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柳原滋雄氏の「悪魔の証明」

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)22時57分37秒
  すんません、今日これで最後です。

------------------ --------------------

柳原さん、
「どこかから金をもらって宿坊批判を始めた・金銭的バックが存在・・・・・・しないことを証明する」方法。。

ちゃんとした仕事をすることです。食べていくに事欠かない収入があると皆に納得させることです。
ジャーナリストを名乗るなら、毎朝、脈絡のないテーマも定まらない日記を書き散らすのではなく、
きちんとテーマを決めて、自分で足を運び、まとまった文章を原稿用紙何枚でもいいから書こう!
オファーがなければつてを使ってでも何処へでも売り込みに行くことです。何度でも、めげずに。

もっとも、ここでecoさんがおっしゃていた菅野完さんも安田浩一さんも、あなたが嫌う公明党以上に
バックの宗教貴族が大嫌いなはずなので、あなたの今の立ち位置じゃ力にはなってくれないかも・・・ですが。

“マスコミ底辺”にかつていた自分も含めて、ここのみんな、あなたのこと心配してるんです。
だって、腐っても、便器の奥にこびりついてメタンガス発酵していても、、大切な同志であることには変わりありませんから。。。

お互い頑張りませうね! ジッショーを示しませう! あなたの大切な地元組織の方々のためにも。

----------------

追記; イケディアンの住人さま、ご賛同のレスありがとうございます。

   明日か明後日、「21世紀・・・」第3回を投稿します。

   どうでもいいけど、わざとかもしれんけど、ここも読解力のない人多くなってきたなあ・・・て感じ。
 

同盟題目23時開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)22時53分42秒
  任意参加です。よろしくお願い致します。
やはり、題目が原動力です。しっかり祈ります。
 

松戸氏の批判をすると叩かれますね。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月12日(水)21時59分37秒
  私は新参者ですが、反板の回し者ではありません。松戸氏のドイツ語の著書も読んだことがあります。氏は題目パワー研究所を組織して、独自の本尊授与をしています。新宿での講演も拝聴したけれども、もう私にはついていけない境智の方ですねぇ。まぁ、私には今の松戸氏を同志とは呼べません。  

ドミサイル信濃町の入居者さん

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)21時47分51秒
  だからあ、、、松戸さんのその後の去就はここでは問題じゃないの。
宗門との訣別で「さあ、これから本物の民衆仏法を先生の指揮のもとで世界に展開するぞ!」って意気軒昂に立ち上がった。
その時に皆で議論を進める叩き台の一つとして松戸さんの論考があったことに意味があるの。
20数年前のそのかけがえのない日々に一人ひとりが魂の独立自尊、どこまで自立と自律の精神を鍛えあげたかが大事ってことなの。
松戸さんでも他の人でも自分以外の誰かが完全無欠のテキストを用意してくれるんじゃなくて、自分で白紙の1ページ1ページを埋めて行けたか、それは今も続いてるか、、、そういうことなんやて。

歴史の傍観者、アウトサイダーになっちゃいけんよ。。
 

松戸行雄氏の退会

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)21時26分30秒
編集済
  ・・は間違いありませんが、退転ではありません。

今でも、立派に大聖人の仏法を宗派を問わず、イスラムの人々にも伝えておられます。

退会の事情は別の理由。今でも、先生に対してだけは尊敬の念を持っておられますよ・・

ああいう素晴らしい方を擁しきれない、器の小さい欧州SGIに問題があります。


生涯広布
 

松戸行雄氏の退転、脱会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2016年10月12日(水)21時13分16秒
  宗門との教義論争に勇戦した、かつてのドイツ在住教学の俊英も今は退転、脱会して"中立"を名乗っています。今年、2016年3月には、来日し、法華仏教研究会か法華コモンズで、講演もしています。かつての孤軍奮闘の勇者も、今は昔の夢物語。  

賛成です!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年10月12日(水)21時12分41秒
  信濃町の人びと様に賛成です!
教学についてのモヤモヤ感がスッキリしました!
ありがとうございます!
 

黄金の3年とは

 投稿者:tesuto  投稿日:2016年10月12日(水)21時04分34秒
  正義の走者様 信濃町の人々様の投稿内容に賛同いたします
1282年(弘安5)大聖人さま御入滅
1284年(弘安7)大聖人さまの墓所輪番制をめぐる五老僧の背反?ー美作房御返事(編年体御書P1729~)
当方の心の中の池田先生は「獅子身中の虫」はご存知です なったって 法華経の行者の総大将だもの

 

不安なんか放っておけ!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)20時35分10秒
編集済
  >>悪の退陣あと本尊どーするか、の展望に迷路を感じます。心配性なんですわーゴメン、また叱ってな。<<

同じように感じている方が多数居られるのてはないか。
を想定して書きます。

不安なんか放っておけ!
かつて、池田先生が大リーグ入りする岩隈投手に対して、言われた言葉です。
大白蓮華にも、岩隈投手の信仰体験として、掲載されていましたね。

自分がどうなのか。一切はそこにあります。
どんな苦難や困難があっても、乗り越えていくのは自分ではないですか。他人に自分の師弟を委ねてどうするのですか?

イケディーさんが、Les Misérablesを展開されています。
ジャンバルジャンは誰ですか?

who  am I?

迷路なんかありませんよ。
師弟があれば一切は乗り越えていけるのです。
実は、皆さん、ひとりひとりの師弟について
試されているだけなのですから。

自分自身と創価学会の発迹を頼む!

自分自身の発迹顕本をせよ、と師匠が言われているのですよ。

本当の創価学会は自分の中にあります。
私が創価学会であり、私の中には常に池田先生が厳然といる。

そうした、ひとりひとりに成っていかねばならないのです。


 

小作人@地上の発心さま、全くその通りです!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)20時30分7秒
  松戸さん、散々と日顕宗から叩かれ、学会側は知らんふり(-_-)
教宣で、必死になって現場が対論していた時に
、今の創価村貴族の面々は、のんべんだらり、派閥作って分派活動していたのでしよう。今に至って、教学改変?先生のご指導との整合性が?何を言ってるの、そんな話は十数年前に終えていなければならない話です。

専門外の宮田教授を使って新たな教学を???
ノーベル経済学賞の解説を法学部の教授に依頼して、訳の分からない説明しているに等しく、素人が聞いていても???の話で呆れてしまいました(-_-)
 

追記

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)20時27分53秒
  あと、こないだから私しつこく「花野充道」について書いてますが、閲覧されている方、お暇な時にでもこの名前で検索かけてみてください。
正信会時代からのこの男の言動、どんな人間が彼を持ち上げて、どんな人たちとトラブルを抱えているか、いろいろ出てきますので。
加古川市の浄福寺を根城に約20年、脱会者・法華講を使嗾して反学会活動に励んできたのだけど、まあ兵庫以外じゃ知名度ないマイナータレントかもしれんけど、還俗したから過去の事は水に流そうって話じゃないはずなんです。

問題は、宮田・中野の両創大教授も、またあの学術大会に出席した原田・谷川両名にしたって、そういういわくつきの来歴を持つ人物を、なぜわざわざあの時期に、創価学会の教義の根幹に関わるデリケートな議論を展開する場に呼んだかってことなんです。
宮田教授への破折も大事だけど、こちらのほうにももっと意識を向けてほしい。

それで、4.24について信濃町史観では相も変わらず「衣の権威が~」で宗門が発火点となって、それにヤマトモとか原島とか最高幹部のうちの“ごく一部の”反逆者が結託して先生を会長辞任に追い込んだ“ストーリー”なのは皆さん周知の通りで、いわば「宗門主犯説」の見解を固守しているのだけども、、、
それなのに“主犯”グループの最重要容疑者の一人をああいう場に何食わぬ顔で出させた。会長や主任副会長が分かっていて花野を破折することもなく平然とその場にいたということが、それこそ信濃町史観が全くの虚構であるとの逆証明に行きつくんですよね。
聖教紙面でのあの秋谷の反省の弁なんか心にもないことしゃーしゃーと書いてたってわけです。

兵庫県民として一番シャクにさわるのがですね、、主催者も出席した原田・谷川も「もうこいつ(花野)のこと、現場の学会員は誰も知らないだろう、覚えてないだろう」と、舐めくさった態度で彼を呼んだのがあからさまであること。
4.24から三十数年、いやもっと前からだけど面従腹背、こいつら先生も末端会員も馬鹿にし切ってきたのがこの件だけでも一目瞭然なんです。
馬鹿にされてるのは人生行路で「ルネサンス」を開花させなかった彼らのほうなんですがね。。。
 

一線引いて叱られて

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月12日(水)19時49分7秒
   血気盛んなひかり様に叱られて光栄ですよ。江戸っ子たんかの切れ味を伺うにつけ現代のジャンヌダルクもかくや、とひかり様には喝采しています。
 昨年この板に出会いました、秋や原だ谷川らのずるさ許さない舌鋒の皆さんに、大いなる頷きがありました。
 まぁ、閉鎖的権威を内外に見せる今の学会は、やはり寺院の内向き体質「独一本門事の戒壇」などの視野狭い歴史のままの宗門とご一緒してきたからか。今、一線に戻ると新聞や支援などを頼みまくる、もう出来ませぬ。新聞は機関誌的、ブロック体制で刺激のない、リーダーに魅力ない事もあります。この板に共感持ってますが、悪の退陣あと本尊どーするか、の展望に迷路を感じます。心配性なんですわーゴメン、また叱ってな。
 

うーこさんへ

 投稿者:獅子の子  投稿日:2016年10月12日(水)19時19分55秒
  無事に退院出来て良かったですね。ホッとしました。
無理なさらずゆっくり休んで下さいね。急に朝晩と冷えて来ましたのでご自愛下さいませ。
お身体 お大事にぃm(__)m

 

ロマンさん

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)18時33分57秒
  私はその会合も、発言も存じ上げません。

しかし先生が何の前提もなく言下に「信心」を相対化するような発言をされるとは思えません。

おそらく、現実の社会や生活を忘れて、ただ盲目的に「信心だけが正しい」「信心だけしていれば幸福になる」といった短絡的な信仰感を破されたものと推察します。
 

「いまさら感」と「これから感」

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月12日(水)18時19分35秒
  日蓮本仏論の再考にしても日寛教学の妥当性にしても、第二次宗門問題勃発の頃から少なくとも正本堂破壊の平成9年前後までは、普通に男子部や学生部(女子部は知らない)の部活なんかで活発な議論が交わされてましたよ。地域によるだろうけれども。
安永弁哲の『板本尊偽作論』が急きょ復刻されたり、美濃ナントカって脱会者の『日蓮正宗の謎』ていう本とか出て、弘安二年御本尊の信憑性から富士門流教義とそれを体系化した日寛教学への疑義・論駁も降ってわいたように現れた。
その一方で、ドイツSGI幹部だった松戸行雄さんの『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』や『日蓮思想の革新』のように創価ルネサンス教学の理論的基礎を提示する建設的意見も堂々と開陳され、現場での議論の叩き台になったのも事実。大学校運動華やかなりし頃もう二十年以上前で多くの現場がその水準だったんです。
だから2年前の教義条項“改定”にしても「今頃になって唐突になんやねん」てな話だし、去年の宮田“見解”だって、動画サイトの音声や文字起こしされたものを拝聴拝読する限りは「そんなドヤ顔で言われてもなあ。。」とリアクションに困る、要は特に目新しさはないわけ。個人的には。

で、創価ルネサンス運動の一番の眼目、ホシと言えるのは、誰かさんの「鶴の一声」とか「上からのお達し」に個人が唯々諾々と従って動くようじゃダメだよ~ってことを先生ずっとおっしゃってきたんじゃないの?て事でしょ、と私は解釈するわけです。
六畳一間の拠点に若い衆が五人十人ひしめきあって夜遅くまでワイワイガヤガヤあーだこーだ侃々諤々、口角泡を飛ばして自由闊達に議論する。
全国津々浦々そして海外でも、そうした小さいけれども現場での平等な仏子のあいだでの議論・討論を段々と積み重ねていって創価学会総体の方向性、未来へのグランドデザインが描かれる。これで行くんじゃなかったか? また、こうしたプロセスを踏んでこそ僧俗和合時代の習性にこだわる年配会員の方々にも新しく生み出される方向性を納得してもらえるんじゃなかったか?
頭カラッポじゃいかん。自分で考える力を付けろ。上意下達に甘んじているのは組織依存ってことだぞ。池田先生の「指導」を金科玉条のように言葉の表面だけで捉えて「命令」のように受け取るな・・・。先輩にもよるけれどもおおよそ自分はこんなふうに教わってきたし、後輩たちにもそのように口酸っぱくして語ってきたつもりなんですがね。
実数わかんないけど数百万人単位の人間を動向を、一片の通達だとか、一握りの人間が下手な考えひけらかして「これでどうですか? これでいきますわ」って独断専行で決めていく時代じゃないんすよ。
地涌の義に基づくのなら、本当に現場で苦労している一人ひとりが日々の戦いで学んだこと感じ取ったことを通して意見を出し合い、議論を深めてく。先生のおっしゃるように拙速に事を運んじゃダメで、それこそ百年・二百年でも時間かけりゃいいんです。ほんまもんの世界宗教とやらを目指すなら。。

ましてや平成ヒトケタ代のあの時代、会合以外で昼も夜もあんたらどこで何してたのさ、て訝られてる面々が勝手に進めてきた教義変更でしょうが?
宮田教授だって言っちゃあ悪いが、ずーっと象牙の塔にこもってらっしゃたような方じゃないですか? 経歴をみれば。
あの学術大会の運営にあたった中野毅教授にしても彼の愛弟子の弓谷君にしても、あの時代、どれだけ現場に入って、現場で鍛えられてたかって話。
若い子らが六畳一間で侃々諤々やってたところに全く立ち会ってもいない。ばかりか、そういう草の根での歴史的経緯、議論の積み重ねを完全に無視して、さも自分が最近思いついたかのような、あるいは自分ひとりで考えてきたかのような口ぶりで現場に話をふってくるから、、、
主張している内容の正否以前に「あんた(ら)ズレまくっとぉで」(神戸弁)でことだわさ。。

つまるところ、先に挙げた松戸さんとか、波田地さんや金原さんなんかと違って、
今の執行部の連中、宮田教授らの人生の行程に「ルネサンス」の時代はなかった。これからも迎えることはないだろう、というのがいま現在の所感。
 

正義の走者様

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年10月12日(水)17時55分25秒
  >「どなたかこの会合に参加された方はいらっしゃらないですか?」
私の尊敬する方が言われてました。<

私は確認しているのですが?

前後の文脈を確認とありますが、正義の走者様はどの会合かご存知なのですね?
ご提示していただけると助かります。
 

ロマンさん

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)17時42分51秒
  また聞きの、しかも切り文ですか。
前後の文脈をしっかり確認してください。

「ここに人生の絶対的な最重要の課題が残っている。仏法こそ、その解決の大法なのである。信心のみが、その厳粛にして最も重要な課題の解答を与えうるのである。」

これも先生の指導です。類似の指導は山ほどあります。

誤解を与える聞き覚えを、無分別に使用されない方が良いと思いますよ。
 

一線引いて思案かい。

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)15時28分1秒
  うまいよねえ、詭弁が。

でも、どうなんだ、そんなことをうそぶいて、折り合い付かぬとか。

そういう物言いを何て言うか知ってるよ。

結局中身カラッポ高見の見物。

エラソーに引いて見せ、賢そうに見せ、何もなし得ない無責任。


信濃町の人びと様は行動を起こした人であり、あなたとは立ち位置が最初から違う。


54年問題は総括されていない。

あれからずっと悪しき黒流が流れ続け、今こそ盛んだろうよ。

それを誰が止めようとしているの?

正義の執念? 当然じゃないか。。。 なにを寝ぼけた事言ってるんだろうか。

折り合い? 馬鹿な事をいうもんじゃないよ。そんなものは必要ないじゃないか。

正義は必ず明らかになる。

しかし、正義を叫び続けるのをやめなければの話だ。

 

日本共産党を高評価し、創価村貴族社会を最低評価する意味

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)15時24分30秒
  結党数十年間、プロレタリアート独裁から、独善主義の日本共産党が対話路線に転じ、一党独裁も捨てて野党共闘を模索して動いている。私は、高評価しています。裏心がどうであろうが、背に腹は変えられず必死でしょう。

かたや、創価村の貴族社会の面々。先生が作り上げた組織にあぐらをかいて、海外遊行、高齢者かき集めて大会合、対話拒否で気に食わない職員やら現場学会員を次々と降格・解雇、役職降格、査問・除名の嵐。
外部との対話どころか、内部学会員との対話も拒否して、内弁慶に本部別館に引きこもって便所の落書きを眺めながら、現場学会員に嫉妬してマスをかいている。最低評価です。

こんな事は、未だ破綻財源が明らかになっていないから、呑気にやっているのでしょうが、日共のようにセッパ詰まってからでは、宗教法人は行き場所を失うのですよ!!分かっているのかな(-_-)
 

学会乗っ取りの悪を許すなww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月12日(水)15時17分49秒
  問題の本質は池田創価学会を乗っ取ろうとしている悪人どもがいてww
騙されているってことですよ!

みなさん、気づきましょうよww
教義の細かいことが問題なのではないよw


事は明白
投稿者:正義の走者   投稿日:2016年10月 5日(水)09時33分42秒

神札問題、狸祭事件、言論問題、54年問題、宗門事件等、歴史に残る幾多の事件。

未来には、
「原田一派の創価学会乗取り事件」という歴史が刻まれるだろう。
 

柳原さん

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年10月12日(水)14時57分52秒
編集済
  公の媒体で 発言に対する責任が重いジャーナリストが 根拠も裏の証拠も示さないまま
「品性下劣な者たち」・・というタイトルや見出しをつけ断定的に「ラベリング」をしている行為は 名誉毀損に該当しないのかなぁ・・・

菅野完氏や富士宮ボーイに居た「阿部日ケーン(院政)」にも当てはまる話なんだけれど
あなたのジャーナリスト活動が 丸正事件で問題となった 正木ひろし氏と同じ事をやっていなかったか?
下記のwiki(丸正事件)を貼って起きますので 自己診断をしてみてください。(特に太字や 赤字の部分は重要)
あなたが 矢野穂美市議会議員や 妙観講の大草氏から訴えられて 敗訴するのも
下記の判例があるからなんです。
あなたも 正木ひろし氏と同様 探偵気取りで 思い上がった結果で
いつの間にか本末転倒にもなってしまったわけです



以下 丸正事件より抜粋引用

冤罪疑惑のある被疑者の弁護において、別の真犯人を提示することは弁護方法の最も優れた方法ともいえる。
しかし、捜査権限がない民間人が真犯人を推理することへの限界が指摘される。
また、冤罪を問題視して活動をしている人間
一方推定無罪で無実の可能性がある人間に対して推定有罪によって 冤罪に加担する可能性が出てくることの問題がある。


-以上 引用終了-



さらに 柳原さん自身 波田池氏 および 宿坊掲示板を非難し始めたのは
8月に あなた自身が敗訴した裁判以降なので その内容や経緯を考慮した場合
訴えたとしても あなた自身 敗訴するんじゃないでしょうか?

もっとも 波田池さんの立場に立てば あなたに対して告訴をしても
波田池さんの方が勝訴する確率が高い・・と思われますよ

http://

 

信濃町の人びと様に全面的賛同!

 投稿者:鉄砲玉  投稿日:2016年10月12日(水)14時42分24秒
  顕仏未来記に三国四師とあります。
インド⇒中国⇒日本 釈迦⇒天台⇒伝教⇒日蓮の事です。

そして信濃町の人びと様仰せの:
大聖人、日寛上人、三代会長はこの系譜で教義を理解し、説いているのです。

ここを外したら、崩れていくのは明白だと思います。
”根本義”をもなし崩しにしてしまうのが、空気でしょうか?無知でしょうか?不知恩でしょうか?
いずれにしても、恐るべし!だと思います。


 

根本が間違うと邪教化します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)14時07分16秒
  はっきりと申し上げれば

日寛教学から脱すれば
創価学会は邪教化します。

身延と何ら変わらない日蓮宗と同じになります。

それがわからないアンポンタン学会員を生み出した
現執行部の罪は重い。

インドでの仏教衰退の歴史
日本天台宗の真言化
日蓮宗富士派(現宗門)の要法寺化

いずれも、池田先生が危惧をされ
警告されてきたではないですか!!

一体、何を学んで来たのか、
何も学んでいないから

アンポンタン学会員を生み出したのです。

そこに、拍車を掛けたのが

原田会長が発表した、今般の教義改正問題です。

創価学会が師弟不二の信心に立ち返り

大聖人の仏法の真髄である
人と法の本尊、すなわち、

大聖人=御本尊=私達

に立ち返る時なのです。

大聖人、日寛上人、三代会長はこの系譜で教義を理解し、説いているのです。
 

一会員様の知見に視界開く

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月12日(水)13時29分10秒
  <創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人はやや悲観的に考えています。
創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。すなわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。
恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。
そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会は日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません。
そのような事態になって初めて私たちは、自由な日蓮教学の議論ができるようになるのかもしれません。
須田氏の論文に共感を寄せる学会員は決して少なくないでしょう。やはりそれはそれだけの数の学会員の方が、これまでの日蓮正宗の教義、つまり日寛教学にすでに染まってしまっていて、そこから離れて今後の創価学会の未来について語ることが思考の上でできなくなっている気がします。> 全文の終後半抜粋です

 A4に2枚分保存しました、視野広がって納得です。ご考察ありがとうございます。
 弘安2年がらみ本尊論には怒りをなす方が多いねぇ、私の回りにも思考停止の友人が激高してたなぁ。今は日寛教学
 の組み立てから脱して、大聖人の文字曼荼羅総体を偉大な民衆救済本尊として捉え、我が師3代会長に信心の根幹を教
 わった、と受け止めたい。
 それにしても、この宿坊の正義の執念と現執行部の悪企み、さらに本尊認識の違い、もう折り合い着かぬ所まで来た、
 富士門流の如く別れることになるのか…と一線退いて思案です。
 

80歳前後のもと幹部・活動家と外部友人

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)12時55分31秒
  のところへは、直接会って話を聞くと、いやはや~出て来る出て来る、情報が。


とにかく、幹部は悪い人間が多いよね-。

いろんな事やって来たヤツが多いね~。

壮年婦人かんけーないね~。

幹部って、業が深いと聞いていたが、いつまでも綺麗事言って済ましてんじゃないよ。

犯罪まがいのひどさだね。

特にびっくりなのはね、壮年幹部って、オンナ漁りの常習者がけっこういますね。

奥さん苦労の連続人生だわ。

驚くばかりの事実の数々が、これでもかと出てくるよ~。

(あのね、幹部同士、女子部幹部&壮年幹部は多いよね)

他県でこっそり子供産んで住んだりしててね。
でもって、現在幹部やってる実子の女性は腹違いの兄弟が居ることを全く知らない、とかね。

お古と知らずに男子部幹部が年上女房もらってたりね。

どうなのよ、この幹部組織、スゴイじゃないの。

今までは黙ってたけど、黙ってらんないんだってさ、大先輩達は。

あまりの組織の体たらくに、声があがり始めてて、ひかりみたいなのが行くとね、待ってましたって。


つまりね、池田先生がいらっしゃったから、押さえられていたわけ、タワケ者たちが。

大馬鹿野郎も、ドアホ女も。

エリートのふりして無能なヤツも。

創価貴族の弱弱精神の、楽して大いばり選民主義者の坊ちゃん嬢ちゃんも。

ね、本性その程度の幹部がウヨウヨだったけど、押さえられていたと。


ところが、池田先生がぴたっと動きを止められたでしょ。

だから、本性丸出し、組織運営まるで駄目、でも、カネは欲しい、権力も当然、でも楽したい、

そういうことでしょう。

大阪っぽくなって帰ったひかりの持論結論です。





 

今日の柳原滋雄コラム日記

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月12日(水)12時54分12秒
編集済
  今朝のお題は「品性下劣な者たち」だそうです。

言論では歯が立たないと判断されたのか、昨日、本日と何やら警告的な法律絡みの記述。

信濃町界隈におられる大弁護士先生あたりの関係者に悪知恵を授けられたのか?(笑)

どうも柳原さんは名誉毀損とか、裁判がお好きなようです。

2000年以降この16年間に関わった5件の裁判の内、4件が被告。1件が原告。

「また当方に限っていえば、どこかから金をもらって宿坊批判を始めた・金銭的バックが存在する旨の投稿がすでに多く集積されている。当方にとっては存在しないことを証明するのは難しいが、いずれも明白な名誉棄損行為に当たることは言うまでもない。」
(柳原滋雄コラム日記 2016/10/12より抜粋引用。)

と仰られておられるが、ご自分が行われた名誉毀損行為は棚上げでしょうか?

波田地氏や田口氏そして元職員3名の方々、宿坊の掲示板に匿名とはいえご投稿され貴方に決め

付けられた方々。

少なくとも信濃町界隈からの偏向・誤認情報を元に一方的に精査、調査する事も確認する作業も

せず、その上、憶測、推測、伝聞、風聞、決め付け、思い込みによる記事を書かれている事は事

実。

その証拠に10月7日のコラム日記での投稿。

「 「宿坊」ではさまざなな名前で投稿がなされるが、その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる。波田地の場合は、その投稿内容や同人の人格がにじみ出た内容から、「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と見られている。」

の部分を姑息にも訂正もお知らせもすることなく削除している。しかしお気づきでないみたいだ

けど上記の他にも誤認情報でまだ削除されていないものもありますよ(笑)

柳原さん、「頭隠して尻隠さず」

山友の眷属の様な信濃町界隈の大弁護士先生の姑息な作戦はお見通しです。(笑)



 

教学

 投稿者:ロマン  投稿日:2016年10月12日(水)12時48分14秒
  どなたかこの会合に参加された方はいらっしゃらないですか?
私の尊敬する方が言われてました。

『10数年前、池田先生は、関西で、SGIも含めたリーダーに言われました。

「この信心だけが正しい、この信心だけが幸せになる、などといってたら、私がいなくなったら、坊さんが学会を支配するようになるぞ。そんな魔法みたいな考え方は捨てなさい」と。』
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 15/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時52分20秒
編集済
  生命の実相 「無始の本仏」の世界

~本因とは久遠の妙法の修行~

名誉会長: 「無始の本仏」を知らしめるために、法華経本門はあった。いな、仏教全体が、そのためにある。その

根源の仏を知らなければ、三世の諸仏の師を知らないことになるし、成仏は思いもよらない。父を知らない子どもの

ようなものであり、ゆえに「自分がだれであるか」もわからない。大聖人が「寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に

迷える才能ある畜生」(御書 p215)と言われた通りです。 (略)

斉藤: 確認しますと、「無始」という「永遠」の視座によって、はじめて九界と仏界が真に“即”することになった

ということですね。考えてみれば、通常の論理では「因から果へ」というのが当然だと思います。 しかし、生命の実

相である「無始の本仏」の世界はそうではない。仏界(仏果)が九界(仏因)とともに倶時に実在する“不可思議”の

世界です。通常の因果の観念を打ち破る、妙なる「因果倶時の世界」であると。

遠藤: 発迹顕本しなければ、そういう「因果倶時の世界」は示せないということですね。今世で初めて成仏したと

いうだけでは、因が先にあって果が後にある因果異時のレベルしか示せません。 しかし、釈尊が悟ったのは、実は

「因果倶時の妙法」であった。それを示すために発迹顕本したということですね。

名誉会長: その「因果倶時の法」とは「無始の本仏」である南無妙法蓮華経如来の生命です。この久遠の妙法を修

行するのが「本因」であり、修行して得られる仏果が「本果」です。「本因本果の法門」とは、この一法を示さんと

しているわけです。それが発迹顕本の目的でもある。 「本因」というのは、そこに一切の修行を含む「成仏の根本的

な因」という意味が込められている。この本因を修行すれば、歴劫修行の必要はない。

http://

 

大阪で

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)11時52分14秒
  教学的な論争、、、

池田先生の弟子と名乗る人間は、どう行動するのが正しいのかは、明白だと思います。

大聖人の仏法の生命論に納得の数々の御指導。

その通りに正直に生きるのみです。

功徳・現証も、師匠に教えていただいた通りに起きることを、長年見てきているのですよ。

確信があるのに、なんでそこに疑いや異論が出て来るものですか。

祈り、折伏し、仏法対話することは、自然にできることなんです。

この信心はすごいよ、と言うことは、ちっとも難しくない。

下種仏法ですから。

どんどん讃えていくことが大切じゃありませんか。

大聖人の仏法は、どんな人のどんな苦しみも宿命転換できる解決法なのです。

人類の宿命も転換する偉大な教えです。

私たちは、だから今こそ、この法を広宣流布しようとしてきました。



ところが、近年、この創価学会の組織は、執行部から地方の上層幹部にいたるまで、

官僚主義がはびこり、悪党がやりたい放題の温床になっています。

悪行を見ても、かえってかばい合い、訴えた人間、良くしようと行動する人間を排除。

本末転倒の極悪組織の実態は、被害を受けた人ばかりが知るものではなくなりつつあります。



公明党は絶対平和主義の標榜を過去のものにし、権力に迎合の情けない下駄の糞状態を現出。

何が大衆と共に、ですか。

そんな党是は捨てたも同然じゃないですか。

手弁当で、何十年と支援してきた上にあぐらをかいて、自民党へのお追従行動。

本当に、みっともない。


連休中、大阪に行ってました。

モチロン対話ですわよ、とんぺい焼きだの、串カツ食べながらでんがな。

外部の友人たちにでんがな。

友人たちみんな、とっくに呆れてましたっけ。


一つ、気になったことがあるんです。

関東地方でよく貼られてる、黄色地に山口代表のイメージポスターを見かけなかったんですよ。

あまり貼られてない地域を歩いてたんですかね、私は。

大阪駅周辺・天王寺周辺・道頓堀周辺・大阪港周辺・新今宮周辺・まー見かけなかったですね。

気を付けてたんですがね~。










 

教学部長

 投稿者:教学部長  投稿日:2016年10月12日(水)11時51分4秒
  歴代教学部長の名前を知りたいのですが。
分かる範囲で構いませんのでどなたか教えて頂けないでしょうか。
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 14/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時50分13秒
  無始ゆえに因果倶時?

~「無始の九界」「無始の仏界」があってこそ真の十界互具~

名誉会長: これも一気に、「無始」の境地を言われている。「九界も無始の仏界に具し」 - 突然に現れた仏界では

ない。本有の仏界です。 「仏界も無始の九界に備りて」 - 突然に現れた九界でもなければ、いつか消えてなくなる九

界でもない。仏界とともに永遠の九界である。こういう「十界(諸法)の真実の姿(実相)」を、如実知見(実の如

く知見する)するのが寿量品です。 「無始」でなければ「本有常住」ではない。「本無今有(本は無く、今は有

る)」になってしまう。まさに根なし草です。この「無始の仏界」「無始の九界」が明かされてこそ、初めて九界と

仏界が“即”することになるのです。因(九界)と果(仏界)が因果倶時になるからです。それでこそ真の十界互具で

す。

須田: こういうことでしょうか。始成正覚では、仏界も歴劫修行の果てに初めて獲得されるものですから、「本無

今有」です。因果でいえば、先に仏因(九界)があって後に仏果(仏界)があるという「因果異時」です。 それで

は、確かに、仏果を得るまでの生命には九界しかなく、九界“即”仏界ではない。仏果を得てからは仏界しかなく、仏

界“即”九界ではない。

 名誉会長: そう。それでは真の十界互具にならない。十界互具にならなければ一念三千にならない。迹門の十界互

具・一念三千を「根なし草」「水中の月」と言われたゆえんです。 大聖人は迹門の十界互具を「始覚の十界互具」、

本門の十界互具を「本覚本有の十界互具」と呼ばれて、根本的に違うとされている。そのポイントは、無始無終の久

遠の本仏を知るか否かにある。
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 13/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時47分34秒
編集済
  「無始の仏界」と「無始の九界」

~開目抄と法華経の依文~

斉藤:(略)今までの因果を打ち破って根本の仏因と仏果 - 「本因本果」が明かされるわけです。その内容につい

て、「開目抄」では続いてこう仰せです。 「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百

界千如・一念三千なるべし」(御書 p197) 寿量品の発迹顕本によって、「無始の仏界」「無始の九界」が互具して

いる(互いに具している)実相が明らかになった。それによって真の十界互具・百界千如・一念三千が確立された、

と。

須田: 「無始」とは文字通り「始めがない」ということですから、「永遠」ということですね。これに対して「始

めがある」のは「有始」です。始成正覚は文字通り「始めて成ずる」ですから「有始」になります。

名誉会長: ここでポイントとなる「無始の仏界」「無始の九界」とは、それぞれ、寿量品の経文ではどこに当たる

だろうか。

遠藤: まず「無始の仏界」とは、「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり - 」(法華経 p496)

です。仏に成ってから無量の時間が経っているという、まさに久遠実成の文です。

須田: また、「我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祗劫なり。常住にして滅せず」(法華経

p500)も同じ趣旨ですね。

斉藤: 大聖人は、これらの経文から、仏の生命を「無始」と言われています。

遠藤: 「無始の九界」のほうは、「我れ本、菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶未だ尽きず。復上の数に倍せ

り - 」(同)です。九界(菩薩界)の生命も、永遠に続いているのだ、という経文です。

http://

 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 12/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時44分8秒
  始成正覚での諸法実相の説法の限界

~始成正覚の釈尊では「法」と「人」が一致しない~

須田: そう聞くと、一念三千はすでに迹門で完璧に出来上がっているようにも思えます。なぜ、釈尊自身が発迹顕

本しなければ一念三千は「根なし草」なのでしょうか。(略)始成正覚のままだと、凡夫(九界)の釈尊が十九歳で

出家して、仏道修行して仏になったというのは、いわば九界即仏界の側面だけです。そこで仏界即九界を顕すために

発迹顕本した - 。

遠藤: (略)「理論」だけであった仏界即九界を、釈尊の「体験」として、事実の上で語り、証明したところに発

迹顕本の一つの意味があったのではないでしょうか。

名誉会長:(略)確かに諸法実相の説法は、「九界即仏界」「仏界即九界」という生命の真実の世界を開くカギにな

った。 しかし、それを説いている釈尊が始成正覚のままだと、この諸法実相の説法と「大きな矛盾」が出てくるので

す。いいかえれば、諸法実相の説法は、無始無終の仏の「大いなる生命の世界」を、まっすぐに指向している。釈尊

が師とした根源の仏の世界を指向している。つまり、「久遠の妙法」即「久遠の仏」の世界を、ほのかに説いたのが

方便品の説法なのです。

斉藤: ということは、それを説いている釈尊が始成正覚のままでは、「説かれた法」と「説いた人」が一致しない

わけですね。一致するためには、諸法実相が指向する「久遠の仏」の世界を示すしかない。 つまり、発迹顕本は、諸

法実相の必然の帰結であり、諸法実相を実証するものであったということですね。

名誉会長: だからこそ舎利弗は、諸法実相の説法を聞いて、直ちに、それが指向している釈尊の「本地」を悟った

のです。それは自分の本地を思い出すことでもあった。その「本地」の仏のことを、大聖人は「諸法実相の仏」(御

書 p 714)と呼ばれています。 
 

「法華経の智慧」から学ぶ「永遠の法」と「永遠の仏」・寿量品 11/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時41分17秒
  南無妙法蓮華経は法であり仏身

~「仏」を離れた「法」は『理』だけの存在~

遠藤: 先ほど、寿量品の「発迹顕本」の意義について、うかがいました。 釈尊は、「永遠の法」即「永遠の仏」を

師として仏になった。釈尊が師としたのと同じ永遠の法即仏を師とせよ、と弟子たちに説き明かしたのが発迹顕本で

ある。そこには、“「人間・釈尊」に帰れ! そして釈尊を仏にした根源に直達せよ!”との力強いメッセージが込め

られていた。 ― こうしたお話に、目の覚める思いがしました。

斉藤: この「永遠の法」とは南無妙法蓮華経であり、「永遠の仏」とは南無妙法蓮華経如来すなわち久遠元初の自

受用身のことですね。

名誉会長: そうです。南無妙法蓮華経は法であるが、同時に仏身なのです。人法一箇です。ここが大事なところで

す。 「法」といっても「人(仏)」を離れた法は、「理」だけの存在です。実際には ― 「事」の上では ― 仏の智慧

を離れた法というのはないのです。 久遠元初の仏 ― 無始無終の常住の仏は、宇宙生命そのものであり、一瞬の停滞

もなく、常に不断に、一切衆生を救おうと活動しておられる。その仏と自分自身が、実は一体であり、自分自身が久

遠の昔から人々を救うため、広宣流布のために働いてきたのだ、今だけのことではないのだ ― そう自覚するのが寿量

品の心です。 目先のことではない。永遠の宇宙的スケールで今世の人生を見つめ、甚深の使命を自覚するのです。釈

尊も、「永遠の仏」と一体の自分を悟った。それを釈尊は「不死」の境地と言ったのです。釈尊は言っています。

「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」(『ブッダの

真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波文庫)、「最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て

一日生きることのほうがすぐれている」(同)と。

遠藤: この「不死の境地」と「最上の真理」とは同じことですね。

名誉会長: そうです。端的に言えば、どちらも一念三千のことです。
 

一般の会員さんには僕も含めて大変むずかしい話し、

 投稿者:大阪の地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時40分16秒
  僕もそうですが、一般の会員さんにとっては、教義の事については大変むずかしい話しだと思います。ただ、今の執行部の方々にはさわって欲しくない気持ちが強いです。絶体に変えてはいけないこと、逆に変えなくてはいけない事。
そこを明確に理解していきたい。
そして、根本には、全世界の弱い立場の人々を一番先に救っていける創価学会になっていくことを願っています。


 

一会員様 明らかな間違えがたくさんあります

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月12日(水)11時33分47秒
  例えば

##
須田氏がここで言わんとしていることは、基本従来の創価学会の教義である、日蓮本仏論への回帰、すなわち日蓮正宗の教義への回帰です。


【大いなる疑問です】

日蓮本仏論の回帰が 日蓮正宗の教義への回帰??
日蓮本仏論は日興上人門流の奥義ではないでしょうか??

そこからなぜ離れる必要があるのでしょうか?
今でも、創価学会は日蓮本仏論を維持している。
池田先生が日蓮本仏論を否定しているのか?


宗門と別れてからも、池田先生は一貫して日蓮本仏論を採用しており
日蓮本仏論を放棄するような発言は一切ない。

もはや、この一点だけをとっても師匠へ敵対する教学観ではないだろうか。


【池田先生のスピーチから数点、確認します】

★★
●  勇敢な信心たれ
 一、日蓮大聖人は、「末法の御本仏」であられる。
 ありとあらゆる三障四魔や三類の強敵が襲いかかってきても、御本仏の赫々たる御生命を破ることなどできなかった。
 ありがたいことに、妙法を信受し、大聖人の仰せの通りに、広宣流布に生き抜く私たちは、末法の御本仏の師子王の大生命を、そのまま、わが身に涌現することができる。

2008-12-26 【各部代表者会議】(2008年末最終のスピーチです)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11721


★★

大聖人は、”学歴”があり、社会的地位が高い人を讃えたのではなかった。
信心の世界に、学歴など一切、関係ない。そうした差別は、絶対にあってはならない。御書を拝しても、”学歴を重視せよ”などということは、ひとつもおっしゃっていない。
末法の御本仏である大聖人から「聖人」と呼ばれたのは、まったく無名の母である。
ここが、重要なところなのだ。この一点がわからなくなつてしまうと、学会も破滅する。
私は、戸田先生という師匠と巡り合う幸運に恵まれ、この”根底”を知っている。だから学会を護り抜くことができた。
この心がわからない人間がリーダーとなって、わずかでも舵取りを間違えたならば、学会は、もはや発展できない。
学会は信心の団体であり、広宣流布の団体である。広宣流布ができる人、広布のために指導できる人が中心である。
佐渡流罪で多くの弟子が退転するなか、鎌倉から幼子とともに訪れた女性──大聖人は彼女の信心を讃えられ、「日妙聖人」と尊称を贈られた。

2008-6-18 【新時代第19回本部幹部会】

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11486


★★

●「破邪顕正」は日蓮仏法の魂
 一、立宗宣言をされた場所は、清澄寺における師・道善房の持仏堂である。時間は「午の時」(正午ごろ)。大聖人は、厳しく邪義を破折され、南無妙法蓮華経の大法を説き明かされた。「破邪顕正」は、日蓮仏法の魂である。

そして、若き日に学んだ地で正法を打ち立て、師である道善房を正法に導かんとする、深き報恩の心を込めておられた。

大聖人は立宗宣言のころに、それまで名乗られていた「是聖房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)」という名前を、「日蓮」に改められたと伝えられている。

「太陽」は、一切を照らす。「蓮華」は、汚泥の中で清浄無比の華を咲かせる。この「日蓮」という御名前そのものが、末法の御本仏であることを明確に示されていると、拝することができよう。

2008-1-2 【各部最高協議会】

http://sgi-shiteifuni.com/?p=11085


★★
 牧口先生と戸田先生、戸田先生と私の間に、この師弟の精神があったからこそ、広宣流布が前進し、世界的な創価学会となったことを忘れてはならない。

仏法の根本は「師弟」である。私たちの不変かつ永遠の師匠は、南無妙法蓮華経の御本尊であり、日蓮大聖人である。

大聖人の仏法を世界に宣揚し、御本尊を弘通していくことこそ、「師弟不二」の実践の本義である。
御本仏の仰せのままに、広宣流布を実現しゆく創価の師弟にこそ、本当の「師弟不二」の精神が脈動している。仏に成る血脈が流れ通っている。

牧口先生、戸田先生、そして私の三代は、この仏法の方程式を胸中深く自覚して、師弟の道を進んできたのである。

【第60回本部幹部会・新世紀第5回東北総会・新世紀第4回中国総会】
 (2006・5・25)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7373

★★

 法華経の法師品に、「仏を讃嘆すれば、無量の功徳を得るであろう。法華経を受持する者を讃嘆すれば、その福徳はまた、それ以上であろう」とある。
 末法の悪世において「法華経を受持する者」とは、いうまでもなく、別しては、末法の御本仏たる日蓮大聖人であられる。

総じては、日蓮大聖人と「同じ心」で、広宣流布に進みゆく、地涌の菩薩の我々なのである。

本当に広宣流布のために戦っている人は、だれなのか。
その人を、どこまでも大切にせよ! 最大にほめ讃えよ!
その功徳は無量無辺である ── それが法華経の心である。

【各部合同研修会】(2006・8・2)

http://sgi-shiteifuni.com/?p=7469



 

退院

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年10月12日(水)11時27分23秒
  皆さまのお題目のお陰で昨日無事に退院できました。ありがとうございました。風邪には気をつけます。肺炎は苦しかったです。  

破壊されゆく大都市・・戦争の怖さ

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)11時04分23秒
  ドローンで撮影された、最近のアレッポの状況だそうです。

必見・・

https://www.youtube.com/watch?v=rkb3y6K3waU

こういう状態が世界にあるので空理、空論の論議を弄ぶより、創価貴族様は世界へ飛び出すことではないでしょうか・・

本部就職希望者は是非・・行ってみてください。大変なところに・・

そういえば、イケデイアン様の娘さんアフリカへ・・行かれましたね・・

今は日本の若き女性が・・世界で大きく活躍。


生涯広布 ペンギン
 

世界広布のためなら教義を変えても? そうすれば法は自然広まり、民衆救済はできる?

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月12日(水)10時41分24秒
編集済
  一会員さまは、先日海外はすでに日蓮本仏論を取っていると・・書いておられた方ですよね。

以下、あなたの主張について・・ 私の意見を述べます。

(1)「主師親の三徳を持つことが本仏の証明であるようにここでは考えられていますが、そう考えているのは日本
国内で日蓮正宗だけの考え方であり、なかんずく日寛の教義です。このように解釈する日蓮系教団は日蓮正宗と創価
学会と顕正会だけであり、一般的に評価されてはいません。」

戸田先生が戦中牢獄の中での悟達を経て、牧口先生の意思を継がれ、戦後の荒野に一人立ち戦い始められた。その

後、創価教育学会のホッシャクケンポンをされて今の創価学会がありますよね。

その戸田先生は「教学は日寛上人の戻れ、信心は大聖人時代に戻れ」と・・

同志の歌を歌いながら、池田先生、他の弟子達を育てられながら、75万所帯の偉業を達成されてお亡くなりになっ

た。その戸田先生の意思を継がれ750万所帯達成されたのが、世界190カ国を越す国々に法を広げられてこられ

たのが我らの師匠です。師匠は常に日寛上人の教義です。各国に散った同志は各国の国の様々な制約、文化の違い、

偏見、言葉の問題、経済的な問題に負けず、岸壁に爪を立てる壮絶な闘い開拓があったわけです。 しかし、見落とし

ていけないのは、そこには常に師匠の心温まる支援があったればこそできた。これが真実です。師匠の激励、支援が

なければ不可能だった。海外の同志にとっては先生だけです。先生が激励してくださった。つまり、民衆救済、法を

広めるというのは一般的評価が問題ではなく。師匠のように、どれだけ他人のために行動したかこそ問われるのであ

って、日蓮本仏論が、一般的に評価されるかどうか? という論議は机上の論理、室内での論議ではないでしょうか

次に

「(2)創価学会が今後、世界宗教として広がっていく時に果たして、日寛の教義を守ることが必要かと問い直す時
期に来ていると私は考えています。 」

日寛教義を守って、これまで190カ国以上に信者がいる世界宗教になってきたのです。どこに問題があるのか、あ

なたの見解は海外で戦っている私には全く理解できないのです。最近は宮田氏も、あれだけ、海外がどうのと言われ

ていたのに、最近では海外のことはわからないと主張を変えてきているのをご存知でしょう。創価の目的は信者を増

やす事ではありません。この世から不幸を取り除くことです。宿命に泣く、戦火に苦しめられる人々の救済の数で

す。いたずらに数を増やしても、本格的な信心に行かせるまでは・・途方もない努力と年数がかかります。教義を軽

きモノ、飛びつきやすいモノにしたところで、その方々が幸せになれるのでしょうか。池田先生の指導ものと創価に

は国内外に何百万の体験実証があります。ですから、変える必要ではなく師匠の教義を守る必要があるのです。

「(3)日蓮を本仏とする考え方とはいったい何でしょう? それは歴史上の仏教の開祖である釈迦よりも日蓮を上の
存在と立てるということでしょう。 しかしそれにどんな意味があるのかということです。 」

上とか下の問題ではなく、永遠の仏の明確な認識です。釈迦が悟った永遠の教師は誰か、我々は誰を永遠の教師とし

なければならないか、という問題だと思います。釈迦自身は自分の胸の中に「永遠の仏」を見た。それが、釈迦が仏

になることができた教師であったわけです。その教師は吾なりと大聖人は言われています。しかし、本義は全ての生

命は仏の生命に包まれるわけですからその差は無きなりです。でも、教主釈尊は誰であるかはしっかり把握、認識し

ていかなければならないと思います。そして、その教義を世界中に広めていくのが私たちの使命です。 1000年

後,10000年後・・永遠の未来を見据えていけば・・永遠の仏と法=教主釈尊=日蓮大聖人の生命・・この部分

は変えてはならないはずです。

逆に言えば、日蓮を本仏としないとした場合、どれだけ、世界にこの法が広まり、不幸な民衆を救っていけるのでし

ょうか? 大聖人さまほど、また、創価三代師匠ほど迫害され戦った人物はいません。世界に広めるためにはこのよ

うな殉教をした人こそ本物・尊い・信じられるのです。どれだけ、民衆のために立ち上がったかです。理論ではあり

ません。事の理論です。行動の哲学です。行動して初めて法を広められ、激励して、体験実証をえてこそ、初めて

人々に伝わるのです。 そうやってきたのが先生率いる創価学会であったし、SGIでしたし、今後もそうでなければな

らないのです。広宣流布は事の民衆救済であって、仏具や書籍商品販売(流布)や理論の流布でもありません。

戸田先生は三代会長を守れば広宣流布はできると断言されています。つまり、池田先生の精神、教学を守れば広宣流

布はできるということです、裏を返せば、ここを外せばできないということです。広宣流布は人類未聞の大事業です。

「(4)だとすれば、それは無理に日蓮を「本仏」としなくても、十分に立論できることなのではないでしょうか。
釈迦が仏教の「開祖」であり、日蓮は自宗の「宗祖」であるとすれば十分かと思います。 」

立論しても全く意味がありません・・どのような視点でモノを言っておられるのか?

あなたも世界広宣流布を真剣にお考えであれば、まだ、全く流布されていない国に、お一人で行かれて法を広めてみ

てはいかがですか? そうすると、先生の偉大さがわかります。あなたの考え方、宮田氏の考え方は空理、空論で

す。 年だ? 職業が? 祈り切って、ぜひ実現を・

また、何かを犠牲にする覚悟がないと世界広布はできません。草創のパイオニア皆さんそうしています。

(5)「創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。 」

・・ここだけは同意・・だから、我々は戦っているのです。

「(6)創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人
はやや悲観的に考えています。 創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確
立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。す
なわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。 」

教義は日寛上人の教義に戻るしかありません。その上で法華経の智慧で述べられているような、現代解釈も取り入れ

ながらも、その原理原則を変える必要はありません。


(7)恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ
分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。 そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会はもしかした
ら日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません。

ここは視点はどこにあるかという問題ですが、これは上でも述べていますので割愛。

創価学会は崩壊させてはいけないのです。SGIも独自路線?独自路線とはどういう意味でしょうか? 支配の理論でし

ょうか? ・・創価三代師匠を永遠の師匠としていく限り、少々、展開の仕方に差はあっても問題はないと思います。

問題は展開の仕方に日本流を持ち込み、其れが絶対とするような事があれば・・独自路線になる可能性が高いでしょ

う。でも、だからと言って其れは即三代師匠の精神が壊れることとは違います。支配しようとすれば、其れは誤りで

す。大聖人の仏法は民衆の仏法ですから、支配するとか、独自路線を行くとかという観点ではなく、正しく伝わって

いるか、正しく伝えるかの問題です。

長い目で見れば書面でいくら契約書に署名させても、お金で縛ろうとしもダメでしょう。要はその国のメンバーが正

しく師弟不二の精神を継承できるか? また、継承させるかではありませんか。


生涯広布&広布一筋

http://

 

大御本尊はそのままで、本来の出発点に立ち返る時

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月12日(水)10時05分57秒
編集済
  だから、何度も言っています。
大御本尊には触れない。(そのままで。)今までやってきたことが無駄にならないように。
これが池田先生のご指示です。

どなたが以前に指摘されていましたが、正本堂建立時に、大御本尊の年代測定は行われているのです。
放射性同位元素の科学的測定です。池田先生はその結果もご存知なのです。しかし、一言も何も触れない。触れる必要はないのです。これから学者や研究者がきちんと真贋を判定していくでしょう。しかし、日蓮大聖人と大御本尊への確信は何ら変える必要がない。変えてしまえば、創価学会の歴史を否定することになるからです。

敢えて方向性を考えるならばパラダイム転換により、大御本尊の存在は認めながらも、意義を抽象化して、大御本尊への信の部分を引き継いでいけばよいのです。

以前に秋晴れさんにも提示した箇所をよくお読みください。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51766

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51886


また、教学部レポートには、当時の教学部がどのように考えていたかも明確です。

教義を変えて行くことに反対ではない。大御本尊の問題はいずれ乗り越えなければならないからだ。しかし、土台が1ミリ間違えば、塔の上、つまり、現場では、数メートルも曲がってしまう。

斜めになった塔はやがて倒れる危険性がある。

だから、慎重には慎重を期してやるべきである。

こうした諫言と、方面長からの意見もあり、
原田会長はじめ、4人組は一度は変更は難しいと諦めたのです。

教学部は、学会が拡大し広宣流布してきたのは、日寛上人の教えを根本にした、つまり、大御本尊への信を根本にした、
代々の会長と我々学会員の大確信があればこそで、創価学会の信心の根本がそこにあった。

もう一度、日寛上人の教学の本義に立ち返り、慎重に日寛教学を止揚していかねば、誤った教義変更になりかねないと危惧をしていたのです。

須田さんの立ち位置は先ずは宮田なる平成の日精破折です。

破邪が先になされなければ顕正はないのです。

宮田なる平成の日精の先にいるのは、悪の4人組みです。
潜聖増上慢になりかねない4人組みなのです。

相手の論考を引き出す目的なら理解出来ないわけではないのですが、申し訳ないが、螺髪さんの論におやっと感じてしまう部分があります。

創価学会の独自性とは三代の会長です。
その中心をなすものは、信心の血脈と言ってよいかもしれない。宗門の血脈とは全く異なります。


初代牧口先生の大確信。
戸田先生の獄中の悟脱。
池田先生の師弟不二、世界の碩学との対話、哲学の相対化による日蓮仏法の普遍化。

三代の会長の指導のまま進むことなのではないですか!

誰が、三代の会長の指導を破っているのか?
既に明確ではないですか!

一度は、執行部が正式に発表してしまった教義変更を
もう一度、本来の出発点に戻り考え直していく。

これが、須田論文の立ち位置ではないでしょうか。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0
 

呑気に、宮田・須田論文比較考証してどうするの?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月12日(水)09時42分56秒
編集済
  これを延々とやっていれば、飯の食いそびれもない職員(創価村教学部の面々)が延命出来るだけで、何も役立たないです。

現場学会員として、昨年から何度も投稿している通り、創価村サイコ大患部自ら出向いて対話をして不毛の内弁慶な行為も止めて、未来を作り上げる作業に取り掛かってください。

言っている分かりませんか?先生存命中に、一番やりたくない事、日蓮正宗との対話、顕正会との対話、日本共産党との対話、元職員三名との対話、ハタチ氏、タグチ氏との対話、現今まで組織で村八分にして査問・除名してしまった学会員との対話(公益犯罪者を除く)です。

対話してどうするかは、創価村のサイコ大患部次第です。未来を拓くためには、前に進む事が必要で、どうするのか、我々現場の末端会員は、じっと観ています。

あなた方、創価村のサイコ大患部は、それに見合う以上の立場とコストを現場学会員から認められている(委ねられている)のです。仕事しないと地獄行きですよ!!地獄は自ら構成しているでしようが今生の役目を果たしくださいね。何もしないで今生終えたら、次は草木以外ですよ!

現場学会員には、辛い思いや大変な思いをさせない事。余計な負担もさせない。あなた方が全てを受けて大変な思いをして、苦労もして現場学会員を護る事が使命です。先生が、自分の事をそっちのけで動き語り、現場に入っていたのは、現場学会員の幸せを第一に志向していたからでしょう。冷暖房完備の本部別館に毎日通って、管巻いて時間潰している暇は無いはずです。高齢者をかき集めて大会合開かせる事でもありません。
一番やりたくない相手のと対話、和解、プライドタカピーで絶対やりたくないでしょう、人に頭下げた事も無いし、今迄、威丈高に上から目線で申し渡ししか、して来なかったでしょうが、対話をやるのです。宜しくお願いします。
 

一会員さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月12日(水)09時24分6秒
   >創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人はやや悲観的に考えています。
 創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。すなわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。
 恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。
 そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会はもしかしたら日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません(投稿者:一会員   投稿日:2016年10月12日(水)06時22分9秒)<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57965

 一会員さんの「論」に「なるほど」「なるほど」「なるほど」の思いです。

 これを、宮田氏の後押しと見るのはいかがかと思います。私は、須田論文95%賛成。何しろ、日寛教学にずっぽり漬かってきましたからね(笑い)。5%を残すのは、どなたの投稿だったか、宮田氏も「日蓮本仏論」の余地を残しているとの趣旨の指摘があったからです。

 池田先生の「本仏論」というのは、どうもそこらあたりではありませんね。須田論も、宮田論も包含した、その先のものだと。それは、グリグリさんの投稿にもありました。

 >グリグリが使う「日蓮本仏」は、ただ単に「釈迦仏や諸仏をも超える宇宙根源の御本仏」という神聖化され、きらびやかに荘厳されたものではありません。=中略=
 その意味において、須田論文は宮田論文の破折には有効ですが、学会教学の再構築を考えた場合、物足りなさを感じます<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56560


 「教学部レポート」の記述で、会則変更を先生に報告したときに「そんなに急いでいいのかい」(趣旨)とのお応えがあったというのも、そこらあたりの意味を含んでのものかと思われます。


 

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月12日(水)08時54分29秒
  創価学会は、日蓮正宗の貫首絶対主義や僧勝俗劣といった逸脱した考え方やその教義転化を問題にしたのであって、教義の本質まで批判したのではない。

「袋きたなしとて金を捨る事なかれ」

相手の逸脱を批判するに乗じて、自らが逸脱する事こそ愚の骨頂である。
厳に戒めるべきだ。
 

柳チャ~ン、「品性下劣な者たち」って小生も含まれてるの~(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月12日(水)08時44分4秒
  おはよう柳チャン、早速コラム日記更新ありがとう(笑)今日は出張じゃなかったんだね~(笑)

なんだか悪口言われて「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」感が見え見えなんだけど~(笑)

それとね柳チャン、10月7日のコラム日記の消去された部分
>「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる<
>波田地の場合はその投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と思われている<

何の証拠もなく、推測、決めつけってこんな駄文を書き散らす方の「品性」はいかがなものでしょう(笑)

「にじみ出ている」なんて表現、個人的憎しみしか感じないような書き方をされる方は「下劣」に思うんだけど~(笑)

また「お詫び」も「訂正」もなく、黙って勝手に消すのはジャーナリストとして「品性下劣な者」じゃないのかな~(笑)

それとね柳チャン、本日のコラム日記から引用。
>また当方に限っていえば、どこからか金をもらって宿坊批判を始めた金銭的バックが存在する旨の投稿がすでに多く集積されている。<
>当方にとっては存在しないことを証明するのは難しいが、いずれも明白な名誉棄損行為に当たることは言うまでもない<

以前はね~柳チャン、誰にも金は貰っていない旨の文で完全否定してなかったっけ~(笑)

それが今回は「証明するのは難しい」ってトーンダウンしてるのは何故かな~(笑)

柳チャンの文言の端々にバックの存在が匂うって指摘してるだけなんだけど~(笑)

それもこれも、柳チャンの書いてる情報が一方的で、推測、憶測、決めつけのオンパレードだからなんだよ~(笑)

柳チャン、一応ジャーナリストなんだから~、ちゃんと双方の意見を調査して、公平公正な立場でモノいわなきゃ~(笑)

明日はちゃんと調査したもので、公平公正な意見を期待してるよ~、ファイト!柳チャン、(笑)
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、やはり歌詞は変えてはいけませんね~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月12日(水)07時57分39秒
  おはようございます。原田怪鳥様、総福島の支部長会へのご出席、誠に、誠に、ご苦労様でした~。

「学会歌『紅の歌』が反転攻勢の旗印として、福島で開催された全国男子部幹部会で紹介された広布史に言及」

されたのなら、なおさら歌詞を変えるべきではなかったかと小生は考えますが・・・・(-_ー)

「三代の会長は永遠の指針」なのですから、「師匠」の思いを受け継ぐ意味においても変えるべきではないと思いマス。


追伸
須田論文に対しての反論投稿が賑やかしてマスが・・・まあ、個人がどの様な思いを持っても自由という前提で・・・

この方達には「師弟」が感じられないと思うのは小生だけですかね・・・

なんか宮田教授を必死に擁護してる感じが多々ある気がするんですけどね~


 

日蓮本仏論、日寛教学を信じた三代の会長が創って来た創価学会

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月12日(水)07時31分13秒
編集済
  >誰が何を考え主張しようと自由ですが…
日蓮本仏論、日寛教学を信じた三代の会長が創って来た
創価学会です。教学が間違っていたのであれば
何故これ程の大発展が成され寝たきりおじさん様が投稿なさった
ような現証が現れるのでしょうか?<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57910

いいぐる様、おはようございます。
以前から、このご投稿が胸に焼き付いております。
まさに仰る通りです。強く深く同意致します。

>日蓮仏法は生活法であり現証を持って判別するのが一番わかりやすいと考えます・・・<

事実として、2014年11月の会則改定以前と、会則改定以後を比較してみたらいかがでしょう。
自称一番弟子の原田会長の指揮の元、広宣流布がどれだけ拡大したのか?
現場会員が、幸福の実証と信仰の確信をどれだけ掴んだのか?
池田先生の平和思想を、どれだけ実現できたのか?

現場会員(民衆)の幸福を忘れた机上の空論は煙のようなもの。
三代の師匠の教義は民衆と共にあった事を忘れて、教義を論ずる輩はまやかしとしか言いようがございません。
民衆の為の幸福法。それが三代の師匠の教義であり、それを後世に伝えるのが我々の使命だと思います。

いつも目が覚めるような、師弟の情熱溢れるご投稿に深く感謝しております。
誠にありがとうございました。
 

宮田教授と須田論文③

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年10月12日(水)07時02分38秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

一番重要なことを提示します。

①創価学会の教学は「池田先生の流布した教学」です。

②私たちは池田先生の弟子です。
弟子であるなら「池田先生の流布した教学」を世界へ流布するのが弟子の道です。

③師匠の「在世」に教学的解釈を独自にした「正しい弟子」は歴史上にいない。
※日興上人も日蓮大聖人在世に独自に教学的解釈をしていない。
※戸田先生も牧口先生の在世に独自に教学的解釈をしていない。
※池田先生も戸田先生の在世に独自の教学的解釈をしていない。

文証
池田先生のご指導
昭和63年5月22日の御指導で、師匠の言を何よりよ第一義とするのが仏法の原則である。

現在、この掲示板に宮田教授の論文に賛同する方がいます。
学問として発言されるのであればご自由です。
しかし信仰者として発言されるのであれば問題です。
厳しく言えば外道です。
自分の教学力を誇示したいだけでしょう。

宮田教授は創価大学の教授と言う立場であり、創価学会の教学に影響力があります。

宮田教授に賛同する方に質問です。
もしも宮田教授が立正大学の教授と言う立場であっても彼の論文に賛同しますか?
いつの間にか創価大学の教授と言う地位に騙されていませんか?


 

わが友に贈る 2016年10月12日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年10月12日(水)06時57分56秒
  誰も見ていない所で
努力を重ねる人は
最後に必ず信頼される。
策や要領に走るな!
誠実の振る舞いで勝て!
 

日蓮本仏論見直しについて。

 投稿者:一会員  投稿日:2016年10月12日(水)06時22分9秒
  須田晴夫氏の論文について。
須田氏がここで言わんとしていることは、基本従来の創価学会の教義である、日蓮本仏論への回帰、すなわち日蓮正宗の教義への回帰です。


何度読んでも、これは本来の日蓮正宗の教義への懐古でしかないと思うんですよね。


ところで、現在の創価学会に必要なことって、こういう従来の創価学会の教義への回帰なのでしょうか。


私は宮田幸一氏の論が完璧であるとは思いません。ただ宮田氏はこれからの創価学会の教義のあり方を示し、考える材料となり得ると思います。
現在の創価学会の教義はつまるところ、日蓮正宗の教義であり、つまるところ日寛の教義でしかないからです。


そもそも日蓮本仏論を主師親の三徳を論拠とし、その根拠を開目抄や撰時抄に求めても、それが果たして今後の創価学会の教義にとり、必要なことでしょうか。
須田氏の反論の内容は、宮田氏の立論を読んで動揺する学会員のために書かれたように思えても、今後の創価学会の教義を根底から考え直すという宮田氏の問題意識とは全く違うものと思われます。


主師親の三徳を持つことが本仏の証明であるようにここでは考えられていますが、そう考えているのは日本国内で日蓮正宗だけの考え方であり、なかんずく日寛の教義です。このように解釈する日蓮系教団は日蓮正宗と創価学会と顕正会だけであり、一般的に評価されてはいません。


加えて日蓮本仏論を論証する際に日寛が引用した相伝書の類いは、ほぼ日寛が引用し始めたものですが、本因妙抄等の血脈抄といい、ほぼ偽書説が確定しています。


そもそも日寛の誤りは、弘安2年の御本尊を日蓮出世の本懐とまで持ち上げてしまったことにあります。
弘安2年の御本尊を受持の対象としない、という風に曖昧な表現にして、創価学会本部は教学の転轍を図りましたが、明らかに今までの古参の学会員への配慮の上でのことであり、本来はそこを乗り越えたい。


というのも、弘安2年の御本尊は後世の作であり、日蓮在世の作でないことはほぼ確定してしまっているからですね。
例えば「二千二百三十余年」の表記と「二千二百二十余年」の表記の違いもそうですし、河辺メモで発覚した弘安3年の日禅授与本尊との文字の一致もそうです。
また弘安2年の御本尊がそもそも御本尊七箇相承の通りに書かれていないという事実。相伝書であるはずの御本尊七箇相承の記述が弘安2年の御本尊の表記と矛盾するということ。



そもそも日蓮本仏論も、弘安2年の御本尊も、三重秘伝も、人法一箇も、受持即観心も、聞法下種と発心下種も……現在創価学会で言われるほとんどの教義が日寛によって生まれたものです。



創価学会が今後、世界宗教として広がっていく時に果たして、日寛の教義を守ることが必要かと問い直す時期に来ていると私は考えています。


日蓮を本仏とする考え方とはいったい何でしょう?
それは歴史上の仏教の開祖である釈迦よりも日蓮を上の存在と立てるということでしょう。
しかしそれにどんな意味があるのかということです。


創価学会が従来からとってきた考え方は、もはや正法・像法時代の仏教では衆生を救うことができないゆえ、末法の衆生は末法の本仏である日蓮の説く法によってこそ救われるということでしょう。
つまり釈迦の心はどこにあるのか、それを鎌倉時代において問い直したのが日蓮であったと考えることができます。
そして末法における賎民、漁師の子であった日蓮が仏の命を涌現することで、末法万民の成仏が可能になったと。


だとすれば、それは無理に日蓮を「本仏」としなくても、十分に立論できることなのではないでしょうか。
釈迦が仏教の「開祖」であり、日蓮は自宗の「宗祖」であるとすれば十分かと思います。
また日蓮正宗とは違った「本仏」という考え方を探ることもできるでしょう。無理に日蓮正宗のように「釈迦より日蓮が上」という考え方や、他宗が全く相手にしない開目抄の日寛解釈を今後創価学会が採用する理由はないと思われます。



創価学会は今後、御本尊の問題、そして日寛教学の根本である日蓮本仏論の問題と向き合う必要があるでしょう。水面下ではすでに数年前から動いているようですが、恐らく公表はされません。
学会本部としても、弘安2年の御本尊受持を教義から外したのにもかかわらず、根本にする御本尊が、日蓮正宗の管長書写の御本尊では矛盾だということも気づいています。


恐らく信濃町の幹部の方の意見も二つに割れていると思われます。
であるからこそ、須田氏の論文は信濃町からは黙殺される可能性が高い。


今回の日蓮本仏論見直しの事態は、日蓮正宗の教義すなわち日寛教学を今後も続けるのか、それとも従来の日寛教学でいくのかという、創価学会の根本的な煩悶であるのでしょう。


創価学会はすでに形骸化し、官僚化してしまっています。創価学会が今後、日寛教学から離れて独自の教義を確立できるかは非常に重要な試金石なのですが、私個人はやや悲観的に考えています。
創価学会の形式的な幹部、日寛教学への固執がある限り、創価学会は独自の教義を確立できないでしょう。そもそも弘安2年の御本尊を根本的に否定できなかった理由の一つがそこにあったわけです。すなわち従来の学会員からの反発であり、それが今までやってきた教義の全否定になってしまうからです。


恐らく今後は創価学会が内部から崩壊し(すでに活動家の高齢化による減少は止めようがないと思われます)、SGIが独自路線を歩み出す、また日本の創価学会も独自の教義を持ち出す分派が現れる可能性もあります。まあ分派については信濃町が圧殺する可能性が高いですが。
そこまでの事態に立ち入らなければ、創価学会はもしかしたら日蓮本仏論の見直しということができないのかもしれません。


そのような事態になって初めて私たちは、自由な日蓮教学の議論ができるようになるのかもしれません。
須田氏の論文に共感を寄せる学会員は決して少なくないでしょう。やはりそれはそれだけの数の学会員の方が、これまでの日蓮正宗の教義、つまり日寛教学にすでに染まってしまっていて、そこから離れて今後の創価学会の未来について語ることが思考の上でできなくなっている気がします。



 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月12日(水)03時57分55秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2010.2.23 【全国代表者会議】

■ 一、きょうは、各地の広宣流布のリーダーの代表が集《つど》った。本当に、ご苦労さま!
 今年は、栄光の創価学会創立80周年。
 今、この時に巡り合わせた皆さんが、一人も残らず、わが栄冠を勝ち飾ってもらいたい。
 そして皆さんのご家族が健康で、最高に幸福な人生を歩まれることを、私と妻は毎日、真剣に祈っている。
 新しい人材を、どんどん伸ばしたい。年配の幹部も、若々しく進んでいただきたい。
 生き生きと戦い、生き生きと勝つのだ。
 偉い人間とは、「正義の人」であり、「勝利を開く人」である。
 「信念の行動者」であり、「皆を朗らかに喜ばせる人」である。
 君よ、「必勝」の指導者たれ!──私は心から願っている(大拍手)。

● 日の出の勢い!
 一、おかげさまで、全世界の同志の皆様の力によって、学会は、大きく発展した。
 幾多の団体が、時代の変化の波に衰退を余儀なくされる中、わが学会は、民衆の平和の柱として、揺るぎない存在となった。
 本当にありがとう!
 あらゆる嫉妬や偏見も、すべて、学会の前進によって、厳然と打ち破った。
 まさに日の出の勢いである。広布へ進む友の、勝ち戦の万歳が轟いている。これほど、うれしいことはない。
 正義に生きる皆様の福徳は、無量無辺である(大拍手)。

■ 威風堂々と! 信心のスクラム
 一、「経の王」である法華経は、一体、何のために説かれたのか。
 それは、万人を仏にするためである。
 広宣流布こそ法華経の魂なのである。
 法華経の宝塔品で、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が来集した。それは「令法久住(法をして久しく住せしめん)」のためであり、「未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと」(御書236㌻)されたゆえである──。
 そのように、「開目抄」で仰せである。
 広宣流布の闘士が集い、大仏法を学び弘めゆく会合も、一面からいえば、現代における法華経の会座であるといってよい。
 法華経は、峻厳なる師弟の儀式である。
 日蓮大聖人の御心のままに、我らも誉れの弟子として、濁悪の世に、広宣流布の前進と勝利を開いてまいりたい(大拍手)。

 一、師のもとから勇んで打って出る。そこに、発展と勝利のリズムが生まれる。
 この根本の軌道を、戸田先生は教えてくださった。
 先生は、重要な広布の会議について、その精神を、厳しく打ち込まれた。
 「全員が責任者の覚悟で参加し、意見を述べよ! 決まったことは、何があっても実行し、実践せよ!
 そして、断じて戦い、勝って、次にまた集まるのだ!」
 師弟不二の、この呼吸、この息吹、この祈り、この決意、この勢いで、学会は威光勢力を増し、勝ち進んできたのである。
 上も下もなく、皆が自分らしい持ち味を生かし、同じ責任感に立って、威風堂々と進んでいく。ここに学会の強さがある。
 師とともに、同志とともに、心を合わせていけば、信心の軌道から外れることはない。
 正々堂々と、皆でスクラムを組んで、広宣流布のために戦おう!
〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉

■ 世紀を担う秀才
 一、きょうは、アメリカ創価大学出身の男子部、女子部、男女学生部、そして未来部のリーダーも出席している。
 いい青年が育っている。「核兵器のない世界」へ向けて、学友に対話を広げる学生部員の活躍も、よくうかがっている。恩師・戸田先生が、どれほどお喜びであろうか。
 思えば、学生部の結成は、昭和32年(1957年)の6月30日のことだった。
 私は北海道・夕張の天地から、「新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会おめでとう。会長先生のもとに勇んで巣立ちゆけ」と祝電を送った。
 あの嵐の「夕張炭労事件」の最中に学生部は誕生したのである。
 私が夕張を初めて訪れたのは、雪の舞う、昭和32年の冬1月のことであった。
 文京支部であった夕張地区の大会に出席するためである。
 夕張の鹿ノ谷《しかのたに》駅に降り立つと、とても寒かったことを、今でも鮮明に覚えている。
 夕張地区の大会には、1300人の同志が集い、意気天を衝く勢いであった。
 私は文京支部長代理として、“逆境をも追い風にしていく生命力で、師子王のごとく前進を”と激励した。
 この年の5月、理不尽にも炭労は、公然と、人権蹂躙の暴挙に出たのである。
 〈当時、絶大な勢力を誇っていた炭労(日本炭鉱労働組合)が。学会の躍進に警戒感を抱き、組合員である学会員を不当に弾圧した。信心をやめよと脅されたり、仲間はずれや嫌がらせなど、陰険にいじめられた。
 “泣く子も黙る天下の炭労”と恐れられたほど、強大な組織であった。炭労と創価学会の対決に、世間やマスコミも、“大事件”として注目した〉

■ 一、私は戸田先生のために、あらゆるところで戦った。当時、20代の青年であった。
 青年は、邪悪と戦う勇気を持たねばならない。どんな相手であろうと、正義を叫び抜くのだ。屋根となって、庶民を護るのだ。
 私はこれまで、さまざまな思想・宗教・イデオロギーの指導者とも対話を重ねてきた。
 世の中を平和にしたい──その思いは共通しているはずだ。
 同じ人間として、率直に、腹を割って対話した。心を通わせていったのである。
 広布のため、恩師のために、わが身がどうなろうと本望だ──。この精神で、今日まで来た。だからこそ、諸天善神が守ったのである。
 目先の欲にとらわれ、虚栄を追っても、仏法の眼《まなこ》から見れば、あまりにも小さい。
 師匠のため、学会のため、同志のために尽くす。悔いなき人生を生ききる。これが何より大切なのだ。
 今、懐かしき夕張の地では、地元・夕張正義圏の同志が、町内会や商工会、また伝統の映画祭の応援など、地域の先頭に立って活躍している。勇敢なる夕張の友に、心からエール(声援)を送りたい(大拍手)。

■ 創価の魂は勇気
 一、ワヒド博士は私との対談で、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの信条を語ってくださった。
 人々の心に光を送ったカルティニの言葉を皆さんに贈りたい。
 「『勇気を持たない者に、どうして勝つことが出来よう』というのが私の座右銘なのです。
 ですから、さあ、進もうではありませんか。心を引き締め、何事も試してみましょう!
 勇気を持って行えば、失うものよりは得るものの方がずっと大きいのです」(シティスマンダリ・スロト著、舟知恵・松田まゆみ訳『民族意識の母 カルティニ伝』井村文化事業社)
 勇気──この魂を、牧口先生も、戸田先生も、何度となく訴えておられた。
 「もうだめだ」と思う心の壁を打ち破るのも、「勇気」だ。
 新たな一歩を踏み出すのも「勇気」だ。
 この一点を、皆さんは絶対に忘れてはならない。
 私は勇気で、世界中に道を開いた。
 分厚い不信の氷を溶かし、敵意の火も鎮めた。勇気で心の橋を懸けた。
 信心とは、勇気の異名なのである。
 女子部も、勇気をもって朗らかに前進を!
 壮年部も、真剣に、賢明に、勇気をもって進むのだ。

■ 誠実に、大胆に!
 一、さらに、恩師・戸田先生の指導を心に刻んでいきたい。
 私は、戸田先生の一言一句を、すべて遺言と思って、大切に記し残してきた。
 先生は、声の響きや、振る舞いからでも、その人物の心根を、鋭く見抜いた。
 「上が、もっと真剣に戦うのだ! 皆と一緒に動くのだ。そして、必ず勝利の結果を出せ!」とも叫ばれた。
 無責任な、ずるい人間になってはならない。
 私は、同志とともに動き、走った。全部、先陣を切ってきた。
 新しい天地へ飛び込んだ。新しい友と友情を結んだ。出会いの劇は、数知れない。
 どうか皆さんも、愛する地域で、誠実に、また大胆に、人間としての信頼を大きく広げていただきたい。
 戸田先生は、決して愛弟子を甘やかさなかった。あえて私に、厳しい試練を課した。
 しかし、主要な幹部に対して、「大作を見習え! 強さ、勇気、勤勉、努力を学べ! 大作のように、大胆に戦い、勝て!」と言われたこともあった。
 先生は、私をそばから離さなかった。私の姿が見えないと、「大作はいるか」 「大作を呼べ」。亡くなられる前も、何度も私を枕元に呼んだ。「大作、大作」と。先生の手を、私は握りしめた。
 波瀾万丈であった。何もかも勝ち越えた。
 そういう弟子に、君たちも、なってもらいたいのだ。
 先生は、後継の若き指導者に、こう教えてくださった。
 「自分が行ったところで、自分の力を示すのだ! 最も大変なところでこそ、断じて勝つのだ!」
 皆さんも、頼むよ!
 恵まれた、いいところにばかり行けば、楽かもしれないが、常勝の剣は磨かれない。
 一番、状況の悪いところで勝つ。それが本当の勝利者である。功徳も大きい。
 皆さんの中には、新しい人事の任命を受けた人、新しい立場で戦う人もいるだろう。
 健闘を祈りたい。
 仏法は「本有常住」「常寂光土」と説く。
 どこへ行っても、広布へ戦うその場に、最高の使命の本舞台がある。そこで、最高の自分を築いていける。
 今いる場所で、堂々と、勝利の金字塔を打ち立てていただきたい(大拍手)。

■ 一、私の願いは、わが後継の諸君が、一人も残らず、人生を勝利しゆくことである。
 戸田先生は、青年に期待を寄せ、次のように語っておられた。
 「青年ならば、その立場立場で、喜んで生きることだ。
 自分の使命に生き切ることが大切だ。生活に苦しいことがあっても、明朗であれ!
 自分が託された使命の舞台で、日本一を目指せ!
 これが青年らしい生き方だ」
 私も、この通りに戦ってきた。先生の指導通りに進んできた。
 青春時代から、一点の曇りもなく、わが使命の大道を、まっすぐに歩み抜いてきた。
 皆さんも頑張れ!
 何でもいい、何かで一番に!
 自分らしく、わが舞台で、日本一、世界一を目指すのだ。
 今の苦労が一生の宝になる。苦労しなければ、人間はできない。悩んだ分だけ、苦しんだ分だけ、どんな嵐にも負けない、金剛不壊の自分になるのだ。

『戸田先生』 学会を良くするために
  青年はどんなことでも 勇気をもって上に言え

■ 建設的な声を!
 一、牧口先生は、鋭く教えられた。
 「下から上を動かせ! 下から上を変えていけ!」
 いいですね!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 青年が強くなり、賢明になっていくことである。
 そして、青年が全体を動かしていくのだ。
 戸田先生は実に厳しかった。
 「上の人間が戦わない。自分は動かない。それで、号令ばかりかけている。
 それでは、全体が澱んでしまう。勢いが出ないのは当然である。あまりにも、会員がかわいそうではないか。
 そうした、ずる賢い上の人間は、厳しく叱り飛ばせ!」と。
 全くその通りだ。
 リーダーは、常に、わが身を省みて、肝に銘じてもらいたい。
 自分自身が率先して祈り動く。恩返しの戦いを貫き、後輩を立派に育てていく。
 そうでなければ、後悔を残すだけである。
 また先生は、「学会を良くするために、そして、学会が勝つために、青年は、どんなことでも勇気をもって、上に言い切っていきなさい」とも語っておられた。
 どんどん建設的な声をあげるのだ。広宣流布の責任感の上から、皆、遠慮なく意見を言っていくのである。
 意気地のない、弱々しい青年であってはならない。また、年配の同志も、勝利のために、どんどん声を発していくのだ。
 頼むよ!〈「ハイ!」と元気な返事が〉

■ 「勝つためにうんと悩め」
 一、広宣流布の前進において、リーダーの責任は、あまりにも大きい。
 戸田先生は、厳として言われた。
 「勝つために、うんと悩むのだ!
 祈り抜くのだ!
 油断を排して、思い切って戦うのだ!」
 思えば、昔の学会において、未来を見すえ、新たな布石を打っていったのは、実質的に、先生と私の二人だけであった。
 財政的な基盤もない。組織も整っていない。折伏も進まない。
 その中で私は、先生に満足して喜んでもらえるよう、祈りに祈り、戦いに戦った。
 「先生は、ゆっくり見ていてください」と
申し上げ、先生の事業を支えながら、広布の活路を決然と開いていった。

 一、ここで、アフリカのギニア独立の指導者、セク・トゥーレ初代大統領の信念を紹介したい。
 「われわれの途上にあるすべての障害にいっそう強力にたちむかうため、団結をさらにかためよう。国民的な責任の自覚のみが生む不敗の力で武装しよう」(小出峻・野沢協訳『アフリカの未来像』理論社)
 西アフリカ全域の解放に立ち上がった闘士の、幸福建設への熱情あふれる言葉だ。
 わが学会の使命──それは「立正安国」である。社会の繁栄と民衆の幸福を、断じて実現しゆくことだ。
 時代の闇は深い。
 だからこそ、正しい思想の確立が必要である。
 私たちは今こそ、団結固く、わが地域に、人間革命の希望の大哲学を語り広げてまいりたい(大拍手)。

 一、ともあれ、師匠のため、学会のために、私は一心不乱に戦った。
 そんな私に、戸田先生は、「大作が俺の弟子でうれしいよ」「本当に俺は幸せだよ」と何度も言われた。
 厳しい先生であった。天才中の天才の指導者であった。
 しかし、師匠である牧口先生には、弟子として、徹して仕え抜かれた。
 その先生が、「大作は、私が牧口先生に仕えた以上に、私に仕えてくれたな」と言ってくださった。
 弟子にとって、これ以上の誉れはない。
 次は、いよいよ、若き諸君の出番である。
 君たちが成長し、偉くなって、学会の全責任を担っていくのだ。
 決して威張ってはならない。高飛車になってはならない。
 大勢の前で大号令をかけるだけ──それがリーダーなのではない。人を動かそう、従わせようとするのではない。
 そうではなく、全身全霊を捧げて同志のために──その思いと祈りがにじみ出るような、心優しい声で語りかけていくのだ。
 青年部、頑張れ!
 断固と勝ちまくれ!(大拍手)

■ 一、社会的に偉くなったり、立場を得ると傲慢になり、堕落する人間がいる。
 悪い人間とは戦う。悪い人間には強く言う。これが本当の正義である。傲慢な人間というのは、他人から厳しく言われると、案外、小さくなってしまうものだ。
 御書に「修羅のおごり帝釈にせ(責)められて無熱池《むねっち》の蓮《はちす》の中に小身と成で隠れしが如し」(957㌻)と仰せの通りである。
 不正な人間というのは、最後は自分で身を滅ぼしていく。これが歴史の常である。どな世界にあってもそうだ。
 大事なのは、真実を見抜く眼をもつことだ。特にリーダーが、しっかりしなければいけない。油断があってはならない。
 妙法の世界においては、なおさらである。この尊き創価の世界を断じて守り抜いていかねばならない。後世のために、あえて申し上げておきたい。

■ 一、今年は、学会創立80周年であると同時に、創価教育の出発から80周年でもある。
 〈牧口初代会長の『創価教育学体系』第1巻の発刊(1930年)から今年で満80年となる〉
 今、創価の青年教育者の奮闘に、各界から絶大なる信頼が寄せられている。
 〈2月28日には、首都圏の青年教育者の代表が東京戸田記念講堂に集い、盛大に大会が開催された〉
 また、このほど青年教育者の有志の方々
が、19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したノルウェーの劇作家イプセンの「全集」を届けてくださった。
 イプセンと言えば、私たちが若き日、戸田先生のもとで学んだ作家の一人である。
 若さ「人間教育のリーダー」の皆さんへ、エール(声援)を贈る意味も込めて、わが心に刻むイプセンの箴言を紹介したい(大拍手)。
 最初に、有名な戯曲のなかで、苦難に直面しつつも、わが地域の変革のために立ち上がっていく主人公の言葉である。
 「わたしには正義がある!」 「戦場はここだ。戦うのはここだ。わたしはあくまでここで勝つ気だ!」(竹山道雄訳『民衆の敵』岩波文庫、現代表記に改めた)
 仏法もまた、「今いる場所」で勝ち、幸福をつかむことを教えている。
 現実の苦難から逃げるのではない。ほかの「どこか」に行くのでもない。「此を去って彼《かしこ》に行くには非ざるなり」(御書781㌻)である。
 自分の今いる地域や職場こそ、勝利の「使命の舞台」であることを忘れてはならない。
 またイプセンは、友への手紙にこう記した。
 「僕はきっと攻撃されるよ」「僕は自分が正しいから、彼らが何と言おうとへこたれないさ」(原千代海編『イプセンの手紙』未来社)
 正義の人生に圧迫はつきものだが、正義を貫いている限り、心はいつも晴れやかで、すがすがしい。
 何があろうと、堂々と正義を叫び切るのだ。

■ 清浄潔白であれ
 一、結びに19世紀アメリカの思想家エマソンの言葉を皆様に贈りたい。
 「自分自身にとってみずからを清浄潔白なものとすることである。そうすればその人は世界の賛同を得るであろう」(入江勇起男訳『エマソン選集2』日本教文社)
 「自分の仕事をすることだ、すると自分の力も強化される」(同)
 さらにエマソンは語った。
 「幸運の鍵はわが手中に歓喜のあることである」(同)
 大聖人は「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788㌻)と仰せになられた。
 題目こそ、究極の幸運を開く鍵なのである。
 幸福の鍵は、わが胸中にあり!──この心で、今再び立ち上がり、難攻不落の創価城を、晴れ晴れと築いていこう!
 よろしく頼みます!
 風邪など、ひかないように。
 長時間、本当にありがとう!(大拍手)

 

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