南スーダン自衛隊派遣問題と関連して
『南スーダンへの自衛隊派遣問題』に関連しては自分で考えたことの内、ささやかなメモをいくつかブログに残してきた。軍事的側面・戦病ケガ死者問題・政治的植民地主義・帝国主義・世界資本主義(経済的社会的関連)との関連だった。(右肩のタグ参照)。だが、これを重要な思想・イデオロギー問題としても考えておく必要がある。
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山田洋二監督の映画『家族』(1970年)と「帝国的国民主義」(酒井直樹)との関連で書いておきたい。
山田洋二の映画『家族』は1970年に公開されている。ロードムービーとして「秀逸」で、「広く評判になった映画」と言われている。
この映画『家族』は長崎市・伊王島町に暮らす「カトリック」の「炭鉱労働者」一家五人が島を離れ、福山・大阪・東京・上野・東北と日本を縦断し、北海道・中標津の「開拓牧場」を目指すロードムービーだ。北海道に渡る途中、一家は福山を通り、大阪万博が開かれていた大阪に立ち寄る。さらに東京に。ところが東京で長女の赤ん坊がひきつけを起こし治療が遅れ死んでしまう。一家は悲嘆に暮れる間もなく赤子の火葬を済ませ、さらに東北本線・青函連絡船に乗り函館から根室方面へ北海道を東に向かう。夜、やっと標津にたどり着く。一家は疲れ果てていた。次の晩一家は、地元の人たちから歓待を受けた。主人公の父親源三(笠智衆)は歓迎を受けた地元北海道標津の人たちに自分の故郷の「炭坑節」を唄い踊ってみせる。だが源三はその晩布団の中で、息を引き取った。自分のせいで家族二人を亡くした夫・精一(井川比佐志)は後悔と悲嘆に暮れる。妻の民子(倍賞千恵子)は「(雪深い)ここにも春が来る。一面の花が咲く」と慰めた。その中標津の大地には二つの十字架がたった。六月には花が咲き一家にとって初めての牛が生まれた。そして妻・民子の胎内にも新しい命が宿っていた。
この映画を私は涙を流さずに見られない。時代も違うし条件状況設定も違う、だがこれは「私の父」の物語であり、「私の」一家の物語だからだ。そしてこれはこの国の勤労人民・労働者階級の物語だからだ。私の父は東京の細民(『日本の下層社会』横山源之助・岩波文庫所収、参照)の子として大正14年(1925年)に生まれた。いろんな経緯あって彼は陸軍士官学校60期生になった。敗戦を朝鮮半島で迎えた。列車の中で朝鮮人民の歓喜の「マンセイ」の声を聴きながら、若い区隊長の判断で無蓋貨物列車で日本軍の遁走の中で共にソウル・プサンを経て逃げ帰ってきた。帰還船は京都・舞鶴の港での日本軍の機雷に遭い沈没した。殆ど泳げない父も助けられ生き延びた。その後米軍の焼夷弾で家を失っていた一家は「戦災救済」の名目で行われていた当時の東京都(=大日本帝国)の北海道「開拓」に応募し北海道に一家五人で渡り東京都の帝国地方官吏に放り出され約二年半雪の中で焼き畑、農作業を続けた。「何町部かの土地を貰える」と「騙せれて」…。結局その土地ではほとんど何もとれなかった。父の父親(祖父)は五十歳位、父は二十歳過ぎたばかりだった。後、私の父親の母(祖母)は肺結核と診断され内地・関東地方の実家に帰還、五十歳を前に死亡した。私の、その一家は焼畑に失敗して大火事を出す寸前だった。こんな話はどこにでもごろごろ転がっていた。
「満州開拓」「南方開拓」においても同じだ。最近 見たブログの中から参考までに、「満州開拓」関連で挙げればキリがない。(王道楽土の夢破れ 。/『満州難民』三八度線に阻まれた命 井上卓弥著 。いずれも、よんばばつれづれさんのブログから王道楽土の夢破れ 。/『満州難民』三八度線に阻まれた命 井上卓弥著 。
個別の物語は違う。だが本質は変わらない。同じだ。だから多くの日本人はあの映画『家族』に悲しみと希望を共感した。日本帝国主義の戦争政策を含む『国策』のなかで人民は生きた。「国民共同体」の妄想の中で生きた。さらに日本支配層のエネルギー政策を受容したのだ。国策を受け入れ北海道「開拓」を許容した。
しかし、北海道「開拓」と簡単に言える精神構造が沖縄・琉球、南スーダン自衛隊派遣を安直に許容するもとだ。
北海道のアイヌ民族から土地を奪ったのは誰か?土地権 カテゴリーの記事一覧 - AINU POLICY WATCH。アイヌ民族の墓から人骨・頭骨を掘り出して「研究」とやらをして反省も謝罪もしなかったのは誰か?アイヌ遺骨返還 カテゴリーの記事一覧 - AINU POLICY WATCH。この課題、精神構造は、北海道旧土人保護法が制定された明治32年そして廃止された平成9年(1997年)戦後も戦後、平成まで、この無神経極まりない侵略者の「帝国の国民主義」の精神に基づくものと言ってもいいだろう。
「開拓」という名の植民地主義、植民政策だ。1970年においても許容している。
この映画は史上最低最悪の映画の一つだ。私は「寅さんシリーズ」も随分前から(三十年以上前からか)、いくつか見た。嫌になって幾つかで見るのはやめた。寅さん映画も酷いが、この『家族』というものは酷い。その「思想」こそが最悪だろう。私が山田洋二の映画を忌避するのは山田の「映画の思想」が酒井の言う『帝国の国民主義』に基礎をおいているからだろう。
これから暫く酒井直樹の労作『日本/戦後/米国 共感の共同体と帝国的国民主義』(青土社、2007年7月9日発行)とともに考えて行く。
とりわけ同書の所収論文「2 どうしたら被害者になれるのか」〜共感の共同体と否認された帝国的国民主義…『ゆきゆきて、神軍』序説。論文「序 人は敗北の事実をどのように生きるか、ベトナム戦争と性労働者の女性たち、『帝国の喪失』を忘却する感傷と空想の実践系」を導きの糸とする。
また酒井直樹は岩波書店刊行のシリーズ論集「岩波講座 アジア・太平洋戦争8」『20世紀の中のアジア・太平洋戦争』中に「希望と憲法 ーアジア・太平洋戦争が生み出したもの」という論文を書いている。これも導きの糸にする。そこでの項立ては以下。
一 始めに希望を
二 植民地の叛乱の予感と普遍主義的な言論
三 競争する帝国と普遍主義--帝国主義者のコンプレックス
四 普遍主義と特殊主義の共犯関係
五 近代化論と文化論
六 日本国憲法の意義
(以上)
さらに言えば、加藤哲郎は同じ論集の中に「戦争と革命ーロシア・中国・ベトナムの革命と日本」と題する論文を書いている(加藤哲郎はその当時一橋大学教授)。いずれこの論文も南ソマリア自衛隊派遣問題との関連で世界がどう見えたか、見えるかという関連で再検討する。よってここで加藤の論文の「項立て・細目次」をここに書いておくことにする。
はじめにー20世紀の戦争と革命 忘却を強いられた革命
1 ボブズボームの「短い20世紀」ー 資本主義対社会主義
2 東アジアの長い20世紀」ー日露戦争こそ最初の世界戦争
3 歴史社会学から見る「革命の20世紀」
4 記憶としての革命ーフランス革命、ロシアかっく名のイメージ変容
5 「革命への憧憬」と「革命への憧れ」
一 世界革命の一環としてのロシア革命
1 「戦争を内乱へ」を実践した革命
2 革命とクーデターの狭間の「革命記念日」抹消
3 自由の夢、解放の夢、国境を超える世界革命の夢
4 階級独裁と民族解放の交差した革命
5 資本主義の全般的危機=四大矛盾・三大革命勢力による終末論
6 ファシズム対民主主義のじだいのスターリン粛清
二 行き過ぎた革命ー中国革命における民族解放と社会主義
1 革命記念日を持たない中国革命
2 毛沢東によるスターリン型暴力革命
3 中西功の見た抗日戦争=新民主主義革命
4 ソ連とアメリカの戦後世界構想ー東欧・日本の「外からの革命」
5 「アジア・コミンフォルム」と朝鮮戦争
三 ベトナム革命と「自己否定的な憧憬」の終焉
1 高度経済成長がもたらした日本の「革命離れ」
2 ベトナム戦争から生まれた「自立にもとづく連帯」
3 「戦争への憧れ」と「辺境へのまなざし」の永続民主革命(丸山眞男)
(以上)
(👉余りにも有名で引く必要もない。加藤哲郎のネチズン・カレッジ)
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いやさて、これらがどのように南ソマリア自衛隊派遣「駆け付け警護」「宿舎共同防衛」と関連するのか?そして今の若い人たちの苦しみ、『生きづらさ最前線』生きづらさ最前線〜 とうふのホルモン。また社会と直接つながる生き方はできないだろうか? 。本当の言葉、転職の現実 -〜サラダ坊主日記。とどう関係があるのか、ぼくの気分の悪さとどう関係があるのか。これらに対抗する、或いは抱えながらも生きて行く、思想・実践・抵抗戦線・現実の日々の暮らしは果たしてあるのか。机上の空理でなく心に響く足音になれるものなのか。あるのかないのか。それさえ分からない。だが思考し行動し生きている。生きている限り。また自衛隊員(兵士)の諸君ともともにも考えたい。〈使い捨て危機〉……SMAPと原発労働者と自衛隊員とぼくたちと - かえる日記。別に私は研究者でもないし実践家・活動家でもない。何でもない。だからこれ以上公表する必要・責任はないので、これ(問題関心)だけでおしまいになるだろう。相互の関連は自分で密かに考えようと思う。
2016/10/9/0509写す。朝だ。朝はくる。
Although wrongs have been done me ,I live in hopes.
(私に悪事が行われたけれども、私は希望に生きる。)
―― Black Kettle(ブラック ケトル:シャイヤン。1864年の米軍によるサンドクリーク虐殺の後で。)
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👉旅するシネマ(10) 「家族」(1970年)|佐賀新聞LiVE
👉映画「 家族 」の中に見る、日鉄伊王島炭鉱 : アトリエ隼 仕事日記
👉映画じゃなくても語れるよ? : 『家族』(’70、松竹大船 107分)
👉友田義行「日本の炭鉱映画史と三池ー終わらない炭鉱(やま)の物語への応答ー」(立命館紀要)
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