皆さん、こういう表紙に見覚えってありませんか。
必勝作戦メチャガイドですね。すげー面白かったですよね、メチャガイド。大体、終盤にさしかかると「この先は自分の目で確かめてくれ!」パターンでしたけれど。
懐かしいかというと実は別に懐かしいわけではなく、1集から3集までは自宅にあるんで今でもちょくちょく読んでいるんです。4集以降はもってないです。欲しいです。
こちらはファミマガ付録の「〇〇攻略大全」シリーズ。確か最初は「RPG攻略大全」の赤と黒だったと思うんですが、RPG攻略大全もどんどん巻を増していき、その内「SLG攻略大全」とか、この「AVG攻略大全」とかが出るようになっていきました。袋とじでクリアまでの攻略ルートとかありましたよね。
私たちに-----私は、「私は一人ではなかった」という確信をもってこの「私たち」という言葉を使うのですが-----私たちにとって、かつて「攻略本や説明書を読むこと」は「ゲームで遊ぶこと」と同義でした。
例えば、「ゲームは一日一時間」という高く分厚い壁にさえぎられて、ゲームを続けることが出来なくなった時。
例えば、「このゲーム買ってー!」とねだってもゲームは買ってもらえず、何故か480円くらいで売っていた攻略本だけ買ってもらった時。
私たちは、「本を読んでる分には親から怒られない」という最強のシールドを得て、ひたすら説明書や攻略本を読み込んで、ゲームを遊んだ気になっていたのです。
攻略本を読むのは、面白かった。説明書を読むのは、楽しかった。
攻略本の最後の方には、最終面の手前くらいで大体「この先は君の目で確かめてくれ!」とかいう短いテキストだけが載っていました。お前それのどこが完全攻略本だよ、とか思わないでもないですが、そんなことは全然なんの問題もなく、私たちはただ「ゲームのことが載っている本」を読んだだけで、十分ゲームの世界に旅立つことが出来ていたのです。
メチャガイドもそうですが、昔のゲームは比較的ボリュームが小さいので、ものによっては10ページくらいで最後までいってしまうこともありました。だから、昔のゲーム攻略本の中には「色んなタイトルの攻略が一冊に詰め込まれている」ものがたくさんありました。そのお得感たるや、ゲームそれ自体を遊ぶことと同等かそれ以上か、というくらいに、私は「攻略本」が好きだったのです。
そこに、ネタバレなどという概念はありませんでした。
それは体験でした。それは遊戯でした。それはゲームを遊ぶこと、ゲームの世界を味わうことだったのです。
だから私は、今でも、「説明書を読まない」などと言われると「え?何で?」とすら思ってしまいます。「説明書めっちゃ楽しいやん」と。その習性の為か、電子レンジを使わなくても電子レンジの説明書だけ読み込んでしまい、奥様に「いや使いなよ実地で」と突っ込まれたりします。
だから私は、今でも、「攻略サイト」や「攻略wiki」を読むのは好きです。たとえ全然遊んだことがないゲームでも、いやむしろ遊んだことがないゲームだからこそ、攻略情報を読むことでそのゲームを「味わった気に」なれるのです。キャラクターをビルドしたような気になれるのです。
だから私は、ネタバレという概念には比較的寛容です。知っていても十分楽しめるから。知っていても、むしろ二度楽しめたような気がするから。勿論作品にもよるわけですが。
時代は変わりました。あれから何年経ったでしょうか。20年?30年?
「ゲームの攻略本」という昔あったようなうっすい本は姿を消し、「メチャガイド」のような複数ゲームのガイドブックもどこかにいなくなり、ゲームの攻略本は「参考書」というよりは「資料集」とでもいうべきものになりました。攻略情報を集めるだけであれば、ネットを少し検索するだけで、なんの手間もなく事足りるようになりました。
なんの問題もありません。なにも悪いことはありません。ただ、変わった、というそれだけです。
ただ、今でも昔の攻略本を読んでみると、私は何故か「このゲームおもしれーー!!!」という感覚に包まれるのです。やったことがないゲームだろうが、何度もやったゲームだろうが、何の変わりもなく、私は攻略本を読むことで「そのゲームを遊べる」のです。
そんな体験を、今でも他の人に味わってほしいなあと。
今でもそんな風に思いながら、私はレトロゲームの記事を書き続けているのです。
私が書いたレトロゲーム記事が、誰かの「遊んだ気になる」手助けになるのであれば、それ以上幸いなことはありません。