李遠哲・中央研究院前院長が日本で講演


李遠哲・中央研究院前院長が日本で講演



李遠哲・中央研究院前院長が日本で講演

 李遠哲・中央研究院前院長は、「日本台湾学会」の招きにより、5月31日、東京大学駒場キャンパスで開催された、同学会設立10周年の記念学術大会において「私の学問、私の人生」と題する講演を日本語で行った。

 1936年、新竹に生まれた李氏は、同講演で、子供のころの第2次世界大戦中の米軍による爆撃を経験した話から始まり、「私は、戦争により2年間学校に行かなかった。この間に農民からまき割り、魚釣りをなどを習い、大自然に触れた。これらはいずれも、現代の若者にはあまり体験できないことである。終戦後、私は日本語しかできず台湾語がわからなかったため、小学校時代にはよくいじめられた。そのため、毎日ポケットの中には小石を隠し持ち、私をいじめる50名あまりの同級生に1人で抵抗した。また、小学校5年の時に、『開明少年』という雑誌に掲載されていた『青い毛布』という文章を読んだが、その中で描かれていた社会主義革命と変遷は、私に『社会は変えることができるものであり、独裁統治は変えることができるものだ』と、深く感じさせてくれるものだった」と語った。

 李氏はさらに「高校1年の時に病気を患い一カ月間休学したが、この時私は、人の命には限りがあり尊く貴重であると感じ、より意義のあり、より計画的な私自身の人生を歩もうと考え、自分が自分自身の人生の主人となり、世俗的な価値観に左右されないようにすべきだと悟った」と当時を回顧した。

 李氏は続けて「高校時代、私服の憲兵が学校にやって来て、同級生の数名を連行していったことがあった。このことがあり、私の母は夜も眠れなくなってしまった。それというのも、自分の息子が『進歩的』な思想の持ち主であることを知っており、次に憲兵が来たらその時は自分の息子が連行されるかもしれないと心配したからだった。このころは私は、よく心の中で苦悶したものだった」と語った。

 李氏は台湾大学に入学したが、その頃は検閲により多くの図書館で哲学や思想に関する書物がほとんど廃棄されていた。しかし、日本語の書籍は幸いにして検閲を受けることがなく難を逃れたため、日本語ができる私は、岩波書店の新書や月刊誌などを通して世界の変化を理解することができた。文芸小説、科学の書籍も含め、日本語の書籍はまるで私に光と新鮮な空気を注いでくれるような感じであり、人類社会の発展をより客観的に理解させてくれるものとなった」と強調した。

 李氏は講演の最後に、現在の人類が直面している地球温暖化の問題を取り上げ「人類は天人同一(地球と人類の営みは一体)の道理を知り、皆が共にエネルギー問題を解決していくべきである。そうでなければ、グローバル化や過度の開発の結果、地球温暖化はさらにひどくなり、米国の大型台風やビルマのサイクロンのような天災が醸成されることになる」と指摘した。

 「日本台湾学会」では、6月1日より、「文学から台湾の記憶を見る」「植民地台湾の新旧文学活動に潜在する外来の要素」「台湾2008年の選挙分析」などの分科会の開催が予定されている。

《2008年6月2日》

写真提供:中央社