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専修大学 教授 嶺井 正也

現在、小中学校では、週1時間、「道徳の時間」という枠があり、子どもたちはそこで道徳を学んでいます。それが小学校では再来年2018年度、中学校では2019年度から、「特別の教科」として教えられることになります。

道徳が「特別の教科」となると、現在と異なり、教科書と評価が導入されることになります。

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この「道徳科」の授業では文部科学大臣の検定に合格した教科用図書、いわゆる教科書を使わなければならなくなります。ただし、他の教科とは違って数値ではなく記述式の評価を行います。また、「道徳科」を教えるのは、免許をもつ専門の教員ではなくこれまで通り学級担任の教員になります。このように他の教科とは異なる枠組みで実施されることから「特別の」がつく教科といわれます。

道徳が教科になったこと、これは戦後の学校教育における道徳教育の大きな変化を意味しています。
1947年から始まった第二次世界大戦後の学校教育では、道徳を特定の時間や個別の教科のなかで教えることはありませんでした。

それは戦前の「親孝行」からはじまり「忠君愛国」までを説いた「教育二関スル勅語」にもとづく「修身科」で国定教科書をつかった道徳教育が行われてきたことへの深い反省があったからです。
しかし、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立する頃から、政府筋を中心に道徳を個別の教科にして教えなければ国民の道徳性が低下するとの声が出てきました。この動きに対しては、「修身科」の復活につながるとの厳しい批判が投げかけられ、大論争が繰り広げられました。結果的には、1958年の学習指導要領改訂で、現在のような教科外活動の一つとして特設の「道徳の時間」ができたのです。これが第一の大きな変化でした。

その後、「青少年犯罪の凶悪化」や「社会モラルの低下」などを口実に、「道徳を教科にする」動きが何度かあったのですが、その都度批判がなされ、教科化にはいたりませんでした。
この新しく始まる「特別の教科 道徳」は戦後における第二の、とても大きな変化であり、教育政策の研究者として私は大きな懸念を抱いております。何といっても、国による教育統制や価値観統制が強まるという懸念です。
「道徳科」は何よりも私たち個々人の生き方に深くかかわる価値を扱う教科になります。この道徳的価値を子どもたちが学ぶ「内容項目」、言い換えますと「徳目」として国が学習指導要領で定めた上に、それにもとづいて作成される「主な教材」である教科書を国が検定し、しかも、教科書を使用する義務が先生や学校に課せられるようになるのです。二重、三重に国が関与するようになるのです。

ここで諸外国の事例をみておきましょう。

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ごく限られた事例ですが、各国の違いがわかる表をご覧ください。文部科学省が作成したものから一部抜粋したものです。
イギリス、アメリカには検定教科書はなく、ドイツ、韓国は検定教科書あるいは国定教科書があります。この表では明記されていませんが、教科書の使用義務はイギリス、アメリカにはなく、州の教育省による検定制のあるドイツでも課せられていません。
このように欧米諸国の場合には概して教科書検定制度がありませんし、教科書の使用義務も学校や教員には課せられていません。それは個人の生き方や内面に深くかかわる価値を含む「道徳」に国が関与することが懸念されているからにほかなりません。

さらに、子どもたちが道徳的価値を身につけたかどうかが評価されることによって国の統制がより強くなるという問題が出てきます。
「特別の教科 道徳」になると、先生や学校は子どもたちの学習や行動を評価し、家庭に配布する通知表や学校に残す公式の書類である指導要録にそれを記録することになります。
文部科学省は、数値を使わずに、子どもたちがいかに成長したかを記述する個人内評価とするように求めています。しかし、個人の生き方や内面の自由に深くかかわる道徳的価値がどの程度身に着いたかが評価されるという、そのこと自体に大きな問題を感じます。つまり、子どもたち一人ひとりの生き方や考え方を、学校を介して国が評価することが当然視されることに大きな不安を覚えるのです。日本国憲法が保障する「思想・信条の自由」を侵害することにもなりかねません。

評価の問題に関してもうひとつの懸念があります。文部科学省はさかんに「入試には評価を利用しないので、調査書にはそれを記載しない」と強調しています。しかし、私は子どもたちの進路についての指導において評価が利用されるのではないかを懸念しています。進学先決定の材料や基準になる可能性があります。そうなりますと子どもたちは道徳的価値を身につけたかのように振る舞う、あるいは自分の発言や行動、態度を調整する、つまり建て前と本音を使いわけるようになるかもしれません。

ところで、国は「特別の教科 道徳」を新たに設けてまでなぜ道徳教育の強化を図ろうとしてきたのでしょうか。
一つは、「道徳心」、「公共の精神」、「国や郷土を愛する態度」などの育成を盛り込む形で、1947年に制定された教育基本法が2006年に改正されたという背景が考えられます。教育基本法改正に積極的だった人々の多くは、戦前の「修身科」を肯定する形で道徳教育の充実・強化を求めてきたことを忘れてはなりません。教育基本法改正の意図が「愛国心教育」にあったからです。
一方で、企業倫理や政治道徳の低下、富裕層の資産隠し、権力組織の責任逃れ、社会格差の拡大など、いわば「大きな不徳・不正義」から国民の目をそらし、こうした社会の問題から生じる葛藤や問題を個人の心情や態度の問題として解決させようとする意図も感じられます。国は現在の秩序に文句を言わない国民づくりをしたいもかも知れません。
今の子どもたちが生きるのは、地域社会の中でグローバル化・情報化が進展し多文化共生の在り方が求められる一方で自然との共生が模索される新しい時代です。こうした時代に相応しい道徳的価値を創造していく主体になれるよう子どもたちが育つ上で「特別の教科 道徳」は果たして適切でしょうか。
文部科学省はこれを機に「考える道徳へと転換させる」といっていますが、考えるべき道徳的価値があらかじめ決められていることの矛盾には触れていません。
はじめに道徳的価値ありき、言い換えれば「徳目」ありき、では子どもたちの心や感性は動かないのです。学校の日常生活の中で、葛藤、対立、困惑、悩みなどが起きた時、あるいは普通の教科の授業で道徳や倫理にかかわる学習課題が出てきた時に、社会に生きる一人の人間としてどう考え、ふるまえばいいかを学ぶ機会があればいいのです。

そうした機会が柔軟にあってこそ、子どもたちは道徳や倫理を自らの問題として、真剣に考え、受け止めることができるのです。

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