原記者の「医療・福祉のツボ」
コラム
貧困と生活保護(39) 人を死なせる福祉の対応(中)北九州市の悲劇
数値目標で締めつけていた「ヤミの北九州方式」
北九州市では1960年代、近隣の炭鉱の斜陽化に伴って生活に困窮する人が増え、人口比の保護率は全国平均を大幅に上回りました。そこで60年代後半、暴力団による不正受給の防止を理由に「適正化」が進められました。79年以降は再び強力な取り組みを行い、保護率は低下しました。市の監査指導課長は旧厚生省の職員が代々務め、同省は「適正化のモデル都市」と高く評価していました。
その陰では、保護費を年300億円以下に抑え続ける方針が徹底されました。本来、生活保護の増減は制度運用の「結果」であり、「目標」を決めるべきものではありません。ところが保護の開始数・廃止数の差の数値目標、相談に対する申請率の数値目標を区ごとに定める、面接主査が交付できる申請書の枚数を制限するといったやり方が、ひそかに行われました。各区、各職員は生活保護の世帯数をいかに抑え込むかを競争しました。それらが水際作戦などの横行をもたらしたわけです。
餓死や孤立死の続出で、北九州市には全国から批判が高まりました。07年2月には市長が交代し、同年5月、外部委員による生活保護行政検証委員会を設置。12月の委員会の報告書はAさん、Bさん、Cさんの事例を検証して福祉事務所の対応に問題ありと判断、生活保護行政全般の改善を求めました。それを踏まえて市は08年、厳しい運用方針を転換しました。生活保護行政はある程度、改善されたようですが、その後も次のような事例が起きています。
「助けて」とメモを残し、39歳で孤独死…門司区
2009年4月13日、門司区の貸し長屋で男性Eさん(当時39歳)の遺体が発見された。死後数日から十数日。物を食べた形跡はなく、冷蔵庫は空で、電気も止められていた。部屋には吐血のたまったバケツがあり、「助けて」と書いたメモの入った封筒が残されていた。所持金は9円だった。
Eさんは同年1月8日、門司福祉事務所に生活保護の相談に訪れていた。3年前に母と死別して独り暮らし。飲食店でアルバイトしていたが借金がかさんだうえ、前年11月に店が閉店して失業した。12月に得た約6万円の給料が最後の収入で、貯蓄はなく、雇用保険の給付もないという。
職員が健康状態を尋ねると、「特に病気はない」と答えた。職員は「飲食関係の正社員に限定して求職しているようだが、仕事を選んでいる余裕はないのではないか」と指導し、Eさんは申請書を渡されずに帰った。区は「申請意思のないことを確認しており、対応に問題はなかった」と記者会見で説明した。
【コメント】 若ければ保護の対象外というわけではありません。現に困窮しているのに、仕事を探せと言う以外の援助や助言はないのか。所持金やライフラインの状況を確認していないのは問題でしょう。
*参考文献 北九州市生活保護行政検証委員会最終報告書 (2007年12月)、『生活保護「ヤミの北九州方式」を糺す』(藤籔貴治・尾藤廣喜、あけび書房、2007年)、「39歳の餓死」(藤籔貴治、週刊金曜日766号、2009年9月11日)、「賃金と社会保障」1547号(旬報社、2011年10月=Dさんの事件)、『生活保護――知られざる恐怖の現場』(今野晴貴、ちくま新書、2013年)
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