京都・伏見稲荷大社の千本鳥居の下を歩くAppleのCEOティム・クック氏。10月13日朝、彼の突然のツイートに日本のAppleファンは湧いた。
日本語で来日していることを知らせたことに驚く人たち。クック氏は次にどこに向かうのか。2時間後、その答えが明かされた。
京都の任天堂本社、iPhoneアプリ「スーパーマリオラン」で遊ぶクック氏。iPhone7を発表する際に同時に紹介されたこのゲームアプリは注目度が高く、12月末までに配信される予定だ。
日本の伝統的な観光地を訪れ、代表的なゲームで遊ぶ姿をアピールする。Appleがどれだけ日本市場に力を入れているかが、そこから見えてくる。
BuzzFeed Japanは今回のクック氏の来日に合わせ、単独でインタビューする機会を得た。待ち合わせ場所は東京・新宿駅。そこにも、Appleの日本重視の意図が見える。
13日午後4時。クック氏は、新宿駅新南改札の前に姿を現した。同行するのは、数人のみ。仰々しくなるのを好まないという本人の意向で、取材をする我々側も最小限の人数で来るようにお願いされた。
改札機に自身のiPhone7 Plus(色はジェットブラック)をかざし、駅の中に入るクック氏。10月末にも実用化されるApple Payのデモンストレーションだ。
日本のユーザーにとって、Apple Payの実用化はマリオ以上に大きなインパクト。このアピールも、今回の訪問の大きな目的の一つなのだろう。
この現場には、BuzzFeed Japanとともに取材を許された日本テレビのスタッフもいた。カメラを構える我々の姿に、有名人の登場を予期していた人たちが数十人、人だかりを作っていた。
笑顔で手を振るクック氏。ただ、すぐに彼が世界で最も影響力のある企業の一つAppleのCEOと気づいた人は少ないようだった。
日本で絶大な人気と知名度を誇った先代のスティーブ・ジョブズ氏と比べるとメディア露出が少ないこと。そして、黒い長袖のシャツとジーンズというシンプルな服装(こちらはジョブズ氏と同様だ)は、超有名人という雰囲気を感じさせない。
彼の正体に気づいた人たちは「まじか」「すげぇ」と声をあげ、写真を撮る人も。クック氏は求められれば足を止め、気さくに応対していた。あまりにもざっくばらんな様子に、取材するこちらが、身辺警護は大丈夫なのかとドキドキするほどだ。
新宿駅から、山手線で原宿駅に移動したクック氏。駅前での混乱を避けるために、BuzzFeed Japanは明治神宮前の交差点で彼と落ち合い、そこからApple Store表参道店の近くまでの約550mを一緒に「散歩」しながら、単独で話を聞くことができた。
お互いに「初めまして(Nice to meet you)」とにこやかに握手をかわし、まずは、Apple Payの日本での使用感を聞いてみた。
「魔法のようだよ」と笑うクック氏。
「現金はもういらない。駅周辺の店もApple Payに対応するようになってくるし」
その言葉に嘘はない。原宿駅からApple Store表参道までの850mの距離だけでも、道路沿いの150店舗以上がApple Payに対応する予定だ。
「店を転々と移動しても、Apple Payで何もかも購入することが可能になる。すごいんだ。日本がどの国よりもApple Payを取り入れるスピードが速いと信じている。他の国で見てきた傾向には満足しているけれど、日本の消費者は、さらに速く応じると思う」
「日本ではトレンドがとても重要だから。毎日使うことが、すぐに習慣化される。きっと、あらゆる場所で使うことになると思うよ」
ゆっくりと歩きながら答えるクック氏。190cmの長身が目立つ彼の正体に気づいた人がカメラを向けると、「ヘイ、ガーイズ!」と応じて笑顔で手を振る。
トレンドを重視し、新しいものをすぐに習慣化して取り込む日本。クック氏はもう一つ、その特徴に触れた。デザインの重要性だ。
「日本では、デザインがとても重要だ。道を歩いている人を見て、ファッションのレベルがとても高いね。建物や家具や、いろんなものが美しい。実際、眼に映るもの全てが美的だ。日本の消費者は『グレート』であることについて高いハードルを設定しているね」
日本の美的センスといえば、故ジョブズ氏だ。禅を熱心に学び、シンプルであることを極めるというその理念に共感していた。Apple製品のデザインにもその考えを生かしてきたと、様々な場所で口にしてきた。
その後継者であるクック氏にも、その考えは受け継がれているんだろうか。
「スティーブは、確かにこの国と強い絆があったね」
そして、クック氏自身も日本の文化に強い関心があると話す。
「今朝、伏見稲荷大社に訪れたとき、何か静隠な雰囲気を感じた。精神が落ち着くのと明快になるというか……ある人々にとっての瞑想や宗教的な経験に近いのかもしれない。日本に住む多くの人は、こういう経験を理解しているのだろうと思う。そういうところが、私たち全員が日本に惹きつけられる理由じゃないかな」
そして、多くの優秀な開発業者が日本にいることにも触れた。
「Appleは長年日本で活動し、多くの開発業者と協力してきた。世界的にも人気な会社がたくさんある。任天堂も訪問したんだけど、『スーパーマリオラン』が年末に配信されることほど嬉しいことはない。スーパーマリオに興味を持った2000万もの人が、配信開始日の通知をすでに希望しているんだよ!」
ポケモンGOは配信開始から1カ月間で1億3000万DLのギネス記録を打ち立てた。そこまではいかないかもしれないが、配信前から通知を希望しているのが2000万人とは驚きの数字だ。
今回の日本訪問では、早朝から伏見稲荷、任天堂訪問、そして東京へと休みなく動いている。クック氏は午前4時半に起きて、早朝から働くことで有名だ。ライフスタイルについても聞いてみた。
「実は、いまは3時45分に起きている。45分早めたんだ。起床した後に、メールの返信をする。その後に紅茶を少し飲んでから5時にはジムに通って…そして、6時に出勤している」
鍛え上げられた身体。長身で一見、痩せて見えるが、胸板は厚い。目が回るような忙しさの中で、時間を管理し、健康的な身体を維持する秘訣はどこにあるのか。
「Apple Watchの存在が大きいね。見た瞬間にどの場所にいるべきかわかる。Apple Watchでの予定の確認が日課になっている」と笑う。そして、こう続けた。
「Appleをうまく運営するのに学んだ、最小限のことをする、というコツも心がけている。やらなければいけないことに対しては、ベストを尽くすようにしている」
午前3時45分起床で、6時出勤。凄まじいハードワークだ。となると気になるのは、長時間労働の是非。日本では、世界初の「過労死白書」が発表されたばかりだが……。
iPhoneの登場は、人々の行動やコミュニケーションのあり方を変えた。クック氏は、働き方も変えていきたいと語る。
「生産性と仕事から喜びを得るのをAppleが助けることで、人は集中するべきことに集中できるようになる。これが勤務時間の短縮化を意味することを希望している。そして、どの国でも通じることが一つある。多くの国、もちろん日本でも、—人がこれ以上さらに働くことは不可能だ。長時間労働は正しい答えではない。正解なのは、テクノロジーで何か手助けになることがないか、見つけ出すことだ。Appleは人の働き方を大きく改善していきたい」
AI(人工知能)やVR(仮想現実)、そしてAR(拡張現実)などが、その答えになっていくのだろうか。
「AIとARは、重要でコアなテクノロジーだと思う。今、こうやってあなたと話しているのも、ARだったら、さらに効率的な会話になるかもしれない。そうでしょ?ARなどが会話の妨げとならずに一体化することも可能だと思う。私にとって、人との触れ合いを取り替えるものなんて何もない。それを促進するのがテクノロジーだと思う」
私たちに与えられていた時間は約10分間の予定だったが、ときに立ち止まって質問に答えてくれるために14分が経っていた。
私たちと別れて、クック氏は表参道にあるApple Storeをサプライズ訪問した。
プログラミングスクール「CA Tech Kids」に参加していた5人の子どもたちは、クック氏が来るとは知らずにApple Storeに集まっていた。彼が近づいてくると、子どもたちはやや緊張気味の目を輝かせながら、拍手で迎え入れた。
Appleは近年、IT教育やコーディングなど次世代の育成に力を入れている。
子どもたちが一人ずつ作品を披露するのを、クック氏はしゃがんで目線を合わせて見ていた。
子どもたちの表情、プログラムが映し出されている画面、キーボードの操作、そしてデザイン。柔らかな表情で、丁寧に見ていた。
世界中の人々が、自分が持つアレルギーを他言語でわかりやすいように伝える機能を作った男の子には「ナスアレルギーなんだけど、君は?」。ゲームを作った女の子には「任天堂に売ってみたら?」
そんなCEOの姿勢と熱心さが、Appleが次世代の教育にかける思いを代弁していた。