金メダリストリレートーク
2016年11月30日・中日劇場
歴代五輪金メダリストが集結
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新貧乏物語第4部・子どもたちのSOS (5)連鎖
◆夜の算数、息子のため午後八時、名古屋市内にある家賃五万円のアパート。亜矢さん(20)=仮名=は二歳の一人息子を寝かしつけ、小学四年生向けの計算ドリルを棚から出す。 「84÷7」「96÷6」−。筆算が分からず、シャープペンを持つ手がすぐに止まる。その手の甲にある入れ墨を見るたびに、小中学生だったころの自分を思い出す。 亜矢さんは、母親に勉強を教えてもらったことがほとんどない。幼いころに離婚した母親は、子ども四人を一人で育てた。亜矢さんが小学四年だったときに六つ上の姉に脳腫瘍が見つかり、母親が介護の仕事を減らして看病した。収入を補うために生活保護を受け始めたが、ストレスだったのか、仕事が終わるとパチンコに行くようになった。 帰宅は深夜。「養ってあげているんだから手伝いなさい」。母親はそう言って、亜矢さんに夕飯を作らせた。勉強をする時間がなくなった亜矢さんは学校の授業の分数と小数でつまずき、漢字も読めなくなった。テストの点数はゼロばかりだった。 中学校の入学式。母親に「買ってきた」と渡された制服は、よく見ると姉のお下がりだった。「こんな貧しい家にいたくない」。一年生の冬から家出を繰り返し、警察に何度も保護された。繁華街でチラシを配って日銭を稼ぎ、遊び仲間とコンビニの前でたむろした。入れ墨はそのころ、格好いいと思って入れた。 勉強なんてくだらない。高校なんて意味がない。中学の卒業式には出席したが、進学せずにアルバイトで働いていたスナックや工場をすぐに辞め、クラブで知り合った男と一緒に暮らし始めた。でも、ひどい暴力を受けるようになり、八カ月で別れた。 妊娠が分かったのはその二カ月後、亜矢さんが十七歳の時だった。おなかの中で動く子どもがいとおしく、母親の反対を押し切って「育てる」と出産した。 ミルク代やおむつ代のためになるべく給料が高い働き口を探したが、入れ墨が邪魔をして不採用が続いた。消そうとしてカッターナイフでえぐると、血が止まらなくなった。「仕事は選べない」。出産の三カ月後、託児所付きのキャバクラで働き始めた。 とにかくお金。その思いで頭がいっぱいだったが、一歳になって立てるようになった長男が「ママ、ママ」としゃべり始めたときに、気がついた。お金はもちろん必要だが、親として、子どもにいろんなことを教えてあげなければいけないのではないか。 最低限の知識がなければ日常生活にも困ることを、亜矢さんは知っている。スーパーでは「5%引き」と「一割引き」のどちらが安いのか分からない。児童扶養手当の申請で区役所に出した書類も「同居」「配偶者」などの意味が分からず、窓口の職員に聞いて書き込んだ。 百円ショップで買ってきた計算ドリル。難しくてもあきらめないのは、自分のためだけではない。「『教えて』って言われたら、教えてあげたい。分かったら『良かったね』って一緒に喜びたい」 そんな母親になりたいから、亜矢さんは今夜もドリルを開く。 ◇ 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「新貧乏物語」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp PR情報
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