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日教組委員長

 投稿者:大城  投稿日:2016年10月13日(木)01時30分35秒
  日教組委員長、ダブル不倫
その上、組合費で豪遊と

権力は腐敗します
監視が必要です

所で今日の投稿の多さにビックリしました
10.12
大御本尊図顕の日ですね
 

獅子の子様

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年10月13日(木)01時24分30秒
  ご心配して頂きありがとうございます(^-^)まだ退院したばかりで、身体はやはり疲れてます。少しずつ題目をあげてます。  

八尋みのる様へ

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月13日(木)01時03分23秒
  K林の出版社は 池袋から板橋に 異動・転居してますよね 池袋の元住居は 現在賃貸マンションになってます 当時は 夫妻の表札と 大きな監視カメラがありました お金が動いた事は確かです  

奥様のエピソード

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月13日(木)00時38分53秒
  先日、仕事(塗装業)のお客さんからうれしい話を聞きました。
船橋に住む方で、休憩の時にその奥さんから「私の同級生に創価
学会の名誉会長の奥さんがいるのよ。その香峯(かね)ちゃんと
女学校時代6年間席が一緒だったの。香峯ちゃんて今でも女学校
時代の同級生全員と交流を持ってるのよ(257名)。感心しち
ゃうわ。」というお話でした。

先生の奥様のことは学会員でもあまりよく知らないですが、会員
でないその方から聞かされてうれしくなりました。
私なんかはこの間30年ぶりに小学校の同窓会に行きましたが、
お互い誰が誰だかわからないぐらい変わっていました。

友人を大切にとよく言われますが、何十年もずうっと交流を持っ
ていらっしゃる先生の奥様に感動しました。
私も30年ぶりに再会した、千葉に住む同級生を大切にしていき
たいと思います。
 

Who am I ? は、アルベア論へ

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月13日(木)00時27分52秒
  『私は、誰?  』映画の場面ですね。通行証を破り捨てて、マドレーヌと名前を変え宝飾工場の経営者となり、国王からの勅命で市長にもなった。
しかし、警察署長のジヤベールは、馬車の下敷きになったフォーシェルバンを怪力で救い出すマドレーヌ氏を見て、ジャン・バルジャンと見抜き仮出所で逃亡している人物に間違いないと法審院に訴え出した。ところが、逆に別の事件でジャン・バルジャンは既に捕らえられていると通知されて、その失意の旨をマドレーヌ市長に話します。

ジヤベールからジャン・バルジャンが捕らえられたと聞いて、マドレーヌ氏(本当のジャン・バルジャン)は、ミリエル司教より言い渡された言葉を思い出します。『此の銀の食器は、貴方が正しき人になるためのものです。約束しましたよ。』と。

フォンテーヌを苦境から救い出し、コゼットを迎えに行かなければならない、多くの貧民を雇い入れている工場はどうなる?諸々の善行は?全てを捨て去らなければならないのか?
いや、黙ってマドレーヌで居れば良い?
Who  am  I  ?と自問自答する映画のシーンですね。
様々な事が頭をよぎり、一晩悩み続けたマドレーヌ氏は、早馬車を呼び無実の身でジャン・バルジャンとして極刑を言い渡される者のために裁判所に姿を現します。そして裁判所長に対して、腕の入れ墨を見せて自らがジャン・バルジャンであると宣言します。そして、再び囚人となる。後のストーリーは前出の通りです\(^o^)/

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月13日(木)00時16分53秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2010.2.6 【新時代第37回本部幹部会・創立80周年記念第3回全国青年部幹部会】

■ 一、どうかリラックスして、自由な気持ちで聞いてください。
 私も、懇談的に話をさせていただきたい。
 一、戦う青年部の幹部会、本当におめでとう!
 〈「ありがとうございます!」と会場の青年部から勢いよく返事が〉
 青年部がいてくれれば安心だ。
 次の時代をつくるのは、青年部に決まっているのだから。
 私も戦った。青年部時代、本当に師匠にお仕えした。
 恩師・戸田先生の命を受けて、一番伸び悩んでいた支部を担当し、全国一の支部に押し上げたこともある。
 学会は、そこから、ぐんぐんと前進していった。そして今日の学会となった。
 真剣だった。必死であった。
 私は「師弟不二」で勝った。
 「大作は、名前の通り、大きく作るな」と先生は喜んでくださった。
 わが青春の誉れの歴史である。

●豊作・豊漁を皆で祈ろう!
 一、海外の同志の皆さん、本当に、ようこそ! 懐かしい同志とお会いできて、うれしい。ありがとう!(大拍手)
 無冠の友(配達員)の皆さん、寒風の中、毎日、本当にありがとうございます! どうか、お体を大切に!(大拍手)
 農漁村部の皆さん、尊い活躍、ご苦労さまです。今年も、豊作と豊漁を皆で祈りたいと思います!(大拍手)
 音楽隊の皆さん、合唱団の皆さん、いつもいつもありがとう!
 学会は、音楽隊の力強い演奏とともに、そして合唱団の明るい歌声とともに、きょうよりまた、一段と団結固く、威風堂々と大行進していこう!(大拍手)

●苦しみと楽しみの境はどこに
 一、何のための「人生」であり、何のための「信仰」か──。
 喜びに生きゆく人生。
 苦しみに生きゆく人生。
 悲しみに打ち砕かれていく人生。
 不幸という縄に縛られて生きていく人生。
 生き生きと勝ち抜いていく歓喜の人生。
 人の生き方は、さまざまである。
 社会が悪いからという理由もあるだろう。
 一家が貧しいから、そうなってしまうということもあるにちがいない。
 勝利の遊楽と、敗北の地獄の苦しみ──。
 人生はさまざまである。境遇もさまざまである。
 人生の成功と失敗、楽しみと苦しみの境は、いったい、何によるのか?
 それは複雑であり、微妙である。
 しかし、南無妙法蓮華経は、「絶対勝利」の法である。
 「常楽我浄」の悠然たる長者の生命となりゆく仏法なのである(大拍手)。
 南無妙法蓮華経を持《たも》つことは、いかなる財宝を持ち、大邸宅を持つよりも、ずっとずっと裕福なのである。
 南無妙法蓮華経は、大宇宙の生命であり、根源の法である。それを唱えているのだから、何の心配もない。
 日蓮大聖人の仰せには、絶対に嘘はないのである。
 幸福と勝利のための我らの信仰であり、信心である。
 永遠唯一の御本仏であられる大聖人の仏法の実体である。
 我々は、この人生を、この大仏法とともに、悠然と勝利、勝利で進んでいこう。
 何ものも恐れぬ「幸福街道」を、自分自身も、家族全体も、多くの友人とともに、生き生きと、はつらつと前進するのだ。
 わが生命は、楽しむ一生を送るためにある。不幸という、悲しみ、苦しみ、敗北の人生には、絶対になってはいけないし、絶対にならないのだ。
 これが妙法の信仰である。
 これが宇宙第一の大聖哲・日蓮大聖人の教訓である。
 何と偉大なことか。
 皆、この人生を、楽しみ、勝ち抜いて、朗らかに、大満足して、価値ある一生を送っていこう! そのための仏道修行なのである(大拍手)。

●恩師の生誕百十周年に寄せて
 一、今月十一日は恩師の生誕「百十周年」である。
 戸田先生の指導を学びたい。
 先生は言われた。
 「歴史の歯車は、一瞬もたゆむことなく、前に前に前進してやまない。
 青年よ、勇気と情熱で突破口を開け!
 君たち青年がいるかぎり、学会は永遠に盤石である!」
 青年がいるか、いないか。
 その青年に力があるか、ないか。
 これで未来は決まる。会社でも、国でも、全部、そうだ。
 広布の未来も同じだ。すべて青年で決まる。これが根本法則である。

●社会のために 平和のために
 一、若さこそ力だ。
 戸田先生は、青年に大きな期待をして、こう語られた。
 「一人の強き生命力が、他の人の生命に影響を与え、変えることができるのだ。この働きを、最も確実に推進する力が、妙法なのである」
 正義を貫く青年の確固たる生命力こそが、相手の心を変える。社会を変えるのだ。
 平凡に生きる人生。それもいい。
 気ままに暮らす人生も、いいだろう。
 しかし、瞬間瞬間。心は動く。宿命や乱世の波もある。心を強く、豊かにしていかなければ、一見、自由なようで、不自由な人生になってしまう。
 根本的な人生の光、生命の勝利は、いったい、どこにあるのか。
 それは、やはり、社会のため、世界のため、平和のために生きる中に輝きわたるものではないだろうか。
 皆の幸福のため、連帯のため──そうした大目的の柱を持だなければ、独りぼっちで、あてどなく流浪するだけの人生で終わってしまう。
 人のため、妙法という大法のため──この広宣流布の尊き使命に奮い立つ時、わが人間革命の劇が始まる。
 大宇宙を動かし、三世永遠を貫く南無妙法蓮華経である。
 題目を唱え、妙法にわが生命を合致させながら、絶対的幸福の軌道を、楽しく歩み抜いていただきたい。
 青年部の皆さん、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉

●「根本の道」を忘れるな!
 一、戸田先生は、最前線の“草の根”の集いを大切にされた。
 若き友に、こう呼びかけられた。
 「座談会に出て、学会活動の第一線に出て、妙法の力で、人々を救っていくのだ。何万人とも対話するのだ。広宣流布の組織を盛り上げるのだ。一生懸命、仕事をするのだ。足元をしっかり見つめて戦うのだ! そして、勝つのだ」
 座談会に出ている人は?〈「ハイ!」と元気に皆が挙手〉
 幹部から先頭を切って、座談会に参加しなくてはいけない。
 男子部が勇んで座談会に出席する。そうしたら、会場にいる婦人部や女子部の皆さんも、「ああ、こんな立派な青年がいたのか」
 「こんなに素晴らしい、若き指導者がいたのか」と感嘆する──そういう諸君であってもらいたい。
 若い皆さんは、どうしても目先のことに心を奪われ、「今がよければいい」と思いがちだ。
それはそれで自由であるけれども、人生の根本の道だけは、忘れてはならない。
 福運を積み、人を救い、平和をつくる根本の道を教えるのが、創価学会である。
 だから今、創価の友は、世界中にいる。どんどん伸びている。
 我らの平和・文化・教育運動への賞讃は、国を超え、あらゆる垣根を超えて、広がっているのである。
 日蓮大聖人は、末法万年の未来を見つめておられた。少しも、あせることはない。
 布石は、すでに打たれている。歴史の潮流は、人間主義へと向かっている。
 それを深く確信し、大きな心で進んでいただきたい(大拍手)。

■ いわんや、我らには無敵の妙法がある。
 社会の繁栄、民衆の幸福のための大言論戦に、「断じて勝つ」と決めて、祈ることだ。
 誰かにやらせるのではない。自分が、わが身を惜しまず、戦い抜くことである。
 不惜身命の精神で進め!──こう戸田先生は指導された。それが、大聖人の仰せであるからだ。
 壮年は壮年らしく、青年は青年らしく、立ち上がっていくことである。
 広布のために、何ができるか。日々、心を砕く。時間を捧げる。苦労をを買って出る。
そして、いざという時こそ、決然と、正義に生き抜く。これが大事だ。その覚悟が、わが境涯を大きく開いていくのである。
 ともあれ、若い人もいれば、年配の人もいる。千差万別である。皆が伸び伸びと、
 ゆえにリーダーは、皆が伸び伸びと力を発揮していけるよう、聡明な指揮をお願いしたい。
 法華経に「衆生所遊楽」とある通り、我らは本来、楽しむために生まれてきた。たとえ年齢は重ねても、信心根本に、心晴れ晴れと広布に邁進していきたい
(大拍手)。

 一、大聖人は釈を引かれ、法華経の行者の境涯と力用について、こう仰せである。
 「横には十方世界(全宇宙)に遍くいきわたるから弘《ひろ》しといい、竪《たて》には三世にわたって法性の淵底(一切の諸法が拠りどころとする根本の真理)までも極めるから深しというのである」(御書571㌻、通解)
 仏法は、大宇宙を貫く根本の法則である。その功力は、全世界、全宇宙をも包む。
 どれほどすごいことか。身震いするほどである。
 広宣流布の戦いに勝利する栄光は、永遠に不滅である。ゆえに今世を、断じて勝ち抜くのだ。

●庶民の誇り
 一、2月の16日は、日蓮大聖人の御聖誕の日である。
 大聖人は、安房国長狭郡東条郷の片海(現千葉県鴨川市の一部)の「漁師の子」として誕生された。御自身の出生について、誇りも高く宣言なされた。
 「日蓮は、中央の都の者でもない。地方の将軍などの(有力者の)息子でもない。(都から)遠く離れた国の者であり、民の子である。そうした庶民の出身である日蓮が、日本国で、七百年以上もの間、ただの一人も、いまだ唱えられることのなかった南無妙法蓮華経を唱えたのである」(御書1332㌻、通解)
 貴族でもなければ、富豪でもない。
 大聖人は、本当の庶民の代表として、全民衆の幸福のため、仏法を説いてくださった。
だからこそ、あれほどの迫害を受けられた。
 この大聖人に直結し、民衆の味方として戦う。これが、創価の三代の誉れである。

●仏のごとく敬え!
 一、御本仏・日蓮大聖人は、健気に信心に励む、広布の母たちを徹して大切にされた。
 「妙一女」と呼ばれる門下を、こう讃えておられる。
 「女性の身として、たびたびこのように(即身成仏の)法門について尋ねられたのは、ひとえにただごとではありません。
 教主釈尊が、あなたの身に入りかわられたのでありましょうか」(御書1262㌻、通解)
 大聖人の慈愛あふれる御手紙に、妙一女は、どれほど励まされたことであろう。
 無理解や反対を乗り越え、広宣流布のために、労苦をいとわず、真心を尽くして戦う女性が、いかに尊いか。
 この方々こそが、仏と輝くのである。如来の使いである。
 一番、尊貴なのは、創価の女性である。
 一番、偉大なのは、広布の母である。
 私たちは婦人部・女子部の皆様方を、仏のごとく大切にしてまいりたい(大拍手)。

●自分が変われ!
 一、今、大事なことは、「幹部革命」である。今年から、これまで以上に、この一点に力を注きたい。
 一人一人のリーダーが、さらに成長し、殻を破り、生まれ変わっていかなければ、新たな発展はない。未来は開けない。
 広布に進む同志を、心から大事にするのだ。皆が仏になりゆくための学会活動である。
一人ももれなく、偉大な幸福境涯を開いていけるように、尽くしていくのだ。
 戦いは、リーダーで決まる。その心に油断や慢心があってはならない。
 どこまでも、皆のために勝つのである。
 皆の心を信じ、本当に皆に喜んでもらえるような、皆が確信を持てるような指導をするのだ。
 リーダーに、断固たる決意と行動がなければ、壁を打ち破る勢いは生まれない。
 戸田先生は言われた。
 「一つの方針を定めたら、それを貫く意志力を持て!
 思い切って戦え!。
 戦いには、突進力がなければならぬ」
 誰よりも最前線に躍り出て、勇気の風を巻き起こす。それが広布の指導者である。
 万年の歴史に残る、この創立八十周年。
 今、各地で、新しき息吹のリーダーが「私は勝ちます!」と声高らかに叫び、走っている。本当にうれしい限りだ。
 わが地域に、永遠に輝く創価城を、皆の力で築いていただきたい(大拍手)。

■ 民衆が、団結し、勇気をもって声をあげることだ。その時、歴史は変わる。
 我らは今、新しい時代、新しい社会を築いているのだ。大変革の時である。何よりも、自分自身が、本気になって、人間革命しなければならない。
 強くなることだ。
 賢くなることだ。
 健気な庶民を見下し、威張る人間を、戸田先生は絶対に許さなかった。「民衆を馬鹿にするな!」と激怒された。その峻厳さが。生命に巣くう魔性を打ち砕いていったのである。
 心から民衆を敬え!
 真に民衆のために戦え!──先哲の血涙をしぼる訴えを、指導者は、断じて永遠に忘れてはならない。

●広布の祈りは全宇宙に響く
 一、戸田先生は語っておられた。
 「宇宙を変化させる根本の生命力、これを名付けて、南無妙法蓮華経というのである。
この妙法が、自分の中にあるのだ。ゆえに、自分の望む方向に変化させていけるのは、当然のことである」
 大難を勝ち越えられた大確信の言葉だ。
 妙法の力は、はかりしれない。「一身一念法界に遍し」(御書247㌻等)と示されている通り、信心の一念は、全宇宙に通ずる。広布の闘士の祈りは、いかなる状況をも突き動かしていける。
 たとえ一時は、祈りが叶わないように見えたとしても、徹して祈り抜くならば、必ず一番いい方向に行く。全部、意味がある。
 三世永遠の幸福をつかんでいけることは絶対に間違いないのである。
 先生は言われた。
 「真の仏法を、日本に、世界に、広宣流布して、全民衆を救おうというのが、創価学会の大闘争である。 これに参加し、戦う我らこそ、真の大功徳を獲得できるのである」
 大いなる誇りを胸に、喜び勇んで、創立80周年の大闘争を、晴れ晴れと勝ち抜いてまいりたい。

●それが私の一貫した祈りである。
 一、弟子ならば、青年ならば、師匠の正義を叫び抜いていくのだ。
 常に師匠のそばにいる──その心で仕える。一つ一つを、すべて師匠に報告する。私は、そうやって戦ってきた。
 夜を徹して戸田先生をお護りしたこともある。陰の陰で、師匠を支え抜いてきた。そういう弟子だった。師弟だった。
 青年部も、この魂を受け継いでもらいたい。
 また、私は青年時代から、年配の方々を大切にしてきた。真剣に戦ってくださっている先輩方への感謝を忘れずにやってきた。
 すべて、ありのままに伝えておきたい。

■ 一、幹部は、大誠実を貫くことだ。
 第一線で頑張ってくださっている同志を心から讃えていく。尊敬する。最敬礼していく。
温かく包み込んでいく。そして小さなことを大事にする。
 それが真のリーダーである。
 戦いに勝ったら「本当に皆さんのおかけです」と、深々と頭《こうべ》を垂れて感謝していくことだ。特に男性は、女子部・婦人部への感謝を忘れてはならない。
 また遠くから来られた人がいれば、「わざわざ本当にご苦労さまです」と讃えていくことだ。温かく歓迎することだ。
 大切な大切な同志の皆様である。
 同志に対しては、どこまでも優しく。皆にやらせるのではなく、自分が皆のかわりに苦労を引き受ける。皆に楽をさせてあげる。それが創価の指導者である。
 このことを深く胸に刻んでほしい。「公平」と「正義」。私は、これを実行してきた。だからこそ、学会は世界的な団体となったのである。

■ 妙法に勝る正義はない。信心を根幹に、民衆のために、正しいことを断行するのだ。正義こそ最も強い力である。
 この確信で進もう!
 きょうは、ありがとう! あらためて、海外の友に拍手を贈りたい(大拍手)。
 〈ここで名誉会長の導師で題目を唱えた〉
 朗らかに人生を生きよう! 絶対に負けないでね! 全員で万歳をしよう!
 〈正木理事長の音頭で「皆様の幸福、万歳」を三唱した〉
 皆さん、きょうは本当にご苦労さま!
 日々の奮闘に、心から御礼を申し上げたい。どうか、風邪などひかれませんように。
 海外の皆さん、きょうは遠いところ、本当にありがとう!
 お体を大切に! お達者で! ありがとう!(大拍手)
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月12日(水)23時36分40秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、皆様のご家族が健康であります様に
おやすみなさい
 

柳原滋雄氏の「悪魔の証明」

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)22時57分37秒
  すんません、今日これで最後です。

------------------ --------------------

柳原さん、
「どこかから金をもらって宿坊批判を始めた・金銭的バックが存在・・・・・・しないことを証明する」方法。。

ちゃんとした仕事をすることです。食べていくに事欠かない収入があると皆に納得させることです。
ジャーナリストを名乗るなら、毎朝、脈絡のないテーマも定まらない日記を書き散らすのではなく、
きちんとテーマを決めて、自分で足を運び、まとまった文章を原稿用紙何枚でもいいから書こう!
オファーがなければつてを使ってでも何処へでも売り込みに行くことです。何度でも、めげずに。

もっとも、ここでecoさんがおっしゃていた菅野完さんも安田浩一さんも、あなたが嫌う公明党以上に
バックの宗教貴族が大嫌いなはずなので、あなたの今の立ち位置じゃ力にはなってくれないかも・・・ですが。

“マスコミ底辺”にかつていた自分も含めて、ここのみんな、あなたのこと心配してるんです。
だって、腐っても、便器の奥にこびりついてメタンガス発酵していても、、大切な同志であることには変わりありませんから。。。

お互い頑張りませうね! ジッショーを示しませう! あなたの大切な地元組織の方々のためにも。

----------------

追記; イケディアンの住人さま、ご賛同のレスありがとうございます。

   明日か明後日、「21世紀・・・」第3回を投稿します。

   どうでもいいけど、わざとかもしれんけど、ここも読解力のない人多くなってきたなあ・・・て感じ。
 

同盟題目23時開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)22時53分42秒
  任意参加です。よろしくお願い致します。
やはり、題目が原動力です。しっかり祈ります。
 

松戸氏の批判をすると叩かれますね。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月12日(水)21時59分37秒
  私は新参者ですが、反板の回し者ではありません。松戸氏のドイツ語の著書も読んだことがあります。氏は題目パワー研究所を組織して、独自の本尊授与をしています。新宿での講演も拝聴したけれども、もう私にはついていけない境智の方ですねぇ。まぁ、私には今の松戸氏を同志とは呼べません。  

ドミサイル信濃町の入居者さん

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)21時47分51秒
  だからあ、、、松戸さんのその後の去就はここでは問題じゃないの。
宗門との訣別で「さあ、これから本物の民衆仏法を先生の指揮のもとで世界に展開するぞ!」って意気軒昂に立ち上がった。
その時に皆で議論を進める叩き台の一つとして松戸さんの論考があったことに意味があるの。
20数年前のそのかけがえのない日々に一人ひとりが魂の独立自尊、どこまで自立と自律の精神を鍛えあげたかが大事ってことなの。
松戸さんでも他の人でも自分以外の誰かが完全無欠のテキストを用意してくれるんじゃなくて、自分で白紙の1ページ1ページを埋めて行けたか、それは今も続いてるか、、、そういうことなんやて。

歴史の傍観者、アウトサイダーになっちゃいけんよ。。
 

松戸行雄氏の退会

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)21時26分30秒
編集済
  ・・は間違いありませんが、退転ではありません。

今でも、立派に大聖人の仏法を宗派を問わず、イスラムの人々にも伝えておられます。

退会の事情は別の理由。今でも、先生に対してだけは尊敬の念を持っておられますよ・・

ああいう素晴らしい方を擁しきれない、器の小さい欧州SGIに問題があります。


生涯広布
 

松戸行雄氏の退転、脱会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月12日(水)21時13分16秒
  宗門との教義論争に勇戦した、かつてのドイツ在住教学の俊英も今は退転、脱会して"中立"を名乗っています。今年、2016年3月には、来日し、法華仏教研究会か法華コモンズで、講演もしています。かつての孤軍奮闘の勇者も、今は昔の夢物語。  

賛成です!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年10月12日(水)21時12分41秒
  信濃町の人びと様に賛成です!
教学についてのモヤモヤ感がスッキリしました!
ありがとうございます!
 

黄金の3年とは

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月12日(水)21時04分34秒
  正義の走者様 信濃町の人々様の投稿内容に賛同いたします
1282年(弘安5)大聖人さま御入滅
1284年(弘安7)大聖人さまの墓所輪番制をめぐる五老僧の背反?ー美作房御返事(編年体御書P1729~)
当方の心の中の池田先生は「獅子身中の虫」はご存知です なったって 法華経の行者の総大将だもの

 

不安なんか放っておけ!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)20時35分10秒
編集済
  >>悪の退陣あと本尊どーするか、の展望に迷路を感じます。心配性なんですわーゴメン、また叱ってな。<<

同じように感じている方が多数居られるのてはないか。
を想定して書きます。

不安なんか放っておけ!
かつて、池田先生が大リーグ入りする岩隈投手に対して、言われた言葉です。
大白蓮華にも、岩隈投手の信仰体験として、掲載されていましたね。

自分がどうなのか。一切はそこにあります。
どんな苦難や困難があっても、乗り越えていくのは自分ではないですか。他人に自分の師弟を委ねてどうするのですか?

イケディーさんが、Les Misérablesを展開されています。
ジャンバルジャンは誰ですか?

who  am I?

迷路なんかありませんよ。
師弟があれば一切は乗り越えていけるのです。
実は、皆さん、ひとりひとりの師弟について
試されているだけなのですから。

自分自身と創価学会の発迹を頼む!

自分自身の発迹顕本をせよ、と師匠が言われているのですよ。

本当の創価学会は自分の中にあります。
私が創価学会であり、私の中には常に池田先生が厳然といる。

そうした、ひとりひとりに成っていかねばならないのです。


 

小作人@地上の発心さま、全くその通りです!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)20時30分7秒
  松戸さん、散々と日顕宗から叩かれ、学会側は知らんふり(-_-)
教宣で、必死になって現場が対論していた時に
、今の創価村貴族の面々は、のんべんだらり、派閥作って分派活動していたのでしよう。今に至って、教学改変?先生のご指導との整合性が?何を言ってるの、そんな話は十数年前に終えていなければならない話です。

専門外の宮田教授を使って新たな教学を???
ノーベル経済学賞の解説を法学部の教授に依頼して、訳の分からない説明しているに等しく、素人が聞いていても???の話で呆れてしまいました(-_-)
 

追記

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)20時27分53秒
  あと、こないだから私しつこく「花野充道」について書いてますが、閲覧されている方、お暇な時にでもこの名前で検索かけてみてください。
正信会時代からのこの男の言動、どんな人間が彼を持ち上げて、どんな人たちとトラブルを抱えているか、いろいろ出てきますので。
加古川市の浄福寺を根城に約20年、脱会者・法華講を使嗾して反学会活動に励んできたのだけど、まあ兵庫以外じゃ知名度ないマイナータレントかもしれんけど、還俗したから過去の事は水に流そうって話じゃないはずなんです。

問題は、宮田・中野の両創大教授も、またあの学術大会に出席した原田・谷川両名にしたって、そういういわくつきの来歴を持つ人物を、なぜわざわざあの時期に、創価学会の教義の根幹に関わるデリケートな議論を展開する場に呼んだかってことなんです。
宮田教授への破折も大事だけど、こちらのほうにももっと意識を向けてほしい。

それで、4.24について信濃町史観では相も変わらず「衣の権威が~」で宗門が発火点となって、それにヤマトモとか原島とか最高幹部のうちの“ごく一部の”反逆者が結託して先生を会長辞任に追い込んだ“ストーリー”なのは皆さん周知の通りで、いわば「宗門主犯説」の見解を固守しているのだけども、、、
それなのに“主犯”グループの最重要容疑者の一人をああいう場に何食わぬ顔で出させた。会長や主任副会長が分かっていて花野を破折することもなく平然とその場にいたということが、それこそ信濃町史観が全くの虚構であるとの逆証明に行きつくんですよね。
聖教紙面でのあの秋谷の反省の弁なんか心にもないことしゃーしゃーと書いてたってわけです。

兵庫県民として一番シャクにさわるのがですね、、主催者も出席した原田・谷川も「もうこいつ(花野)のこと、現場の学会員は誰も知らないだろう、覚えてないだろう」と、舐めくさった態度で彼を呼んだのがあからさまであること。
4.24から三十数年、いやもっと前からだけど面従腹背、こいつら先生も末端会員も馬鹿にし切ってきたのがこの件だけでも一目瞭然なんです。
馬鹿にされてるのは人生行路で「ルネサンス」を開花させなかった彼らのほうなんですがね。。。
 

一線引いて叱られて

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月12日(水)19時49分7秒
   血気盛んなひかり様に叱られて光栄ですよ。江戸っ子たんかの切れ味を伺うにつけ現代のジャンヌダルクもかくや、とひかり様には喝采しています。
 昨年この板に出会いました、秋や原だ谷川らのずるさ許さない舌鋒の皆さんに、大いなる頷きがありました。
 まぁ、閉鎖的権威を内外に見せる今の学会は、やはり寺院の内向き体質「独一本門事の戒壇」などの視野狭い歴史のままの宗門とご一緒してきたからか。今、一線に戻ると新聞や支援などを頼みまくる、もう出来ませぬ。新聞は機関誌的、ブロック体制で刺激のない、リーダーに魅力ない事もあります。この板に共感持ってますが、悪の退陣あと本尊どーするか、の展望に迷路を感じます。心配性なんですわーゴメン、また叱ってな。
 

うーこさんへ

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年10月12日(水)19時19分55秒
  無事に退院出来て良かったですね。ホッとしました。
無理なさらずゆっくり休んで下さいね。急に朝晩と冷えて来ましたのでご自愛下さいませ。
お身体 お大事にぃm(__)m

 

ロマンさん

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)18時33分57秒
  私はその会合も、発言も存じ上げません。

しかし先生が何の前提もなく言下に「信心」を相対化するような発言をされるとは思えません。

おそらく、現実の社会や生活を忘れて、ただ盲目的に「信心だけが正しい」「信心だけしていれば幸福になる」といった短絡的な信仰感を破されたものと推察します。
 

「いまさら感」と「これから感」

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)18時19分35秒
  日蓮本仏論の再考にしても日寛教学の妥当性にしても、第二次宗門問題勃発の頃から少なくとも正本堂破壊の平成9年前後までは、普通に男子部や学生部(女子部は知らない)の部活なんかで活発な議論が交わされてましたよ。地域によるだろうけれども。
安永弁哲の『板本尊偽作論』が急きょ復刻されたり、美濃ナントカって脱会者の『日蓮正宗の謎』ていう本とか出て、弘安二年御本尊の信憑性から富士門流教義とそれを体系化した日寛教学への疑義・論駁も降ってわいたように現れた。
その一方で、ドイツSGI幹部だった松戸行雄さんの『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』や『日蓮思想の革新』のように創価ルネサンス教学の理論的基礎を提示する建設的意見も堂々と開陳され、現場での議論の叩き台になったのも事実。大学校運動華やかなりし頃もう二十年以上前で多くの現場がその水準だったんです。
だから2年前の教義条項“改定”にしても「今頃になって唐突になんやねん」てな話だし、去年の宮田“見解”だって、動画サイトの音声や文字起こしされたものを拝聴拝読する限りは「そんなドヤ顔で言われてもなあ。。」とリアクションに困る、要は特に目新しさはないわけ。個人的には。

で、創価ルネサンス運動の一番の眼目、ホシと言えるのは、誰かさんの「鶴の一声」とか「上からのお達し」に個人が唯々諾々と従って動くようじゃダメだよ~ってことを先生ずっとおっしゃってきたんじゃないの?て事でしょ、と私は解釈するわけです。
六畳一間の拠点に若い衆が五人十人ひしめきあって夜遅くまでワイワイガヤガヤあーだこーだ侃々諤々、口角泡を飛ばして自由闊達に議論する。
全国津々浦々そして海外でも、そうした小さいけれども現場での平等な仏子のあいだでの議論・討論を段々と積み重ねていって創価学会総体の方向性、未来へのグランドデザインが描かれる。これで行くんじゃなかったか? また、こうしたプロセスを踏んでこそ僧俗和合時代の習性にこだわる年配会員の方々にも新しく生み出される方向性を納得してもらえるんじゃなかったか?
頭カラッポじゃいかん。自分で考える力を付けろ。上意下達に甘んじているのは組織依存ってことだぞ。池田先生の「指導」を金科玉条のように言葉の表面だけで捉えて「命令」のように受け取るな・・・。先輩にもよるけれどもおおよそ自分はこんなふうに教わってきたし、後輩たちにもそのように口酸っぱくして語ってきたつもりなんですがね。
実数わかんないけど数百万人単位の人間を動向を、一片の通達だとか、一握りの人間が下手な考えひけらかして「これでどうですか? これでいきますわ」って独断専行で決めていく時代じゃないんすよ。
地涌の義に基づくのなら、本当に現場で苦労している一人ひとりが日々の戦いで学んだこと感じ取ったことを通して意見を出し合い、議論を深めてく。先生のおっしゃるように拙速に事を運んじゃダメで、それこそ百年・二百年でも時間かけりゃいいんです。ほんまもんの世界宗教とやらを目指すなら。。

ましてや平成ヒトケタ代のあの時代、会合以外で昼も夜もあんたらどこで何してたのさ、て訝られてる面々が勝手に進めてきた教義変更でしょうが?
宮田教授だって言っちゃあ悪いが、ずーっと象牙の塔にこもってらっしゃたような方じゃないですか? 経歴をみれば。
あの学術大会の運営にあたった中野毅教授にしても彼の愛弟子の弓谷君にしても、あの時代、どれだけ現場に入って、現場で鍛えられてたかって話。
若い子らが六畳一間で侃々諤々やってたところに全く立ち会ってもいない。ばかりか、そういう草の根での歴史的経緯、議論の積み重ねを完全に無視して、さも自分が最近思いついたかのような、あるいは自分ひとりで考えてきたかのような口ぶりで現場に話をふってくるから、、、
主張している内容の正否以前に「あんた(ら)ズレまくっとぉで」(神戸弁)でことだわさ。。

つまるところ、先に挙げた松戸さんとか、波田地さんや金原さんなんかと違って、
今の執行部の連中、宮田教授らの人生の行程に「ルネサンス」の時代はなかった。これからも迎えることはないだろう、というのがいま現在の所感。
 

正義の走者様

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年10月12日(水)17時55分25秒
  >「どなたかこの会合に参加された方はいらっしゃらないですか?」
私の尊敬する方が言われてました。<

私は確認しているのですが?

前後の文脈を確認とありますが、正義の走者様はどの会合かご存知なのですね?
ご提示していただけると助かります。
 

ロマンさん

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)17時42分51秒
  また聞きの、しかも切り文ですか。
前後の文脈をしっかり確認してください。

「ここに人生の絶対的な最重要の課題が残っている。仏法こそ、その解決の大法なのである。信心のみが、その厳粛にして最も重要な課題の解答を与えうるのである。」

これも先生の指導です。類似の指導は山ほどあります。

誤解を与える聞き覚えを、無分別に使用されない方が良いと思いますよ。
 

一線引いて思案かい。

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)15時28分1秒
  うまいよねえ、詭弁が。

でも、どうなんだ、そんなことをうそぶいて、折り合い付かぬとか。

そういう物言いを何て言うか知ってるよ。

結局中身カラッポ高見の見物。

エラソーに引いて見せ、賢そうに見せ、何もなし得ない無責任。


信濃町の人びと様は行動を起こした人であり、あなたとは立ち位置が最初から違う。


54年問題は総括されていない。

あれからずっと悪しき黒流が流れ続け、今こそ盛んだろうよ。

それを誰が止めようとしているの?

正義の執念? 当然じゃないか。。。 なにを寝ぼけた事言ってるんだろうか。

折り合い? 馬鹿な事をいうもんじゃないよ。そんなものは必要ないじゃないか。

正義は必ず明らかになる。

しかし、正義を叫び続けるのをやめなければの話だ。

 

日本共産党を高評価し、創価村貴族社会を最低評価する意味

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)15時24分30秒
  結党数十年間、プロレタリアート独裁から、独善主義の日本共産党が対話路線に転じ、一党独裁も捨てて野党共闘を模索して動いている。私は、高評価しています。裏心がどうであろうが、背に腹は変えられず必死でしょう。

かたや、創価村の貴族社会の面々。先生が作り上げた組織にあぐらをかいて、海外遊行、高齢者かき集めて大会合、対話拒否で気に食わない職員やら現場学会員を次々と降格・解雇、役職降格、査問・除名の嵐。
外部との対話どころか、内部学会員との対話も拒否して、内弁慶に本部別館に引きこもって便所の落書きを眺めながら、現場学会員に嫉妬してマスをかいている。最低評価です。

こんな事は、未だ破綻財源が明らかになっていないから、呑気にやっているのでしょうが、日共のようにセッパ詰まってからでは、宗教法人は行き場所を失うのですよ!!分かっているのかな(-_-)
 

学会乗っ取りの悪を許すなww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月12日(水)15時17分49秒
  問題の本質は池田創価学会を乗っ取ろうとしている悪人どもがいてww
騙されているってことですよ!

みなさん、気づきましょうよww
教義の細かいことが問題なのではないよw


事は明白
投稿者:正義の走者   投稿日:2016年10月 5日(水)09時33分42秒

神札問題、狸祭事件、言論問題、54年問題、宗門事件等、歴史に残る幾多の事件。

未来には、
「原田一派の創価学会乗取り事件」という歴史が刻まれるだろう。
 

柳原さん

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年10月12日(水)14時57分52秒
編集済
  公の媒体で 発言に対する責任が重いジャーナリストが 根拠も裏の証拠も示さないまま
「品性下劣な者たち」・・というタイトルや見出しをつけ断定的に「ラベリング」をしている行為は 名誉毀損に該当しないのかなぁ・・・

菅野完氏や富士宮ボーイに居た「阿部日ケーン(院政)」にも当てはまる話なんだけれど
あなたのジャーナリスト活動が 丸正事件で問題となった 正木ひろし氏と同じ事をやっていなかったか?
下記のwiki(丸正事件)を貼って起きますので 自己診断をしてみてください。(特に太字や 赤字の部分は重要)
あなたが 矢野穂美市議会議員や 妙観講の大草氏から訴えられて 敗訴するのも
下記の判例があるからなんです。
あなたも 正木ひろし氏と同様 探偵気取りで 思い上がった結果で
いつの間にか本末転倒にもなってしまったわけです



以下 丸正事件より抜粋引用

冤罪疑惑のある被疑者の弁護において、別の真犯人を提示することは弁護方法の最も優れた方法ともいえる。
しかし、捜査権限がない民間人が真犯人を推理することへの限界が指摘される。
また、冤罪を問題視して活動をしている人間
一方推定無罪で無実の可能性がある人間に対して推定有罪によって 冤罪に加担する可能性が出てくることの問題がある。


-以上 引用終了-



さらに 柳原さん自身 波田池氏 および 宿坊掲示板を非難し始めたのは
8月に あなた自身が敗訴した裁判以降なので その内容や経緯を考慮した場合
訴えたとしても あなた自身 敗訴するんじゃないでしょうか?

もっとも 波田池さんの立場に立てば あなたに対して告訴をしても
波田池さんの方が勝訴する確率が高い・・と思われますよ

http://

 

信濃町の人びと様に全面的賛同!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2016年10月12日(水)14時42分24秒
  顕仏未来記に三国四師とあります。
インド⇒中国⇒日本 釈迦⇒天台⇒伝教⇒日蓮の事です。

そして信濃町の人びと様仰せの:
大聖人、日寛上人、三代会長はこの系譜で教義を理解し、説いているのです。

ここを外したら、崩れていくのは明白だと思います。
”根本義”をもなし崩しにしてしまうのが、空気でしょうか?無知でしょうか?不知恩でしょうか?
いずれにしても、恐るべし!だと思います。


 

根本が間違うと邪教化します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)14時07分16秒
  はっきりと申し上げれば

日寛教学から脱すれば
創価学会は邪教化します。

身延と何ら変わらない日蓮宗と同じになります。

それがわからないアンポンタン学会員を生み出した
現執行部の罪は重い。

インドでの仏教衰退の歴史
日本天台宗の真言化
日蓮宗富士派(現宗門)の要法寺化

いずれも、池田先生が危惧をされ
警告されてきたではないですか!!

一体、何を学んで来たのか、
何も学んでいないから

アンポンタン学会員を生み出したのです。

そこに、拍車を掛けたのが

原田会長が発表した、今般の教義改正問題です。

創価学会が師弟不二の信心に立ち返り

大聖人の仏法の真髄である
人と法の本尊、すなわち、

大聖人=御本尊=私達

に立ち返る時なのです。

大聖人、日寛上人、三代会長はこの系譜で教義を理解し、説いているのです。
 

一会員様の知見に視界開く

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月12日(水)13時29分10秒
  <創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人はやや悲観的に考えています。
創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。すなわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。
恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。
そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会は日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません。
そのような事態になって初めて私たちは、自由な日蓮教学の議論ができるようになるのかもしれません。
須田氏の論文に共感を寄せる学会員は決して少なくないでしょう。やはりそれはそれだけの数の学会員の方が、これまでの日蓮正宗の教義、つまり日寛教学にすでに染まってしまっていて、そこから離れて今後の創価学会の未来について語ることが思考の上でできなくなっている気がします。> 全文の終後半抜粋です

 A4に2枚分保存しました、視野広がって納得です。ご考察ありがとうございます。
 弘安2年がらみ本尊論には怒りをなす方が多いねぇ、私の回りにも思考停止の友人が激高してたなぁ。今は日寛教学
 の組み立てから脱して、大聖人の文字曼荼羅総体を偉大な民衆救済本尊として捉え、我が師3代会長に信心の根幹を教
 わった、と受け止めたい。
 それにしても、この宿坊の正義の執念と現執行部の悪企み、さらに本尊認識の違い、もう折り合い着かぬ所まで来た、
 富士門流の如く別れることになるのか…と一線退いて思案です。
 

80歳前後のもと幹部・活動家と外部友人

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)12時55分31秒
  のところへは、直接会って話を聞くと、いやはや~出て来る出て来る、情報が。


とにかく、幹部は悪い人間が多いよね-。

いろんな事やって来たヤツが多いね~。

壮年婦人かんけーないね~。

幹部って、業が深いと聞いていたが、いつまでも綺麗事言って済ましてんじゃないよ。

犯罪まがいのひどさだね。

特にびっくりなのはね、壮年幹部って、オンナ漁りの常習者がけっこういますね。

奥さん苦労の連続人生だわ。

驚くばかりの事実の数々が、これでもかと出てくるよ~。

(あのね、幹部同士、女子部幹部&壮年幹部は多いよね)

他県でこっそり子供産んで住んだりしててね。
でもって、現在幹部やってる実子の女性は腹違いの兄弟が居ることを全く知らない、とかね。

お古と知らずに男子部幹部が年上女房もらってたりね。

どうなのよ、この幹部組織、スゴイじゃないの。

今までは黙ってたけど、黙ってらんないんだってさ、大先輩達は。

あまりの組織の体たらくに、声があがり始めてて、ひかりみたいなのが行くとね、待ってましたって。


つまりね、池田先生がいらっしゃったから、押さえられていたわけ、タワケ者たちが。

大馬鹿野郎も、ドアホ女も。

エリートのふりして無能なヤツも。

創価貴族の弱弱精神の、楽して大いばり選民主義者の坊ちゃん嬢ちゃんも。

ね、本性その程度の幹部がウヨウヨだったけど、押さえられていたと。


ところが、池田先生がぴたっと動きを止められたでしょ。

だから、本性丸出し、組織運営まるで駄目、でも、カネは欲しい、権力も当然、でも楽したい、

そういうことでしょう。

大阪っぽくなって帰ったひかりの持論結論です。





 

今日の柳原滋雄コラム日記

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月12日(水)12時54分12秒
編集済
  今朝のお題は「品性下劣な者たち」だそうです。

言論では歯が立たないと判断されたのか、昨日、本日と何やら警告的な法律絡みの記述。

信濃町界隈におられる大弁護士先生あたりの関係者に悪知恵を授けられたのか?(笑)

どうも柳原さんは名誉毀損とか、裁判がお好きなようです。

2000年以降この16年間に関わった5件の裁判の内、4件が被告。1件が原告。

「また当方に限っていえば、どこかから金をもらって宿坊批判を始めた・金銭的バックが存在する旨の投稿がすでに多く集積されている。当方にとっては存在しないことを証明するのは難しいが、いずれも明白な名誉棄損行為に当たることは言うまでもない。」
(柳原滋雄コラム日記 2016/10/12より抜粋引用。)

と仰られておられるが、ご自分が行われた名誉毀損行為は棚上げでしょうか?

波田地氏や田口氏そして元職員3名の方々、宿坊の掲示板に匿名とはいえご投稿され貴方に決め

付けられた方々。

少なくとも信濃町界隈からの偏向・誤認情報を元に一方的に精査、調査する事も確認する作業も

せず、その上、憶測、推測、伝聞、風聞、決め付け、思い込みによる記事を書かれている事は事

実。

その証拠に10月7日のコラム日記での投稿。

「 「宿坊」ではさまざなな名前で投稿がなされるが、その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる。波田地の場合は、その投稿内容や同人の人格がにじみ出た内容から、「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と見られている。」

の部分を姑息にも訂正もお知らせもすることなく削除している。しかしお気づきでないみたいだ

けど上記の他にも誤認情報でまだ削除されていないものもありますよ(笑)

柳原さん、「頭隠して尻隠さず」

山友の眷属の様な信濃町界隈の大弁護士先生の姑息な作戦はお見通しです。(笑)



 

教学

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年10月12日(水)12時48分14秒
  どなたかこの会合に参加された方はいらっしゃらないですか?
私の尊敬する方が言われてました。

『10数年前、池田先生は、関西で、SGIも含めたリーダーに言われました。

「この信心だけが正しい、この信心だけが幸せになる、などといってたら、私がいなくなったら、坊さんが学会を支配するようになるぞ。そんな魔法みたいな考え方は捨てなさい」と。』
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 15/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時52分20秒
編集済
  生命の実相 「無始の本仏」の世界

~本因とは久遠の妙法の修行~

名誉会長: 「無始の本仏」を知らしめるために、法華経本門はあった。いな、仏教全体が、そのためにある。その

根源の仏を知らなければ、三世の諸仏の師を知らないことになるし、成仏は思いもよらない。父を知らない子どもの

ようなものであり、ゆえに「自分がだれであるか」もわからない。大聖人が「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に

迷える才能ある畜生」(御書 p215)と言われた通りです。 (略)

斉藤: 確認しますと、「無始」という「永遠」の視座によって、はじめて九界と仏界が真に“即”することになった

ということですね。考えてみれば、通常の論理では「因から果へ」というのが当然だと思います。 しかし、生命の実

相である「無始の本仏」の世界はそうではない。仏界(仏果)が九界(仏因)とともに倶時に実在する“不可思議”の

世界です。通常の因果の観念を打ち破る、妙なる「因果倶時の世界」であると。

遠藤: 発迹顕本しなければ、そういう「因果倶時の世界」は示せないということですね。今世で初めて成仏したと

いうだけでは、因が先にあって果が後にある因果異時のレベルしか示せません。 しかし、釈尊が悟ったのは、実は

「因果倶時の妙法」であった。それを示すために発迹顕本したということですね。

名誉会長: その「因果倶時の法」とは「無始の本仏」である南無妙法蓮華経如来の生命です。この久遠の妙法を修

行するのが「本因」であり、修行して得られる仏果が「本果」です。「本因本果の法門」とは、この一法を示さんと

しているわけです。それが発迹顕本の目的でもある。 「本因」というのは、そこに一切の修行を含む「成仏の根本的

な因」という意味が込められている。この本因を修行すれば、歴劫修行の必要はない。

http://

 

大阪で

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)11時52分14秒
  教学的な論争、、、

池田先生の弟子と名乗る人間は、どう行動するのが正しいのかは、明白だと思います。

大聖人の仏法の生命論に納得の数々の御指導。

その通りに正直に生きるのみです。

功徳・現証も、師匠に教えていただいた通りに起きることを、長年見てきているのですよ。

確信があるのに、なんでそこに疑いや異論が出て来るものですか。

祈り、折伏し、仏法対話することは、自然にできることなんです。

この信心はすごいよ、と言うことは、ちっとも難しくない。

下種仏法ですから。

どんどん讃えていくことが大切じゃありませんか。

大聖人の仏法は、どんな人のどんな苦しみも宿命転換できる解決法なのです。

人類の宿命も転換する偉大な教えです。

私たちは、だから今こそ、この法を広宣流布しようとしてきました。



ところが、近年、この創価学会の組織は、執行部から地方の上層幹部にいたるまで、

官僚主義がはびこり、悪党がやりたい放題の温床になっています。

悪行を見ても、かえってかばい合い、訴えた人間、良くしようと行動する人間を排除。

本末転倒の極悪組織の実態は、被害を受けた人ばかりが知るものではなくなりつつあります。



公明党は絶対平和主義の標榜を過去のものにし、権力に迎合の情けない下駄の糞状態を現出。

何が大衆と共に、ですか。

そんな党是は捨てたも同然じゃないですか。

手弁当で、何十年と支援してきた上にあぐらをかいて、自民党へのお追従行動。

本当に、みっともない。


連休中、大阪に行ってました。

モチロン対話ですわよ、とんぺい焼きだの、串カツ食べながらでんがな。

外部の友人たちにでんがな。

友人たちみんな、とっくに呆れてましたっけ。


一つ、気になったことがあるんです。

関東地方でよく貼られてる、黄色地に山口代表のイメージポスターを見かけなかったんですよ。

あまり貼られてない地域を歩いてたんですかね、私は。

大阪駅周辺・天王寺周辺・道頓堀周辺・大阪港周辺・新今宮周辺・まー見かけなかったですね。

気を付けてたんですがね~。










 

教学部長

 投稿者:教学部長  投稿日:2016年10月12日(水)11時51分4秒
  歴代教学部長の名前を知りたいのですが。
分かる範囲で構いませんのでどなたか教えて頂けないでしょうか。
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 14/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時50分13秒
  無始ゆえに因果倶時?

~「無始の九界」「無始の仏界」があってこそ真の十界互具~

名誉会長: これも一気に、「無始」の境地を言われている。「九界も無始の仏界に具し」 - 突然に現れた仏界では

ない。本有の仏界です。 「仏界も無始の九界に備りて」 - 突然に現れた九界でもなければ、いつか消えてなくなる九

界でもない。仏界とともに永遠の九界である。こういう「十界(諸法)の真実の姿(実相)」を、如実知見(実の如

く知見する)するのが寿量品です。 「無始」でなければ「本有常住」ではない。「本無今有(本は無く、今は有

る)」になってしまう。まさに根なし草です。この「無始の仏界」「無始の九界」が明かされてこそ、初めて九界と

仏界が“即”することになるのです。因(九界)と果(仏界)が因果倶時になるからです。それでこそ真の十界互具で

す。

須田: こういうことでしょうか。始成正覚では、仏界も歴劫修行の果てに初めて獲得されるものですから、「本無

今有」です。因果でいえば、先に仏因(九界)があって後に仏果(仏界)があるという「因果異時」です。 それで

は、確かに、仏果を得るまでの生命には九界しかなく、九界“即”仏界ではない。仏果を得てからは仏界しかなく、仏

界“即”九界ではない。

 名誉会長: そう。それでは真の十界互具にならない。十界互具にならなければ一念三千にならない。迹門の十界互

具・一念三千を「根なし草」「水中の月」と言われたゆえんです。 大聖人は迹門の十界互具を「始覚の十界互具」、

本門の十界互具を「本覚本有の十界互具」と呼ばれて、根本的に違うとされている。そのポイントは、無始無終の久

遠の本仏を知るか否かにある。
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 13/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時47分34秒
編集済
  「無始の仏界」と「無始の九界」

~開目抄と法華経の依文~

斉藤:(略)今までの因果を打ち破って根本の仏因と仏果 - 「本因本果」が明かされるわけです。その内容につい

て、「開目抄」では続いてこう仰せです。 「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百

界千如・一念三千なるべし」(御書 p197) 寿量品の発迹顕本によって、「無始の仏界」「無始の九界」が互具して

いる(互いに具している)実相が明らかになった。それによって真の十界互具・百界千如・一念三千が確立された、

と。

須田: 「無始」とは文字通り「始めがない」ということですから、「永遠」ということですね。これに対して「始

めがある」のは「有始」です。始成正覚は文字通り「始めて成ずる」ですから「有始」になります。

名誉会長: ここでポイントとなる「無始の仏界」「無始の九界」とは、それぞれ、寿量品の経文ではどこに当たる

だろうか。

遠藤: まず「無始の仏界」とは、「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり - 」(法華経 p496)

です。仏に成ってから無量の時間が経っているという、まさに久遠実成の文です。

須田: また、「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祗劫なり。常住にして滅せず」(法華経

p500)も同じ趣旨ですね。

斉藤: 大聖人は、これらの経文から、仏の生命を「無始」と言われています。

遠藤: 「無始の九界」のほうは、「我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せ

り - 」(同)です。九界(菩薩界)の生命も、永遠に続いているのだ、という経文です。

http://

 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 12/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時44分8秒
  始成正覚での諸法実相の説法の限界

~始成正覚の釈尊では「法」と「人」が一致しない~

須田: そう聞くと、一念三千はすでに迹門で完璧に出来上がっているようにも思えます。なぜ、釈尊自身が発迹顕

本しなければ一念三千は「根なし草」なのでしょうか。(略)始成正覚のままだと、凡夫(九界)の釈尊が十九歳で

出家して、仏道修行して仏になったというのは、いわば九界即仏界の側面だけです。そこで仏界即九界を顕すために

発迹顕本した - 。

遠藤: (略)「理論」だけであった仏界即九界を、釈尊の「体験」として、事実の上で語り、証明したところに発

迹顕本の一つの意味があったのではないでしょうか。

名誉会長:(略)確かに諸法実相の説法は、「九界即仏界」「仏界即九界」という生命の真実の世界を開くカギにな

った。 しかし、それを説いている釈尊が始成正覚のままだと、この諸法実相の説法と「大きな矛盾」が出てくるので

す。いいかえれば、諸法実相の説法は、無始無終の仏の「大いなる生命の世界」を、まっすぐに指向している。釈尊

が師とした根源の仏の世界を指向している。つまり、「久遠の妙法」即「久遠の仏」の世界を、ほのかに説いたのが

方便品の説法なのです。

斉藤: ということは、それを説いている釈尊が始成正覚のままでは、「説かれた法」と「説いた人」が一致しない

わけですね。一致するためには、諸法実相が指向する「久遠の仏」の世界を示すしかない。 つまり、発迹顕本は、諸

法実相の必然の帰結であり、諸法実相を実証するものであったということですね。

名誉会長: だからこそ舎利弗は、諸法実相の説法を聞いて、直ちに、それが指向している釈尊の「本地」を悟った

のです。それは自分の本地を思い出すことでもあった。その「本地」の仏のことを、大聖人は「諸法実相の仏」(御

書 p 714)と呼ばれています。 
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 11/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時41分17秒
  南無妙法蓮華経は法であり仏身

~「仏」を離れた「法」は『理』だけの存在~

遠藤: 先ほど、寿量品の「発迹顕本」の意義について、うかがいました。 釈尊は、「永遠の法」即「永遠の仏」を

師として仏になった。釈尊が師としたのと同じ永遠の法即仏を師とせよ、と弟子たちに説き明かしたのが発迹顕本で

ある。そこには、“「人間・釈尊」に帰れ! そして釈尊を仏にした根源に直達せよ!”との力強いメッセージが込め

られていた。 ― こうしたお話に、目の覚める思いがしました。

斉藤: この「永遠の法」とは南無妙法蓮華経であり、「永遠の仏」とは南無妙法蓮華経如来すなわち久遠元初の自

受用身のことですね。

名誉会長: そうです。南無妙法蓮華経は法であるが、同時に仏身なのです。人法一箇です。ここが大事なところで

す。 「法」といっても「人(仏)」を離れた法は、「理」だけの存在です。実際には ― 「事」の上では ― 仏の智慧

を離れた法というのはないのです。 久遠元初の仏 ― 無始無終の常住の仏は、宇宙生命そのものであり、一瞬の停滞

もなく、常に不断に、一切衆生を救おうと活動しておられる。その仏と自分自身が、実は一体であり、自分自身が久

遠の昔から人々を救うため、広宣流布のために働いてきたのだ、今だけのことではないのだ ― そう自覚するのが寿量

品の心です。 目先のことではない。永遠の宇宙的スケールで今世の人生を見つめ、甚深の使命を自覚するのです。釈

尊も、「永遠の仏」と一体の自分を悟った。それを釈尊は「不死」の境地と言ったのです。釈尊は言っています。

「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」(『ブッダの

真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波文庫)、「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て

一日生きることのほうがすぐれている」(同)と。

遠藤: この「不死の境地」と「最上の真理」とは同じことですね。

名誉会長: そうです。端的に言えば、どちらも一念三千のことです。
 

一般の会員さんには僕も含めて大変むずかしい話し、

 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時40分16秒
  僕もそうですが、一般の会員さんにとっては、教義の事については大変むずかしい話しだと思います。ただ、今の執行部の方々にはさわって欲しくない気持ちが強いです。絶体に変えてはいけないこと、逆に変えなくてはいけない事。
そこを明確に理解していきたい。
そして、根本には、全世界の弱い立場の人々を一番先に救っていける創価学会になっていくことを願っています。


 

一会員様 明らかな間違えがたくさんあります

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月12日(水)11時33分47秒
  例えば

##
須田氏がここで言わんとしていることは、基本従来の創価学会の教義である、日蓮本仏論への回帰、すなわち日蓮正宗の教義への回帰です。


【大いなる疑問です】

日蓮本仏論の回帰が 日蓮正宗の教義への回帰??
日蓮本仏論は日興上人門流の奥義ではないでしょうか??

そこからなぜ離れる必要があるのでしょうか?
今でも、創価学会は日蓮本仏論を維持している。
池田先生が日蓮本仏論を否定しているのか?


宗門と別れてからも、池田先生は一貫して日蓮本仏論を採用しており
日蓮本仏論を放棄するような発言は一切ない。

もはや、この一点だけをとっても師匠へ敵対する教学観ではないだろうか。


【池田先生のスピーチから数点、確認します】

★★
●  勇敢な信心たれ
 一、日蓮大聖人は、「末法の御本仏」であられる。
 ありとあらゆる三障四魔や三類の強敵が襲いかかってきても、御本仏の赫々たる御生命を破ることなどできなかった。
 ありがたいことに、妙法を信受し、大聖人の仰せの通りに、広宣流布に生き抜く私たちは、末法の御本仏の師子王の大生命を、そのまま、わが身に涌現することができる。

2008-12-26 【各部代表者会議】(2008年末最終のスピーチです)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11721


★★

大聖人は、”学歴”があり、社会的地位が高い人を讃えたのではなかった。
信心の世界に、学歴など一切、関係ない。そうした差別は、絶対にあってはならない。御書を拝しても、”学歴を重視せよ”などということは、ひとつもおっしゃっていない。
末法の御本仏である大聖人から「聖人」と呼ばれたのは、まったく無名の母である。
ここが、重要なところなのだ。この一点がわからなくなつてしまうと、学会も破滅する。
私は、戸田先生という師匠と巡り合う幸運に恵まれ、この”根底”を知っている。だから学会を護り抜くことができた。
この心がわからない人間がリーダーとなって、わずかでも舵取りを間違えたならば、学会は、もはや発展できない。
学会は信心の団体であり、広宣流布の団体である。広宣流布ができる人、広布のために指導できる人が中心である。
佐渡流罪で多くの弟子が退転するなか、鎌倉から幼子とともに訪れた女性──大聖人は彼女の信心を讃えられ、「日妙聖人」と尊称を贈られた。

2008-6-18 【新時代第19回本部幹部会】

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11486


★★

●「破邪顕正」は日蓮仏法の魂
 一、立宗宣言をされた場所は、清澄寺における師・道善房の持仏堂である。時間は「午の時」(正午ごろ)。大聖人は、厳しく邪義を破折され、南無妙法蓮華経の大法を説き明かされた。「破邪顕正」は、日蓮仏法の魂である。

そして、若き日に学んだ地で正法を打ち立て、師である道善房を正法に導かんとする、深き報恩の心を込めておられた。

大聖人は立宗宣言のころに、それまで名乗られていた「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」という名前を、「日蓮」に改められたと伝えられている。

「太陽」は、一切を照らす。「蓮華」は、汚泥の中で清浄無比の華を咲かせる。この「日蓮」という御名前そのものが、末法の御本仏であることを明確に示されていると、拝することができよう。

2008-1-2 【各部最高協議会】

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11085


★★
 牧口先生と戸田先生、戸田先生と私の間に、この師弟の精神があったからこそ、広宣流布が前進し、世界的な創価学会となったことを忘れてはならない。

仏法の根本は「師弟」である。私たちの不変かつ永遠の師匠は、南無妙法蓮華経の御本尊であり、日蓮大聖人である。

大聖人の仏法を世界に宣揚し、御本尊を弘通していくことこそ、「師弟不二」の実践の本義である。
御本仏の仰せのままに、広宣流布を実現しゆく創価の師弟にこそ、本当の「師弟不二」の精神が脈動している。仏に成る血脈が流れ通っている。

牧口先生、戸田先生、そして私の三代は、この仏法の方程式を胸中深く自覚して、師弟の道を進んできたのである。

【第60回本部幹部会・新世紀第5回東北総会・新世紀第4回中国総会】
 (2006・5・25)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7373

★★

 法華経の法師品に、「仏を讃嘆すれば、無量の功徳を得るであろう。法華経を受持する者を讃嘆すれば、その福徳はまた、それ以上であろう」とある。
 末法の悪世において「法華経を受持する者」とは、いうまでもなく、別しては、末法の御本仏たる日蓮大聖人であられる。

総じては、日蓮大聖人と「同じ心」で、広宣流布に進みゆく、地涌の菩薩の我々なのである。

本当に広宣流布のために戦っている人は、だれなのか。
その人を、どこまでも大切にせよ! 最大にほめ讃えよ!
その功徳は無量無辺である ── それが法華経の心である。

【各部合同研修会】(2006・8・2)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7469



 

退院

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年10月12日(水)11時27分23秒
  皆さまのお題目のお陰で昨日無事に退院できました。ありがとうございました。風邪には気をつけます。肺炎は苦しかったです。  

破壊されゆく大都市・・戦争の怖さ

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時04分23秒
  ドローンで撮影された、最近のアレッポの状況だそうです。

必見・・

https://www.youtube.com/watch?v=rkb3y6K3waU

こういう状態が世界にあるので空理、空論の論議を弄ぶより、創価貴族様は世界へ飛び出すことではないでしょうか・・

本部就職希望者は是非・・行ってみてください。大変なところに・・

そういえば、イケデイアン様の娘さんアフリカへ・・行かれましたね・・

今は日本の若き女性が・・世界で大きく活躍。


生涯広布 ペンギン
 

世界広布のためなら教義を変えても? そうすれば法は自然広まり、民衆救済はできる?

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)10時41分24秒
編集済
  一会員さまは、先日海外はすでに日蓮本仏論を取っていると・・書いておられた方ですよね。

以下、あなたの主張について・・ 私の意見を述べます。

(1)「主師親の三徳を持つことが本仏の証明であるようにここでは考えられていますが、そう考えているのは日本
国内で日蓮正宗だけの考え方であり、なかんずく日寛の教義です。このように解釈する日蓮系教団は日蓮正宗と創価
学会と顕正会だけであり、一般的に評価されてはいません。」

戸田先生が戦中牢獄の中での悟達を経て、牧口先生の意思を継がれ、戦後の荒野に一人立ち戦い始められた。その

後、創価教育学会のホッシャクケンポンをされて今の創価学会がありますよね。

その戸田先生は「教学は日寛上人の戻れ、信心は大聖人時代に戻れ」と・・

同志の歌を歌いながら、池田先生、他の弟子達を育てられながら、75万所帯の偉業を達成されてお亡くなりになっ

た。その戸田先生の意思を継がれ750万所帯達成されたのが、世界190カ国を越す国々に法を広げられてこられ

たのが我らの師匠です。師匠は常に日寛上人の教義です。各国に散った同志は各国の国の様々な制約、文化の違い、

偏見、言葉の問題、経済的な問題に負けず、岸壁に爪を立てる壮絶な闘い開拓があったわけです。 しかし、見落とし

ていけないのは、そこには常に師匠の心温まる支援があったればこそできた。これが真実です。師匠の激励、支援が

なければ不可能だった。海外の同志にとっては先生だけです。先生が激励してくださった。つまり、民衆救済、法を

広めるというのは一般的評価が問題ではなく。師匠のように、どれだけ他人のために行動したかこそ問われるのであ

って、日蓮本仏論が、一般的に評価されるかどうか? という論議は机上の論理、室内での論議ではないでしょうか

次に

「(2)創価学会が今後、世界宗教として広がっていく時に果たして、日寛の教義を守ることが必要かと問い直す時
期に来ていると私は考えています。 」

日寛教義を守って、これまで190カ国以上に信者がいる世界宗教になってきたのです。どこに問題があるのか、あ

なたの見解は海外で戦っている私には全く理解できないのです。最近は宮田氏も、あれだけ、海外がどうのと言われ

ていたのに、最近では海外のことはわからないと主張を変えてきているのをご存知でしょう。創価の目的は信者を増

やす事ではありません。この世から不幸を取り除くことです。宿命に泣く、戦火に苦しめられる人々の救済の数で

す。いたずらに数を増やしても、本格的な信心に行かせるまでは・・途方もない努力と年数がかかります。教義を軽

きモノ、飛びつきやすいモノにしたところで、その方々が幸せになれるのでしょうか。池田先生の指導ものと創価に

は国内外に何百万の体験実証があります。ですから、変える必要ではなく師匠の教義を守る必要があるのです。

「(3)日蓮を本仏とする考え方とはいったい何でしょう? それは歴史上の仏教の開祖である釈迦よりも日蓮を上の
存在と立てるということでしょう。 しかしそれにどんな意味があるのかということです。 」

上とか下の問題ではなく、永遠の仏の明確な認識です。釈迦が悟った永遠の教師は誰か、我々は誰を永遠の教師とし

なければならないか、という問題だと思います。釈迦自身は自分の胸の中に「永遠の仏」を見た。それが、釈迦が仏

になることができた教師であったわけです。その教師は吾なりと大聖人は言われています。しかし、本義は全ての生

命は仏の生命に包まれるわけですからその差は無きなりです。でも、教主釈尊は誰であるかはしっかり把握、認識し

ていかなければならないと思います。そして、その教義を世界中に広めていくのが私たちの使命です。 1000年

後,10000年後・・永遠の未来を見据えていけば・・永遠の仏と法=教主釈尊=日蓮大聖人の生命・・この部分

は変えてはならないはずです。

逆に言えば、日蓮を本仏としないとした場合、どれだけ、世界にこの法が広まり、不幸な民衆を救っていけるのでし

ょうか? 大聖人さまほど、また、創価三代師匠ほど迫害され戦った人物はいません。世界に広めるためにはこのよ

うな殉教をした人こそ本物・尊い・信じられるのです。どれだけ、民衆のために立ち上がったかです。理論ではあり

ません。事の理論です。行動の哲学です。行動して初めて法を広められ、激励して、体験実証をえてこそ、初めて

人々に伝わるのです。 そうやってきたのが先生率いる創価学会であったし、SGIでしたし、今後もそうでなければな

らないのです。広宣流布は事の民衆救済であって、仏具や書籍商品販売(流布)や理論の流布でもありません。

戸田先生は三代会長を守れば広宣流布はできると断言されています。つまり、池田先生の精神、教学を守れば広宣流

布はできるということです、裏を返せば、ここを外せばできないということです。広宣流布は人類未聞の大事業です。

「(4)だとすれば、それは無理に日蓮を「本仏」としなくても、十分に立論できることなのではないでしょうか。
釈迦が仏教の「開祖」であり、日蓮は自宗の「宗祖」であるとすれば十分かと思います。 」

立論しても全く意味がありません・・どのような視点でモノを言っておられるのか?

あなたも世界広宣流布を真剣にお考えであれば、まだ、全く流布されていない国に、お一人で行かれて法を広めてみ

てはいかがですか? そうすると、先生の偉大さがわかります。あなたの考え方、宮田氏の考え方は空理、空論で

す。 年だ? 職業が? 祈り切って、ぜひ実現を・

また、何かを犠牲にする覚悟がないと世界広布はできません。草創のパイオニア皆さんそうしています。

(5)「創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。 」

・・ここだけは同意・・だから、我々は戦っているのです。

「(6)創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人
はやや悲観的に考えています。 創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確
立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。す
なわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。 」

教義は日寛上人の教義に戻るしかありません。その上で法華経の智慧で述べられているような、現代解釈も取り入れ

ながらも、その原理原則を変える必要はありません。


(7)恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ
分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。 そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会はもしかした
ら日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません。

ここは視点はどこにあるかという問題ですが、これは上でも述べていますので割愛。

創価学会は崩壊させてはいけないのです。SGIも独自路線?独自路線とはどういう意味でしょうか? 支配の理論でし

ょうか? ・・創価三代師匠を永遠の師匠としていく限り、少々、展開の仕方に差はあっても問題はないと思います。

問題は展開の仕方に日本流を持ち込み、其れが絶対とするような事があれば・・独自路線になる可能性が高いでしょ

う。でも、だからと言って其れは即三代師匠の精神が壊れることとは違います。支配しようとすれば、其れは誤りで

す。大聖人の仏法は民衆の仏法ですから、支配するとか、独自路線を行くとかという観点ではなく、正しく伝わって

いるか、正しく伝えるかの問題です。

長い目で見れば書面でいくら契約書に署名させても、お金で縛ろうとしもダメでしょう。要はその国のメンバーが正

しく師弟不二の精神を継承できるか? また、継承させるかではありませんか。


生涯広布&広布一筋

http://

 

大御本尊はそのままで、本来の出発点に立ち返る時

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)10時05分57秒
編集済
  だから、何度も言っています。
大御本尊には触れない。(そのままで。)今までやってきたことが無駄にならないように。
これが池田先生のご指示です。

どなたが以前に指摘されていましたが、正本堂建立時に、大御本尊の年代測定は行われているのです。
放射性同位元素の科学的測定です。池田先生はその結果もご存知なのです。しかし、一言も何も触れない。触れる必要はないのです。これから学者や研究者がきちんと真贋を判定していくでしょう。しかし、日蓮大聖人と大御本尊への確信は何ら変える必要がない。変えてしまえば、創価学会の歴史を否定することになるからです。

敢えて方向性を考えるならばパラダイム転換により、大御本尊の存在は認めながらも、意義を抽象化して、大御本尊への信の部分を引き継いでいけばよいのです。

以前に秋晴れさんにも提示した箇所をよくお読みください。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51766

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51886


また、教学部レポートには、当時の教学部がどのように考えていたかも明確です。

教義を変えて行くことに反対ではない。大御本尊の問題はいずれ乗り越えなければならないからだ。しかし、土台が1ミリ間違えば、塔の上、つまり、現場では、数メートルも曲がってしまう。

斜めになった塔はやがて倒れる危険性がある。

だから、慎重には慎重を期してやるべきである。

こうした諫言と、方面長からの意見もあり、
原田会長はじめ、4人組は一度は変更は難しいと諦めたのです。

教学部は、学会が拡大し広宣流布してきたのは、日寛上人の教えを根本にした、つまり、大御本尊への信を根本にした、
代々の会長と我々学会員の大確信があればこそで、創価学会の信心の根本がそこにあった。

もう一度、日寛上人の教学の本義に立ち返り、慎重に日寛教学を止揚していかねば、誤った教義変更になりかねないと危惧をしていたのです。

須田さんの立ち位置は先ずは宮田なる平成の日精破折です。

破邪が先になされなければ顕正はないのです。

宮田なる平成の日精の先にいるのは、悪の4人組みです。
潜聖増上慢になりかねない4人組みなのです。

相手の論考を引き出す目的なら理解出来ないわけではないのですが、申し訳ないが、螺髪さんの論におやっと感じてしまう部分があります。

創価学会の独自性とは三代の会長です。
その中心をなすものは、信心の血脈と言ってよいかもしれない。宗門の血脈とは全く異なります。


初代牧口先生の大確信。
戸田先生の獄中の悟脱。
池田先生の師弟不二、世界の碩学との対話、哲学の相対化による日蓮仏法の普遍化。

三代の会長の指導のまま進むことなのではないですか!

誰が、三代の会長の指導を破っているのか?
既に明確ではないですか!

一度は、執行部が正式に発表してしまった教義変更を
もう一度、本来の出発点に戻り考え直していく。

これが、須田論文の立ち位置ではないでしょうか。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0
 

呑気に、宮田・須田論文比較考証してどうするの?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)09時42分56秒
編集済
  これを延々とやっていれば、飯の食いそびれもない職員(創価村教学部の面々)が延命出来るだけで、何も役立たないです。

現場学会員として、昨年から何度も投稿している通り、創価村サイコ大患部自ら出向いて対話をして不毛の内弁慶な行為も止めて、未来を作り上げる作業に取り掛かってください。

言っている分かりませんか?先生存命中に、一番やりたくない事、日蓮正宗との対話、顕正会との対話、日本共産党との対話、元職員三名との対話、ハタチ氏、タグチ氏との対話、現今まで組織で村八分にして査問・除名してしまった学会員との対話(公益犯罪者を除く)です。

対話してどうするかは、創価村のサイコ大患部次第です。未来を拓くためには、前に進む事が必要で、どうするのか、我々現場の末端会員は、じっと観ています。

あなた方、創価村のサイコ大患部は、それに見合う以上の立場とコストを現場学会員から認められている(委ねられている)のです。仕事しないと地獄行きですよ!!地獄は自ら構成しているでしようが今生の役目を果たしくださいね。何もしないで今生終えたら、次は草木以外ですよ!

現場学会員には、辛い思いや大変な思いをさせない事。余計な負担もさせない。あなた方が全てを受けて大変な思いをして、苦労もして現場学会員を護る事が使命です。先生が、自分の事をそっちのけで動き語り、現場に入っていたのは、現場学会員の幸せを第一に志向していたからでしょう。冷暖房完備の本部別館に毎日通って、管巻いて時間潰している暇は無いはずです。高齢者をかき集めて大会合開かせる事でもありません。
一番やりたくない相手のと対話、和解、プライドタカピーで絶対やりたくないでしょう、人に頭下げた事も無いし、今迄、威丈高に上から目線で申し渡ししか、して来なかったでしょうが、対話をやるのです。宜しくお願いします。
 

一会員さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月12日(水)09時24分6秒
   >創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人はやや悲観的に考えています。
 創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。すなわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。
 恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。
 そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会はもしかしたら日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません(投稿者:一会員   投稿日:2016年10月12日(水)06時22分9秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57965

 一会員さんの「論」に「なるほど」「なるほど」「なるほど」の思いです。

 これを、宮田氏の後押しと見るのはいかがかと思います。私は、須田論文95%賛成。何しろ、日寛教学にずっぽり漬かってきましたからね(笑い)。5%を残すのは、どなたの投稿だったか、宮田氏も「日蓮本仏論」の余地を残しているとの趣旨の指摘があったからです。

 池田先生の「本仏論」というのは、どうもそこらあたりではありませんね。須田論も、宮田論も包含した、その先のものだと。それは、グリグリさんの投稿にもありました。

 >グリグリが使う「日蓮本仏」は、ただ単に「釈迦仏や諸仏をも超える宇宙根源の御本仏」という神聖化され、きらびやかに荘厳されたものではありません。=中略=
 その意味において、須田論文は宮田論文の破折には有効ですが、学会教学の再構築を考えた場合、物足りなさを感じます<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56560


 「教学部レポート」の記述で、会則変更を先生に報告したときに「そんなに急いでいいのかい」(趣旨)とのお応えがあったというのも、そこらあたりの意味を含んでのものかと思われます。


 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)08時54分29秒
  創価学会は、日蓮正宗の貫首絶対主義や僧勝俗劣といった逸脱した考え方やその教義転化を問題にしたのであって、教義の本質まで批判したのではない。

「袋きたなしとて金を捨る事なかれ」

相手の逸脱を批判するに乗じて、自らが逸脱する事こそ愚の骨頂である。
厳に戒めるべきだ。
 

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