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新貧乏物語

第4部・子どもたちのSOS (1)しぼむ未来

◆10歳、パンを売り歩く

 小学五年生の丈司君(10)=仮名=は今年のゴールデンウイークも、知らないマンションの呼び鈴を押していた。丸刈り。少し背伸びをして、インターホンに話しかける。「もし良かったら、パンを買ってください」

 丈司君は学校が休みの日、母親(44)の仕事を手伝っている。業者から仕入れたパンを軽自動車に積み、自宅がある中部地方の町で売る仕事。朝七時半から午後三時まで、ひたすら呼び鈴を押す。ドアを開けてくれた人にお礼を言い、母親の車まで連れてくる。

 「来るな」と怒鳴られることもある。最初は怖かったけれど、今はもう慣れた。楽しみは、顔なじみのお客さんからたまにもらえる百円玉。それ以外にお小遣いはない。

 以前住んでいた隣町から今のアパートに引っ越してきたのは、丈司君が五歳の時だった。母親が内縁の夫の浪費癖に疲れ、長男の丈司君と次男(7つ)を連れて逃げてきた。引っ越しを決めたのは、五年前の三月十一日。東日本大震災が起きた日だ。

 初めての土地で母親がすぐに就けた仕事は、パンの移動販売だけだった。吐き気がするほど嫌いになった相手から「養育費はもらわない」と決めていた。子ども二人を食べさせるため、仕事を選んでいる余裕はなかった。

 一袋四百円のパンを売り、経費を引いた半額が収入になる。最初は知らない家を訪ねるのが嫌で、「パン売りは楽しい」と書いた紙を運転席に張って、自分を励ました。次男は昨年、一年生になったが、入学式には連れて行っていない。一日でも休むとお客さんが離れる気がして、その日もパンを売っていた。

 一カ月、延べ千軒ほど訪ね歩き、給料は約十八万円。ひとり親世帯向けの児童扶養手当などと合わせ、月に約二十五万円で生計を立てる。家賃五万六千円のアパートから、もっと安い県営住宅に移りたいが、何度申し込んでも抽選に当たらない。

 兄弟のランドセルや体操服、鍵盤ハーモニカ、紅白帽は全部、知り合いが子どものお古を譲ってくれた。食卓に並ぶみそ汁には、ニンジンの葉っぱを入れる。お好み焼きにはキャベツではなく、一袋二十円のモヤシを交ぜている。

 節約を重ねて、やっと成り立つ暮らし。それに気が付いたのか、丈司君はリモコンで走る車のおもちゃを買ってもらえなかった四年生のころから、「中学校を卒業したら働く」と言いだした。学校の作文には「お母さんと同じパン屋さんになる」と書いた。

 「せめて、高校には行かせてあげたい」。母親はそう願う。中卒と高卒とでは給料が全然違うと、友人に聞いたことがあるからだ。

 ただ、今の収入では公立で七十万円、私立で二百四十万円ほどかかる三年間の授業料や部活費などを払えない。生活をこれ以上切り詰めれば、今より貧しかったパート勤めのころの暮らしに戻ってしまう。みそ汁一杯とコロッケ一個を三人で分ける生活だった。

 あんなにつらい思いはもうしたくない。「働く」と言い切る丈司君に甘えたくなる時もある。でも、考えてしまう。将来の夢を狭めさせてしまっているのは、母親である自分なのではないか。

 「お金持ちになりたい」。十歳の丈司君が口癖のように言うようになった。それを聞くたびに自分を責め、悲しくて何も言えなくなる。

     ◇ 

 苦しい家計や親の病気、虐待などに子どもの教育が脅かされている。未来への明かりを消さないため、社会に何ができるのか。子どもたちが叫ぶSOSに耳を澄ませる。

 (取材班=青柳知敏、杉藤貴浩、中崎裕、安部伸吾)

 

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