クオログです。
電通社員がお亡くなりになったという悲痛なニュースが連日報道されていますね。
彼女は大学時代の同級生だったということもあり、直接の認識はないですが自分の友達の友達くらいの方だったので、
ただニュースを見ているというよりは、身内が悲劇に見舞われたという感覚の方が強く、救うことはできなかったのかと悔しい気持ちになります。
こういうケースのように、会社員の自殺や過労死が起こった時には、
「残業時間は月に○○時間を超え〜〜」
というように、被害者の労働時間ばかりに注目が集まりがちであるように感じています。
確かに労働時間の長さはストレスを与える原因の一つではあると思っていますが、これだけが原因であるという方向に議論が進んでも本質的な問題は解決できません。
逃げ場があるから健康でいられる
とてつもなく辛いことや悲しいこと、嫌なことに直面した時に、私たちはどのようにして乗り越えて行く希望を見出すでしょうか。
その本質は、辛いことから逃げることにあると思っています。
例えば家族や友達に相談することで、自分の辛い気持ちを共感してくれる人がいること、自分を心配してくれる人がいることを実感し、
拠り所としての安心感を得ることができるでしょう。
辛さを感じた時には拠り所へ逃げ出すことができます。
あるいは辛い出来事から時間が経てば、自然に忘れていくように出来ていますから、無意識的にも少しずつ辛さから逃げ出すことができています。
このように私たちは意識的、無意識的に辛さを100%自分で受け止めることなく、逃げ出すことによって生きていくことができるわけです。
逆に言えば、逃げ場を失うことによって私たちは大きなストレスを感じるということです。
ストレスの足し算と引き算
冒頭で労働時間はストレスの一因に過ぎないと申し上げました。
これは、私たちが感じるストレスは、受けるストレスの大きさと、そこからどれだけ逃げられるかによって決まるからです。
残業が長く続けば、仕事をしている時間が増えるという点で、受けるストレスは大きくなります。
また、当然ながら相談する時間も、忘れるための時間も少なくなり、ストレスから逃げることが物理的に難しくなります。
自分の好きなことに熱中していてもそれほどストレスに感じないのは、そもそも受けているストレスがそれほど大きくないからです。
彼女は逃げ場を完全に絶たれたのではないか
冒頭の被害者は過酷な労働時間で友人や家族との関係を築き、ストレスから逃げ出すことに困難を強いられ、
痛みをわかってくれるはずの同僚や上司のもとへ逃げ出すことも阻まれてしまったのかもしれません。
人の逃げ場を奪うことは思ったよりも簡単なことなのかもしれませんし、
そうだからこそ私たちは一層人の苦しみを考える努力をしなければならないとおもいます。
逃げ場となってあげられる優しさは、これからもきっと多くの人を救うはずです。