【巨人】尚広引退!「生半可な気持ちでは続けられない」悩み抜いた胸の内独占激白

2016年10月13日4時0分  スポーツ報知
  • 6月15日の楽天戦の9回2死一、二塁、村田のサヨナラ打で代走・鈴木が生還しガッツポーズ

 巨人・鈴木尚広外野手(38)が、今季限りでの現役引退を決意したことが12日、分かった。数多くのけがに泣かされながらトレーニングを重ね、通算228盗塁で、盗塁成功率が200盗塁以上の選手で歴代トップに立つなど、球界屈指の走塁のスペシャリストに成長。プロ20年目を終えて大きな決断を下したが、スポーツ報知に悩み抜いた胸の内を独占激白した。

 勝負師らしい、決断だった。尚広が20年間身に着けた巨人のユニホームを脱ぐ。

 「今年1年、自分の引き際を考えるようになった。もちろん、試合が始まれば頭にはないけど、それ以外では引退の2文字が頭に出てくるようになった。そういう気持ちではプロとしてはダメだと思った」

 結果的には、10日のDeNAとのCS第1S(東京D)の第3戦、同点の9回無死一塁で代走で出場し、けん制死したのが最後のプレーとなった。

 「このプレーで、というのはないし、いつ決断した、というわけではない。技術、体力は衰えているとは思わないけど、心の部分で引っかかるようになった。続けるのは簡単だった。辞める、という決断が一番、難しかった」

 9月には通算盗塁成功率が8割2分9厘0毛となり、広瀬叔功(南海)の8割2分8厘9毛を抜き、200盗塁以上の選手で歴代1位に立つなど、今季も失敗なしの10盗塁。12年連続2ケタ盗塁と衰え知らずだが、自分の気持ちにうそはつけなかった。

 「僕が任せられているポジションは、責任のあるものだった。試合の行方を左右する展開で使ってもらっているのに、少しでも辞める時期を考えているようでは務まらないし、失礼になる。監督やみんなに信頼してもらっているからこそ、生半可な気持ちでは続けられない」

 96年ドラフト4位で入団し、今年が節目の20年目だった。入団当初は体の線が細く、度重なる下半身のけがで持ち前の脚力を披露する機会はなかった。「自分には何が足りないか、そして何ができるのかを考えたい」と02年には若手では珍しく個人トレーナーと契約し、オフの間、けがをしない体作りに励んだ。

 原前監督の巨人監督就任が転機だった。02年に代走の切り札として1軍に昇格し、4月2日の中日戦(ナゴヤD)で初出場。同14日の中日戦(東京D)で初盗塁をマークし、ここからスピードスターとしての伝説が始まった。毎日、一番乗りで球場入りし、準備を続けて機会を待った。「体力、技術だけでは成功しない。準備して心も鍛えないと、“ここぞ”では力を発揮できない」と言い続けていた。引き際を考え、心が鍛えられなくなったからこそ、引退を決意した。

 巨人で過ごした20年間は、感謝しかないという。

 「僕を見いだしてくれて、獲得してくれて。まさか20年も続けられるとは思わなかった。スカウトの方々、歴代の監督、コーチ、選手、そして球団の方々。感謝しても、しきれない。そして、グラウンドに立つと大歓声をくれた巨人ファンのみなさんには、力をいっぱいもらいました」

 ファンから「神の足」とたたえられたあの走塁はもう、見られない。球史に残る名ランナーが、そっとスパイクを脱ぐ。

 ◆鈴木 尚広(すずき・たかひろ)1978年4月27日、福島・相馬市生まれ。38歳。96年、福島・相馬高からドラフト4位で巨人入団。球界屈指の快足で02年に1軍デビュー。以後、足のスペシャリストとして活躍。08年にはゴールデン・グラブ賞を獲得。15年には初のオールスターに監督推薦で出場した。通算1130試合、打率2割6分5厘、10本塁打、75打点。通算228盗塁で、通算盗塁成功率8割2分9厘0毛は、200盗塁以上の選手で歴代トップ。180センチ、78キロ。右投両打。年俸6000万円。

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