東京工大の大隅良典栄誉教授がノーベル医学・生理学賞を受賞したことが話題になっているが、昨日の毎日新聞に載った青野由利・専門編集委員のコラム。

 http://mainichi.jp/articles/20161008/ddm/007/070/113000c
 流行に逆らうには=青野由利
 毎日新聞2016年10月8日 東京朝刊

 ノーベル賞ばかり、日本人の受賞ばかりをもてはやすのはいかがなものか。と、先週の本欄で書いたばかりだが、今回はノーベル賞がらみの話でご勘弁を。

 宗旨替えしたわけではない。大隅良典さんの「人がやらないことをやる」という言葉に触発されたからだ。4年前に京都賞を受賞した時にも「流行でない研究をしたい」「はぐれ者でいたい」と話していたが、実は、この姿勢は多くの優れた研究者が共有しているものだ。

 青色発光ダイオードを開発した赤崎勇さんは「一人荒野を行く気分だった」。山中伸弥さんは流行のES細胞とは別の道をめざしてiPS細胞を手にした。「最初は誰も信じてくれなかった」という声もたくさん聞いたが、これも「流行を追わない」の裏返しだろう。

 流行を追うかどうかは個人の好みや資質の問題にとどまらない。大隅さんが昨年、政府の「科学研究費補助金(科研費)」について、助成機関への寄稿で述べていた指摘が興味深い。

 大学などが自由に使える基盤的資金がどんどん減っている中で、個人の研究費である科研費が採択されると所属機関にも資金が配分される。だから大学も科研費を取りやすい流行分野の人を雇おうとする。若手は雇ってもらうために流行分野に流れる。結果的に若い研究者は保守的になる一方では、という大隅さんの心配は的を射ている。

 おそらく「みんな科研費を申請して」と教員に求めている大学も多いはず。科研費獲得の攻略本も出ているほど。そうならざるを得ない環境が今の日本にはある。

 そして、ここにはもうひとつの落とし穴がある気がする。ある程度優秀な人は、科研費の申請もツボを押さえ、うまくとれる。結局、小器用な人ばかりが生き残るのではないか、という心配だ。

 では、流行を追わずにすむ方策はあるのか。自由に使える研究資金をもっと増やしてばらまくのはひとつの方法だと思う。ただ、当然のことながらこれには無駄も出る。どれかが結果的に大当たりだったとしても、その後ろはゴミの山かもしれない。それを納税者にどう納得してもらうか。または、税金ではない捻出方法があるかどうか。いずれにしても科学と私たちの関係にかかわってくる。

 最後にもうひとつ。今やオートファジー(自食作用)も立派な流行分野になった。科学者も、研究資金を出す側も、そのことをお忘れなく。 (専門編集委員)

                        

 内容的にはほぼ賛成なのだが、一箇所、分かってないなと思えるところがある。

 【では、流行を追わずにすむ方策はあるのか。自由に使える研究資金をもっと増やしてばらまくのはひとつの方法だと思う。ただ、当然のことながらこれには無駄も出る。どれかが結果的に大当たりだったとしても、その後ろはゴミの山かもしれない。それを納税者にどう納得してもらうか。】

 無駄は、研究にはつきものである。このことは、この問題を論じる人は分かっていなければダメである。別に自由に使える研究費だけから無駄が出るのではない。「選択と集中」により選んだ研究からだって無駄は必ず出る。

 つまり、研究から何か有用なものが生まれるか、生まれないかは、やってみなければ分からないし、またそこから何が生まれるは、時間がたたないと分からないのである。事前にそれを完全に予測できる人間などいない、ということは以前もこのブログで書いたとおり。

 実際この記事でも、今回ノーベル賞をとった大隅教授や以前に受賞した山中教授の研究が、最初は海の物とも山の物ともつかない不確実性に満ちていたと言われているではないか。

 だから、無駄が出ることは研究というものにとって必然なのだ。逆に言えば、無駄が出るからこそ、無駄でないものもできる。「無駄を出さない」という思想で研究をやれば、全体が無駄になってしまう可能性だってあるのだ。

 したがって、最もよいのは悪平等主義で研究費をばらまくことである。むろん、近い将来についてなら確実にここは重要と分かる分野だってある。だからそこに或る程度重点配分することはいい。しかし「選択して資金を配分」する方法だけでは、意外なところから意外な成果が生まれる可能性がつぶされてしまう。

 繰り返す。この問題を論じる人は、この程度のことは常識として心得て欲しい。

 ちなみに、昨日は産経新聞に大隅教授がこの点で発言をしているという記事が載っていた(下記)。

          

 「研究、長期的な視点で」
 ノーベル賞 大隅さん、東工大で講演
 (産経新聞、2016年10月8日付け)

 2016年のノーベル医学・生理学賞に輝いた大隅良典東京工業大学栄誉教授(71)が7日、横浜市内で同大科学技術創成研究院の設立記念式典に出席し、(…)

 式典前の講演では(…)「今の日本は成果主義に追われ革命的研究が出ていない。ノーベル賞受賞者が出たと浮かれている場合ではない。長期的な視点で研究を育てよう」と370人の学生らに呼びかけた。

 (この記事はネット上の産経新聞には載っていないようなので、紙媒体の産経新聞でお読み下さい。)

           

 なお、産経新聞は10月5日付けの1面コラム「産経抄」でも同様の指摘を行っていた。以下では後半部分だけ引用する。

 http://www.sankei.com/column/news/161005/clm1610050003-n1.html

 【産経抄】ノーベル賞がニュースにならない日

  (前半省略)
 
 ▼今年のノーベル医学・生理学賞に輝いた東京工業大の大隅良典栄誉教授(71)は、見事にそのスタイルを受け継いでいる。東大理学部の助手時代に取り組んだ、細胞内の浸透圧調整や老廃物の貯蔵・分解を担う「液胞」は、細胞のごみため程度にしか思われていなかった。「人のやらないことをやる」研究姿勢を続けた結果が、細胞の自食作用「オートファジー」の解明である。

 ▼大隅さんの記者会見では、トレードマークのひげが話題になった。14年前、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは、作業服で記者会見にのぞんで話題になった。受賞の可能性が少しでもわかっていたら、無精ひげぐらいは剃(そ)っておくことができたのに、とご本人は述懐している。

  ▼田中さんについての情報をほとんど持ち合わせない報道陣の戸惑いも大きかった。担当記者によると、大隅さんの場合は本命中の本命とあって、準備は万全だった。他の分野でも、日本人の候補者は目白押しである。そのうち、日本人が受賞しても、大きなニュースにならない日が来るかもしれない。

 ▼と思いたいところだが、楽観が過ぎるようである。大隅さんによれば、現在の受賞ラッシュは、「過去の遺産を食いつぶしている」にすぎない。役に立つ科学ばかりをもてはやす、世の風潮に警鐘を鳴らしている。