うのたろうです。
かつて子どもを魅了した、おとぎの国を知っていますか?

小さな子どもだけじゃない。青春時代、勇気をだしてあの娘を誘って手探りの初デートをした思い出の地を覚えていますか?

結婚して家庭を築き初めて子どもができたとき、家族3人ででかけた幸せの場所の記憶は今も残っていますか?

遊園地――

東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなんかの超有名どころじゃありません。名もないぼくや名もないきみによく似あう、地方の小さな遊園地。

そんな遊園地の今の姿はいったいどんなふうになっているのか、考えたことがありますか?

本日は「廃墟遊園地」のご紹介です。
ちょっぴり怖くて、ちょっぴり切ない、うのたろうがお送りする2015年の夏の納涼。ホラーというには優しすぎる、そんな物語を勇気をだして見てください……

奈良ドリームランド

【営業期間】1961年7月1日~2006年8月31日(現在閉園)

「廃墟遊園地といったら、奈良ドリームランド」というほどに有名なスポットです。
「日本一恐ろしい遊園地」や「不気味すぎる遊園地」なんていわれるこの場所は、2006年8月31日の閉園をもってその歴史に幕をとじました。

奈良ドリームランドの歴史は古く、開業は1961年7月1日。
まだ日本にディズニーランドがなかった時代「日本にもディズニーランドを」という計画から建設されました。

そんな目新しさが人気を博し最盛期にはなんと年間160万人もの利用者がありました。

しかし時代は移り変わります。東京には本物のディズニーランドができ、さらにはディズニーシーができました。また関西地方では大阪にUSJができました。

そんな時代の変化から経営は悪化。かつての栄光は過去のものとなり奈良ドリームランドは2006年8月31日をもって閉園することになったのです。

この場所に思い出のある方も多くいるのではないでしょうか?

福島県 高子沼グリーンランド

【営業期間】1982年4月2日~1999年(現在閉園)

福島県福島市にある「高子沼グリーンランド」もたびたび個人ブログや2ちゃんねるなどの掲示板サイトで取りあげられる廃墟遊園地です。

「高子沼グリーンランド」が閉園した理由は定かではありませんが、おそらく経営悪化だろうというのが大方の予想です。

もともとは高子沼ファミリーパーク社として1973年に開業したことが、高子沼グリーンランドの始まりです。しかしその高子沼ファミリーパーク社は経営が悪化。東京の不動産会社に買収され、新たに1982年「高子沼グリーンランド」としてリスタートを切りました。

しかし現状はこの様子です。
心機一転のオープンからたった17年で閉園することになってしまったのです。

この廃墟遊園地の怖いところは、入口にある城内部にたくさんの資料が残っているというところ。その資料によると一日の売りあげが数万円という日もあったようです。
当時の厳しい状況のさなかで、高子沼グリーンランドの従業員はなにを思っていたのでしょうか?

想像するだけで胸が苦しくなってきます。

宮城県 化女沼レジャーランド

【営業期間】1979年~2001年10月(一説によると2000年に閉園したともされている)

次に紹介するのは「化女沼レジャーランド」。宮城県大崎市にある廃墟遊園地です。 化女沼レジャーランドの閉園は2000年。
最盛期には年間20万人の来園者がいた人気の遊園地だった化女沼レジャーランドも今では廃墟に。

しかし元運営者の方針によって「化女沼レジャーランド」はそのままの形で残っているのが悲しいところ。

元経営者の方は諦めていないのです。
かつて自分が抱いた夢「化女沼を一大観光地に」という、その想いを受け継いでくれる人を今でも待っています。

そのため現在でも土地はおろか遊具や温泉などすべてを分割売却せずに自身で所有しています。そして今でも定期的に、かつての従業員の方が園内の清掃等おこなっているというのです。このエピソードには胸が締め付けられてしまいます。

ちなみに。
2015年現在では無許可での侵入・撮影は禁止とされています。
しかし許可をとっての撮影ならばOK。映画やミュージック・ビデオのロケ地としてやコスプレイベントの会場として使われることもあるそうです。

少しだけ救いのある物語の結末です。

ドイツ「Spreepark」

【営業期間】1969年~2002年(現在閉園)

続いては日本を飛びだしてドイツの廃墟遊園地。Spreeparkも、恐ろしすぎる廃墟遊園地として有名なスポットです。

Spreeparkは1969年に「KulturparkPlanterwald」としてオープン。しかし1989年の東西ドイツの統一により運営会社が変更されます。その際に名称を「Spreepark」とあらためました。

そんなSpreeparkは最盛期には年間150万人の来園者がいました。しかし、それも過去のこと。遊園地への訪問者はやがて40万人になり、運営会社であるSpreepark GmbHは経営が悪化。1999年以降、大規模な債務を抱えてしまいます。そして2002年に倒産を発表。事実上の閉園ということになりました。

この遊園地の怖さは2012年に投稿されたYoutubeの動画にあります。
なんと廃墟となった遊園地で、今でも観覧車がまわり続けているというのです。

誰をのせるでもなく、ただ空(から)のまま空(そら)をまわり続けるのです。まるで、まだ生きているよといっているように……

出典 YouTube

大阪「エキスポランド」

【営業期間】1970年~2009年2月(現在閉園→再建工事中)

最後は大阪の「エキスポランド」。
かつては万博記念公園に付帯していた遊園地として人気を博しました。

1970年に大阪万博が開催されたときアミューズメントゾーンとしてつくられたのがこの「エキスポランド」です。そして万博が閉幕したのち1972年3月15日に営業を再開。順風満帆に思われていました。

しかし、そんなエキスポランドを襲った悲劇は2007年5月5日の悲しい事故。それをきっかけにエキスポランドの客足は遠のいてしまいます。その結果2009年2月をもってエキスポランドは閉園しました。

しかし……

この話はここで終わりではありません。
じつは現在、大阪府吹田市のエキスポランド跡地に「エキスポシティ」を開業させるための工事をおこなっているのです。

推進しているのは三井不動産。

開業は今年――2015年秋

かつてのエキスポランドは大型複合施設「EXPOCITY」 に生まれ変わるのです。

かつてのエキスポランドはEXPOCITYとしてショッピングモール「ららぽーとEXPOCITY」と7つの体験型アミューズメント施設(ポケモンEXPOジム、水族館ニフレルなど)で構成される大阪屈指の巨大な複合商業施設になるのです。

かつての思い出が現代に新しい形として生まれ変わるというのは胸にぐっとくるものがあります。

悲しい事故の記憶は誰の心からも消えることは決してありません。
絶対に忘れてはいけないことです。

しかし、それでもぼくらはこれを希望と呼んで良いのではないでしょうか?

最後に

さまざまな理由で生まれ、さまざまな理由で消えていってしまったかつての夢。
それが廃墟遊園地です。

そこで働いていた人、夢を持った経営者、そしてその施設を思い出の1ページとして利用していた名もないぼくら。
そんなたくさんの人のたくさんの想いが詰まっていて、それが今でも時間を止めて保存されている。そんなところが廃墟遊園地の怖さでもあり魅力でもあるのかもしれません。

今をだいじに――そんな安っぽい言葉はぼくは口にできません。ですが、今、目のまえで栄えている景色もいつの日にかこの遊園地たちのような廃墟になってしまうかもしれない。そう思うと、その景色のひとつひとつを目と心と思い出に焼き付けておきたくなってしまいます。


かつての子どもの、おとぎの国を知っていますか?
青春時代の初デートの場所を覚えていますか?
結婚して子どもができたばかりのころに家族3人できた思い出の場所の記憶は今でも残っていますか?


ねえ、ぼくたちは朽ち果てても、ずっとずっとここにいるよ――


廃墟のなかから不思議な声が聞こえてくるような、そんな気がしてきます。

夏の納涼。
うのたろうでした。

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