわからない。でも口にでてしまったことにはしようがない。

 自分に逆らう言葉を聞いて彼女はどう思ったのか。簡単なことだ、おしおきしようと思った。言うことを聞かない躾の悪い猿女、そんな暴言をいつも吐いた。彼女は、お決まりの台詞を吐いて、そして、押した。

 たまたま打ちどころが悪かった。ぐったりした正樹を見て、彼女が最初に思ったのは世間体だっただろう。

 きっと彼女は、こう言っただろう。いなくなった正樹のことを。

『よくあるんです。あの子、自分勝手なところが』

 キャンプが面倒になって一人で帰った、と。

 皆の荷物の中から正樹の荷物をそっと処分したのも彼女だろう。置きっぱなしの携帯電話からメールでも送れば、実に簡単なアリバイが作れる。携帯電話は嫌いだ、できるだけ持たないのが正樹で、メールが一日五回以上くれば、五回目の返信は『うるさい』だった。

 そして、しばらくして音信不通になる。
 一人暮らしの大学生、ご近所関係は希薄、いつ失踪したのかはっきりしたものではない。

「やっぱ、あのメールはお前じゃなかったんだな。妙に可愛い文面だと思ったよ」

 どんな文面をあの女は送ったのかすら、聞きたくもないと正樹は思う。顔文字を多数乱用していたら、白沢はどんな顔をして返信していただろう。

 それを知ってか知らずか、白沢はただ笑っている。おかしな男だ、本当に馬鹿な男だ。

 電話を持ってきていたら助けが求められただろうか、と正樹は思ったがここでは電波も届きそうにない。案の定、圏外だったが白沢はさして気にした様子もない。
外界と連絡もつかず、ただ、暗闇の中、発狂するかそれとも餓死するかどちらが先ともいえない。
 それなのに、この男は笑っている、

 こんなところに来なければよかったのに。

 そうすれば、白沢は、副部長の本性を知ることはなかった。

 そうすれば、白沢は、正樹の醜い姿を見ることはなかった。

 猿女だって、デリカシーがあることくらいわかってもらいたい。
 馬鹿だろう、この男。

「ずっと一緒だ」

 馬鹿か、甘い言葉を吐くな、気持ち悪い。

「探すの遅れてごめん」

 知るか、さっさとここから出て行け。

 こんなことしたくなかったのに。

 自分がずっとここにいれば問題なかった。それだけでなにもかも終えた。
 でも、この男とずっと一緒なんて耐え難い。

 だから、正樹は準備しておいた。

 きっと、この男が今夜何をしでかすのかわかっていたから。
 すると、あの女が何をするかわかったから。

 配線を一ついじる。そんなことでも、今の正樹には大変な作業だ。今は物に触れることすらできない。だが、都合良く配線を間違えてくれた部員がいてよかった。これを間違えたせいで、失敗したといったOBがいた。正樹の願いどおり、男子部員は間違えた場所へと配線をつきさした。

 できれば、こうして見つかる前に終わってほしかったけれど。

 ききっーと耳障りな音が町内に響き渡る。おどろおどろしいBGMが流れ、恐怖をまき散らす。

 町内に響き渡る大音量のホラー映画、なんと悪趣味なことだろう。それをやるとすればいうまでもなく、毎年悪さをしていく大学生の集団が疑われる。そして、リーダーたる部長がいなければ、責が回ってくるのは副部長だ。

 部長はどこだ。
 そんな質問が上がらないわけがない。探し回る先に裏庭にやってくる部員がくるだろう。

 完全犯罪が何度もできると思ったら間違いだ。

 あの優等生の面がどう歪むのか見られないのが残念だった。一年前と同じ言い訳はできまい。

 優しい下僕であり続けたかったのに、それをできなくしたのはこの男であり、あの女だ。

 醜い感情をパンドラの箱の底へとしまっていたかったのに、なぜ鍵を開けたのだ。だからたくさんたくさん鍵を身に着けていたというのに。

 自分は醜くなったのだな、と思いながら、頭がい骨を白沢の胸にのせる。
 白沢は、落ちたペンダントを探し当て、骨の身体にかけると、もう一度壊さぬように抱きしめた。




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