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新貧乏物語

第4部・子どもたちのSOS (4)孤立

麻子さん(仮名)は自宅の玄関で宿題をする。中学生になり、「友だちをつくる」と自分から同級生に話し掛けた

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◆私も青春味わいたい

 玄関の床。そこが、この春中学生になった麻子さん(12)=仮名=の勉強スペースだ。帰宅すると一時間半、しゃがみ込んで宿題をする。それから風呂に入り、ようやく居間へ。外からの物を持ち込ませないママの潔癖性が理由だ。

 麻子さんが一歳のころ、母親(57)は離婚した。父親は酒に酔って外から帰り、汚れた服のまま家に入って暴れた。事業に失敗すると、子どものために積み立てた学資保険まで穴埋めに使った。

 母親は体を壊して働けなくなり、収入が途絶えて心の安定を失った。夫の嫌な思い出からか、外からの汚れを極端に嫌うようになり、カッターで手首を切りつけながら「みんなで死のう」と叫んだ。

 離婚後、生活を立て直そうと関西から親類がいる愛知県に引っ越してきた。やっとのことで時給八百五十円の学童保育の仕事を見つけたが、がんを患い短期間ずつしか働けず、年収はわずか十数万円。月に五万円ほどの児童扶養手当に切り崩した貯金を足して、その日を何とか暮らしていた。

 小学生のころの麻子さんの朝食は、タイムセールで値引きされたロールパン一個。夕食は、ご飯とハム。給食がない夏休みになると、二食になるからやせた。

 ゲームは買えない。クラスのほとんどが遊びに行っている東京ディズニーランドにも、動物園にすら行ったことがない。話題についていけないのでグループから離れ、学校では誰にも話し掛けなくなった。休み時間、はやりのゲームの話で盛り上がる教室で、「私だけ離れた世界にいるみたい」と感じていた。

 誕生日プレゼントで年に二冊だけ母親に買ってもらえる本が友だち。学校の休み時間も、小説やアニメに出てくる主人公になったつもりで空想にふけっていた。クラスの人気者になった自分を思い描いていたが、現実はひとりぼっち。「私も青春みたいなの、味わってみたい」。話すのも、話し掛けられるのも嫌いになっていたが、やっぱり寂しかった。

 三月、卒業式の日。アルバムの寄せ書きを思い切って頼んだら、同級生に言われた。「麻子ちゃんの思い出、何もないもん」。暗い気持ちで帰った家。悲しさをこらえて開いたのが、離れて暮らしている大学生の姉(22)が、十歳の誕生日にくれた手紙だった。

 「麻子ちゃんの良いところ、すてきなところを、お姉ちゃんはたくさん知っています。笑顔を忘れずに!」

 学校で落ち込むことがあるたびに読み返し、「私の良いところを分かってくれている人がいる」と励ましてくれた宝物。十歳年上の姉もおもちゃや学用品を買ってもらえず、中学校ではいじめられた。それでも高校に入って友だちをつくり、奨学金をもらって大学で勉強している。

 「よし、中学では私も友だちをつくる」。手紙を読み返しながら、勇気が湧いてきた。入学式の前の夜、頭の中で何度も練習した。居間に敷いた一畳の大きさの電気カーペットの上。母親と二人、一枚しかない掛け布団をかぶって。

 ドキドキしながら迎えた式の朝。麻子さんは体育館で振り返り、後ろにいた子に自分から声を掛けた。

 「はじめまして。私、麻子って言うんだけど、名前は?」

      ◇

 連載にご意見をお寄せください。〒460 8511(住所不要)中日新聞社会部「新貧乏物語」取材班 ファクス052(201)4331、Eメールshakai@chunichi.co.jp

 

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