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堀尾輝久氏 マッカーサー書簡で“押し付け憲法論”は覆った

 交戦権と戦力の放棄は幣原発案であったことを示唆すると同時に、戦力放棄について幣原とマッカーサーの考え方には違いがあったこともうかがえる証言なのです。大学院生時代からフォローしていたテーマなので、発見した時は本当にうれしかった。研究者として久しぶりに興奮しました。

――どういう流れで往復書簡がやりとりされたのでしょうか。

 高柳は大正、昭和期を代表する英米法学者です。会長を務めた憲法調査会は、岸信介外相(当時)が代表者となった議員立法で56年に設立され、岸内閣が発足した57年に始動した。最後の大仕事として58年に渡米し、憲法制定過程に関わったマッカーサーとの面談を計画していたのです。高柳は事前に文書で申し入れたのですが、マッカーサーに固辞されてしまった。

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