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原記者の「医療・福祉のツボ」

コラム

貧困と生活保護(38)人を死なせる福祉の対応(上)

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 生活に困って福祉の援助を受けられないと、やがて、その先に何が待っているか。最も悲しい結末は、命が失われることです。とりわけ、生存権を保障する生活保護が機能しないことによって、さまざまな悲劇が起きてきました。福祉事務所との接点がありながら、餓死、凍死、孤立死、自殺、心中、犯罪などに至った例も珍しくありません。

 この10年余りの間に起きた主な事例をたどってみます。筆者のコメントも添えます。掲載の順序は必ずしも時系列ではありません(事実経過は新聞各紙の報道と参考文献などによる)。

 

桂川の河川敷で認知症の母親を殺害…京都市伏見区

 

 2006年2月1日、伏見区の桂川河川敷で、当時54歳の区内の男性が介護疲れと生活苦から、認知症の母親(当時86歳)の首を絞めて殺害した。自分も刃物で首を切って死のうとしたが、命を取りとめ、承諾殺人などの罪で起訴された。

 検察側の冒頭陳述などによると、男性は、父親が死亡してから母親と2人暮らしで、母親の認知症が05年4月ごろから悪化。昼夜が逆転し、 徘徊(はいかい) で警察に保護されるなどした。勤め先を休職してデイケアを利用したが介護負担は軽くならず、9月に退職して収入が途絶えた。生活保護を受けようと福祉事務所を3回訪れたが、失業給付があることなどを理由に認められなかった。介護と両立する仕事を探したが見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。力ードローンの借り入れも限度額に達し、デイケアの費用やアパート代が払えなくなって、心中を決意した。前日には最後の親孝行として、新京極などの繁華街を、車いすに母親を乗せ、一緒にゆっくり行ったり来たりした。

 冷たい雨の降る早朝、桂川の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」と言うと、母親は「そうか、あかんか。おまえと一緒やで」と答えた。「すまんな」と謝ると、母親は「おまえはわしの子や。わしがやったる」。その言葉を聞いて、自分がやる、と母親の首をタオルで絞めたという。

 京都地裁は06年7月、懲役2年6月、執行猶予3年の判決を下した。裁判官は、献身的な介護を続けながら両立できる職を探していた経緯に触れ、「行政からの援助を受けられず、経済状態が窮迫し、心身ともに疲労 困憊(こんぱい) し、愛する母親をあやめた」「被告は、福祉事務所の対応を『死ねということか』と受け取った。それが本件の一因ともいえる」と指摘。判決言い渡しの後、「生活保護制度、介護制度のあり方が問われている。事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを考える余地がある」「自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください」と男性に語りかけた。

 しかし男性は14年8月になって大津市の琵琶湖に飛び込み、命を絶っていた。

  【コメント】 たいへん悲しいケースです。男性は、生活保護の申請には至っていませんでした。福祉事務所は、失業給付があるので適用にならないと判断。頑張って働いてくださいと言い、公的貸付金制度を紹介したものの、何の助言もしていませんでした。生活保護の受給には申請が必要なこと、いつでも申請できること、失業給付が切れて困った時に申請すればよいことなどの説明はなかったわけです。

 「あくまでも申請主義なので、要件が整った時に来てもらわないと、こちらから申請してくれとは言えない」と事件後に説明していた福祉事務所。その姿勢は、なるべく申請をさせずに追い返す「水際作戦」と言わざるをえません。当時の副市長は市議会で「生活保護の説明が結果として十分に理解していただけず,将来的にも生活保護が受けられないと思い込まれたことは心から残念に思っており, 真摯(しんし) に反省すべきであると考えております」と答弁しました。本人の理解不足ではなく、親身なアドバイスをせずに絶望させてしまう福祉事務所のスタンスが問題でしょう。

福祉事務所の前で抗議の練炭自殺…秋田市

 2006年7月24日、秋田市役所の駐車場に止めた自動車の中で、37歳の男性が練炭をたいて死んでいるのが見つかった。保護課(福祉事務所)などが入る市役所福祉棟の目の前だった。

 男性は以前、店員やトラック運転手をしていたが、5年ほど前、強い睡眠障害が原因で会社を解雇され、再就職していなかった。2年ほど前には住んでいたアパートを退去してホームレス状態になり、車で寝泊まりしていた。国民健康保険証はなく、所在不明の母親から振り込まれる月6~7万円の仕送りだけで暮らしていたという。

 5月2日と6月21日、生活保護を申請したが、いずれも「稼働能力を活用していない」として却下されていた。医師が「睡眠障害であるが就業可能」と診断したのが理由で、2回目は「ハローワークに行った回数が足りない」「就職の面接を受けていない」とされていた。保護課から就職活動をするように言われた男性は、運送会社など2社で面接を受けたが、採用されなかった。

 生活保護について男性は「長く面倒を見てくれということじゃない。調子を戻して働きたい。そうなれば保護はいらないんだ」と友人に話していたが、しばしば死を口にするようになった。

 自殺の前夜、男性は友人宅で「おれみたいな人がいっぱいいる。自分が犠牲になって福祉を良くしたい。おれが死んだら福祉も少しは心が痛むべ」などと語った。知人が市役所の駐車場まで送ると、車内に七輪などがあり、「どうしても死ぬ」などと話したため、やめるよう説得すると、男性が「きょうはあきらめる」と答えたため、知人は帰宅したという。

 秋田市は「本人の状況を審査した結果、保護の要件を満たさないと判断したため、申請は却下した」と説明。1回目の申請時に男性から相談を受けていた秋田生活と健康を守る会は、「福祉事務所の対応が命を奪った」と市に抗議文を提出し、県に特別監査を申し立てたが、県は、市の対応に問題はなかったとして特別監査はしなかった。

  【コメント】 この件では申請が2回行われており、問題は、却下した市の判断の当否です。医師が「軽労働可」といった診断書を出すと、福祉事務所の多くは、就労を求めます。しかし住まいがなく、強い睡眠障害を抱えた状態で、十分な求職活動ができるのか、現実に就職できるのか。稼働能力の活用は、たしかに保護の要件ですが、現に困窮していて最低限度を下回る生活なのだから、いったん保護を開始して生活基盤と治療の機会を確保した後に、稼働能力の活用を求めればよいことです。

 なお、申請が却下されても、不服があれば、知事への審査請求、大臣への再審査請求、行政訴訟で争えます。法律家を含めたサポートも重要です。現在は日弁連の法律援助事業で、お金がなくても弁護士による申請支援を受けられます。

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原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保 障を中心に取材。精神保健福祉士。2014年度から大阪府立大学大学院に在籍(社会福祉学専攻)。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

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