【富司純子 あるがまゝに】(6)9年間で映画出演91本 1日3度の新幹線移動も
孤独に耐え忍ぶ、強くて美しい女性。「緋牡丹博徒」シリーズ(68~72年)の主人公「お竜さん」は、すい星のごとく現れた新ヒロインだった。富司を不動のスター女優に押し上げた決定打。しかし、このとき既に50本を超える映画に出て豊富な経験があったことを見過ごしてはならない。
「お竜さんを迷わず演じることができたのは、多くの任侠(にんきょう)映画に主演した鶴田浩二さんや高倉健さんの相手役をさせてもらったから。格好良くて素晴らしい姿をずっとそばで見てきた。それをお手本にして女性版を目指したいと思いました」
不幸な女性、任侠の世界で生きる男を支える妻や娘、薄幸の芸者、夢半ばに逝く女性。献身の中での無念さ、不条理…、様々な役を演じてきた。真っすぐ生きようとするほど、報われないことも増えるという人生観を役を通して学んでいた。「お竜さん」はそれが全て集まって生まれた結晶だった。
その頃、東京の東映で若手のスター女優として注目された三田佳子は、京都で活躍する4歳下の富司をこう見ていた。
「新人のとき、一緒に新年用の集合写真を撮った思い出が。真っ白のうさぎのショールを巻いた純子ちゃんがかわいくてね」と言い、「でも若いのに、どこか憂いを含んだ独特のムードが。これがお竜役の魅力につながった。私には出来ない役だと思って見てました」
東映にいた9年間に91本の映画に出演した。年10本ペース。今の時代では想像できない忙しさだ。「緋牡丹―」が始まって以降、スケジュールは一層ハードに。主題歌も歌っており、その営業にも回った。ドラマ出演も増えた。多い時は東京―京都間の移動で新幹線に1日3度も乗った。「新幹線女優」と呼ばれたこともあった。
「朝から晩まで撮って、撮影所と家の往復でした。京都にいるのにお寺など名所にロケ以外で行ってなくて」。当時マネジャーだったのが姉・允子(みつこ)だ。美容師の資格を持ち、妹の髪も結った。対外的なやり取りを一手に引き受けるしっかり者だった。
「後ろに父(映画プロデューサーの俊藤浩滋)が控えていましたのであまり心配しませんでしたが、人気とともに膨らむ大波のような周囲にのみ込まれないよう、いかに撮影に集中できる状況を作ってやれるかが役目と思ってやっていました」
多忙を極める中で富司の支えは、NHK大河ドラマ「源義経」共演を機に、静かに交際が始まった歌舞伎俳優・尾上菊五郎(当時菊之助)の存在だった。公にならず約3年がたっていた。互いの家でご飯を食べるとき、仕事のプレッシャーから解放された。あるとき、談笑する2人を見ていた菊五郎の母、珠子がこう聞く。「あなたたち、どうするつもり?」と。(編集委員・内野 小百美)=敬称略=
〇…富司の好きな作品の一つが「日本侠客伝 昇り龍」(70年、高倉健主演)。女彫り物師・お京を演じたが、ひそかに主人公の金五郎(高倉)に愛情を通わせる役どころ。「この役をやって演じる面白さが本当に分かり始めました」。また異色作「日本暗殺秘録」(69年)も挙げた。「血盟団事件」のテロリスト(千葉真一)への思いを断ち切れず、苦悩するウェートレスの絶望感と悲しさを少ない出番で表現した。