ナマステ!
ネパール在住青年海外協力隊ブロガーのKei(@Kei_LMNOP)です。
途上国で2年間もボランティアをする青年海外協力隊。
「志高くて、清廉潔白な若者たちですばらしいな~」って思ってませんか?
そんなイメージをぶち壊す衝撃の実態を綴った本がこちら。
麻薬、買春に手を出し、ろくに活動もしないで遊びまくる隊員の実態が赤裸々に。
でもこの本の著者が協力隊だったのは30年近く前のことなんですよね。
だけどこれを読んで、「今の協力隊もけしからん!」って思う人も出てくるでしょう。
「協力隊に興味持ってたけどもう行かない!」って思っちゃう人もいるでしょう。
ということで、この暴露本に書かれている実態を16個選びました。
その協力隊の実態について、今はどうなのかを現役隊員の僕が斬ります!
※青年海外協力隊は世界70か国に派遣されており、国によって大きく実態が異なります。
あくまでも「僕個人の知る限りでは」という前提を含みおきの上、お読みください
前提①:青年海外協力隊(JICAボランティア)は税金を使い、途上国にボランティアを派遣する国の制度
「まずは青年海外協力隊ってなんぞや?」って思ったあなたのためにおさらいします。
青年海外協力隊はJICAボランティアの中の一種です。
そのJICAボランティアの定義はこちら。
JICA ボランティア事業は、日本政府の ODA(政府開発援助)の一環として、独立行政法人国際協力機構が実施する事業です。
開発途上国または日系人社会からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「現地の人々のために活かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。
現地の 人々と共 に生活し 、働き、 彼らと同じ 言葉で話し、相互理解を図りながら、彼らの自助努力を促進するように活動することを特色とした草の根レベルのボランティアです。
JICAボランティア「はじめての方へ」
簡単に言うと、自分が持つスキルを活かして途上国の発展に貢献するボランティア制度です。
基本的には2年間途上国に住み込み、現地の人と協力しながら活動をします。
世界一きれいで安全な国、日本での生活を一時的に捨ててまで途上国の貧しい人々のために汗を流すわけです。
そりゃ「良いことしてるな~、すごいな~」っていう風に傍からは見えますよね。
ポイントは日本政府のODA(政府開発援助)で行われているということ。
なのでボランティアの派遣や制度の運営には、日本の皆さんの税金が使われています。
この「税金が使われている」という点が非常に重要な点なので覚えておいてください。
前提②:「青年海外協力隊の虚像」の著者は約30年前、隊員だった
日本の税金を使った国の制度なのに、まともに活動をしない実態を赤裸々に暴露した「青年海外協力隊の虚像」というこの本。
実は著者の石橋慶子さんはご自身も協力隊を経験されています。
だから本の中身もすごい生々しいです。
ちなみに、本のよると中南米のホンジュラスに派遣され、職種はシステムエンジニア。
残念ながら任期を7カ月短縮して帰国をされています。
派遣されたのは1989年ですので、およそ30年前のこと。
よって、この本で書かれている協力隊の実態は、約30年前の実態になります。
この本で描かれているような赤裸々な出来事が、今の協力隊の実態でもあるのかというところ。
これを現役隊員の僕が斬っていくという点が今回の記事の趣旨ですね。
それでは行ってみましょう!
①要請に基づいた派遣なのに、仕事がない場合がほとんど
これは協力隊あるあるかもしれませんが、今でもそうです。
事前に聞かされていた仕事がないことは多々あると聞きます。
実際に僕も経験があります。
配属先に連れていかれた村で、ある協同組合と一緒に仕事をしてほしいと言われました。
でも具体的な指示は何もなく「自分で考えて!」的な感じで放り出されました(笑)
仕事がないとは聞いていたけど、いざ現実にそれを体験するとやはり驚きます。
そして仕事がないことで著者が一番感じたのは「恥ずかしい」という気持ち。
仕事がないと訓練所で聞いた時、不慣れなスペイン語で自信もなかったので、正直ほっとした面があった。
それに「ない」と言っても、どのくらい「ない」のか。
本当のところは、ぴんとこなかった。
実に立派な「要請調査書」が配られ、公表されているのだ。
しかし、実際に仕事がなかった時、予想もつかなかったことがある。
それは、どんなに恥ずかしい気持ちになるかということだ。
教室に行っても、一日中、誰とも話さず、何もすることがない日もある。
学生と他愛ない話をしていても、これでいいのかという後ろめたさがある。
「仕事がない」なんて、恥ずかしくて人には言えなかった。
隊員報告書にも、仕事をしているかのように書いた。
一日に一回、学生の質問に答えるだけだったとしても、「学生の実習を手伝っている」と書いた。
これはめちゃ分かります。
僕も今でこそ、「これをやってる!」という活動があります。
でもそれができるまで、ずっと農作業をやっていた時期が精神的に辛かったですね。
特にコミュニティ開発など、明確な専門性を持たない職種で派遣されている人に多い。
なので、ボランティア自らで活動を創り出す意識が大事ですね。
僕はそこが面白いと思ったので参加したんですが、逆に指示待ち人間の人にはきつい。
助っ人外国人のような感じで来ると、かなり痛い目に遭います。
②仕事がないから遊びまくってる隊員がほとんど
これもよく言われることですが、今は遊びまくる隊員はほぼいない。
もっとも、仕事がなかったのは私だけではない。
たまに首都に行くと、任地が地方の隊員たちが隊員宿舎にゴロゴロとたまっていた。
そうした人どうし、毎日映画館やレストランに行っては、ブラブラ時間をつぶして過ごす。
「地方隊員なのにこの人また首都のドミトリーにいるの?」とかはありますが。
やっぱり現実的には遊びまくるのは難しいです。
配属先に行かなかったら配属先からJICAに連絡が行く。
JICAの職員さんも、年に何度か僕らの配属先を回りに来る。
報告書も書かなきゃいけないし、活動計画のプレゼンの場もネパールではある。
そうなるとやはり遊びまくるのはなかなか難しい。
ただ、みんながみんなやる気満々ではないことは確か。
個人個人でやる気ははっきり分かれますね。
なんとかここで一旗揚げて帰ろうっていう想いを持って一生懸命やってる人もいる。
かたや2年間の休暇みたいな位置づけでのんびりやる人もいる。
一隊員である僕が言えることではないですが、もう少しお尻に火をつけるような制度があってもいいかもしれないですね。
③現地の厚意を断れず、無理して体調を崩す
これはあるあるですね。今もあります。
本の中で出てきたこんな例もあるあるですね。めちゃくちゃ分かる。
淵までなみなみといっぱいになったカップが、また私の前に差し出された。
牛の乳というのは、殺菌しなくても飲めるのだろうか。
困ったと思いつつ顔を上げると、お母さんやオネイダ、それに兄弟たちがこっちを見ている。
みんな、手に自分のカップをもって、「飲みなよ。おいしいよ」と微笑している。
口にしたコーヒーは、「牛」肌に生ぬるい。
その日、私はラ・セイバに帰ってから発熱。
十日間腹痛に苦しみ、医者から赤痢だと言われた。
液体シロップみたいな薬を飲みながら、毎日暑くてうるさいアパートの部屋で寝ていた。
時々協力隊配付の小冊子の赤痢とコレラのページを交互にめくっては、自分に言い聞かせた。
「大丈夫。まだコレラにはなっていないはず」
途上国での身の処し方は、日がたつにつれ上手くなっていったけれど、こうした人の厚意だけは断れず、どうしようもなく大きいツケがまわってしまうのだった。
活動の成果よりも、隊員が一番大事にしないといけないのは、健康です。
派遣前の訓練所でも「とにかく無事に帰国すること」の大切さを説かれる。
だから生きて帰ることが何よりも守らないといけない約束。
ただやっぱり体調を崩さないって難しいんですよね。
っていうのも現地の食事や文化に適応するのが難しいから。
特に村とかで出された食べ物。
食べたら絶対お腹壊すってわかってるのに、断れなくて食べる。
その結果、下痢になる。
僕も来た当初は毎月1回寝込むような下痢に襲われてましたが、ほとんどは無理して食べたことが原因です。
④協力隊員は現地で金づる扱いされる
協力隊員は、現地で金づる扱いをされるというのも、今でもよく聞きます。
「ここには仕事もないよ。コンピューターがないんだからね。
ねえ、日本のボランティアには、自分の持ち分みたいな予算があるんでしょ?
この大学にも日本のボランティアがいてね、温室の屋根も冷蔵庫も、みんな彼が買ってくれたんだ。
それで、あなたは一体何を買ってくれるの?」
これも僕自身経験があります。
「よく金をくれ」「JICAからお金を出すようにお願いして」など言われました。
でも不思議なことに活動している村ではほぼ言われたことはないんです。
どこで言われるかというと、配属先。
隊員には「カウンターパート」と呼ばれる一緒に活動をする現地パートナーがいます。
僕の場合、彼から言われることが本当に多かったです。
2015年のネパール大地震で家が壊れてしまったこともあり、しょっちゅうJICAから家を建てるお金をもらえないか頼まれました。
他には日本から友人が来るって言うと「iPhoneを買ってこい」「パソコンが欲しい」なんか言われたり。
人としてはいい人なんですけどね。
でもこういうことを言われるとどんどん関係は冷えていきますよね。
寂しいです。
⑤ボランティア調整員が任国の悪口を言う
これは今はないですね。僕の知る限りこんな調整員はいません。
任国(派遣される国のこと)には、隊員を管理する「ボランティア調整員」と呼ばれる方がいます。
そんな調整員の、本の中で出てきた衝撃の一言がこちら。
赴任先のラ・セイバ市に向かう途中、調整員が、大あくびしながら言った。
「君たちひどい国に来ちゃったねえ。ここは最低だよ。
もっといい国に派遣されたら全然違ったのに。
ここじゃ、仕事だって、ほとんどできないよ。
できるのは日本の紹介くらいさ。任期の二年間が無駄になったねえ」
今はこんなクソみたいな人はいないです。
世界70か国全ての調整員さんを知ってるわけじゃないので断言はできませんけどね。
でも隊員の良き相談役ということで、力になってくれる存在ですよ。
⑥隊員宿舎(ドミトリー)で盗みが横行
任国には隊員が宿泊できる「ドミトリー」があります。
地方の隊員が首都にあがってきたときに泊まる用の施設ですね。
ない国もあるみたいなのですが、ある程度人数が派遣されている国ならあるはず。
そんなドミトリーで盗みが横行している。
初めて隊員宿舎(男女別のドミトリー)に泊まった時、こんな貼り紙を目にした。 ───他人の物をもっていくあなたは「泥棒」です。日本に帰って、しかるべき罰をうけてください───
まさかと思った。しかし、二度目に泊まった時、Tシャツが二枚なくなっていた。
これも今はないでしょう。
著者の時代はよほど荒れていたんでしょうね。
隊員は基本的にそんな物を盗むような人じゃないです。
⑦青年海外協力隊は「蓄財」する手段
これはどうでしょうね。
人によってはそう考えている人もいそうなので今もあるでしょう。
青年海外協力隊はボランティアです。
なので、お金は何ももらえないと思っている人もいるかもしれませんが残念。
ばっちりお金は出ています。
もちろん「給与」という形ではありませんが「手当」という形で発生しています。
現地生活費、住居費から、帰国後の国内手当まで。
詳しくはこちら。
同期隊員で九州電力を有給休職してきた大津さんは言う。
「現職参加の人には、協力隊はボランティアではなく、蓄財の場になっている。
ここでの生活費は別に支給されるから、日本の口座に給料がまるまる残る。こ
れだけ仕事のない国で、したい放題していて、昇給までするなんて本当に変ですよね」
今の職場を休職して参加するのもOK。
職場によって取り決めが違いますが、有給休職なら日本での給料をそのままもらいながら、協力隊に参加することもできます。
途上国ではそんなに仕事がないのに、日本の給料をもらえるわけです。
こんなにおいしい制度はないでしょう。
なので個人的にはなくすべきだと思います。
特に公務員。
2年も日本で働かない人のために尊い税金が使われるのはおかしな話。
もし支給するならするでいいですが、成果を求める必要がありますよね。
ちなみに僕が勤めていた民間企業も、100%給与+賞与が支給される制度でした。
だけど辞めるって決めてたので蹴りました。
もったいないことをしたな…(笑)
⑧任期は2年。でも気軽に延長できる
これも今はほぼないでしょう。
任期を延長するケースはありますけどね。
でも、少なくとも本の中で書かれてるような自己申告で気軽に延長できるような感じはありません。
隊員たちは、やたらと任期を延長する。
積立金が赴任期間に比例して支給されるからだ。
協力隊の事務局は、二度以上隊員になるのはお勧めしないと言うが、ブータンの隊員は、 「あそこは二度目、三度目の人が多かったです。彼らはもう『味しめちゃって』るんですよ」と言っていた。
同期の坂井さんにいたっては、会社に協力隊の任期は、二年でなく、はじめから「三年」だと会社に偽ってきた。
ここで出てる坂井さんのように任期を3年と偽るのは今では不可能ですね。
インターネットでたたけばすぐ出てきますからね。
こんなことができたなんて、なんか時代を感じますね。
そもそも協力隊は、国民参加型のボランティアですからね。
任期を延長すると、その分いろんな人に参加してもらうチャンスがなくなります。
昔は税金もふんだんに使えたんでしょうけど、今の日本の緊迫した財政をみると尚更その傾向は強くなるでしょう。
なので任期延長も、よほど現地で成果を残して配属先を懇願される場合かその人しかできない仕事が残っている場合を除いて、ほぼないと思います。
⑨自分から望んで途中で隊員を辞めると「意欲喪失」と呼ばれる
こんなの初めて聞きました。今はないですね。
あんたのように、自分から望んで帰国する人を、協力隊では『意欲喪失』って呼ぶんだよ」
意欲喪失───知ってはいたけれど、なんと一方的で残忍な言葉か。
なかなかひどい呼び名ですね。
2年を生活環境が悪い途上国で過ごすって普通にできることじゃない。
ましてや、任地で仕事がないっていう状態になると精神的にもきつい。
なのに、本人のまるでやる気がないかのようなこの言い方。
今はなくなって本当によかったです。
⑩隊員同士の人間関係がめんどくさい
これは人にもよりますけど、人付き合いが苦手な人にとってはめんどくさいかな。
なので今もありますね。
「ここ、人間関係が難しくてねえ。それも、日本人どうしの」
野々宮さんはしみじみ言った。
「この間、帰国する隊員を空港に見送りに行った。
そういう習慣なんだ。そうしたら、帰国隊員と、まだここに残る隊員とが、殴り合いの喧嘩。
原因は、女を寝とったってことなんだけど」
日本で普通に働いていては会えない人ばっかだから、隊員同士仲良くしたい人もいる。
逆にせっかく海外にいるのに日本人同士でつるみたくないっていう人もいる。
この辺は人によって考え方が違うので、好きにしたらいいと思う。
ただ個人的には、ある程度仲の良い隊員のつながりは持っておくべき。
精神的にも悩みを共有できる存在がいるにのは大きいので。
活動でも何かコラボレーションができたりしますしね。
⑪任国外旅行には日数無制限・どんな国でも行き放題
こんなの夢のまた夢の話です。今は不可能です。
「任国外旅行はね、早めに行くんです。
メキシコのビザは、公用パスポートだから半年とか一年有効のがとれるでしょう。そうしたら後は帰国まで、何度でも行きたい放題!」
今はそもそも任国外旅行は年間20日までと定められています。
なので、活動しないで旅行しまくるとかはできないです。
(20日間フルに使って海外行きまくりで任国の文化に触れない隊員はいますが)
そして、旅行で行ける国も国によって違います。
例えば、ネパールだったら、インド、バングラデシュ、タイなどになります。
勝手にアメリカ行くとかできないわけです。(シニアボランティアは可能)
30年前はすごいがさつな制度運営をだったんですね。
⑫公用旅券をわざと紛失する
これまたありえません。今こんなことをしたら殺されます。
協力隊員が持っているパスポートは「公用旅券」と呼ばれる特別なもの。
同期の女子隊員にいたっては、チェックされる前に、自分でパスポートを捨ててしまった。
彼女は無断でエルサルバドルに入国していた。
そこではすてきな民芸調のタオルを売っているのだ。
このままではお忍びの旅行がばれてしまう。
そこで、彼女はパスポートを捨てて、紛失の申請をした。
隊員がもっているのは、公用パスポートである。
ビザ取得の際など、何かと便宜がはかられる。
帰国した時には成田の税関で「ご苦労様でした」と頭を下げてもらえるようなパスポートである。
日本大使館はただちに再発行の手続きをとり、彼女は入出国記録のないまっさらのパスポートを手に入れた。
青年海外協力隊って政府間協定に基づいて行われてる制度ですからね。
派遣される隊員が、日本を代表してきた人なんだってを証明してくれる旅券。
それを証明する大事なパスポートを捨てるってどういうこと?
ちなみに今は、命の次に大事なものだとめちゃくちゃ刷り込まれてます。
なくしたらやばいことになるので、絶対になくせない。
それを自ら捨てるって、今の感覚だとマジで意味が分かりません。
⑬買春に走り、愛人をつくる
これもレアなケースですね。今はほとんどの人にとってはないこと。
この本で書かれているような、愛人が1人、2人いるなんてことはほぼない。
いつの時代にも、男にとって女を買うのは武勇伝なのか。
男子隊員は言った。
「女子学生と飲みに行ってホテル代を払い、翌日も食事くらいはして、お小遣いをあげて、全部で八千円足らず。女の子はそれで喜んでいるし、友達にも勧めたいから、他に日本のボランティアを紹介してと言われる。
だから、女を買っているという意識はない。
隊員はお抱えの愛人を一人か二人は持っている。
使うホテルは大抵同じだから、廊下やフロントで隊員どうしが会っちゃうんだよね」
ただそういう夜のお店に行ったりして現地の人と関係を持つとかはありえそうですね。
僕の知る限りでは知りませんが。
現地で恋愛をするのは自由です。
現地の恋人をつくる隊員の話もよく聞きます。
国際恋愛であっても、本当にお互いが好きなら何ら問題はないですね。
隊員の任期中の結婚もJICAとしては特段関与しないというスタンス。
ただ女性隊員が妊娠してしまうと、命に関わることなので強制的に帰国になる。
いろいろとややこしいので、気をつけなきゃいけませんね。
⑭麻薬に手を出し、隊員宿舎で吸う
これもまたレアなケース。こんなことしてる隊員はほぼいない。
「葉っぱやりたくない?」 「葉っぱって?」 「マリファナ」
誰も同じことを聞くものだ。
翌日、野々宮さんは額に汗を光らせ、「人のためにこんなに丁寧に作ったのは初めてだ」と言いながら、煙草のようにくるくる巻いた白い紙に火をつけて私に差し出した。
葉っぱは一リブラ(約四百六十グラム)の単位で買う。
机に山盛りいっぱいの乾燥した大麻だ。
その中の茎や古い葉は捨て、新芽の良さそうな部分だけを使うのだと言う。
隊員は、隊員宿舎でも吸っている。プランターで栽培を試みた人もいた。
ただ日本にいるより、麻薬が身近なところにあるのは確か。
なので、やろうと思えばやれる環境にはある。
ネパールでもバックパッカー街にいると日本語で「薬いる?」と声をかけられる。
そして宗教に関連したお祭りで、大麻を吸うことが半合法になっている日もある。
そんな環境にいて悪いことをやってると思えなくなったらまずいですね。
にしても隊員宿舎で吸ってる人なんていないでしょ。
しかも栽培しようとするなんて。30年前はすごい時代だったんだな。
⑮帰国後の就職先に困り、定職に就かずにフラフラする
これも今ではほとんどないでしょう。
帰国後の就職先は今でもJICAにとっては懸念点っぽいですけどね。
協力隊員の中には、「協力隊が、人生で一番長く続いた仕事だった」という人が、けっこういる。
かなりの数のOBが、定職も持たないままアルバイトをしたり、協力隊から次の声がかかるのを待っている。
僕の知る限りでも、大多数の隊員は真面目に定職に就いて働いてますね。
JICAが出している統計でみても明らかです。
現職参加復職を含めると、約8割の隊員が働いてますから。
アルバイトや家事手伝いといった定職ではない人も約1割ほどいます。
それでも、約8割が定職に就いているので大多数の隊員が帰国後フラフラしてるなんてことはないですね。
個人的には、帰国後の就職先は大丈夫ですよ。
今のグローバル人材大歓迎な世の中なら、選ばなければ職は絶対ある。
帰国後の心配をするくらいならどうやったら濃密な2年間を過ごせるかを考えるべき。
⑯協力隊に参加すれば優れた人間になれる?
これは声を大にして言いたいこと。今もそうです。
参加するだけで優れた人間になれるわけがない。
ODA白書によれば、協力隊は、技術移転のほかに、友好親善の増進、さらに日本青年の広い国際的視野の要請に寄与するとある。
協力隊の事務局は、「帰国した時には、人間がひと回りもふた回りも成長している」と宣伝する。
しかし、外国は、「中に入れて蓋をして時間をおけばすぐれた人になる」、そんな魔法の箱ではない。
協力隊だと言うと、周りの人はチヤホヤしてくれる。
「すごい」とか言われることも多いでしょう。
帰国したら「成長したね!」とか言ってもらえることもあるのかな。
でも、協力隊になることは何もすごいことではないし、協力隊に参加すれば誰もが成長するわけではない。
協力隊で成長する人は、日々真面目に活動に取り組む人だけ。
悩みや痛みを乗り越えたときに、初めて人は成長するのだから。
当たり前だけど、途上国で2年間大した活動もしないでぼーっとしてきた人に成長なんてあるわけがない。
参加するだけではなく、何かを得て帰ってやるっていう気概をもった隊員が増えるともっと協力隊は面白くなりますね。
まとめ:16個中10個は今の協力隊の実態には当てはまらない
暴露本に書いてある赤裸々な問題点を16個ピックアップして検証してみました。
こちらが一覧表です。
結論、16個中10個は今の協力隊の実態としては当てはまりません。
<赤裸々な問題点>
◯①要請に基づいた派遣なのに、仕事がない場合がほとんど
✖②仕事がないから遊びまくってる隊員がほとんど
◯③現地の厚意を断れず、無理して体調を崩す
◯④協力隊員は現地で金づる扱いされる
✖⑤ボランティア調整員が任国の悪口を言う
✖⑥隊員宿舎(ドミトリー)で盗みが横行
◯⑦青年海外協力隊は「蓄財」する手段
✖⑧任期は2年。でも気軽に延長できる
✖⑨自分から望んで途中で隊員を辞めると「意欲喪失」と呼ばれる
△⑩隊員同士の人間関係がめんどくさい
✖⑪任国外旅行には日数無制限・どんな国でも行き放題
✖⑫公用旅券をわざと紛失する
✖⑬買春に走り、愛人をつくる
✖⑭麻薬に手を出し、隊員宿舎で吸う
✖⑮帰国後の就職先に困り、定職に就かずにフラフラする
◯⑯協力隊に参加すれば優れた人間になれる
なのでこちらの暴露本に書いてあることをすべて鵜呑みにする必要はありません。
本の内容は約30年前の一個人の体験談として扱うのが適切ですね。
同じ時代の隊員、みんながみんなこのような体験をしているとは思えないので。
ただ、いくつか今の時代にも当てはまる真実が書かれています。
参考程度に読んでみるのもいいでしょう。
これを想定内の最悪のケースと考えれば、実際の隊員生活は楽しくなりますよ。
ちなみに協力隊に少しでも興味がある人にはこんな本もおすすめです。