金メダリストリレートーク
2016年11月30日・中日劇場
歴代五輪金メダリストが集結
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新貧乏物語第4部・子どもたちのSOS (6)無料塾
◆夢へ「俺やってやる」平日の夕暮れ。名古屋市郊外の住宅地にある公共施設の部屋に、十人ほどの中学生が集まってくる。生活が苦しい子ども向けにNPO法人が開いている無料塾。三年生の翔太君(14)=仮名=は、ここに通い始めて二年になる。 おしゃべり好きで、二つ年下の弟の面倒も見る優しい子。でも、小学校を卒業するころ、仕事で忙しい母親(35)に怒りをぶちまけたことがある。「いいかげんにしてよ。弟の世話をしているの、俺じゃん」 母親は十年ほど前、ギャンブルで借金を重ねた夫と離婚した。それから自動車部品関連会社のパートの仕事に就き、二人の子どもを養い始めた。一日五時間働き、手にした月収は約八万円。児童扶養手当を受けても暮らしは厳しく、翔太君が五年生に上がる時、勤務を一日八時間に増やして、残業もこなした。 帰宅が遅くなり、夕飯の準備や洗濯物の片付けなどを翔太君に頼む日が多くなった。新品の服が買えなくても、古くなった下着が破れてしまっても、母親の苦労を知る翔太君から文句を言われたことはない。それだけに、自分に突然向けられた怒りがショックだった。 母親が勤務時間を増やしたころから、翔太君は学校の宿題を出さなくなった。七十〜八十点を取っていたテストの成績は、二十点や三十点に下がった。仕事で宿題を見てあげられず、家庭教師の派遣会社に話を聞いたことがある。教材費を含めて百万円かかると知り、母親も翔太君も黙ってあきらめた。 中学に入って一カ月がたったころ、自宅のポストに無料塾のちらしが入っていた。応募すると当選したが、翔太君は新しい友だちや年上で兄のようなスタッフと話すのが楽しかったのか、勉強よりもおしゃべりに夢中になった。「お母さんに家事を頼られている分、ここは自分でいられる息抜きの場所なのかな」。無料塾のスタッフの男性(26)はそう思いながら、翔太君を見守ってきた。 その翔太君が変わり始めたのは、昨年十二月、二学期の期末テストが終わってからだ。無料塾の隣の席で黙々と問題を解いていた男子生徒に、「おまえ、やる気出るって、すげえな」と話しかけた。同じように家が貧しくて勉強が遅れていたその生徒は、翔太君に言った。「やる気とかじゃなくて、やってやるって思えばいいんだよ」 年が明けた今年の一月には、翔太君の母親が入院した。家事を手伝いに来てくれた祖母や伯母に将来の夢を聞かれると、翔太君は「アニメの仕事がしたい」と打ち明けた。母親にも夢を話すようになり、「そのために、まずは高校に行く」と言っている。 一年勤めて十円ずつ上がるパートの時給。ぎりぎりの暮らしでも、母親は子ども二人を支え続けている。翔太君はゲームを欲しがることもほとんどなかったが、五教科で八千円の高校受験用の教材は「買って」とねだった。 三年生になった今年四月。二年生までは出すのが遅れていた中学校の宿題を、翔太君は初めて期限通りに提出した。無料塾のスタッフが「ちゃんと出したか?」と尋ねると、翔太君はこう答えた。「出したよ。俺、やれるから」 夕暮れの塾の窓に明かりがともった。 (取材班=青柳知敏、杉藤貴浩、中崎裕、安部伸吾)=終わり ◇ 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「新貧乏物語」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp PR情報
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