エチオピアは数十年にわたり、アフリカで最も成功した国家の一つと見なされてきた。驚くべき事実だ。欧米ではまだ、1984年の悲惨な飢饉(ききん)の名残である壮大な規模の飢餓と連想されるものの、アフリカを知る人たちにとっては、エチオピアは物事をうまくなし遂げられるようになった国の代表例だ。
■開発国家、中国をモデルに成長
メンギスツ・ハイレ・マリアム書記長率いる被害甚大だったマルクス主義独裁政権を転覆させた1991年以降、エチオピアは厳密には権威主義的だが、おおむね効果的な「開発国家」として運営されてきた。アフリカ第2の人口規模もある同国は、成功した北東アジア諸国、中でも特に中国をモデルとしている。
ティグレ人民解放戦線が支配する疑似的な社会主義連合の与党エチオピア人民革命民主戦線は、中国と同様に国家と党を一体化した。やはり中国と同じように、独占に近い権力掌握を活用し、道路やダム、自由貿易圏を建設することで、国――ほかとはっきり異なる独自文化に対する強い意識を持った国――を発展させてきた。
アフリカ最大となる「グランド・エチオピアン・ルネサンス・ダム」が完成したときには、エチオピアは電力を自給自足できるようになる。誕生間もない同国製造業は、未加工原材料の輸出以外に手を広げる必要に迫られている大陸にとっての見本とされている。
エチオピアは国内の靴・衣料産業に対し、中国、トルコ、米国から多額の投資を呼び込んできた。ドナルド・トランプ氏の娘のイバンカさんさえ、自身の手掛ける女性用靴ブランドの生産を中国からエチオピアへ移管することを検討している。
その結果、エチオピアは他国と一線を画すことになった。公式には、エチオピアの経済成長は2000年以降、平均9.1%を記録しており、そのうち8年間は成長率が10%を上回る。信じられないとしてたとえ成長率を1~2ポイントほど削ったとしても、エチオピアは中国のようなペースで拡大してきた。国際通貨基金(IMF)によると、購買力平価で測った1人当たり平均所得は2000年以降、517ドルから1916ドルへと4倍に拡大し、健康状態と平均寿命も同じくらい目覚ましく改善した。
だが、アフリカの素晴らしい成功物語は、「天安門広場の瞬間」を経験している。イデオロギーと民族の線を越えて野党勢力を結束させた前代未聞の抗議行動に危機感を募らせ、エチオピアは中国が1989年にやったように対応した。銃弾で応じたのだ。当局が自ら認めた数字では、治安部隊は過去1年間で500人以上を殺害した。ここには、先週行われた宗教の祭典で死亡した55人ないしそれ以上の人が含まれている。
何千人もの人が威嚇され、投獄されている。エチオピア政府は今週、四半世紀ぶりとなる6カ月間の非常事態導入を宣言した。政府はこれにより、外出禁止令を出し、情報の報道統制を敷き、人々を連行するのに従来以上に強大な権限を持つことになる。