「買い物」することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう。
買い物すること自体は好きだと思う。ただ、正直それほど「もの」は買わない方かもしれないな、と思う。ここ数年のお金の使い方を振りかえってみると、一番お金かけているのは間違いなく「食」だろう。収入の大部分を費やしている。気になった場所、街に行って、その土地ならではの美味しいものを探す。基本的には、1人で食べたり飲んだりすることが多いので「みんなでワイワイ美味しいものを楽しむことが好きだ」という訳ではなく(それも嫌いではないけれど)、純粋に「自分が美味しいと思うもの」を探すのが好きなんだと思う。
(最近は居酒屋で自分好みの日本酒を探すのが楽しい)
なぜ、好きなんだろう。ここ数年毎日のように美味しいものを探しながら、そんなことを考えたことはなかったけれど、改めて考えてみると……きっと、名店かどうかわからないふと目に着いたお店に入ろうか入るまいか考え、よし!と思い切って入ってみる瞬間や、結果的に今まで出会ったことがなかったり、想像以上に感動的な「美味しいもの」に出会えた(えなかった)、という一連の「体験」が好きなのかもしれないな、と思った。もちろん、美味しいものを食べている瞬間も幸せだけど。
そんな風に考えていたら、この一連の体験と似たようにわくわくした瞬間が小学生時代にあることを思い出した。「カードダス」だ。
カードダス(CARDDASS)は、バンダイのトレーディングカード、またはそれを販売する自動販売機の総称。同社の登録商標で、名前は1988年当時話題になっていたアメダスにあやかり、子供の情報源を目指して命名された。
小さい頃過ごした、横浜の汐見台の家の近所にあったイリクストアで、ドラゴンボールのカードダスに100円を投入してガチャ、ガチャと、どきどきしながら回す。出てきたカードの帯をほどいて中身を見ると中にみたこともない珍しいキラキラと輝くカード(公式サイトで調べると「ホロカード」と言うらしい)に出会えたときの興奮。(普通のホロカードはもちろん、表面上は普通なのに剥がしてみると下にキラキラが隠れているやつに出会った嬉しさと言ったら…。)
いや、買う前から少ないおこずかいの中から数百円を握りしめて家を出る瞬間からこのわくわく感ははじまっていた。「買うこと」だけじゃなくて、おこずかいもらったら買いに行くんだ、と夜な夜な布団の中で考えて、おこずかいをもらって、「買いに行くぞ…」と決めた瞬間から、たまらなく楽しかった。もしかしたら、これが自分が「買い物」をすることの楽しさを知った一番最初の体験かもしれない。
そんな、自分に買うことの楽しさを教えてくれた一台の「カードダス」はまだあるのだろうか、まあ恐らく高確率でないんだろうけれど……これもせっかくの機会と思い、もう十何年も行っていない横浜市磯子区汐見台のあのスーパーへ、行ってみることにした。
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新逗子から金沢八景で乗りかえる。たった約10分が時間が異常に長く感じる。能見台、京急富岡、杉田…「次は、屏風浦です」。ようやく着いた。 この駅に降りるのはもういつぶりだろう。思い出せない。久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれど、なんとなく思い出しながら歩き始めた。
あ、こっちの坂だ。思い出してきた。なんの植物かわからないけど懐かしい香りがする。あ、こっちの細道いけば‥やっぱりあった。「屏風浦階段」。懐かしい。
自分が育った「汐見台団地」はこの急な階段を登りきった先。
当初の開発目的から、公社住宅だけでなく東芝やIHI、電源開発などの社宅が多かったが、近年では老朽化および企業の福利厚生施策の変化から、社宅を民間分譲マンションに建て替える例も
やっぱり、急。
まだまだ登る。
登りきった先、左にはかつて遊んだ「3人ブランコ」と呼んでいたブランコがあった公園がある、と思ったら無い。 かつて公園だった場所には綺麗なマンションが建っていた。そういえば、マンションできるとか前に聞いたっけ…。道もだいぶ綺麗になっていた。
おっ、でもテニスコートは残ってる。
この風景は昔そのままだな、フェンスが懐かしい。
自分が住んでいた10号棟の住んでいた部屋はあるのか…もう住民じゃないから敷地内に入らなかったけれど無いように見えた。いつも曲がってたあたりその先には新しい建物が建っていて寂しく感じた。
カードダスがあったスーパーは一体どうなっているのだろう。小学校へ向かう坂道を下り、母が働いていた汐見台病院の下にスーパーはあったはず。
あったのは「A-COOP」。あ、記憶が曖昧だけれどそういえばコープになったんだっけ。ぱっと見入り口はそのまま。
あと、この先に……駄菓子とかミニ四駆などを売っていたお店があってその向かいにカードダスやガシャポンがあったはず。あるか‥‥…。
なかった‥。
玩具等を売っていたと記憶する場所にはうどん屋が。
懐かしの玩具屋もきっと無いかとは思ったけれど、まさかうどん屋さんになっているとは。ちなみにすごく繁盛しているのでせっかくなので昼飯を頂いた。 うまいが、切ないビールを飲みながら、店内に「ああ、あなたに恋心ぬすまれて」とこれまた悲しげなメロディーの曲が流れている。自分が小さい頃楽しみにしたカードダスはうどんによって‥。しかしながら、運ばれてきた名物のもつうどんは悔しいくらいに美味かった。
帰り際にお店の人に、「このお店はもう長いんですか?」と聞いてみたら、「7月からよ。その前長くやってたのは蕎麦屋さんだったの」と。なんだ、うどんじゃなかったか‥というか記憶が曖昧なので、ここかすら怪しい。近くにある接骨院、歯科クリニック、食事処、全てに疑いがある。
ということで、まあ諦めていたけれど自分にとって買い物をする楽しさを知った原点とも言えるカードダスは無かった。しょうがないから、せっかくここまで来たのでスーパーに寄ってカードダスほどではないけど、楽しみだった「おまけ付きのヒーローもののソーセージ」でも買うか、と店に入った。ソーセージはどこかなと店内を見渡す。
あれ‥? まさか‥。
あった…。しかもドラゴンボールもある。
ソーセージ買おうとしなかったら見逃していたので奇跡的な再会としか言いようがない。おい、なんでこんなところにいるんだ。と思いつつ早速100円を入れて回した。
出てきたカード。
こんな小さかったっけ‥。帯を外して中身を確認。
まあ当たり前だけれどキラキラとしたカードは入っていない。悔しいから2、3回リベンジしてみたが全て外れた。全然出てこない。ここまでくると当てるまで帰れないと、意地でチャレンジし続けるも全然駄目で…最終的には売り切れた。
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キラキラカードには出会えなかったけれど思い出の場所でまさかの再会ができたことがとにかく嬉しかった。このカードダスが教えてくれた「何かに出会えるかもしれない、わくわくする気持ち」という買い物の「楽しさ」は自分にとって今でも何かにお金を払う際にとても大事にすることになっている気がする。だから、服や家具、生活雑貨などは確かに満足はするし、生活が便利になるけれど…正直そこまで気が進まない。無くても良いものなら買わない。きっと「これを買ったら○○ができる」というのがイメージできてしまい、わくわくしないからだ。
逆に今まで買って心の底からわくわくしたのがこれまた小学校の時で、1997年1月31日に発売された「FF7」がすぐ思い出される。
それまでゲーム(特にRPG)はスーパーファミコンがあった友達の家で友人がプレイをするのを横で見ていたくらいだった中、買っていいよと言われて、早朝、先行予約をしていたコンビニへ走って行って受け取り、授業が終わるまでずっとどきどきで、急いで家に帰ってディスクをPS(なぜか新しいもの好きの父が買っていた)へ入れた瞬間に画面に映った今まで見たことの無い綺麗な(当時は)ムービーやキャラクターに興奮し、ストーリーに夢中になった。
次は高校生の時に携帯を買ってもらった時だろうか。その後は、まだ大学の友人の多くがあまり興味を持っていなかったiPhoneをいち早く買った時。「これによって新しい何かができるのでは?体験できるのでは?」そういうモノを買った瞬間はいつもわくわくした。
社会人になって生活に必要なものは一通り買う経験をしたせいか、ここ最近新しい「もの」を買う事は少なくなってきた気がする。そんな中、自分の一番の趣味である「美味しいもの探し」をもう数年楽しみ続けられているのは、小さい頃に感じたあの瞬間に似たような要素が少なからずあるからかもしれない、と今思った。
馴染みの店に行くのも楽しいし、幸せだけど「わくわく感」はない。それより、全く知らない街へ行き、今晩はいい店に出会えるのだろうか、雑誌やテレビの評判、口コミに頼らず、自分の勘だけで新規開拓することに一番魅力を感じる。「こんなに美味しいものがあったのか」という「味」に出会った瞬間も感動はあるし、思いがけず素敵な店員さんのいる居心地のよい「お店」にも出会えることもあるし、隣にたまたま座って気がついたら話があって付き合いが長くなるような「人との出会い」もあったりする。行ってみないと、やってみないとどうなるかわからない、そしてもしかしたら…良いことがあるかもしれない。
「カード」と「食」、全く違うように見えて自分が感じる「楽しさ」には共通点がある。あの何も知らなくて無邪気でお金が無くて(今もそんな無い)、わくわくしながらカードダスをガチャ、ガチャと回していたあの時に比べれば、28歳は大人になったなあと思っていたけれど、実はなにも変わっていないのかもしれない。
そんな事を考えながら、汐見台を後にして桜木町へ向かう。今晩は楽しみにしていた野毛でのはしご酒だ。