辻 清人
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第69回
2013年04月10日 放送

自民党 辻 清人 衆議院議員

(以下、動画より文字おこし)

自民党 東京2区 1期目

●幸せ度数年表

(ダブルクリックで拡大)

第69回辻清人

 

1979年、台東区生まれ(浅草の近く)。4歳でカナダのバンクーバーに移住。父が日系のカナダ人。DNAは日本人。17歳までカナダで過ごし国籍も2つあった。辻清人という名前は17歳から。生まれた時の名はアンドリューなので、今だに母や親戚にアンディと呼ばれる。今33歳だが、半分アンディ、半分辻清人。10歳の時、父が失踪した。母はどうしようと思ったが、当時、自分は「日本にもどりたくない」と言った。その頃は赤面症で、むこう(カナダ)の学校では発言する事が多いので、赤面するたびにいじめられていた。日本でのいじめは陰湿で、単一民族なので重箱の隅をつつく様ないじめになるかも知れないが、むこうでは色々な人種がいるのでいじめも分かり易い。父は家を出てから戻らず生きているかどうか、自分が国会議員をやっている事も知っているかどうかも分からない。離婚の手続きをしていなかったが、母も語学の問題があって法廷に立つ事もなく、ハーグ条約といって日本人の女性が欧米の男性と海外で結婚し子供を産んで離婚し、子供を連れ去るという事が多い事に対して忸怩たる思いがある。父には蹴られたりしていたので正直ホッとしていた。弟と二人兄弟。11~17歳までの特待生として奨学金を貰って全寮制の男子校で過ごした。人前に出ると赤面するので一生懸命勉強する事しかできなかった。英国系の学校だったのでラグビーとレガッタを強制的にやらされたがラグビーはずっとやっていた。13歳で政治家を志す。リンカーンも上がり症で、当時はテレビもラジオも無いので誰か街頭演説をするのを見て真似るところから始めた。ジュニアハイスクールになるとディベート授業が多くなり、赤面症の自分は「おわった」と思ったが、その時の恩師が、最初の授業で案の定喋れない自分に対して「リンカーンという人間がいて…このビデオを観てみなさい。自分の不得意な事を目指すのは人間にとってのチャレンジ精神だ」と言ってくれた。そして自分とは対極にある、人前で悠然と喋る政治家を目指す事になった。日本もカナダも政治家は、自分の守るべき事は守り、人前で言葉とハートを使うという事では共通している。13~17歳の思春期に、自分のアイデンティティについて毎朝鏡でアジア人の顔をした自分を見て考えた。バンクーバーはアジアの移民が多く、中国、香港、台湾、韓国から子供をアメリカの大学に入れて良い生活をさせたいと寮に入れた。学校の6割はアジア系だったが、その中で自分は日本人としての自覚をし皆と同じにアメリカの大学へ行く事もできたが、自分は政治家を志す事と日本に帰るという事がリンクして「日本で政治家になる」と決めた。インターネットのまだ普及していない時代だったので自分で調べてお金が無いので国立大学に行こうと思い、17歳だったので飛び級を認めてもらって京大に入った。日本語は母親との会話しかなかったが、母親は読書家で池波正太郎や司馬遼太郎などを読んでいた。アジア人は一杯いたが日本社会と接点が無かった。
同級生は京大だろうが東大だろうがアメリカの大学ではないという事でレースから外れたと思って笑われたが、自分としてはそんな事に関係なく嬉しかった。16歳の時に自分の国籍を決める時に、母親の旧姓が「辻」で、母に「あなたの名前は清人よ」と言われてびっくりした。大学では「辻」「清人」と呼ばれても即座に反応できなくて変な人だと思われた。周りは皆日本人の顔で日本語なのでパラダイスだと思って帰ったが、現実と理想のギャップがあった。自分は東京の人間だが大学では関西の人が多く、同世代の小中高を日本で育った人の中で目が青ければ分かるが、ギリギリ日本人の顔をしている自分は見た目は同じなので「こいつ少し変だぞ」という空気になってしまった。クラスの会でドラゴンボールの話になった時に、全く知らなかったので皆がひいてしまったので、これは拙いと思った。大学に入ってまず何をしたかと言うと、同世代の人たちに不審がられない様に同世代の人がやったであろう事をバックトラックして学んだ。ミニ四駆の事や話題になった時に知っていないと一体感が生まれないし、飲み会に行っても空気が読めなかったりするので。郷に入っては郷に従うのは大切。今、母はカナダ、弟はオーストラリアに居る。自分はまだ独身。↘リクルート入社。学生の時に将来政治家になる為に官僚になろうかなどと色々考えたが、結局自分探しで手間取ってしまって、最終的に決めたのはリクルートという会社だった。日本を支えているのは企業、ホワイトカラーのサラリーマンだと思い、営業の仕事で社会人として素養をつけたくて一番エネルギーのあるリクルート社にした。就職氷河期だったが全体的に前向きの人が多かった。それとすぐに辞められそうだった。政治家になる為といずれ専門化する為に留学をしたかった。3年弱で辞めてニューヨークのコロンビア大学の大学院に行った(25歳~2年間、2007年迄)。仕事をしたくて行ったので、その後ワシントンのシンクタンクCSISという安全保障の研究所に入った。小泉進次郎が同じ大学院に留学していて、取る科目も同じ政治なので意気投合した。彼は同じシンクタンクに先に入った。自分が言うのもおこがましいが、彼は本当に気持ちのいい男だった。32歳で帰国して去年衆議院当選まで1年位。3・11があって日本に帰ろうと思った。自民党は100%ではないが、直観的にも自分にとっては数ある中で一番座りが良く、自分に嘘をつかなくても良かったので自民党から出たかった。東京2区は深谷隆司元大臣のところ。自分の出身地台東区に地縁がある東京2区は、深谷氏が引退を決意され、公募で何人か残っている中、一番若い自分を選んでくれた。深谷氏は政治の師匠でもある。公認が去年の6月でいつ解散してもおかしくない中、民主党の支持率がドンドン下がって半年で選挙になった。17歳で帰国して選挙まで9割9分の人が(当選は)無理だと言っていた。13~17の時は外国の人には自分は政治家になれると言ってもらっていたが、日本では「三バン」が無い、公認を得た後も「時間」が無いと「無い無い」と言われたが、カナダで育ってきたのでそれ程気にしなかった。選挙活動では、素直に人に接しこちらが胸襟を開けば相手も開いてくれる。今でも戸惑う事は色々あるが翌日まで残る事はない。個別訪問も宇宙人かと思われたかも知れない。大学とリクルート社で矯正できたが素っ頓狂な事をやっていた。日本女性とはいちおうつきあった事はあるが、ずっと小中高と男子校だったので縁が無かった。日本に帰って来て日本の男女の奔放さにびっくりした。手袋して握手する感覚で付き合ってしまうし、電車の中吊り広告なども朝から勘弁してくれと思うきわどいものがある。皆どこの国でも男は考える事は一緒だが「見せ方」があると思う。自分は恰好をつけて隠してしまうタイプ。隠し通して33年(笑)。

●最近の政治トピックス

(放送当日は北朝鮮がミサイル発射をするかも知れないという状況)やはり外交。国政でしかできない事をやりたい。自分が地方議員を経ていないのはプラスマイナスあるが、日本がこれから国際社会の中できちんとしたプレゼンスを保つ為には外交と国際経済が大切。日本の良さを海外に知ってもらい、日本の商品を買ってもらったり、日本人、国としても認めてもらう。平和を維持しながら先進国として責任を持って歩むという事は今までもやってきた事だが、世界では国際化の波がドンドン押し寄せているので日本はそれをうまくスマートに軽やかにできる筈。言語の問題も自分は好んで海外に行っていた訳ではないが自分にとっては天命だと思う。「日本語は上手い」と言われる。夢の中に外人が出てきたら英語で喋っている。日本という島国は見渡してみると一筋縄ではいかない国に囲まれている。ロシア、中国、北朝鮮、歴史問題も含めて韓国、台湾など。太平洋の入口に北海道から沖縄まで位置しているのでそういう国々とうまく付き合っていかなくてはならない。その中で北朝鮮の政権が移行して外堀を埋められ追い詰められた子猫の様になってどうにかしなくてはならないと、今こうやって話している最中でも(ミサイル発射の)燃料は入れていていつ日本側に発射してもよい状態が続いているが、平和国家日本がどういう風に屈せずにうまく対話の方向にもって行くか。北朝鮮は本当に拉致問題も含めて許しがたい国。だからと言って日本国一国でどうにかできるという時代ではない。だからこそ六者協議もあったし国連を通してアメリカや韓国と協力しながら徐々に外堀を埋めていっている。北朝鮮は核実験やミサイル発射を行っているが、それに屈するようではだめ。今は、役所に詰めてPAC-3を要所要所に待機させ万全の警戒態勢を敷いている。政府の今の態勢に心配はないが、この数十年通して言える事は「平和ボケ」。一般有識者の意識がどれだけついて来るのかなと思う。あまりにも警戒心が強く会社を休む人が沢山いても困るが、「仮にミサイルが飛んできたらどうしよう、その為に何が必要か、国の在り方や何故外交や国防が必要か」をどこか心の中で思っている人たちが増えて欲しい。我々の世代でも日本が軍隊を持たな事や「日本てどこかおかしい」と話す事はある。自分は日本で義務教育を受けていないが、日本の事は自分で研究、勉強して、歴史認識は違うかも知れないと思ったが、成人してからは自分の方が知っている事が多かった。明治維新の頃の事は司馬遼太郎ブームで「坂の上の雲」の史観が多かったが、学校の歴史の授業ではそこまで深掘りしてやっていなかったのだと思った。一般には、信長、安土桃山、鎌倉時代の事や年号などは詳しかったりするが、日本の満州事変からサンフランシスコ講和条約までの20年間位は空白になっていて、日本はこうだ、正しいのだという事を、資料を冷静な目で公正に見ないと堂々巡りになってしまう。竹島も尖閣諸島も日本のものだという事を歴史的に証明できるので、同じ土俵に立ってああだこうだと言っても前に進まない。そこは主張する事はして裏付けを取る為には勉強しなくてはいけない。自民党と自分の考えは一致しないところもあるが、ほぼ大同小異。一致し過ぎても政治は怖い。色々な視点があって最終的な落としどころを見つけるのはやはり自民党と、この4ヵ月議員生活をやっていてそう思う。議論するという文化が根付いている。部会、委員会、議連もそうだが、発信をすればそれに対して応えてくれる。部会、議連であれば誰でも手を挙げて発言できる。自民党には「宴席に上下あり、議論に上下なし」という言葉があるが、新人だろうが誰だろうが発言は聴いてくれるのでとても良い事だと思う。

●今だから言えるあの日のあの出来事

緊張する場面は何度かあるが、去年初めて深谷先生に会う事になって新宿の某ホテルの一室に先生を訪ねた。心の中では、深谷先生はもう一回出馬するんだろうなと思っていた時だった。突如連絡があり来てくれと言われ初めて会った。そこで30分程面接の様に「君はどういう人間なのか」と聞かれるところから始まった。(深谷先生は)50年間政治をやった方なのでオーラがある。緊張して手の平を見たら汗が見え自分はこんなに緊張するのだと思った。話も緊張してしどろもどろで、これはダメだと思い、深谷先生にも「そんなんじゃダメだ」と言われ「どうしよう、一体どうやって生きていこう、政治家になりたが…」と思っていたら、自分のどこを見たのか認めてくれた。あれが人生の転機。1年前はまだ何も決まっていなかった訳だから、去年のゴールデンウイーク明け位から、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』で西郷隆盛の事が書いてあったが、翔ぶが如くとはこういう事かと思った。自分では意識しないがこういうご縁を頂き、その中で人生が動く、それならこの流れに任せてみようと思ったのがこの1年間だった。そういうご縁は不思議なもので、深谷先生には赤の他人の自分がこんなに甘えてしまって良いのかという位お世話になった。人生うまくできているもので父親がいなくても父親の代わりに随所随所に出てくる。顔の濃さでは(深谷先生に)似ていると言われる。

●質問コーナー

Q:世界の外交、国際政治を考えて、日本は常任理事国を目指すべきと思うがどう考えるか。
A:仰る通り。今は勝戦国として5ヵ国が常任理事国として入っていて、安全保障の議決はその中の一国でも反対すれば通らないとなっている。非常任理事国から持ち回り制でその中に入るという事で、今韓国が入っている。そのシステムの中で日本が国連に払っている分担金は世界第2位(第1位はアメリカ)。日本は国際連盟から一度脱退したという引け目があって、軍隊は持てないが高度経済成長の中でODAも含めて国連等に多額のお金を出している。アジアの開発銀行も日本が主導して作った機関だが、アジアの中でリーダーシップを取っていく為には国連の重要性も高めなければいけないし、その中でやはり日本が高いプレゼンスを持って然るべきと思う。根回しは日本もしているが、中国、韓国は(日本の常任理事国入りを)反対している。他にもインドなど常任理事国に入りたい国は一杯あるがG20ではないが、5ヵ国ではなく新しい枠組みを作る。日本に賛同してくれる国は多いので、外交でまず根回しをし、早い時期に常任理事国体制は変えなければいけない。

Q:ネット選挙について、アメリカと事情はどう違うか。
A: ワシントンに居た時はブッシュ政権末期からオバマ政権第一期にちょうど一致しているが、オバマ大統領ほどネット選挙を上手く使った方はいない。オバマ氏が大統領選にネットを使ったのがブームのきっかけでまだ長くはない。確かに使えるツールは違っていてHPも独創的だし献金の仕方も多種多様である。これは鶏と卵の例えかも知れないが、近々日本でもネット選挙が解禁になる可能性は高いが、では、Facebook 、Twitter、Lineを利用しても若い人たちが政治家の手伝いをしたり選挙に関心を持ってくれるか。アメリカはネットが普及する前からも大学に共和党、民主党の党員グループがあったり(日本では禁止されているが)ボランティア活動していた人が多く、その中でネットを使うという若さをアピールした。元々政治に対する志がある程度あるという文化がベースにあった。人に自分の意見を言ったりする事が好きな人が多く、税金の行方はどこだ、という事を言えて然るべきだという教育があったので、日本ではどういう風になるか。アメリカでもネット選挙はまだ実験段階だが、元々そういう下地があったのは大きい。日本語で書かれているブログは世界で一位。日本人はペットや子供の事を匿名でブログに書くが、外国だと自分の顔写真に親指を立てて「最高!」という感じ。ミシュランなどではなく、日本ではブログなどで批評を見た方が分かる。アメリカ人は「自分はこう思う」と実名で書く。日本では公務員などがバードウオッチング、ゴルフなど日々の趣味の事をかなり詳細に書いているが、自己顕示欲を会社では出せなかったりして「自分はこういう人間だ」という発露がブログやSNSだったりするのとは違う。

●その他

都連でお世話になっている丸川珠代議員をご紹介くださる。ご主人の大塚拓先生に顔が似ていると言われるが、「金の無い大塚拓」(笑)。党のパーティー券を売るのはリクルート社の営業で慣れている。こういう番組があるから普段言えない自分の事も言える。