蓮舫の『家族』~子供の名前は中国人風?夫は誰?国籍や職業は?

参議院議員で民進党に所属する、蓮舫(れんほう)さん。

今回は、そんな蓮舫さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

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◆台湾の祖父

蓮舫さんの祖先は「謝」という姓で、台湾白河鎮(はくがちん)の出身です。

蓮舫さんのお祖父さんの名前は、謝達淋さん。

お祖父さんは、年齢ははっきりしませんが、若くして亡くなっています。

◆中国・上海で成功した祖母

蓮舫さんのお祖母さんの名前は、陳杏村さん。

1910年に日本統治時代の台湾に生まれ、1926年に台北女子職業学校を卒業しました。

その後、東京銀座服装裁式様学校に入学し、1935年に卒業後、台湾に帰ってファッションデザイナーとして洋服店を開業。

お祖父さんが亡くなると上海に渡り、上海駐屯の日本軍高官と深い関係を築きます。

そして、上海南洋煙草公司の総代理、英米煙草公司総経理など、有利な地位を得て巨額の富をつかみました。

この頃、日本軍に2機の戦闘機「杏村1号」「杏村2号」を寄贈したといいますから、富の大きさは半端じゃありません( ゚д゚ )

終戦後、祖母・陳杏村さんは、売国罪で起訴されますが、無罪が確定。

その後、台湾地区青果輸出業同業公会理事長を務め、とりわけ日本向けバナナ輸出貿易事業において、主導的な役割を果たしました。

蓮舫さんの非凡な政治力や行動力は、間違いなくお祖母さん譲りといえるでしょう。

◆父親の職業は?

蓮舫さんのお父さんの名前は、謝哲信(しゃてつしん)さん。

お父さんも高校卒業後に台湾から来日し、同志社大学へ進学します。

卒業後は、日本で台湾バナナ輸入業を始め、実母である陳杏村さんとともに台湾バナナの対日輸出拡大に貢献し、富を築きました。

父・謝哲信さんは、1994年、蓮舫さんが27歳のときに亡くなっています。

◆母親の国籍は?

蓮舫さんのお母さんの名前は、斉藤桂子さん。

名前のとおり、お母さんは日本の方です。

母・桂子さんは以前「ミス・シセイドウ」を務めていました。

「ミス・シセイドウ」とは、今の資生堂の美容部員よりもモデル的な要素が強く、当時の女性たちの憧れの的。

ある年の募集では、約1300名の応募がありましたが、合格できたのはわずか15名だったそうです。

桂子さんは、そんな美貌の持ち主ですが、性格は「超ファンキー」なそうなので、蓮舫さんは美貌だけを受け継いだのでしょうか(^_^;)

母・桂子さんは、還暦を過ぎた今も、姉とともに東京・新宿でカラオケスナックを切り盛りしています。

いまの政治家で、蓮ちゃんみたいに素敵な人はいないわよね!

常連客にはこう話す桂子さんは、いつも蓮舫さんを応援してくれているのでした。

◆兄弟はいる?

蓮舫さんは三人兄弟の真ん中で、お兄さんと弟さんがいます。

兄弟に関するエピソードは少ないですが、幼少期の画像をご紹介します。

160906_蓮舫の家族
《画像左から母、本人、兄》

お母さんのお腹の中には、弟さんがいるのだとか。

それにしても、やはりお母さん、美人ですね(*^_^*)

◆夫は誰?国籍や職業は?

蓮舫さんは1993年に結婚しており、夫の名前は村田信之さん。

ちなみに、蓮舫さんの本名は、村田蓮舫さんだそうです(゜o゜)

夫・信之さんは、1966年5月27日、長崎県佐世保市で生まれました。

現在、50歳なので、蓮舫さんより1歳年上となります。

なお、国籍は、生粋の日本人です。

信之さんは、早稲田大学政治経済学部を卒業していますが、在学中から高野孟さんの「インサイダー」に出入りし、プロのライターとして雑誌などに執筆。

卒業後は、田原総一朗さんのスタッフをつとめる傍らで、フリージャーナリストとして活動しています。

2011年には目黒区議選に立候補しましたが、候補者55人中42位(893票)で落選。

現職大臣の夫というアドバンテージがあったのに惨敗したのは、地元に浸透しきれなかったからだ…

と、話しました。

◆子供の名前は中国人風?

蓮舫さんは1997年、双子の子供を出産します。

子供の名前は、長女・翠蘭(すいらん)ちゃんと、長男・琳(りん)くん。

中国の伝統を感じさせる名前ですが、名字の「村田」は画数が少ないので、バランスがとれていますね。

子供たちは現在、19歳に成長しており、2人とも海外の大学に通っているようです。

◆まとめ

最後に、2016年4月2日付の蓮舫さんのフェイスブックをご紹介します。

19歳。
娘と息子が揃って誕生日。
1850グラム、2350グラムと小さく生まれた娘と息子は随分大きくなりました。

支えてくれた多くの人々に心から感謝を。
私に幸せをくれる双子にお礼を。

ママは、あなた達のママで良かったといつも思う。

そこには、いつも目にするクールな政治家ではなく、離れて暮らす子供たちのことを案ずる、母親の姿がありました。

これからも『家族』の力で、日本を元気に導いてほしいと思います。

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