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同盟題目23時

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月11日(火)22時56分17秒
  より開始します。よろしくお願いします。  

寝たきりおじさん様

 投稿者:大城  投稿日:2016年10月11日(火)22時47分11秒
  凄い話ありがとうございます

先生しかできないことですね
簡単に真似ることが出来ないことだと日頃猪突猛進の自分でさえ、思います

事前にプエルトコールした外務省の人もさぞかし驚いた事でしょう

タイでは国王に挨拶をする時、頭の上で両手を合わせ、お辞儀をすると聞いています

先生はそれをされずに胸の前で両手を合わせ、お辞儀をされた
それを見て「国外退去させられる!」と周囲の人が心配したと聞いていました

先生がタイを離れる時にタイのメンバーと懇談会が開かれた

メンバーは先生にお会いした時、どう挨拶したらいいのか?
迷っていた
国王にする挨拶をするべきか?

先生が会場に入って来られた
すると先生は、両手を頭の上に合わせ、お辞儀をされた
皆、ビックリして見ていた

先生は
「私にとって一番大切なのは皆さん方です」と

先生にとって、現地で様々な規制がある中、広布をもう一歩、もう一歩と進めている学会員は世界中の誰よりも大切な存在なのだと思い、感動しながら聞きました

「いざ!」と言う時に本心が出るものです
そして、その瞬間の言動が、信頼を失うものか?
更に信頼を深め、感動さえ与えるものになるか?

本物か、偽物か?
一瞬に現われます

先生が会長に就任されて50年
いつだって、そしてタダの1度も先生に失望したり、がっかりしたり、「あの時、あんな風に言われていたのにー」と不信を持つ事がなかった
いつだって、まるでコロンブスの玉子のように
「やられた~!」と思うことばかりの50年だった

本当に先生と共に戦い、生きる幸福な50年だった
一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山

我が胸中の先生を湧出する日々でありたい
 

意味不明

 投稿者:??  投稿日:2016年10月11日(火)22時33分36秒
編集済
  ??もう少し説明して
 

少しだけお返事

 投稿者:己心の認定本尊  投稿日:2016年10月11日(火)22時21分23秒
  そのつもりはなかったのですが、少しだけお返事します(ただ納得していただけるとはあんまり思っていません)。

> 我々、一般会員の理解は日寛上人が言われている本門の釈尊とは因位の釈尊、つまり本因の釈尊(久遠の仏)大聖人
> であり、因果具時の仏の事。インドの釈尊(釈迦・ゴーダマブッダ)は因行果得の仏はあくまで迹仏、迹門の教主釈
> 尊です。 ですから、「普通に考えればこれは創価学会のこれまでの・・・とだいぶ違うわけです」の意味が理解でき
> ないのです・・教えていただけますでしょうか?

久遠実成の果位の釈尊が、その果位にのぼるには因位の修行が必要でした。その因位の釈尊が久遠元初の釈尊です。
なお、久遠元初の釈尊は因位であって果位ではありません「久遠元初とはただ本因名字に限る」(末法相応抄)。
久遠元初の佛を因果倶時とするのは要法寺日辰の教学です。日寛教学では因果倶時なのは妙法であって、佛ではありません。
ともあれ、蓮祖大聖人はこの因位の釈尊と行(本因下種行)位(名字即の因位)に於いてまったく同じなので、
久遠元初の釈尊と同じだ、というわけです。なお、因位の釈尊と果位の釈尊は同じ釈尊ですから
(前者の因位の修行の結果が後者なのですから)、前者が蓮祖聖人で後者(のインド応現)が
ガウタマ・シッダールタだ、と分けることはできません。
敢えて言えば、因位の蓮祖の本因修行の結果である果位の蓮祖(普通は論じませんが)も
脱益の迹佛になりますから、蓮祖が本佛、ガウタマ尊者が迹佛、という分け方はできません。
要するに、本因妙教学の因勝果劣は蓮勝釈劣ではないということです。

なお、これまでの教学との整合性を度外視できるならば(これはかなり大きな留保ですが)、宮田教授の提案はそれなりに理のあるものだと私は思っています。その点では、この掲示板の多くの人々と見解が違うかもしれませんね。
 

タイのプーミポン国王のエピソード

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月11日(火)21時29分27秒
  タイのプーミポン国王と先生との会談の様子を伺いました。
タイというのは宗教活動は法律で禁止されているそうです。
創価学会というのも、当時非合法の団体で、戦争中自分たちを苦しめたのは、
日本の兵隊だった、僧侶だったということで、日蓮正宗創価学会というのは
絶対に認められない団体だったそうです。

したがって、学会員も日本の商社の人を含めても、三十人もいない。
しかもタイというのは、これは私も聞いて驚いたんですが、いわゆる
王国なんですね。

そして、この国では一般人は、王家の人には手を触れてはいけないという
しきたりがあるそうです。これは、法律ではなくてしきたりなんだそうです。
病気になったときには、脈をとる医師はどうするんだというと、
こういう場合でも王家のなかから、医師を出すんだそうです。

プーミポン国王も、自分が決めた法律だったら変えられるんですけれども、
何百年も伝わる、自分の王家のしきたりに翻弄される事件が起きてしまう。
で、ある時ですね、幼い王女が洪水の川に流されてしまった。
それを見て村の一人の青年が川に飛び込み王女を助けようとした。
ところが、王女の手を取った瞬間、軍の兵士によって
青年は撃ち殺されてしまった。

いわゆる王家の人間に手を触れたためだと・・・。
それで結果的に王女も死んでしまう。
王家のしきたりのために幼い王女の命も川のなかに消えてしまう。
こうゆうすごい国なんですね。

そんな国ですから、先生が初めて行った時にも、宗教者の立場では
プーミポン国王に謁見できない。そこで先生は、民音の創立者でもあり
創価大学の創立者でもありますので、その立場で行かれたわけです。

そうはいっても、国王のほうはそんなことを言ったって、創価学会の
名誉会長じゃないか、SGIの会長じゃないかということで、最初は
もちろん違った認識をもっていたようです。

で、会見のその日にですね、先生は国王の部屋の扉を、ご自分で思い切り
開いたそうです。
そして部屋に入るや、『閣下!』とこう日本語で言って、両手で
プーミポン国王の手をがっちり握って握手をされてしまったんだそうです。

瞬間!、その場にいた、この思いがけない場面に立ち会った外交官は
青ざめてしまった。これは間違いなく銃殺である。
えらいことになった。

誰に命乞いを頼もうかと、わずか短時間の出来事だったそうですけれども、
何時間にも感じられるような思いでその光景を見つめていたそうです。
ところがそういうなかでふっと二人に目を向けると・・・。
驚いたことにプーミポン国王が涙を流して先生の手を握り返している。

そして、『あなたはこの国で私と握手するということがどういうことか
解っていらっしゃるはずです。それでいて私に触れたのはあなたが初めてです。
あなたは大変素晴らしい方だ。』
『どうぞこの玉座に座って下さい』と言って、自分がその玉座を降りて、
自分の座る玉座を先生にゆずられて、お客さんの座られる席に自身は
座られたそうなんです。

それ以来、プーミポン国王も王家のしきたりを破って、国民のなかに
入るようになった。そして一般人とも握手をするようになった。
そしてプーミポン国王の王家のしきたりに縛られていた王家の宿命と
いいますか宿業といいますか、言ってみれば国家の宿命を先生が、
ご自身の命を懸けて打ち破られた。

もちろんこんな事は聖教新聞でも報道されません。
しかし先生は、この日朝早くから、ともかくお題目をがんがん
あげられたそうです。そして、もし私に何かあったら、
秋谷会長中心に頑張るんだよ。
そう言われて出かけられたというふうに伺いました。

まさに我々の見えないところで、先生ご自身が命をとして広宣流布のために
戦いをされていらっしゃいます。
そんな師匠の戦いに対し、我々自身も広宣流布のためにいったい何ができるのか。
何を自身の使命として戦いを起こすことができるのか。
こうゆう受け止め方が大事だろうと思います。

自分自身が人間革命をする。
自分自身が成長するなかで、広宣流布の戦いを進めていく。
何があろうと自分の祈りと自分の戦いで、乗り越えてみせる。
こういう一人一人になっていきたいと思います。


いかなる理想も、生きた人格の姿をとらなければ、人々の心には届かない。
ゆえに君よ、自分自身を建設することを第一義に生きることだ。
苦労することだ。生き生きと行動することだ。との指導のあります。

我々が奉じている大聖人の仏法のすばらしさ、あるいは先生の指導のすばらしさ。
これを具体的に、現実に生きている自分自身の生活の場、家庭の場、職場の場、
地域の場で示す以外に、我々の行動・振る舞いを通じて示していく意外に、
広宣流布は一歩も進まない。

先生は、私の宝は三つある。
その三つの宝とは、妙法と戸田先生と誠実である。
この宝を抱きしめて私は生き抜いた。故に私の人生は宝と光った。
御本尊を抱きしめ、師匠である池田先生の指導を求め抜いて、
大誠実で戦い抜くなかに全ての戦いも勝利することと思います。
 

アーカイブ再掲

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年10月11日(火)18時48分27秒
  ありがとうございます

「目覚めよ、民衆
   反省せよ、聖職者」

先生の御指導は胸のつかえがとれ、スッキリします

先生、最高!
ありがとうございます
いつまでも、いつまでもお元気でいらして下さい!
 

師弟不二アーカイブより 【偉大な改革は庶民から】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月11日(火)17時29分28秒
  【投稿者:河内平野 投稿日:2014年 8月30日(土)11時35分35秒】

***関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)より****

「地涌の義」といわれるが、時が来れば、
民衆のなかから、地域や社会に深く根を下ろした人材が出現する。
使命を自覚し、広布を推進していく。これは、不思議というしかない。


社会の大多数は、いわゆる「庶民」である。
その民衆が、押し付けられた宗教的権威には何の実体もなく、
かえって自分たちを搾取し、苦しめる存在にすぎないと見抜いた時、偉大な変革が始まる。


いつの時代の、いかなる宗教であれ、「改革」を必要とする場合の主要テーマは、つねに

「目覚めよ、民衆」
「反省せよ、聖職者」なのである。

・・・・・(続きは)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=571
 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】【38】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月11日(火)17時07分4秒
  陽光様の【問答無用 対話なき処分】のシリーズ38をお送りしています。

上が腐れば、下も腐る。ここまでやるのかと呆れます。組織主義も極まると、末期症状ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●T氏の電話メッセージを聞いて、翌日朝一番で彼にEメール返事を送った。

「●T氏よ、私がまだ睡眠中に貴方は昨日の朝9時にいきなり我が家の玄関ドアをドンドンと叩き訪問を試みた。貴方の振る舞いは非常識極まりない。アポなしで人の家に訪問することなど誰もしないことである。


前回もアポなしに訪問して来たが、貴方は再び同じ行動をしたのである。
これはあたかもプロセス・サ-バー(裁判を起こす際に法廷が認可した人が裁判通知書を直接本人に渡す作業をする人)のような行為だ。

貴方は本当に仏法者なのか?アポなしに早朝にびっくり訪問するのはあなたの意思なのか?
もしくは、サンタモニカ本部の命令なのか?

また、家の外から私に電話をかけ、メッセージを残した。
それは後で聞いた。そのメッセージには、4月24日にメールした私の質問に対しての返事ということであった。私も貴方に会って話をしたいと思っている。


ただし、私の家の中では話さない事にする。前回、貴方達はアポなしにいきなり活動停止処分の手紙を持って来て、それを読んだ後に帰ってしまった。それではまるで子供のお使いと何ら変わりのない振る舞いなのですよ。


私は貴方達と公共の場所で会う用意があります。

従って、電話かメールでアポを取って欲しい。お互いに都合の良い時間を決めましょう。
宜しいですか?私は貴方達に誠意ある仏法者および人間として振る舞ってもらいたいのである。
変な振る舞いはしてもらいたくない」


このような文面にしたのは、相手が複数でやってきて、

もし何かが起こると好き勝手な事を勝手に証言をでっちあげる御仁がいる可能性があるからである。
それを避けるためにも他の人がいる公共の場所の方が自分の身を守るためにも必要と判断した。


今彼らは手負いの虎のように手段を選ばずして何でもありなのだ。
前理事長との会議も密室で数人で行われた。
また、活動停止処分の手紙を持ってきた際の私の家の中も密室である。
これは彼らの常套手段らしい。これは避けなくてはならない。


そうすると、彼からメールが3時間後にあった。


「陽光殿、今日、貴殿と家の近くの公共の場で会いましょう。
何時、何処で会うのが良いのか予定を乞う。●T」と来た。


すぐに返信をした。
「●T殿、今日はいろいろと用事があるので明日にして欲しい。時間と場所は後ほど連絡する。陽光」
と返事を送った。彼らはいつも彼らの都合でいきなり訪問する。人の都合なんか構わないのだ。

私のメールの返事に「OK」と来た。従って、この月曜日に会う事にした。
時間はこちら側から後で指定する。


ローカルの大幹部と雖も彼独自の決断はできない。
ニューヨークの東部方面の幹部と話合いながらいろいろと決めているものと思う、

また、東部方面の幹部はサンタモニカ本部と連絡を取っている事は容易に想像できる。


あ~、これが私が50年を信仰活動で費やしてきた現在の組織の姿なんだ、とふっとため息をついた。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10051

 

(無題)

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年10月11日(火)17時06分0秒
編集済
  柳原さん あなたの好きな中華人民共和国や韓国も・・
二重国籍を認めていないんだけれど・・ 日本を批判する前に
中国や朝鮮にも同じことを述べたら如何ですか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%9B%BD%E7%B1%8D

なんか「世界の流れ」とか聞くと
まるで「時流です」と言って引導を渡し池田氏を辞任に追い込んだ幹部を思い出しちゃって
その幹部と同様 主体性も奥底にある奥底の一念も糞もない
多数論証に振り回されている姿そのものなんだよなぁ・・

・・・で 二重国籍の話に戻すけれど その二重国籍を認めた欧米の現状は?
とてもじゃないけれど いい状況じゃないし 移民を排斥しろなんて 過激な状況で
結局 緩めたが故に 悪化していて
総合的に考えればはバスに乗り遅れてよかった・・というのが正解で
必ずしも 世界基準=性善とはかぎらないんですよ

みなさまも なぜ?二重国籍がNGなのか? この点を考察してみてください
スパイや国賊を防止するためでじゃないでしょうか?
しかも二重国籍で 権力が行使できる公人になった場合
国益はもちろんのこと 国民の生活にまで及ぶ事だってあるんじゃないでしょうか?

そういった意味では 差別でもなんでもないんだけれど
自分たちの獲得利権を守りたいのか? 保身を保ちたいのか? 或いはかっこまんの虚飾好きか
そのへんは わかりませんが 揚げ足をとったかのようにむりやりこじつけて
差別だ 蔑視だ・・と騒ぎ ロビー活動をしてまで
多数論証のアリバイを作る人間がいるから 本当 困ったものです。
(そのくせ 自分たちの振る舞いは 過去の事も含めて棚上げ・・・)



追記
中国で思い出したけれど 柳原さん この前 出張で中華人民共和国へ出張というか
取材にいったレポートがコラム日誌に掲載されていたけれど
その取材したお金って どこから捻出されたものなの? この辺 気になったんだよなぁ・・・


小作人@地上の発心さんへ
安田浩一氏や菅野完氏のつて使って その系統の雑誌へと 飯の種を探すんじゃないかなぁ・・・
そうなってくると 反板の見解とは水と油の関係で主客転倒にもなってしまうわけですが・・・
まぁ・・・ そういった二枚舌の振る舞いには 私は非常に気にしますが
クジラにいた大河や あべひ氏を始めとした 反板の輩やクジラ板のやからは
二率背叛でも二枚舌の状態でも まったく気にしないのが特徴で
その無節操ぶりは 富士宮時代から感じていて 不愉快な思いはしていましたけれどね

それにしても 昨日の記事は
民主党の党首にもなられた村田さんを援護しているようで 不覚にも笑ってしまった
反板のみなさまは どういう心境でYさんのコラムを拝読なされたのでしょうか?
民主党は仏敵でしょ?

http://

 

別冊太陽に本尊画像

 投稿者:一言児  投稿日:2016年10月11日(火)16時19分26秒
   板、時々の本尊論学ばせて頂いています。「学会教学というのはなくて大石寺教学だけだ、正本堂の総括しては」
などのご投稿はスゴイ、眼開きました。ともかく現執行部流れで本尊認定は不快感持ってます。
 ところで3年前発行の別冊太陽「日蓮」入手。沢山の直筆書類、90体以上の本尊修復記など多彩な編集、真蹟曼荼羅本尊として5体をカラーで掲載も。そーか、コンビニで写真コピー80円、軸物にせず枠の細いA4額700円、これでお厨子に収めるとOK、これって謗法ですか?。
 日寛本尊の「頭破七部、福過十号」の一節は、草創期ならともかく今は脅しと利益誘導でコワイ。関西では相性が良いでしょうが成熟と文化の時代に合わなくなっている。弘安3年以降の本尊には記載がないとの事。
 日蓮仏法を標榜しながら、大聖人の事物を何も持たず支援せずの学会。大石寺離れても正宗由来の本尊に参詣促す矛盾、理解出来ませんわー。
 

生涯公布さま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)15時10分37秒
  安保関連法案の成立動機の経緯の中で、一昨年提議されていた「グレーゾーン」のほとんどが
海上それも船上(船舶法と国際法のどちらもが関わる)であることが大変に奇妙に思えましたが、
プーチン大統領の緊急スピーチで、その理由が分かりました。
ミサイルが海上(つまり船上)から発射されるプランになっているためです。

日本は、間違いなく米国の演出で、違法なまま参戦に引きずり込まれるでしょう。

公明党の自民追随の無責任な行動が、地獄を引き寄せることになりそうですね。
 

台風

 投稿者:  投稿日:2016年10月11日(火)15時06分49秒
編集済
  北海道の台風がマリモ絶滅の危機を救ったそうである
大量に発生した水草の影響でマリモが光合成に必要な回転、移動ができず、マリモが枯れ死、死滅していたそうである

台風が大量の水草を一掃し、マリモを絶滅の危機から救った

先生は
難はありがたい
私1人で青年を育成をするのは難しい
難が青年を育ててくれる
という趣旨の話をされた

まさに台風とマリモの様である

熱原の法難を想う
9月に突然逮捕された三烈士と二十数人の農民信徒達
追放、斬首

そして、10月12日
出世の本懐たる大御本尊図顕
(今の創価学会教学は出世の本懐、大御本尊図顕を否定しているようであるが)

先月、9月の本幹メッセージに先生は「上野殿御返事」を引用して下さった

聖教に小見出しで記載されたほど、重要な箇所
なぜか、同時放送では割愛されていたが、
改めて、記載する

「忍耐強く変毒為薬の劇を
しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし」

そして、御書ではこの御文の後に更に続く
「国王1人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ」

執筆月日は7月2日
戸田先生、池田先生が入出獄された日7.3
なんだか、不思議な思いがしている

もうすぐ10.12がやってくる

戸田先生は言われた
広宣流布が近づくと大聖人時代の人間が生まれてくる

ならば、大聖人門下でありながら、権力者の手先となり同志を迫害した大進房、京なめりになり、師匠を心の中で見下していた三位房も生まれてきているのに違いない

同様にいかなる権力からの迫害にも負けず信念を貫いた熱原の三烈士
そして、日興上人、南条時光も生まれているはずである

あゝ
なんと凄い時に生まれ合わせているのだろう
師匠が長生きして下さっている感謝!
凄い時に生まれ合わせていることの福運、使命の重さに感謝する!


 

生涯公布さま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)15時00分33秒
  プーチン大統領の緊急スピーチを聞きました。
大変な事ですね。。。。
 

再掲【11.17クーデターを再確認する! 】

 投稿者:通行します  投稿日:2016年10月11日(火)13時57分58秒
  投稿日:2016年 9月 6日(火)18時22分30秒   通報

会長任期は4年だから2019年まで
総務任期は3年だから2018年まで

2018.11.17迄に次の会長を選ぶ総務が変更されるのねw


【選択1月号から11.17クーデターの真相をつかむ! 】
投稿者:通行します
投稿日:2016年 1月 9日(土)19時32分56秒   通報
《谷川新体制の為の、谷川による原田会長を取り込んだ11.17クーデターの内幕》

会則等の重要な議決機関である総務会
11月17日午前中から開催、全国から300名近いメンバーが集まった。そして異常な雰囲気の中、計4度の総務会が開かれた。

①総務会メンバーの任期を5年から3年に変更する
会則変更の提案があった。

②変更を受けて、総務会メンバーの任期が切れたことになり、新規の総務会メンバーを選任した。
この際、ベテランを中心に20名程度が再任されなかった。

③新メンバーで再開された総務会で会長任期を5年から4年に短縮する会則変更の提案があり、承認。
原田会長の任期が切れたことになった。

”③”合間に総務会のメンバーの10数名程で会長選出委員会が開かれた。ここで、原田会長の再任を決定した。

④原田会長が、正木理事長を切り、長谷川理事長を選出した。出席者から驚愕の声が出る中、総務会が終了した。

京都乃銀鬼さま
緊急座談会ありがとうございます。
瓦版で真相がわかってきました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36444
 

柳原さん、急な出張等って何?

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月11日(火)12時48分14秒
  もしかして、しゅ、取材でしゅか?
川崎市某所の他人様のお宅を無断撮影しに行く
・・・とか、じゃなくて、何処か遠くへジャーナリズムのお仕事ですか?
だとしたら、ついに本業回帰。やっと開店休業状態を脱するのですのね!
ここで皆が叱咤激励した甲斐がありましたですo(^-^)oおめでとう(*^▽^)/
どうりで何か、捨て台詞というか最後っ屁ぽかったですよね今日の日記。
差し支えなければ、お仕事の概要、WeBでお知らせくださいね(^ _ ^)/~~

で、掲載誌が潮か第三文明だったらまた笑っちゃうけどね。。。
 

柳原さ~ん、体調いかがですか~(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月11日(火)11時49分48秒
  一昨日、二重国籍云々の話題。昨日期待していたらお休み。おまけに今日のコラム日記の最後に事後連絡。

今日の柳原滋雄コラム日記のお題は「「宿坊」管理人が支払うべき代償」と今度は掲示板の管理

人さんがターゲットに。

元々クライアントである信濃町界隈の偏向・誤認情報を確認もせず、一方的に憶測、推測、風

聞、伝聞、決め付け、思い込みでコラム日記を書き、更新するたびに新たな事実が飛び出した

り、間違いを指摘され削除しているのは柳原さん貴方です(笑)

以下はまさにブーメラン。貴方にそっくりそのままお返しされますね。

「その一つひとつを追いかけるのに手間がかかるという理由が予想されるにせよ、真実ではない事実摘示、明らかな侮蔑的表現、いずれも、名誉棄損行為にほかならない。」

(柳原滋雄コラム日記 2016/10/11 より抜粋引用)

又、「これまで事実に基づかない多くの人権侵害が公然と行われてきた。」(柳原滋雄コラム日記 2016/10/11 より抜粋引用)

これも貴方の雇い主である信濃町界隈の一部職員最高幹部の方々が現実に全国いな世界で行って

いる事では?

カンピースさんも仰っています様に、管理人さんは一貫して中立でどなたにも与しないと言われ

ておりますが?いかがでしょうか?

元職員3名。波田地、田口両氏の信濃町界隈のいい加減な受け売りネタに尽きて、反論された

上、間違い指摘され削除したとおもったら下記の業務連絡。挙句、宿坊の掲示板管理人さんへの

警告的な記事。

柳原さん、大丈夫か?宿坊叩かないと体調が悪いのでは?(笑)

【ご連絡】 当面の間、急な出張等で更新できない日が出てくる可能性があります。何卒ご了承ください。(Y)(柳原滋雄コラム日記 2016/10/11 より抜粋引用)

との事ですが、くれぐれも体調管理にはお気をつけ下さいね。




 

気づくべき深刻な危機・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)11時07分5秒
編集済
  https://www.youtube.com/watch?v=np4pH-8enCg

今年の6月16~17日に行われた、プーチン大統領が世界から招いた記者に向かって、

今ある第三次世界大戦(核戦争)の危機を明確に語っています。

おそらく、こうした記者会見は最後に成るかもしれません。

<日本語・字幕付き>10分程です。

出典記事:http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-4594.html

発端はシリア、ウクライナ、はたまた朝鮮半島、東シナ海でしょうか?

ネオコンのサタンが激しく動いています。
 

便所の落書きを義憤に駆られて、便1の為に訴える便虫(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)11時03分55秒
 
宿坊の掲示板を「便所の落書き」と決めつけ、「今後とも私なりに、≪便所掃除≫
を続けていくつもりである。」(2016/9/21 柳原滋雄コラム日記より一部引用)

便所の落書きを掃除するかと思いきや、便所の落書きに興奮して、訴えてやる~便1さまの為に?なかなかオモロ~な便虫ですね。餌の便(糞)をもっと食べれば、益々文々飛び回る琴でしょう(-_-)

 

人の財務で

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年10月11日(火)10時43分38秒
  俺らがした財務で、俺らが訴えられる??どういうこと?
まさに、本末転倒。ゲスの極み。
便所の落書きをね~
 

カンピースさま、便虫が義憤に居た堪れずですか~

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)10時26分34秒
  便虫が義憤に居た堪れずに、一人立ち上がって~元気な男の子が一度は訪れる宿坊の掲示板(-_-)

掲示板の書き込みに、義憤(興奮)して、訴えてやると言っているのは便1では?でも、私以外に、そんなに興奮するような内容を投稿している方はいるのですかね。
便3流に言えば、妄想、仮想の事ばかりを書き込んでいる板であり、何を根拠に訴えてやる~と興奮しているのか?理解出来ません。
早い話が、374919事件が事実だったから恥ずかしくて、それがバラされているから、怒り心頭であると客観的具体性の有る言い方なら分かりマスが(-_-)

自ら『便所の落書き』と義憤認定して、その便所の落書きが気に食わないから訴えてやる~って、便(糞)食べ過ぎではありませんか?便虫と便所男のコラボだから、理解出来ない訳でもありませんが、『便所の落書き』裁判を財務(供養)使ってやるのでしようかね(-_-)
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 10/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)09時35分54秒
編集済
  末法の本尊:人法一箇の御本尊

~「人:久遠元初の自受用報身如来」と「法:事の一念三千」~

須田: 「人間へ帰れ」と言うのは、わかったのですが、ただ実際には、「永遠の仏」とか「常住此説法の仏」と言

われても、ピンとこない人が多いかもしれません。人間を超えた“スーパーマン”のような感じにとられかねないと思

うのですが ― 。

遠藤: 実際、一般の仏教学でも、寿量品の釈尊は、ほとんど神格化して、扱われています。

名誉会長: だからこそ、大聖人は御本尊を顕されたのです。これ以上の現実はない。具体はないのです。大聖人

は、私たち末法の凡夫が、御本尊に妙法を唱えることで、「常住此説法の仏」と一体になれるようにしてくださった

のです。人法一箇の御本尊です。“人”の側面は、久遠元初の自受用報身如来。“法”の側面は、事の一念三千です。だか

ら、戸田先生は、久遠元初の仏のことを「一念三千様」とも言われていた。御本尊を受持し、広宣流布に戦うことに

よって、私どもの生命に「常住此説法の永遠の仏」が涌現してくるのです。 ?戸田先生は寿量品の「是れより来、我常

に此の娑婆世界に在って説法教化す」(法華経 p498)の経文について、「大宇宙即御本尊ということであり、南無妙

法蓮華経の生命は、久遠以来、大宇宙とともにあるということです」と言われていた。 ?そして「御本尊を拝みまいら

せて、御本尊の生命をこちらへいただくと、われわれのこの生命それ自体が、南無妙法蓮華経というものなのですか

ら、御本尊のカがわれわれの方にグーッと出るのであります。すると、世の中のことを見ても、大きなあやまりがな

くなるのです」と。
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 9/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)09時31分22秒
編集済
  「人間 釈尊」と「永遠の仏」

~寿量品・発迹顕本の心~

遠藤: 「天使 - 人間以上」のように気取る者は、「けだもの - 人間以下」の振る舞いをするに至るということです

ね。 この観点から「発迹顕本」を考えますと、どこまでも「人間・釈尊」に即して離れずに「永遠なる大生命」を開

示したところに意味があると考えられます。

名誉会長: 哲学的に言うならば、“今の現実”から離れずに“永遠”を見よ! “内在”に即して“超越”を求めよ! “その

場”にあって“宇宙的なもの”を開け! ということになるでしょう。これが発迹顕本の心なのです。

斉藤: 小乗教とか権大乗教は、(中略)結局は偏頗にゆがんでしまった。寿量品の発迹顕本によって初めて、この

両者を大きく統合することができたのですね。

名誉会長: そう。「人間・釈尊」に帰り、なおかつ「永遠の仏」という、“神格化以上”の深い宗教的世界を開い

た。人間に即しつつ、人間が人間自身を無限に超えゆく道を開いたのです。

斉藤: そう考えると、(略)「発迹」の面が大事である、と。 「発迹」には「人間・釈尊」にどこまでも即してい

く、つまり具体的・現実的な人間を離れず、そこに真実を見いだそうとする決意が感じられます。

名誉会長: 「発」とは「開く」という意味です。「迹」を「開く」というのは、譬えて言えば、太陽を覆っている

雲を取り除くことです。雲を除けば、燦々たる太陽の光が現れてくる。これが「本地」です。雲があるからといっ

て、他の所に太陽を求めるのではない。そこを離れないのです。そこに本地があるからです。
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 8/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)09時29分10秒
編集済
  人間を離れない「仏」と「師弟の道」

~権威主義化する宗教~

斉藤: 大聖人は、常に「釈尊に帰れ!」と叫ばれました。(略)

須田: 徹底して、「仏教を人間化する」戦いであられた - 。

名誉会長: それほど、宗教というものは、人間を離れよう、離れようとする傾向がある。そうなると宗教は、一種

の権力になってしまう。(略)

斉藤: その要因はいろいろ考えられると思いますが、一つは聖職者の堕落、一つは教団組織の硬直化、一つは信仰

心の惰性 - が挙げられるのではないでしょうか。それらが重なり合って、宗教が民衆からかけ離れて、権威主義化し

てしまう。(略)

名誉会長: (略)仏教は本来、「人生をどう生きるか」を教えている。人生の正しい「道」を歩まんとする人がい

て、師を求め、師がその心に応じて、師弟の関係が生まれる。ところが、仏が人間ではなく“神様”になってしまった

ら、「師弟の道」は成り立たない。

須田: 自分も師匠と同じ道を行けば、師匠と同じ境涯になれる - というのが「師弟の道」の前提です。師匠が“神

様”になってしまったら、「自分たちも同じ道を行こう」というエネルギーはなくなりますね。

斉藤: 小乗仏教においても、しだいに釈尊を神格化し、自分たちは声聞としての悟り(阿羅漢果)を得られればい

いとしました。大乗仏教(法華経以外の権大乗教)においては、釈尊以外の阿弥陀仏とか大日如来とか毘盧遮那仏と

かの諸仏が説かれます。 しかし、これらは現実の人間とはかけ離れた存在であり、その「救済」にあずかろうとする

面が強く、師匠と仰ぐ存在ではありません。どちらにも「師弟の道」がなくなっています。

名誉会長: 「人間・釈尊」を忘れた時、仏教は「人間の生き方」から離れてしまった。「師弟の道」がなくなっ

た。その結果は、仏教の堕落であり、権威化です。
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 7/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)09時26分31秒
  大乗仏教 凡夫から遊離した「仏」?

~寿量品の発迹顕本の意義~

須田: それが、大乗仏教になると、民衆を救う「救済者」としての人格的な仏が強調されていきます。

遠藤: ただし(略)その仏とは、釈尊を離れた別の仏です。阿弥陀如来とか、毘盧遮那仏とか、大日如来とか - 。

ただ、いずれも、慈悲深い人格的な仏であり、しかも永遠に民衆を救済し続ける絶対者として説かれています。

名誉会長: それらは、与えて言えば、釈尊が師とした「永遠の法」即「永遠の仏陀」に迫ろうとした結果と言える

でしょう。その限りでは、「久遠の本仏」の仏身を部分的に表現していると見ることもできる。(略)

須田: 問題は、この大乗仏教運動によって、仏教の源である釈尊をかえって軽んじる結果に陥ってしまったことで

はないでしょうか。代わりに、他の架空の仏を“神”のように崇めてしまった - 。それは結局、民衆自身の内なる「法」

即「仏」を開く道を閉ざすことになったわけです。

遠藤: しかも、こうした仏が説かれると、どうしても民衆自身の内発的な力を重視する方向よりも、「仏の慈悲に

すがって救われよう」という心理を助長させます。日本の阿弥陀信仰の「他力本願」はその典型ですね。

名誉会長: 要するに、小乗も大乗も、釈尊が言い遺した「法と自己をよりどころとせよ」という心と正反対になっ

てしまった。 あえて類型化していえば、小乗教では、「法」を求めるという側面は強調したが、「仏」をいたずらに

凡夫から引き離してしまった。 大乗教では、「仏」と人間のかかわりを復興させようと努めたが、民衆自身が「法」

を体得するところまでは開かれなかった。どちらも十分ではなかった。そこに、寿量品の「発迹顕本」の意義があ

る。

遠藤: 仏教のみならず、宗教には人間をしばしばドグマや権威に隷属させようとする宿命的な傾向がありますね。

名誉会長: そうだね。宗教の“非人間化”や“現実からの遊離”に抵抗して、原点たる「人間」へと打ち戻し、また打ち

戻し続けていくのが法華経の精神です。
 

本門の教主釈尊・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月11日(火)09時20分11秒
編集済
  己心の認定本尊さま

以下の部分、仰っている意味がよくわからないのです、教えていただけますか。

(なお、日寛教学に言う「日蓮本佛論」はもともと、因位の釈尊と蓮祖大聖人が法体に於いて同一であるとい
うもので、釈尊と大聖人は別体の佛ではありません。六巻抄の「末法相応抄」から引用すると:

本門の教主釈尊を本尊と為すべし、いわゆる教主釈尊の当体全く是れ十界互具、百界千如、一念三千の大曼荼羅の故
なり云云。是れ豈に人法体一を顕わすに非ずや。故に知んぬ、是れ迹中化他の色相の仏身に非ず、応に是れ本地自行
の自受用身なるべきなり、本地自行の自受用身とは即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊とは即ち是れ
末法出現の蓮祖聖人の御事なり。是れ則ち行位全まったく同じき故なり。

普通に考えればこれは創価学会のこれまでの教学(少なくとも一般的な会員の理解)とはだいぶ違うわけです。だか
ら、創価学会の教学が以前は日寛教学に基いていたかどうかすら疑わしいわけで、単に「これまでの教学を守れ!」
と叫んで済む話だとは思えません。)

・・貼り付け終わり・・

我々、一般会員の理解は日寛上人が言われている本門の釈尊とは因位の釈尊、つまり本因の釈尊(久遠の仏)大聖人

であり、因果具時の仏の事。インドの釈尊(釈迦・ゴーダマブッダ)は因行果得の仏はあくまで迹仏、迹門の教主釈

尊です。 ですから、「普通に考えればこれは創価学会のこれまでの・・・とだいぶ違うわけです」の意味が理解でき

ないのです・・教えていただけますでしょうか?


・・以下、法華経の智慧から・・

釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。 法華
経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であ
ったのです。何より釈尊(釈迦)自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。


釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。過去・現在・未来の
あらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。 それが久遠元初の自受用身であ
り、南無妙法蓮華経如来です。

終わり

http://

 

失われゆく「人法一箇」

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月11日(火)09時17分40秒
編集済
  新入会の友が成長し2級試験に合格するまでになった。
嬉しい限りだ。
折伏した当時が思いだされる。

しかし気になる事がある。
話しの中で感じたのが人法一箇が無くなったこと。
「御本尊は即日蓮大聖人様」という話をしても「はじめて聞いた」と答える。

そもそも、牧口先生がなぜ信心をしたのだろう。
人法一箇の御本尊を信じたからではないだろうか。
その信仰観は、戸田先生・池田先生に継承されている。
三代の師匠の信仰観が、今の自分の人生を作っているのは言うまでも御座いません。

三代に継承される信仰観の一つが「人法一箇」です。
三代の信仰観が、ここ数年の新入会世代から失われている。
それは明らかに三代の師匠を根本とした信心ではない事を意味する。
そして同時に、新入会の友の未来を懸念する。
 

再掲! 【板本尊作って本部に売り込み? 投稿者:正義の走者 】

 投稿者:通行します  投稿日:2016年10月11日(火)09時02分57秒
  投稿日:2016年 7月 5日(火)07時45分3秒   通報

「元祖」正義の走者です(笑)
ヨッシーさんの重要な投稿が、静かに下がってしまいましたので、フォーカスしときます。

この謀略グループは、板本尊まで自分たちで作って本部に売り込もうとしてたんですよ。

チャッカリと西山の坊主になりすましたMをたらしこんで、これらの宗教ゴロ達と一緒に作成した板本尊を、創価学会に売り込もうなどという発想は、マトモな宗教心と教義素養のある人間のなせる技ではない。
ご存知無い方もいるかと思うが、Mとは財務返還訴訟を起こした反逆者M本K弥だ。

「謗法の寺にあるから」という理由で、戒壇の御本尊を否定した本部に、謗法の寺所蔵の御本尊を模刻して持ち込もうというのだから、マトモな神経ではない。

また一方でこの連中は、学会の財力をチラつかせて、京都本○寺所蔵の御本尊の版権許可を取り付けた上、報告書まで作って売り込もうとしていたという情報もある。

おバカな本部も  さすがに首を縦に振らなかったのは不幸中の幸いと言う他ない。
問題はこの策謀の中心者が、Y尋、T川の仲良しで、現役男子部長の父ちゃんだということだ。
 

再掲!【教義改訂の裏で 投稿者:ヨッシー 】

 投稿者:通行します  投稿日:2016年10月11日(火)08時57分45秒
  投稿日:2016年 7月 4日(月)12時43分27秒   通報 編集済

教義改訂の裏で、一儲けしようと企む連中がいる。
その暗躍グループの実態が、以下のブログに克明に暴露されている。

このグループの中心は、かの「天鼓」で有名な葬儀屋の社長K林
(いわゆる元山崎師団)で、
今回策謀に動いたのは、T岡(誰かの父ちゃん)とH野

このグループは、法匪Yとつながり、T川とつながっている。
この構造をかつてY側近の弁護士が「三位一体」と呼んだ。

創価学会を裏で蝕む暗躍グループの手口は、
まず味方のふりしてターゲットに近づき、
手段を択ばず情報収集をし、
目的を果たせば後は知らんぷり(使い捨て)というもの。


その手口と内容をとくとご覧ぜよ。


http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953316784?org_id=1953333833

http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953333833?org_id=1953470445

http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953470445?org_id=1953495933

http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953495933?org_id=1953677996

http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953677996?org_id=1953495933

http://open.mixi.jp/user/14027330/diary/1953700585?org_id=1953677996
 

柳チャ~ン、ついに敗北宣言かな?またまた語るに落ちちゃったね~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月11日(火)08時57分33秒
  おはよう柳チャン、「宿坊」を叩けば叩くほど体調がいいそうだけど、お元気ですか~(笑)

>私が当初、インターネット掲示板「宿坊」を知って最初に思ったことは、なぜこのような名誉棄損だらけの掲示板が存在するのかという素朴な疑問であった<
(10月11日コラムより引用)

これって、柳チャン自身のことじゃないよね~(笑) だってアナタは2ヶ月にもならない「新参者」なんだから~(笑)

つまりアナタは、自分以外の「誰か」に対する言動に「義憤を感じ」て「一人立つ」思いで、コラムに宿坊批判を書きなぐっていたんだよね~

じゃあ、いったい誰に対する批判に「義憤を感じて」「一人立つ」思いで一方的な情報をタレ流していたのかな~(笑)

アナタの裏にいる人物が見えちゃうよ~(笑)

それとね、柳チャン、ネタが無くなったのか今度は管理人様まで引き合いに出しちゃうのはどうかな~。過去ログをよく読んで勉強しようね(笑)

>この板の管理人は、将来的に大きな代償を支払うべき立場にある<(10月11日コラムより引用)

これって脅迫なのかな~(笑)

「管理人はどちらにもくみするものではない」って何回もいってるんだけどね~(笑)


ついでにね、柳チャン、10月7日のコラム。
>「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる、その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる<
>波田地の場合はその投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と思われている<

もう消されちゃったけどさ~、これってアナタのいう名誉棄損じゃないのかな~(笑)

最後はネタが尽きたのか?、敗北宣言か?、面白い「ご連絡」ありがとう(笑)

>当分の間、急な出張等で更新できない日が出てくる可能性があります、何卒ご了解ください<(同コラムより引用)

そうか~、分かったよ柳チャン、今後更新しない日はネタが尽きたんじゃなくて出張なんだね(笑)今後も期待してるよ~、あてにせずね~(笑)
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月11日(火)07時32分10秒
編集済
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2010.1.26 【「SGIの日」記念協議会】

一、本日は、各地のリーダーの皆さんが集まってくださった。
 遠方から参加した皆さん方も、大変にご苦労さま!
 きょうは、ゆっくりと懇談的に語りたい(大拍手)。

● 燃え立つ信心で
 一、戸田先生は言われた。
 「朗々と妙法を唱え抜き、感激に燃えて戦うのだ!
 『本当にありがたい! うれしい!』──この燃え立つ信心があれば、祈りは叶うのだ」
 私たちの唱える南無妙法蓮華経は、「大宇宙」と「わが生命」とを貫く、根源の音律である。
 広布に戦う喜びと感謝にあふれた、燃え立つような祈りは、己心の「仏界の力」をわき立たせるとともに、全宇宙の諸天・諸仏を揺り動かしていくのだ。
 その祈りが、叶わないわけはない。

● 全権大使たれ!
 一、戸田先生は、国家の弾圧による2年間の投獄から出獄して間もなく、こう語っておられる。
 「ぐずぐずしてはいられない。出獄後、私は、一日の休みもなく、奮闘している。
 これからの半年の間に、2年間の投獄の空白を取り返す決心で戦っている!」
 限りある時間だ。
 私たちも、ぐずぐずしてはいられない。
 決断である。行動である。
 祈るのだ。動くのだ。
 特にリーダーは、道を歩くときも、さっそうと歩き、会員・同志の皆さん、近隣の方々と、すがすがしいあいさつを交わしていくのである。
 一人一人が“学会の全権大使である”との気概で、勇んで打って出よう!(大拍手)

■ リーダーならば、先頭に立つことだ。
 先頭を行けば、当然、風圧は強い。難にあう。それに断固として打ち勝って、道を開いていく。それがリーダーである。
 戦時中、軍部と戦い、正義の信念を貫いた牧口先生、戸田先生は、自らを犠牲にして、学会を護り、同志を護っていかれた。
 私もまた、お二人の精神のままに行動してきた。
 「各国各地の大切な同志を護れるように」「皆が安心して活動できるように」と、祈って祈って祈り抜いてきた。
 そのために、あらゆる努力を惜しまず、道を開き、道を作り、時代を変え、学会への認識を新たにさせてきた。
 これが「創価の三代の心」である。
 この会員厳護の精神を離れて、創価学会はない。リーダーは忘れてはならない。
 嫉妬の邪宗門からも陰険な攻撃を受けてきたが、私は微動だにしなかった。
 私たちは、邪宗門から離れることができて本当によかった。まさに御仏意であった(大拍手)。

● 一、インドネシアの女性解放の先駆者カルティニは叫んだ。
 「まず手本を示す人があるとよい」「思いきって始める人さえあれば、きっと多くの人がこれにならうものだと確信しております」(牛江名訳『暗黒を越えて』日新書院。現代表記に改めた)
 我らは今、永遠に崩れぬ「創価城」を築いている。
 「広宣の道」「勝利の道」「歓喜の道」を、皆さんが全世界に大きく広げていくのだ。勇気の剣を高く掲げ、さっそうと前進していただきたい(大拍手)。

● 理想の建設へ大局観に立て
 一、本年は、日蓮大聖人が「立正安国論」を鎌倉幕府の最高権力者・北条時頼に提出してから満750年の佳節に当たる。〈大聖人が「立正安国論」を提出されたのは文応元年(1260年)7月16日〉
 大聖人の御一代の弘法は「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」と言われる。
 「立正安国論」には、正法によって断じて民衆の幸福と平和を実現するのだとの、御本仏の大慈悲と大情熱が脈打っている。
 私たちは、この立正安国の御精神のままに、いかなる迫害の嵐も乗り越えて、広宣流布へ進んできた。
 大聖人の御賞讃は間違いないと確信する(大拍手)。
 「立正安国論」には記されている。
 「汝須《すべから》く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を序・逎瓩・廖文羹・咳㌻)
 自らの幸福を願うならば、まず社会の安定や繁栄、世界の平和を祈っていくべきであるとの仰せである。
 国土が戦乱や災害に覆われてしまえば、個人の幸福の実現もありえない。
 自分一人の幸せではない。社会の平穏と繁栄を祈り、その実現に尽くしてこそ、真実の幸福は実現される。
 また、そうした生き方を貫いてこそ、自己の小さな殻を打ち破り、本当に価値のある、充実した人生を築いていくことができるのである。
 戸田先生は青年部に語っておられた。
 「社会をどう変革するか、理想の社会を構築するためには、どのような実践行動が必要かを考えよ!
 その大局観に立った一切の振る舞いであってほしい」
 青年こそ、理想の社会建設の先頭に立ってもらいたい。
 勇んで現実社会の真っただ中に飛び込み、泥まみれになって民衆のため、地域のために尽くし抜くことだ。
 ここに日蓮仏法の魂もある。

● 思想の乱れが社会の乱れに
 一、大聖人が「立正安国論」を御執筆された当時、大地震や飢饉、疫病などが続き、民衆は塗炭の苦しみを味わっていた。
 大聖人は、その原因について、こう喝破されている。
 「世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。
 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災《わざわ》いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである」(同十七㌻、通解)
 人々は正法に背き、誤った教えを拠り所としている。こうした思想・哲学の乱れが、世の中の乱れの元凶であるとの仰せである。
 国といい、社会といっても、その根本は人間である。人間の行動を決めるのは思想であり、哲学だ。宗教である。
 民衆が、何を規範とし、何を求めて生きるのか。それによって、社会のあり方は大きく変わってくる。
 だからこそ、民衆一人一人が確固たる哲学を持つことが重要なのだ。
 私たちの広宣流布の運動は即、立正安国の戦いなのである。

 一、大聖人は御断言された。
 「結句は勝負を決せざらん外《ほか》は此の災難止み難《がた》かるべし」(同998㌻)
 仏法は「勝負」である。正義が勝ち、正法が興隆してこそ、真の平和と繁栄の実現もあるのである。
 人生も戦いだ。真剣に祈り、努力し、行動し抜いてこそ、勝利の結果が生まれる。
 私たちは信念の行動で、誠実の対話で、すべてに勝ちゆく一人一人でありたい。

● 共生と調和へ対話を推進
 一、国主諫暁を断行されたことで、大聖人は国家権力から厳しい迫害を受けた。
 大聖人は、なぜ大難を覚悟の上で、「立正安国論」を著されたのか。
 「安国論御勘由来」には、その理由について「ただひとえに国のため、法のため、人のためであって、自分の身のために言うのではない」(同35㌻、通解)と綴られている。
 仏法のため、平和のため、民衆のために正義を断じて叫びきらねばならない。これが御本仏の御覚悟であられた。
 戸田先生は訴えておられた。
 「日蓮大聖人は、首の座にのぼっても、佐渡の雪の中で凍えても、“われ日本の柱となるのだ! 眼目となるのだ! 大船となるのだ!”と仰せになられた。そして、民衆のために、あれほど戦われたではないか!
 我々も、強い自分に立ち返って、体当たりで戦うことだ!」
 学会は大聖人の仏法を根幹として、全世界に平和と教育と文化の連帯を大きく広げてきた。「人間革命」の哲学を掲げて全民衆の幸福の実現を目指すとともに、共生と調和の社会の実現を願い、「文明間対話」を地球規模で推進してきた。
 御書には「智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである」(1466㌻、通解)と仰せである。
 現実の社会の中で、仏法の智慧を発揮し、貢献していく。そうであってこそ、真に“生きた宗教”として輝いていくことができるのである。
 今、SGIの人類貢献の活動に、各国の指導者や識者からも多大な賞讃が寄せられている。
 日蓮大聖人の仰せのままに、大聖人に直結して前進する我ら創価学会は、世界の「平和の柱」である。
 青年の「教育の眼目」である。
 人類の「文化の大船」である。
 この深き誇りと確信を胸に、威風も堂々と進みたい(大拍手)。

● 皆を喜ばせるのが真のリーダー
 一、戸田先生は、こうも叫ばれた。
 「リーダーは、先頭に立て! 同志の方々の模範となるべきだ。
 皆が安心し、皆に喜んでもらえるような存在に、断じて、なっていきなさい」
 皆のおかげで、リーダーがいる。
 皆のために、リーダーはいる。
 これが戸田先生の大精神であった。
 リーダーが最前線に立つのだ。それが正しい。当然のことだ。
 同志は皆、雨の日も、雪の日も、寒い中でも、一生懸命、広宣流布のために戦ってくれている。
 リーダーは心から感謝し、誰よりも真剣に行動するのだ。
 そうすれば、皆も、うれしい。「ああ、来てくれた」と喜びが広がる。
 それとは反対に、号令だけかけて、自分は動かない。立場にあぐらをかいて、ふんぞり返る──そんな増上慢の人間が出てきたら、学会はどうなるか。
 私は、将来のために語り残しておきたい。
 誰よりもリーダー自身が、人間の中へ飛び込んでいくことだ。
 「あの人の戦う姿に勇気をもらった」「あの励ましのおかげで頑張れた」──そう思ってもらえるくらい、同志のために尽くし抜いていく。その振る舞いが、永遠に光っていくのである。
 広布の人生に引退はない。最後の一瞬まで戦い、立派に総仕上げしていくのだ。
 どんな立場になっても、同志を尊敬し、後輩をほめ讃えながら、自分は“一兵卒”の気概で、尊き和合を護り抜くのである。
 決して威張ったり、利己主義に陥ってはならない。自己には厳しく、人には温かく。皆に信頼され、頼りにされる存在であってもらいたい。

● 正義の師子の風格を持て!
 一、戸田先生は壮年リーダーの奮起を願って語られた。
 「正義の師子の風格を持て! その頼もしき姿に、皆がついてくるのだ」
 黄金柱の壮年部が、今こそ立ち上がる時である。
 たとえ年配になっても、二十五歳の青年の心意気で、この一生を生き抜いていただきたい!  〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 断じて心まで老いてはならない。若々しい心を燃やさなければ、何事も勝てるはずがないからだ。
 また戸田先生は、婦人部と女子部の友を励まして言われた。
 「広宣流布の旗を持って、立ち上がれ! 永遠の生命から見れば、苦しい時期というのは、瞬間のようなものである。最後まで、しっかり頑張りきってごらん。必ず結果が出るよ」
 深い意味が込められた言葉だ。
 同志の皆様の中には、ご家族が病気の方もいるでしょう。この不況で経済的に大変な方がいることも、よくうかがっています。
 壁にぶつかった時こそ、信心で立つのだ。題目をあげぬき、決して負けてはいけない。
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 私は、一切が、希望の方向へ、幸福の方向へ、勝利の方向へ行くようにと、毎日、真剣に祈っている。
 どうか勇気ある信心で、苦難を乗り越えていただきたい!
 ニュージーランド出身の女性作家マンスフイールド。彼女は、ちょうど女子部の皆さんと同じ青春時代に、こう綴っている。
 「困難を征服している時以外に私が幸福になれる時があろうか? 決してない」(佐野英一訳『文学する日記(全訳)』建設社。現代表記に改めた)
 困難がないことが幸福なのではない。
 困難に打ち勝つなかに幸福があるのだ。
 女子部の皆さんは、いかなる悩みも乗り越えて、一人ももれなく、世界一の幸福王女になっていただきたいのです。
 頼むよ!〈会場から「女子部は必ず勝利してまいります!」との声が〉
 うれしいね。広宣流布に挑みゆく、その心が偉大だ。本当に尊いことです。
 男性陣も、負けずに頑張れ!〈「ハイ!」と元気いっぱいの返事〉

● 心は必ず通じる
 一、戸田先生の指導を拝したい。
 「題目は、真剣勝負で祈れば、必ず功徳となって現れる。
 真剣に祈れば、雑念は消え、広布の戦いで勝つことに集中できるようになるのだ」
 勝つための仏法だ。
 1年365日、強き祈りを根本に、すべてに勝ち抜こう!
 戸田先生は、こうも言われていた。
 「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
 友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
 気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
 ともあれ、日蓮大聖人に連なって、真剣に、妙法を唱えゆく我らには、「無作三身の如来」の生命が滾々とわいてくる。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書759㌻)──ありのままの自分を伸び伸びと輝かせていける。ここに妙法の偉大さがある。

栄光の80周年! さあ きょうも出陣!
時代を動かす対話の大潮流を

● 今いる場所が使命の晴れ舞台
 一、「誰か」ではない。「どこか」でもない。「自分が今いるその場所」が、わが人生の晴れ舞台である。
 自分にしかできない使命の劇を、思う存分、勝ち飾るのだ。
 心に大きな目標を持つ人は、それだけ大きな人生を生きられる。
 自ら決めた目標へ、祈り戦い抜く人は、最後に必ず勝利する。
 「広宣流布」即「世界平和」。
 それが我らの大目的である。
 歴史を開く80周年。
 どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
 やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
 時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
 戸田先生は教えてくださった。
 「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
 ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
 乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
 先生の言葉のままに、私は戦った。一念に億劫の辛労を尽くして、祈り、走った。
 行くところ行くところで、皆が驚くような結果を示し、妙法流布の活路を開いた。飛躍的な拡大は、日本はもとより、世界まで波動を広げた。
 思えば、戸田先生は、愛弟子を、あえて最激戦地に挑ませて、鍛えた。そのたびに、私は敢然と戦い、勝利を報告した。
 先生は「どこに行ったって、大作は何でもやり遂げる」と、本当にうれしそうだった。  師匠の期待に、より以上の結果をもってお応えする。
 これが、真実の弟子の道である。

● 不惜身命の魂を継ぎゆけ
 一、戸田先生の時代も、多くの幹部がいた。しかし、誰よりも先生をお護りし、誰よりも勝利を打ち立てたのは、私である。後世のために、ありのままに語っておきたい。
 先生は心から信頼してくださり、亡くなられる前に、「大作、お前がいたから、よくやってくれたから、俺は栄えある身になれたよ。これからの学会を頼む」と語ってくださった。
 師匠のためなら、何でもやる。すべてに勝つ。これが弟子だ。
 この心が、創価学会という民衆の大幸福城を築き上げたのだ。
 最も過酷な時代にあつて、正義を貫き、殉教された牧口先生。
 ともに投獄され、満身創痍の身で、学会を再建された戸田先生。
 その不惜身命の魂を継ぎ、私は広宣流布に立ち上がった。
 苦境の戸田先生を、多くの人が見限り、軽侮《けいぶ》し、恩を仇で返していった時、私は戸田先生!」と叫んで戦った。心黒き増上慢の人間を、清浄な広布の世界から叩き出した。
 後に「俺は、いい弟子をもって、幸せだったよ、大作」と喜んでくださった先生。
 病弱だった私の身を案じて、「大作、長生きしてくれ」と叫び、人目もはばからず慟哭された先生。
 「なんとか長生きしてもらわないといけない」と、先生は、私ために祈ってくださった。
 本当にありがたい師匠であった。
 先生亡き後も、弘教の上げ潮をつくり、あらゆる基盤を整え、五大州に道を開いた。
 世界も、心配ありません──今、私は、こう胸を張って、先生にご報告することができる(大拍手)。

● 五十年後、百年後の同志の模範に
 一、風が吹けば、波が立つ。正義を叫べば、反発も起こる。
 御書に「風大なれば波大なり」(909㌻)と仰せの通り、これからも、大仏法を弘めれば必ず難が競うだろう。
 それは、正義のゆえであり、時代が変わる兆しなのだ。
 戦おう! 断じて勝つのだ。
 頑張ろう! 今の皆さん方の真剣な行動が、後世の教科書になっていく。
 創立80周年のこの時に、皆がどう戦ったのかを、五十年後、百年後の同志が学ぶ。そういう時代が必ず来るのだ。
 脚光を浴びない舞台で、誰が見ていなくとも、黙々と、わが使命を果たしてくれている友もいる。
 しかし、全部が仏道修行である。仏法には一切無駄はない。
 かつて戸田先生は、「水滸会」の野外訓練で、キャンプファイアを囲みながら、こう語られた。
 「この炎のように、私たちの生命も、燃え上がらせていくのだ。
 学会精神とは、信心の炎を燃え上がらせることなのだ」
 強い祈りと熱い決意で、友を励まし、同志に尽くすのだ。

● 皆様の「勝利」と「健康」を祈る
 一、師とともに戦い、師とともに勝つ。ここに常勝の道がある。
 いかなる時代になろうとも、師弟の魂を叫び抜き、師弟の道に生きるのだ。それが学会の強さである。それでこそ、最高の力が出る。この一点を、永遠に、わが生命に刻みつけていただきたい。
 きょうは長時間、本当にありがとう!
 皆さん方のご家族が健康であるように。そして、一切に勝利していけるように。それを祈って、題目をあげたい。〈ここでSGI会長の導師で、全員で唱題した〉
 ご苦労さま!
 お元気で!
 私は、妻とともに、一生懸命、皆さんの「勝利」と「健康」を祈っています。それぞれの地域の広宣流布は、皆さんにお願いする以外にないからだ。
 地元に帰られましたら、同志の方々に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 青年部、頑張れ! 成長がうれしい。民衆を護るために、偉くなれ! 負けるな!
 皆さん、ありがとう!(大拍手)

 

因位の釈尊!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月11日(火)06時48分46秒
   おはようございます。
>日蓮本佛論が日蓮大聖人の遺文のみによって正当化されなければならないわけではない、というのが宮田教授の主張の骨子です。後世の人間が色々考えた結果として、大聖人を本佛として拝する、ということはまったく問題ないだろうというのですね(そもそも法華経を含む大乗経典がA.D.1c 頃の創作であってインド応現の釈尊の直説ではない後世の人間が色々考えた結果だというのと同じ話です)(投稿者:己心の認定本尊   投稿日:2016年10月11日(火)00時05分15秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57916

 「己心の認定本尊」―「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」(法華初心成仏抄P557)
 の箇所ですね。

 そうですか。「後世の人間が色々考えた結果として、大聖人を本佛として拝する、ということはまったく問題ない」との立場ですか。つまり、日蓮本仏論であると。「因位の釈尊と蓮祖大聖人が法体に於いて同一」としての。

 これは、いよいよ彼の方の論考を待たねばなりません。


 

略語解説(1)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)06時32分42秒
  『便1』とか『便3』とか『糞タレ勝負パンツ』とか、略語が多く、分かりにくいとの事で解説します。

『便』については、以下から引用しています。

宿坊の掲示板を「便所の落書き」と決めつけ、「今後とも私なりに、≪便所掃除≫
を続けていくつもりである。」(2016/9/21 柳原滋雄コラム日記より一部引用)

自称スーパージャーナリストの論から、便所の落書きを見ている男、宿坊の掲示板が便所の落書きであると認定して卑下しながら監視を続けて興奮して査問・除名を繰り返している者・または関係者を『便所男』と認定しました。

よって、
『便所男No.1』=谷川佳樹(創価村貴族代表)=便1

『便所男No.2』=佐藤ピロシ(自公毒饅頭代表)=便2

『便所男No.3』=琴の弦(多重ハンドルネーム奏者)=便3

『便所虫』=柳原滋雄(命名認定者)=便虫

です。
 

今年の11・18創立記念日には、どのような仕掛けをされマスか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)04時41分26秒
編集済
  昨年の11・18創立記念日は、記念行事も会合も記念顕彰もしないで、こっそり



え!! 日蓮世界宗創価学会 発表してるじゃん!?投稿者:九州人
?投稿日:2015年11月17日(火)23時09分48秒
創価学会公式サイトより
会則(1)

池田先生は、創価学会の本地と使命を「日蓮世界宗創価学会」と揮毫されて、創価学会が日蓮大聖人の仏法を唯一世界に広宣流布しゆく仏意仏勅の教団であることを明示された。
そして、23世紀までの世界広宣流布を展望されるとともに、信濃町を「世界総本部」とする壮大な構想を示され、その実現を代々の会長を中心とする世界の弟子に託された。
http://www.sokanet.jp/info/kaisoku01.html
?


となりました。会則改定を秘かにSOKAネットにて公開して、『日蓮世界宗創価学会』の文言まで組み込む周到さ。
コンサル会社の企図通りであれば、次は本尊購入・本尊入替ですね。どうなんでしようかね。
 

レ・ミゼラブルを読み直す(1)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)02時34分53秒
編集済
  第一部第二編の七からスタートします。

レ・ミゼラブル(一)p.175

八,海洋と闇夜
海中に一人の男!それはなんぞや!船は止まることをせぬ。風は吹き荒む。暗澹たる船は一つの進路を有し、続航を強いらるる。船は通り過ぎていく。
男の姿は消え、また、すぐに現れる。彼は波間に沈みまた水面に上り来る。
彼は助けを呼び、腕を差し出す。しかも誰もその声を聞かない。船は暴風雨の下に揺られながら自らの運転に意を注ぎ、水夫と乗客との目にはもはや溺るる男の姿は止まらない。彼のあわれなる頭は、広漠たる波間にあってただの一点に過ぎない。

彼は深海のうちに絶望の叫びを投げる。去りゆく船の帆はいかなる幻であるか!彼はそれを見つめ、狂乱したように凝視する。帆は遠ざかり、おぼろげになり、次第に小さくなる。彼は先刻までその船にいたのである。彼は船員の一員であった。他の者とともに甲板を往き来し、空気と日光との分け前を有し、生きたる一人の者であった。が今何が起こったのか。彼はただ足を滑らし、落下した。それで万事終わったのである。

(中略)

おお人類社会の厳酷なる歩み!
進行の途中における多くの人々および魂の喪失!
法律が投げ落とす全てのものの陥る大洋!救助の悲しき消滅!
おお精神上の死!

海、それは刑罰がそれを受けたる者を投ずる社会的の酷薄なる夜である。
海、それは際涯なき悲惨である。

人の魂は、この深淵のうちに流れ込むとき死屍となる。だれかそれを甦らするであろうか。


・・・・・・・・・・・・・・

船とは何の船か?
船員とは誰のことか?

この物語では、主人公のジャン・バルジャンを指していますが、我々に当てはめた場合は?
そのポジショニングによって読み方が変わります。

七,絶望のどん底   でジャン・バルジャンは、社会が作り出した飢えによって法によって裁かれ、文盲で無知であったが故に徒刑場に送られます。四十にして文字を覚え計算の仕方も理解して社会の矛盾を知り始める。そして八でその精神状態を表現しています。
 

11・18創立記念日は、新たな御本尊が認定される日!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)01時35分45秒
  正反合の論理で導き出されるもの、それは認定本尊。

昨年11・18に教義改変・会則改定、塩漬けにしていた『日蓮世界宗創価学会』の名称をこっそり会則前文に盛り込む。

今年の11・18で、秘密裏に買い込んだ日蓮直筆の本尊に替える。

費用対効果で言えば、会員への販売価格を一万円としても、数十億円の本尊購入金額は安い買い物であり、名実ともに独立教団に成れる。

明年11・18には、便1が、幸福創価村村長となり、封建社会主義創価学会が誕生と言った志向ですかね。
なんとなく、今年も11・18創立記念日祝賀行事をやらない企図が分かりました(-_-)
 

そうなんです!

 投稿者:若く美しいソクラテス  投稿日:2016年10月11日(火)01時08分49秒
編集済
  そうなんです!
不二の弟子とは、師匠と同じ

プラトン=ソクラテス
あえて違いを言えば、より若く美しくなっただけ

つまり外見は違うが心は同じ
「異体同心」の弟子

同心=会員の幸福を祈り願う心
ここが、どこまで師に肉迫しているのか?
その祈りと挑戦が感じられない最高幹部達
現場でも幹部は会員の幸福責任者ということが忘れさられています

誰がやっても、池田先生みたいにはいかない
もっともです
おっしゃる通りです

しかし、会員を先生からお預かりした先生の友と思い、その幸福責任者であると自覚し、祈るならば、師と同じ力(慈悲、智慧)が湧くはずなのです

それが結局、自分の力、福運となるのです
一念に億刧の心労をしていない
だから、相が良くない

そこが問題なんだ!

保身、私利私欲で不二の弟子になれる訳がない
師匠とのあまりの境涯の違い

今日からは「若き美しい山本伸一」を目指す!

寝たきりおじさん様
素晴らしいです
皆の為に!
まさに山本伸一の心です
ありがとうございます!
 

寝たきりオジサン様

 投稿者:同志の歌(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)00時53分8秒
  はじめまして、同志の歌といいます。

素晴らしい体験談を紹介してくださり、ありがとうございます。

自分の周りにも、病魔と必死に戦う同志の方々が居ります。

この同志の人達の全快を日々祈らせて、戴いて居ります。

必ず全快させられるように、自分も猛然と祈り切って参ります。

ありがとうございました。

 

己心の認定本尊か~、良い言い方ですね

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)00時48分36秒
編集済
  誰の認定?原田会長の認定(-_-)、便1の認定(-_-)宮田教授の認定(-_-)

各個人の学会員が、認定できる様にすれば、責任は皆さんでーす!誰も責任を負わないし、皆で決めた琴だから、良い琴だと(-_-)

後は、どんどん御本尊も教学も替えて、次いでに経本も毎年御祈念文変えて、販売!!良い感じですね(-_-)

そのうち、己心の認定本尊だから、何を拝んでも学会員であればOK~なんて言わないでしょうね(-_-)
 

この方の拝んでいる本尊は、釈迦牟尼像か?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月11日(火)00時37分25秒
編集済
  どうも、学会員ではないのでは?


それにしても日寛教学というものは、旧来の創価学会員の思考回路にいかに深く浸透してしまっているかを改めて考えさせられます。

(-_-)(-_-)(-_-)

あのね、創価学会会員の自宅に安置している御本尊は、誰が書写したものなのですか?寛師じゃないの?これを毎日、拝んでいるんじゃないの?それとも、 自分で書いた本尊を拝んでいるのですか?わけわからない論ですよ。達師の本尊も、大誓堂の応師の本尊も同じですよ。どうするの?全部否定して東向いて勤行しているのですかね。

便1にでも本尊書いてもらいたいのか?釈迦牟尼像を拝みたいのか?どうなんでしょうかね(-_-)

それとも、寛師の本尊拝みながら、所破所用で目をつぶって、見ないようにして題目唱えているとか(-_-)(-_-)(-_-)
 

ありがとうございます

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2016年10月11日(火)00時32分48秒
  レスをくださった皆様、とても励みになります。
ありがとうございます!

おかげさまで体調はすこぶる良いです!
これは皆様と命を合わせて題目をあげてる功徳だと
確信します!

少しでも池田先生を求める方々の力になれれば
大歓喜です!今後ともよろしくお願いいたします。
 

宮田教授と日蓮本佛論

 投稿者:己心の認定本尊  投稿日:2016年10月11日(火)00時05分15秒
  教学部の中にいた須田さんがこれまでの教学との整合性・連続性を重視するのは当然だと思いますし、あくまでも教学部の外部の人間である宮田教授は随分と気楽に教学の改定を打ち上げるなあ、と思います。須田さんが宮田教授を批判するのもむべなるかな、ですね。なので、宮田教授を庇い立てする義理もないのですが、少しだけ。

> 宮田教授は御本尊様の賛文を削除すべきと主張しています。

そうなんですか? 賛文のある曼荼羅を複製する際に画像加工でもして削除するということなんでしょうか(個人的には変造みたいなものでいい気分はしませんね)。いずれにせよ、そもそも大石寺にある戒壇板本尊には「有供養者~」の賛文はもともとありません(だからそれを「書写」した曼荼羅に賛文があること自体が本来は奇妙な話でもあります)。日蓮大聖人の直筆の曼荼羅で「有供養者~」の賛文が書かれたのは弘安元年八月から弘安二年十月までです。戒壇板本尊を弘安二年十月のものだとするならば、熱原の法難をきっかけに、大聖人はこの賛文を書くことをきっぱりやめられたわけです。現罰を強調する傾向にある日興上人はこの賛文を好まれましたし、日蓮正宗の曼荼羅書写相伝にもこの賛文を書き入れるよう指示がありますが、日興上人より日蓮大聖人の意を汲むべきだ、という立場はありうると思います。

> 宮田教授は日蓮本仏論に否定的です。

日本宗教学会での報告?について言えば、宮田教授の立場はそういうものではありませんよ。宮田教授は、偽書を排除して日蓮大聖人自身の遺文に基づく限り、日蓮本佛論は成立せず、大聖人自身が自身を本佛であるとは考えていなかった、とするわけです。ただ、日蓮本佛論が日蓮大聖人の遺文のみによって正当化されなければならないわけではない、というのが宮田教授の主張の骨子です。後世の人間が色々考えた結果として、大聖人を本佛として拝する、ということはまったく問題ないだろうというのですね(そもそも法華経を含む大乗経典がA.D.1c 頃の創作であってインド応現の釈尊の直説ではない後世の人間が色々考えた結果だというのと同じ話です)。もっとも、宮田教授の言う「凡夫本佛論としての日蓮本佛論」、つまり、名字即、未断惑の凡夫である大聖人を、凡夫の代表として本佛と拝する立場が、創価学会として受け入れられる「日蓮本佛論」の形態なのかどうかはよくわかりません。

なお、日寛教学に言う「日蓮本佛論」はもともと、因位の釈尊と蓮祖大聖人が法体に於いて同一であるというもので、釈尊と大聖人は別体の佛ではありません。六巻抄の「末法相応抄」から引用すると:

***
本門の教主釈尊を本尊と為すべし、いわゆる教主釈尊の当体全く是れ十界互具、百界千如、一念三千の大曼荼羅の故なり云云。是れ豈に人法体一を顕わすに非ずや。故に知んぬ、是れ迹中化他の色相の仏身に非ず、応に是れ本地自行の自受用身なるべきなり、本地自行の自受用身とは即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊とは即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり。是れ則ち行位全まったく同じき故なり。
***

普通に考えればこれは創価学会のこれまでの教学(少なくとも一般的な会員の理解)とはだいぶ違うわけです。だから、創価学会の教学が以前は日寛教学に基いていたかどうかすら疑わしいわけで、単に「これまでの教学を守れ!」と叫んで済む話だとは思えません。

思わず長文を書いてしまいましたが、またROMに戻ります。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月10日(月)23時51分29秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
味わいながら題目をあげれました
ありがとうございます
おやすみなさい
 

21世紀の御みやづかい~変容する日本社会と仏法者

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年10月10日(月)23時13分57秒
編集済
     《第2回 他人の不幸の上に築く幸福とおぼしきもの(中)》


1.
 学会総世帯数300万達成の翌・昭和38年(1963)に公開された黒澤明監督の映画『天国と地獄』。
 製靴会社の常務(演;三船敏郎)のもとへ息子を誘拐したとの電話が入り、すぐさま間違えて息子の代わりに住み込み運転手の息子が攫われたことが分かるが、犯人はそのまま常務に身代金を要求する。理由があって逡巡する常務だがあることをきっかけに身代金を支払う決意をし、警察捜査陣と連携して誘拐犯と対峙することになるが――。
 息詰まる攻防戦の末に逮捕される誘拐犯(演;山崎努)。犯行の過程で重ねた余罪により裁判で死刑が確定した彼は常務との面会を希望し、映画の最後、拘置所にて対面する。極貧家庭に生まれ育ち、長じてなお生活の困窮にあえぐ研修医だった死刑囚は、寓居するボロ・アパートの三畳間の窓から見える「丘の上に建つ豪邸」で裕福な生活を送る何の面識もない常務への嫉妬と憎悪が犯行の動機だと語り、哄笑とともに己の境遇を呪う。。

 ・・・子供のころから地上波なりCS放送なりで5,6回ほどテレビ視聴してきたが、だいぶ大人になってから観ていつも一番訝しく思ったのは、誘拐犯が嫉妬と羨望のまなざしを向けていたという丘の上に建つ常務宅。
 紙幅の関係で詳述は避けるが「へっっ? こんなんが豪邸??」と脱力してしまいそうな、外観も内装もハウスメーカーのカタログに出てくるような型通りの注文住宅にしか、平成も押し迫った現在の視点からでは感じられないのである。半世紀も昔の映画でしかも細部の雰囲気が掴みがたいモノクロ映像という前提があるにせよだ。
 だがしかし、昭和38年という時代状況を鑑みるに、その後の東京五輪(1964)、大阪万博(1970)といった国民的イベントを通過する中で振りまかれていった“一億総中流幻想”に毒される前のこの国に厳然とあった階層社会の問題点、絶対的な貧富の差が生み出す富める者への強烈なルサンチマンを、正面からなおかつ説明調にならずに描き切った本作は、巧みなストーリーテリングとともに時代の雰囲気も活写する高い史料的価値をも有するのではないかと改めて思うのである。
 すなわち世帯数300万を突破し、公明党結党を目睫にひかえて日本社会を席巻する一大勢力となった創価学会。その会員一人ひとりが置かれた学会発展期の時代様相を、みずから活動に励む日々の中でどのように見つめていたかを知る手掛かりのひとつになろうかと筆者は着目し、今後も折に触れて鑑賞の機会を持とうと思う。

2.
 ともすれば若い時の貧乏自慢に傾きがちな信仰体験談。老齢の自分の一進一退を続ける病状報告で時間を費やす“幹部指導”――。
 座談会やその他各種会合でも参加者の高齢化が進み、内向きで己の過去に重心をおく内容の話がどうしても多くなってくる。現在進行形で得ていく功徳や信心の確信を語る姿勢が大事ではあるが、普段あまり会合参加されない会員からも、また日頃熱心な下種を受けている外部の新来者などからも、「一難去って、また一難」ふうのカタルシスが覚束ない印象の体験談をよく聞かされる、との声が筆者の耳にも多々入る。
 「宿命転換、境涯革命の道のりにゴールはない。絶えざる試練に打ち勝ち、何があっても崩れざる境涯を築くための信心」・・・と、願兼於業を教科書通りの語り口でもってしても頭だけでは誰も理解かなわぬは承知で、結局は個人個人の実証を示す姿をもって回答に代えるしかない。
 ともあれ「貧乏人と病人の集まり」と蔑まれていた半世紀以上の昔から時を経て、やはり今も貧・病・争の克服が現場学会員の最大のテーマであることには変わりない・・・と、一面から見ればそう言えなくはないが、もう少し掘り下げて考えてみよう。

    ↓例えば、戸田会長逝去の前年、参謀室長時代の池田先生の以下のような指導。

  ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~

  「広宣流布の時には参議院議員、衆議院議員もいてさ、皆な財布の中には少くとも十万や二十万
  入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、一つ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おう
  じゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら広宣流布出来やしませんよ。一つ天下
  取るまで諸君は大事な体だから、うんと修行して行きなさいよ」

          (聖教新聞:昭和32年9月6日/吉田司『新宗教の精神構造』p225より抜粋)

  ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~

 上記の箇所、実は昔から主に批判的な論調で書かれた学会関連本に幾度となく引用され、著者が主張するところの池田先生の“俗物性”を示す傍証にされてきたものだが、国会議事堂はもとよりプリンスホテルも帝国ホテルも利用したことのない(中に入ったことがない)筆者にはどれほどのありがたみ、ステータス性があるかピンとこない。十万二十万も入る財布など持ち歩くに不便と思うし、正装のスーツなども(牙城会・王城会の着任用も含め)若い頃から「洋服の青山」でセール売りを狙った一括払いで購入している。内容から男子部に向けられた指導だと思われるが、約60年前の若者にどれだけ鼓舞する威力があったか、この文言だけでは想像が難しい。

 だが、この6年後に公開された映画の中で、エアコンはおろか扇風機もない蒸し暑くむさ苦しいアパート一室の窓からはるか遠くにそびえ立つ「丘の上の豪邸」に嫉妬と羨望のまなざしを向ける貧しき研修医と、当時の青年部の大半が紙一重の境遇で生活の困窮にあえいでいたこと。ひとつ間違えれば取り返しのつかない大罪を犯す危うさを心の奥に沈めて懸命に日々の学会活動に取り組んでいた歴史の事実に、共感共苦とはおこがましいまでも、新たな格差化が進む21世紀の今を生きる者の一人として思いを馳せることは出来る。

 問題は、貧病争に打ち勝つ経済革命・境涯革命に邁進する若者たちを、利用価値の有る無しで推し量る邪智の者どもが早くからいたこと。。

3.
 前回も触れたように、草創期学会員それも青年男女の大多数を占めたのが、地方の農家などから工業化の伸展に伴い都市部に流入してきた人たち。村落共同体の基礎的人間関係から切り離され、周囲の知己も限られる中で徒手空拳、都市生活に適応する努力を各々強いられている状況下に仏縁を得た若者たちである。男女の別なく入会後も殆どが長らくその日暮らしで身を持ちこたえる中、戸田先生・池田先生の薫陶を受けて一人ひとり己が使命を覚知していった。
 高級レストランで挙行された華陽会結成式(昭和27年10月21日)において戸田先生は選抜された20名の女子部員たちにナイフとフォークの使い方から教えなければならなかった。

   ~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~

    戸田は洋食のマナーから教えなければならなかった。
    当時の世情は、まだ一般庶民には生活の余裕はほとんどない。筍(たけのこ)生活をやっと
   切り抜けたばかりのところだった。生活の不如意(ふにょい)は、なお続いていた。それだけに
   戸田との晴れがましい会食は、若い娘たちにとって夢みるような華やいだものと映ったにちがい
   ない。だが戸田は、愛すべき若雛の娘たちに、生活の潤いを与えたかったのである。

                             (人間革命・第7巻 『翼の下』)

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 男女の区別なく都会暮らしの流儀をまず形から、外面的なところから身につけなければならない。公共の場でのエチケットやマナーもその意味することを掘り下げる前に、とにかく見よう見まねで体裁を取り繕うところから始めていく。
 民音結成まもない頃、サンダルばきにパンと牛乳持参でクラシックの演奏会などに赴く学会員を嘲弄する向きが世間にあったが、そんなTPOを弁える余裕もなく毎日懸命に目の前の仕事をこなさないといけない現実がある。
 いきおい現場での指導内容も今日明日の暮らしのやりくりに焦点を当てたものになる。

 「政治や社会の動向を気にする前に、今は自分に与えられた仕事(課題)に全力投球しなさい」

 ・・・確かにその通りと言えるが、若いうちから自分自身の課題に専念するあまり、周囲の限られた人間関係の範囲を超えた社会全般への観察力や想像力が欠如する恐れもはらんでくるのではないか?

 さらには、繰り返すが早い段階で村落共同体の基礎的人間関係から切り離され、タコ壺のような無記名の都市生活に放り込まれた結果、自立した個人の概念を育む期間をついに持たないまま、学会組織であれ勤務先の会社であれ、単純な上下関係に身を置くしか他人との遇し方を知らない人も多くいたのではないかと考える。
 こうなると何かに所属するという行為が、従属や隷属と同義になってしまう。タテ線・ヨコ線関係なく一方的な命令系統を貫く親分子分の関係性が早くから学会にはびこっていたのは周知の事実で、多くの場合、日本特有のムラ社会の形態をそのまま無意識に都会へ持ち込み再現させた結果だとされている。
 内実はどうであれ、平等なはずの仏子の世界に支配・被支配の歪んだ関係が生じてくる。会員個人個人は所属する組織が内包する矛盾、危険性の高い問題に正面から取り組むよりも、まずは自分の目の前の仕事や課題に意識が向いているから(向かわされているから)結局は諸個人の解釈に委ねられ、民主的な議論を生み出す風土が一部の例外を除いて学会組織内に形作られてこない。

 個人がそれぞれの生活の場で「実証」を示すのが第一の眼目になると、集団全体が抱える問題にことさら口を差し挟む行為が異端視される。
 貧病争の克服が信心を深める動機ではなく、それ自体が目的のすべてになってしまう。他に目が向くのを避けてひたすら個人レベルでの課題克服の祈りと活動に専心させられるあいだは、組織の性格や指導性・方向性に自分が置かれている苦境の原因の一端があるとの主張は絶対に許されず、何かあれば「信心で受け止めよ」「信心で乗り越えろ」と体のいい決まり文句で自己責任を強いられる。

 そのようにして地域を問わず学会組織のタコ壺化が進む一方で、300万から500万、750万と急伸長する会員数に頼って現場の苦悩をも己が権勢の拡大に利用し奢侈な生活に耽る食法餓鬼の一群も形成されていった。
 五代会長も現・六代会長も、大学卒業後に一般企業の勤務経験を持たずに「職員」の身分で一宗教法人に寄生して今日に至る経歴であるのをよくよく吟味しなければならない。。

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予定より投稿遅くなりました。次回は、、、なんとか今週中。





 
 

同盟題目23時開始です。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月10日(月)22時58分30秒
  任意参加です。よろしくお願い致します。
池田先生のご健康を祈ります。

ps
寝たきりオジサン様
素晴らしい体験談の投稿をありがとうございます。
毎日しっかりお題目をあげている方は、何かしら光るものがあります。投稿の内容から伝わってきますね。
今後ともよろしくお願いします。
 

どんどん教学変えて、どんどん御本尊も替えていけば収入増で創価村は安泰だ!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月10日(月)22時18分41秒
編集済
  コンサル会社のまわし者ですね。
書籍販売、墓石販売、本尊販売に拍車がかかる。こんな楽な商売はありません。

我々、現場組織の学会員は、日蓮正宗が全部悪だとは思っていませんよ。日本共産党もね。創価村貴族社会の面々が、内向きに彼らとの対話も交流も断絶して、学会員を手駒の様に扱い、愚かにしていく事に危惧しています。

現場で動き、対話している者は、それがホッケであろうが、坊さんであろうが、日共党員であろうが、皆、友人なのです。それが広宣流布ではないですか?何を考えてマスをかいているのか?さっぱり分かりません。

現場流に言えば、ダメな学会サイコ患部も、強欲で勤行もろくにしない坊主もいらないの。
 

宮田教授と須田論文②

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年10月10日(月)22時07分46秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

一般会員さんから見て創価大学の教授はどのような人間だと想像しますか?

①池田先生の思想を一般会員よりも熟知している
②池田先生の思想を学生に教えている。
③信心が強情である。

このように思われます。

しかし仏法の方程式通り、創価大学の宮田教授は池田先生の思想を破壊しています。

宮田教授は御本尊様の賛文を削除すべきと主張しています。
宮田教授は日蓮本仏論に否定的です。
その他、たくさんの池田先生の教学を否定する主張をしています。

以前にも書き込みさせていただきましたが、師匠が弘めなかった法門を弘めると言うことは、「師匠を越える存在」だと言うことです。
これは仏法の眼からまた歴史から見ますと、外道の所業です。

皆様は、身近な幹部や創価学会職員に質問してください。
なぜ創価大学の宮田教授が池田先生の弘めていない法門(本尊の賛文不要論・本門本尊の変更など)を主張していることについてです。

また宮田教授がこのような主張をした場に原田会長が居合わせていたことについてです。

そうそう、この掲示板について毎日のように日記で批判している「プロの執筆家」であり「信仰者」である柳原滋雄氏にも回答してもらいたいです。
まさか波田地氏や田口氏も師匠が弘めていない法門を弘めたと記事に書くのでしょうか?

 

寝たきりおじさん様

 投稿者:いいぐるメール  投稿日:2016年10月10日(月)21時49分30秒
  素晴らしい体験の投稿、大変にありがとうございました。
題目を上げる姿勢が引き締まりました。
忘れかけていた大切なものを思い出させて頂いた気分です。

地区リーダーみつる様

誰が何を考え主張しようと自由ですが…
日蓮本仏論、日寛教学を信じた三代の会長が創って来た
創価学会です。教学が間違っていたのであれば
何故これ程の大発展が成され寝たきりおじさん様が投稿なさった
ような現証が現れるのでしょうか?日蓮仏法は生活法であり
現証を持って判別するのが一番わかりやすいと考えますが
日蓮本仏論が間違いであるとの御確信を持っての投稿
と思われますので教義を変えて祈り実践した結果、現証が
上記の体験や現証より優れていたと言う体験を
御教示頂ければ幸いです。
 

宮田教授と須田論文

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年10月10日(月)21時44分58秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

池田先生の教学は日蓮本仏論であります。
また日寛教学を現代的に展開されました。

私たち池田門下は池田先生の教学を学び残す使命があります。

仏法の方程式通り、師匠の仏法を破壊する外道が現れました。

伝教大師には慈覚大師
日蓮大聖人には五老僧
池田先生には、秋谷元会長、原田会長、宮田教授

外道の行動に共通点があります。

①師匠が御健在の時には従順
具体的には高僧である。
②師匠がお元気でなくなると己義を言う。
具体的には師匠が弘めていない教学を主張する。
③慢心が強い
具体的には師匠も知らない法門があると主張する。
宮田教授の主張がその通りです。

このような外道が出現することは仏法の方程式です。
このような外道が現れた時こそ本物の弟子が立つ時です。
日興上人のようにです。

以下、以前に私が書き込みさせていただいた内容を再掲載させていただきます。

日興上人は師匠・日蓮大聖人の「在世」に日蓮大聖人以上に「宗教的独自性」を進めるような行動は取りましたか?

答えはNOです。
御書のどこを拝読しても日興上人のお手紙を拝しても、そのようなことはありません。

聖教新聞2月23日掲載の原田会長を中心とした面々の座談会で、原田会長は会則変更について「学会の宗教的独自性が一層鮮明に云々」と発言しています。

今は、師匠・池田先生の「在世」です。

皆様このこと分かりますよね?

師匠・池田先生の思想は同時中継で皆様に御指導されている時点で「宗教的独自性は鮮明になっている」のです。宗門にも勝利宣言をされ、これからの広宣流布の方法も総て御指導されています。

何度も確認ですが、今は池田先生の「在世」です。

原田会長や谷川副会長、森中教学部長、杉本婦人部長、竹岡男子部長、吉井女子部長が、鮮明にすることなど何一つないのです。

原田会長もその他の面々も師匠・池田先生の弟子ですよね?
であるならば、師匠・池田先生以上に「宗教的独自性を鮮明」にする立場ではないのです。

職員、外郭職員の皆さんどう思いますか?

もしも違うと思う文証があるなら提示して下さい。

原田会長を守る職員が、一部の信濃町のネット対策チームだけでは、やはり正しくないと言う証明になりますよ。
また、会則変更に反対の職員は声をあげないことは、宗門の坊主と一緒の生命ですよ。

続きは次回に書きます
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 6/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月10日(月)21時32分59秒
編集済
  「法」偏重の小乗仏教 

ー神格化される仏 非人間化する仏教ー

斉藤: (略)釈尊の滅後は、どうしても「法」が根本になります。ならざるを得ません。「法」それ自体を直接、師としていくしかない。

名誉会長:そう。だから、釈尊滅後、仏弟子たちの修行は、この「永遠の法」即「永遠の仏陀」をどう感得するか - この一点に集中していくこ

とになるのです。 釈尊亡き後、直弟子やその流れを汲む出家僧たちを中心として、いわゆる小乗仏教教団が形成されていく。おそらく当初

は、釈尊の遺した教えに基づいて、自己を厳しく律する修行が真剣に続けられていったことでしょう。 しかし、時とともにその精神は次第に

失われていった。釈尊の悟った「法」即「仏」を自己の内に見るという本義を離れて、釈尊一人を、自分たちとは違う存在と見なす傾向が生

み出されていったのではなかろうか。 人間・釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏陀」を自ら体得するという戦いが、いつしか忘れさられ

ていったのです。大ざっぱな言い方だが、本質は、そういうことになるのではないだろうか。

斉藤: 現実に「仏」と触れ合うことができないために、時を経るにつれて、“偉大な仏”という観念だけが独り歩きをしてしまった。仏の悟り

を得たのは釈尊一人であって、我々は仏にはなれっこないのだ - と。

遠藤: 目指す悟りは、声聞の最高の悟り(阿羅漢果)であり、仏の境涯には到底なれないとしたのですね。

須田: 戒律も次第に煩瑣になっていきました。教団を維持するという要請から、僧侶たちが寺院を神秘化したり、聖職者を権威づける教え

をあえて説いたという事実も指摘されています。こうしたことが相まって、ますます衆生には到達できない高みへと仏を祭り上げてしまったわ

けですね。

・・続きは明日です・・
 

「法華経の智慧」から学ぶ・寿量品 5/20

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月10日(月)21時30分6秒
編集済
  釈尊在世

ー釈尊(仏)を通して、仏の師である(法)に肉薄ー

名誉会長:(略)永遠の「如来」の生命力が、瞬間瞬間、生命の深みから、わきあがってきていたのでしょう。 「人間・釈尊」からにじみ出

る、その大境涯に感動して、五人の比丘は仏道に入った。釈尊という「人」を通して、永遠の「法」に触れたのです。釈尊の在世には、こうい

う師弟の人格的交流が可能だった。

以下の弟子達と釈尊の交流を紹介:?<かつての修行仲間であった五人の比丘:“釈尊は苦行から退転した者”として軽蔑してた。しかし、実際に

会うと、釈尊の否定しようのない「人格の輝き」に打たれて、釈尊に帰依した>?<アングリマーラという極悪非道の盗賊:極悪非道の盗賊。

名前の由来は「指の首飾り」。彼は、多くの人を殺し、その指を集めて飾りにし、首からかけていた。その彼が、釈尊の「来れ」の一言で改

心し、帰依。托鉢に出かけた時、恨みを持つ人々から、土や石を投げつけられ、衣を引き裂かれ、血だらけになって、釈尊のもとに戻る。釈

尊は彼を励まして「耐えなさい。耐えて受けることです。汝が受ける幾千年の間、地獄において受ける業の果報を、今、受けているのだからと

(趣意)」>など。

名誉会長: (略) ともあれ、釈尊の教えそのものは、相手によってさまざまだったでしょう。しかし、釈尊との人格的交流によって弟子た

ちは正しい道を歩むことができた。釈尊在世に生きた人々は、現実の釈尊との触れ合いの中で「仏」を生き生きと実感しながら、仏の師であ

る「法」に迫っていったのです。
 

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