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常任理事はB之助くんw

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月 5日(水)20時28分9秒
編集済
  https://www.soka.ac.jp/common/images/2015/06/businessreport.pdf

 

御書は証明のために!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年10月 5日(水)20時27分17秒
  >御書は証明のために使うのであって、その説明は普通の庶民が語る現代語でせよ !
これが今、もっとも必要で、優秀な学会教学人が取り組むべき課題ではないのかと思う。
現場の会員が知りたいのは「どうすれば自分自身が仏であると自覚できるのだろうか」ではないでしょうか。(投稿者:大仏のグリグリのとこ   投稿日:2016年10月 5日(水)18時21分6秒)<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57626
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57627

 まさにそうだと思います。
 ここのところのジョーカーさんは、それを実践されておられるように思います(以前からかも?)。
 ただ、これが、けっこう難しいですよね。「法を下げないかな?」と思ってしまって。

あっ、そうそう、創価新報の女子部の教学研鑽なんかは、けっこう「開いた」内容がありますね。実際には男性の執筆者なのかもしれませんが……。


 

1にも2にも3にも、

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)19時48分13秒
  4にも、5にも、題目しかない。

生涯かけて題目をあげきっていきましょう。

結局そこです。

題目をあげきった人の何とも言えないパワーには負ける。

そのパワーを身につけないと、未曾有の戦いは勝てません。





 

374919

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)19時39分23秒
  374919について、女性が何も言わないのはおかしいと思う人もいるみたい。

でも、それは374919の話を知らないからなんだよ。

まあ、聞きたくもなかろう。犯罪だよ。


都内のある区の婦人部長は、谷川と「いつも気さくにしゃべってるよ」と言うんだよね。

そう聞くと、気の毒で、ひかりもわざわざ「374919」を話さない。


そういう婦人部幹部の無知をいいことに、いい加減な情報を広めちゃって、

谷川は何も悪くないなどと言うのは、事実として世間を欺くことだろう。

しかも、ハタチ攻撃など、余計なことをするから、悪党らは自分でどんどん墓穴を掘る。

悪党って、例外なくそういうことをするんだよ。

躍起になって、そういうバカなことをしちゃう。

自分で自分を暴露する。

だから、もっと騒げばいいんだ、性懲りもなく「ウソ」のごたくを並べて。

柳某もそんなペラペラの薄さだね。

どんどん自己破壊の虚言をまき散らし、自分の傷口を広げるがいいのである。

悩乱者は、言い訳と弁解まで考えながら、罪のない他人を攻撃して自分の悪事を隠蔽する。

そうすると了見が狭くなり、足元が同じ靴を履いているのにも気づけなくなる。

外側にいる人は、その汚い靴が丸見えなので、笑うしかない。



 

信濃町の人びと様goodjob

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年10月 5日(水)19時29分40秒
  先の投稿ありがとうごさいました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57625


うっかり忘れていたものを思い出しました。(_ _)

大仏様もありがとうごさいました。
 

昨日の聖教新聞

 投稿者:  投稿日:2016年10月 5日(水)19時06分38秒
編集済
  秋谷創大常任理事が掲載されていた
これって、Aノスケのこと?それとも長男?

大学の一介の職員に過ぎない人間が常任理事になるって、有り?

2010.4月
大学の入学式で、先生が激怒された
大学が乗っ取られる所だったとの話
詳細、知っている人がいたら、投稿お願いします
 

ぶっちゃけトーク その②

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年10月 5日(水)18時21分6秒
編集済
  像法残機――人は形式的で形あるもの、荘厳で難しそうな言葉に弱い。

そのような〝いびつで人工的〟に語るものからは「我、仏なり !」という実感は湧かないと思う。

僧俗和合時代と今現在を比べてみても

「正本堂に行ってきました。大変感動しました」
「大誓堂に行ってきました。大変感動しました」――。

昔と今と どこがどう違うのでしょうか。何も変わっていません。同じです。

大誓堂は創価学会の一つのシンボルですが、一番尊い宝塔は人間の生命です。自分自身なのです。

死んでも 死んでも 何度でも生まれてくる――。

熱原の農民は、その実相を容易に理解し、確信したからこそ、一番尊い自分の命を法のために捧げられたのだと確信します。

それが分かった人間は、何をされても動じない、恐れない。権力者は民衆がそうなるのが一番怖いのです。

須田論文は宮田論文を完膚無きまでに破折しています。・・・・しかし、普通の学会員にはむずかしい。

一体いつまで天台仏教をマネているのだろうか。プンプン

一部の人間には理解されても、普通の平凡に生きている人には血が通っていない文字に見える。

釈尊滅後、弟子は法華経(法)を後世に伝えました。しかし、釈尊の人間性や気高い志ざしは削除されました。
それによって、正法時代の民衆は釈迦仏法から取り残されたと思うのです。

一部の人間にしか理解できない仏法に成り下がったのです。

像法時代に至っては、仏法はむずかしいもの、理解しがたいものとして定着し、
一部の人間にしか理解されずに、これもまた民衆が置き去りにされた。

しかし、大聖人は釈尊・出世の本懐は「振舞い」だと断言された。
そして、釈尊の人間性と気高い志ざしを取り戻し、民衆に教えていった。

大聖人の振舞いを通して――。

創価三代の師匠も又、自身の振舞いを通して大聖人の気高き志ざしと人間性を語り、
「人間・日蓮」の真実の姿をこの時代の言葉で教えてくれました。

しかし、三代の師匠の言葉は簡単すぎてなかなか信じようとしない。笑

どんなに日蓮大聖人や創価三代の師匠、また現会長を美辞麗句の言葉で荘厳し、飾り立てても
それらのいびつな言葉からは大聖人や師匠の出世の本懐は見えないと思う。

これを読んでくれているあなたに聞きたい。

あなたがもし「久遠元初自受用身如来さん、手をあげてください」と言われて素直に手をあげれますか ?
日蓮大聖人だって、その場にいても手をあげないと思う。笑

「なんだ ? その長いいびつな名前は ? もっと普通の、現実に付けている現代の名前で呼んでくれ」となる。

もう一度、繰り返して言います。

須田論文は宮田論文を完膚無きまでに破折しています。・・・・しかし、普通の学会員にはむずかしい。

御書は証明のために使うのであって、その説明は普通の庶民が語る現代語でせよ !

これが今、もっとも必要で、優秀な学会教学人が取り組むべき課題ではないのかと思う。

現場の会員が知りたいのは「どうすれば自分自身が仏であると自覚できるのだろうか」ではないでしょうか。
 

ぶっちゃけトーク その①

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年10月 5日(水)18時20分11秒
編集済
  投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 5日(水)05時16分35秒
須田論文を効果的に拡める為には、噛み砕いたものが必要でしょうか。


投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 5日(水)07時51分21秒
自分も、心から期待しております。
須田論文を、是非とも現場会員の武器になるようにして頂きたいのです。

■******■*******■

信濃町さんと虹さんの上記の「答え」がすべてを物語っているように思います。

また後日、詳しく論じていこうと思いますが、若干の所感に変えて話したいと思います。

●なぜ、あれだけ噛み砕いて本仏論を説明している「須田論文」をさらに噛み砕く必要に迫られるのか。
●なぜ、須田論文が今のままで現場会員の「武器」にならないのか。

ここの所を皆さんじっくり考えてみてはいかがでしょうか。


釈迦本仏論にせよ、日蓮本仏論にせよ 彼らは一体どうしたいのでしょうか。

釈尊や日蓮大聖人は一体何をしたかったのでしょうか。また何をしたのでしょうか。

深遠な法を説きたかったのか。それとも全民衆を成仏させたかったか――。

仏法とは、

「説いた人」と「説かれた法」と「説かれた時」が一体となって、初めて「法」になるのだと考えます。

そしてその「法」によって功徳を受ける「時代」も決まっているのです。

でなければ、全民衆を成仏の軌道に乗せることは不可能だと思います。


そこには伝説(根拠のない説)や言い伝えなどと言った「原因と結果」を無視したものは存在しないし、
それらは各時代において、常に厳しい検証がなされています。

大聖人の語る仏法の言葉は、当時の民衆から為政者まで容易に理解できたと思います。
いや、むしろ簡単すぎてなかなか信じることができなかったのかも知れません。

熱原の農民は、なぜ「法」のために命を投げ出せたのでしょうか。
それは、大聖人の説く法を日興上人を通して容易に理解し、体得したからではないでしょうか。
 

池田先生のスピーチより【インド仏教はなぜ滅亡したか、社会の中でいかに生きるのかを示すのが真の仏法】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 5日(水)17時37分49秒
  ■″仏が神になった時、インド仏教は滅亡″

ドイツ総合文化センターの決定おめでとう。(拍手)いよいよドイツがヨーロッパをリードしていく時代が来た。

仲良く、どこまでも仲良く発展していっていただきたい。仲良くできる人が立派な人である。とくに、リーダーは、皆に好かれることが根本要件である。

組織には、さまざまな人がいるが、皆を大きく包容し、尽くしていくことによって、自分自身の境涯が拡大するのである。拡大した、その心に「仏界」は脈動している。

「偉大な功徳を皆に受けさせたい」。そう願う一念が大切である。

「皆が幸せになってほしい」──私には、その思い以外に何もない。

きょうは少し難しい面もあるかもしれないが、「哲学の国ドイツ」であるゆえに、仏法哲学の観点から、少々、スピーチを残しておきたい。ドイツは西洋で最も早く仏教研究を始めた先駆の歴史もある。

偉大なる仏教が、インドで、どうして滅んだのだろうか。この点について興味深い観点がある。

ネルー首相は、仏教滅亡の理由が、ずっと疑問であり、考え続けてきたという。アンドレ・マルロー氏に会ったとき、ネルー首相は、思索の結論を氏に語った。

マルロー氏とは私も二度、対談したが、仏教に深い関心を寄せておられた。ヨーロッパに将来、仏教を基盤とする文明が生まれる可能性を否定できないとも語っておられた。

ネルー首相の考察は次のようであった。

「仏陀の天才は、あくまでも仏陀が人間であるという事実にもとづいていた。人類の生んだもっとも深遠なる思想のひとつ、剛毅な精神、このうえなく崇高な惻隠(=慈愛)の情。

さらには、神々にたいしてまっこうからこれと向きあった告訴者の態度」「しかし仏陀の神格化が行なわれたとたん、仏陀その人はこの神々と同列にくわえられ、姿を没してしまった」(アンドレ・マルロー『反回想録』竹本忠雄訳、新潮社)

釈尊は、あくまで「人間」として生き、神々にも強く訴えた。

日蓮大聖人も、諸天善神である八幡大菩薩を諫られている。神にすがるのではなく、″妙なる法″を持つ「人間」として、神を動かされたのである。

■人間が″いかに生きるか″を示す

本来、仏教は″人間の生き方″を説いたものであった。釈尊は「このように生きよ」「人生をこう生きよ」と、我が身で教えた。そこには師弟の道があった。

しかし、いつしか「人間・釈尊」は権威化され、人間を超えた神になっていった。

今でもインドの多くの人々は、釈尊を尊敬してはいるものの、ヒンズー教の神々のひとりのように、あがめているようである。

「仏」とは、ありがたく礼拝する対象であっても、″その生き方に続く″存在ではなくなった。師弟の道も見えなくなった。

仏教が″人間の生き方″でなくなったとき、インドでは、仏教は死んでしまった。──これがネルー首相の結論であった。

今、宗門にも、″人間の生き方″としての仏教は、まったくない。彼らは、大聖人の仏法を、「人間はこのように生きよ」という教えではなく、自分たちを権威づけるための飾りにしてしまった。自分たちの堕落を正当化するための手段にした。仏法の滅亡の姿である。

そもそも日蓮大聖人の戦いも、ある面から言えば、″仏教を人間化する″戦いであられたと拝される。人間の実生活から遊離していた仏教を、人間の手に取り戻し、現実の生活法として教えられた。

「仏とは、人間(凡夫)である」「人間(凡夫)こそ、仏である」
こう叫ばれた。

当時、日本でも、阿弥陀仏とか、大日如来とか、「仏」を遠い、超越的なものとして説く仏教が流行していた。また法華経での仏も、一般には、人間とはかけ離れた存在としてとらえられていた。それらを大聖人は逆転された。

「日蓮本仏論」の思想的な意義も、ひとつには″仏教の人間化″にあったと拝される。

諸法実相抄には、「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」──凡夫は本体としての三身であり、本仏である。仏は、(本体の)働きとしての三身であり、迹仏である──と仰せである。

くわしくは論じないが、大聖人の重要な法門である「観心の本尊」も、「名字究竟」も、「等覚一転名字妙覚」も、「凡夫即極」も、″仏教の人間化″という観点から見るとき、その深義に、より迫れるかもしれない。

妙法を信じ、行じる「人間」こそが、「仏」だということである。妙法の「信心」にこそ「仏界」はあるということである。

■″私はこう生きた″との奇跡を社会に

それでは、どのような「人間」が「仏」なのか。どういう生き方が「仏」としての生き方なのか。

日蓮大聖人が教えられたのは、「社会のなかで三障四魔と戦い、打ち勝っていく」人生である。妙法のため、人間のために、広宣流布に生き抜く人生である。

そして大聖人自ら、その模範を示されたのである。その道に続いているのがSGI(創価学会インターナショナル)であり、皆さまお一人お一人である。皆さまこそ「仏」と輝く方々なのである。

創価学会は、大聖人の御精神どおり、仏法を生活のなかで、人間の生き方として実践してきた。大聖人が仏教の原点に返られたように、創価学会が大聖人の仏法の信心の原点に返ったのである。出発点である「人間」に帰ったのである。

あるとき、戸田先生は、ひとこと、我々の信心は「人間宗」と言われた。徹底した「人間主義」こそが、大聖人の仏法なのである。

組織においても、リーダーが、自分自身の″人間としての生き方″を常に問いかけ、向上していこう、成長していこうという息吹があるかどうかである。

その求道心がリーダーにあれば、全体が躍動していく。自分が成長せずして、人を動かそうとすると、無理が生じ、そこから抑えつけたり、いばったりする幹部が出てくる。

マルロー氏に、ネルー首相は、こうも言った。

「ガンジーの言った意味は、ほぼ、『神は個の人間にあらず、神は法なり』ということです。ガンジーはまた、不変の法とも言っています」(前掲『反回想録』)

敬うべき対象は、人間とかけはなれた神ではなく、「不変の法」である、と。マルロー氏の答えは、鋭かった。

「してみると、やはりそれはアインシュタインの断言したこととおなじですね。『もっとも驚嘆すべきことは、この世界が明らかにある意味を持っているということである』とアインシュタインは言っている」(同前)

この世界、この宇宙は、でたらめの無秩序なものではなく、厳然たる法則にのっとっているとアインシュタインは考えたのである。ガンジーとアインシュタインを結ぶもの。宗教と科学を結ぶもの──それは「法」であると考えられる。

トインビー博士も常々、「宇宙の背後にある究極の精神的実在」について論じられたが、私と対談した折、その″究極の実在″とは、人格神でなく、「法」であると思うと結論された。

その「究極の法」に生きているのが、私どもである。人類文明の最先端にいることを自覚していただきたい。

「神」は人間から超絶しているが、「法」は人間も含めた万物に普遍的なものである。正しき「法」にのっとって生きれば、平等にだれもが「仏」になり、「幸福」になる。

妙法に生きる人が「仏」にならないはずがない。「絶対の幸福」を築けないはずがないのである。

池田大作全集84巻
第三回ドイツ最高会議 (1994年5月26日)
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月 5日(水)17時30分42秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-10-5 【方面長協議会 ②】

● 今、種を植えよ 明日のために!
 一、今、あの国にも、この地にも、我らの友人がいる。同志がいる。世界の多くの指導者が、創価の平和・文化・教育運動に深い賛同を寄せている。
 その一人が、南米、そして世界を舞台に行動を広げておられる、アルゼンチンの「人権の闘士」エスキペル博士ノーベル平和賞受賞者)である。
 博士と私との対談集が、今年の創立の日(11月18日)を記念して、発刊される。〈「人権の世紀へのメッセージ」とのタイトルで『東洋学術研究』で連載されてきた〉
 博士は、正義のため、人権のため、命を賭して軍の独裁政治と戦い、青年の道を開いてきた方である。
 追放、投獄、拷問──幾多の迫害を勝ち越え、乗り越えてきた真情を、博士は私に語られた。
 「臆病に負けてしまえば、人間としての根本条件を失い、暴力と恐怖を生み出す権力に追随するだけの人間に堕落してしまいます。そうはなるまいと私は決めていたのです」
 そして青年への期待を、こう述べられた。
 「青年は諸国民の未来であると言われますが、私はむしろ青年は『現在であり、今日《きょう》であり、今である』と呼びかけたいのです。
 なぜなら、青年が“今”何をしているか、その現在が未来を決定するからです。未来は、その現在から直結している《結果》です。
 今日、種を植える勇気をもつものが、あした、果実を収穫するのです」
 博士は、SGI(創価学会インタナショナル)の会合等にも出席し、激励してくださった。
 アルゼンチンSGIは、青年部を先頭に、目覚ましい前進を続けている。私は、本当にうれしい。
 今年2月、アルゼンチンの全国青年部幹部会で、博士は、こう呼びかけておられた。
 「大事なことは、皆さんが絶対に『笑顔』と『希望』を失わないことです」
 「なかには、現実を目の当たりにして、希望が消え失せていくような気がする人もいるでしょう。ところが、そうではないのです。『希望』こそ、『変革』するための原点なのです。若い皆さんは、常に希望に燃えて、美しい笑顔をたたえて戦ってください」
 この博士の言葉は、女子部の池田華陽会の皆さん方に対する力強い励ましでもあると、私には思える。
 博士はこうも言われた。
 「女性は、大いなる智慧と勇気の持ち主です」「正義を確立するために団結してください!」
 古代ギリシャの詩人ピンダロスの歌にも、「正義の道を進むあなたは、大いなる福に囲まれている」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会』)とある。
 日本、そして全世界の池田華陽会の皆さん! いよいよ胸を張って、歌声も楽しく、仲良く明らかな大前進を、と申し上げたい(大拍手)。
 〈エスキベル博士は、アルゼンチン青年部の幹部会で、こうも語っている。
 「池田SGI会長と創価学会が示す軌道に連なり、訓練を受けられるのが、いかに福運あることか、皆さんには、想像もつかないでしょう。
 創価学会の中で、皆さんは、青年として、池田先生のような師匠を得て、その師匠から価値観や精神性について薫陶を受けられることを感謝すべきです」〉
 一、「信教の自由」の擁護のために行動する創価学会青年部に、エスキベル博士のエールは、絶大である。
 「皆さんは、人間の一切の基盤である『人権』と『生命の尊厳』という、実に重要なテーマに取り組んでおります」
 「人権には、すべての民族、すべての人間の『信教の自由』をこそ含めなければならないはずです」
 「私は、皆さんの行動に対する『連帯』の意思を表明させていただきます」
 創価の青年こそ、人権を護り抜く難攻不落の大城たれ!──世界の良識は、こういう思いで熱く見つめていることを、皆さんには知っていただきたいのである(大拍手)。

■ 私は、大地を踏みしめ、道を切り開き、今日の世界広宣流布の地盤をつくった。
 どれだけ疲れたか。どれだけ苦しんだか。
 しかし、わが身を犠牲にしても、学会を護り、同志を護り、師弟の道を貫く。そういう人生を歩んできた。
 立場ではない。役職ではない。真の弟子と立つ「一人」がいるかどうかだ。
 戦うべき時に、戦わない。手のひらを返して逃げる。そうした忘恩の人間の末路が、いかに、わびしいか。
 誰が師匠を護ったか。誰が同志を護ったか。誰が勝利を開いたか。
 人は見ていなくとも、天は見ている。歴史が裁く。
 今こそ、青年部は師弟直結で立ち上がってもらいたい。
 ここまで私が言うのは、未来のことを思うからだ。
 私は真剣だ。
 広宣流布の将来が、どうなるか。どうするのか。それを、じっと祈り、見つめ、戦っている。
 人がどうかではない。自分が、必死の祈りで立ち上がるのだ。
 私が入信した当時の学会には、威張るだけの幹部や、後輩を大切にしない幹部がいた。私は大嫌いだった。
 そんな私の思いを戸田先生は見抜かれ、こう言われた。
 「それならば、大作、お前が本当に好きになれる学会をつくればいいではないか。うんと苦労し、真剣に戦って、お前の力で理想的な学会をつくれ!」
 その通りに、私は、世界が賞讃する学会をつくり上げた。
 戸田先生と不二の心で、輝く民衆の幸福城を築いてきた。
 今度は若き皆さんが、正義が勝つ歴史を晴れ晴れと築いていただきたい!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

● 宿命転換の好機《チャンス》
 一、仏法では、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「娑婆即寂光」「化城即宝処」など、「即」という甚深の法門が説かれている。
 これは、「迷い」と「悟り」など、正反対の概念を、単なる「イコール」で結ぶものではない。誠にダイナミックな実践論であり、究極の希望の大哲学である。
 広宣流布を目指し、信心根本に進む途上にあって、いかなる難事が競い起ころうとも、断じて打ち破れないことはない。
 その時こそ、「宿命転換できるのだ」「ピンチこそチャンスなのだ」「偉大なる勝利の土台を築くのだ」と大確信に燃えて、勇気ある信心で、妙法という「絶対勝利」の軌道を、前へ前へと進んでいくことだ。
 牧口先生も、座談会などで悠然と語られた。
 「難というものは、どんなに大きな難であろうとも、それは大きな舟に小石を積んだようなものだ」
 一喜一憂する必要はない。
 「冬は必ず春となる」(御書1253㌻)との仰せを抱きしめて、「絶対に乗り越えられる!」「断固として勝ち越えてみせる!」「勝利しないわけがない!」と、一念を定めて祈り抜き、祈り切るのだ。
 大聖人は「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(同732㌻)と明かしておられる。
 妙法を唱え、妙法に生き、「勇猛精進」していけば、この法理に則り、どんな苦難も栄光に転じゆく「逆転劇」が、必ず必ず開かれるのだ。
 この絶対の確信に立って、永遠の栄光を勝ち取るまで、“わが弟子として、不屈の信心を勇敢に貫け!”と、御本仏は常に励ましてくださっている。
 御聖訓には仰せである。
 「法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい」(同1360㌻、通解)
 「法華経の信心を貫き通しなさい」(同1117㌻、通解)
 勝つまで戦う!
 貫いて、最後は必ず勝つ!
 この堅忍不抜の一念で戦い抜いてこそ、無上の栄冠は輝くのである。

●困難は発展の源
 一、大実業家であった松下幸之助先生とは、幾たびとなくお会いした。松下先生が繰り返し強調された哲学の一つは“困難こそ発展の源”ということであった。
 「困難に直面した場合には、それから逃げてしまうのでなく、それをのり越えていくよう勇気をふるって立ち向かうことが大切である。そういうところから、思わぬ知恵と力も発揮され、自他ともによりよき成果を得ることもできる場合が少なくない」(松下幸之助著『決断の経営』PHP研究所)
 とくに松下先生は、どんな事業も、どんな団体も、「10年」を一つのリズムとして、何らかの困難の壁にぶつかる。その時に、全力で立ち向かっていく。その繰り返し
のなかで、発展への道が開かれると達観されていた。
 〈松下氏は、池田名誉会長が第3代会長を辞任した翌年の昭和55年(1980年)に会見した直後、「この法難を乗り切れば学会は十倍にも発展する。かつてない難局は、かつてない発展の基礎になる。今こそ全力で先生をお守りし、学会の基礎を盤石にする時だ」と周囲に語っている〉
 ともあれ、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(御書1124㌻、通解)と御断言されている。
 我々には、御本尊があられる。信心がある。祈りがある。ゆえに、何も恐れるものはないのだ。
 戸田先生は言われた。
 「何があっても、御本尊に祈り抜くと決め切っていくことが、最も立派な哲学である」
 そして「いかなる大難があるうとも、がっちり結束して、学会の大行進を絶対に乱すな!」と。
 異体同心の「祈り」と「団結」で、各方面、各県区の未曾有の広宣流布の大前進を頼みます!(大拍手)

● 一、私の心には、いつも民衆の声が響いている。そして、恩師・戸田先生の声が轟いている。
 戦後の焼け野原から新たな一歩を踏み出した恩師の胸には、やむにやまれぬ思いがほとばしっていた。
 ──民衆を苦しめるな! 悲しませるな! かわいそうではないか! 絶対に民衆を愚弄させてなるものか!
 この血涙の叫びに、学会の魂がある。
 だからこそ恩師は、傲慢や虚偽の人間を断じて許さなかった。
 同じ決心で、私も生きてきた。
 「戸田先生に、本当に喜んでもらいたい!」
 「わが同志が、晴れ晴れと胸を張れるように!」「一人も残らず、勝利者になり、幸福者になるように!」
 そう祈り抜き、一心不乱に私は戦った。
 私が第3代会長に就任した時には、立派な会館もない、何もない学会だった。
 あれから、明年で50年。今や、世界に誇る大法城が、各地に、そびえ立つ。隆々たる発展を遂げている。
 これから、さらに大事なのは幹部革命だ。一人一人が、広宣流布の柱だ。柱は、断じて倒れてはならない。
 堕落は、目に見えない「心」から始まる。やがて姿に現れる。
 今、心の底から、新しい決意に立ち、大成長していかなければ、次の時代は開けない。
 一段と信頼される人になるのだ。そして、師匠にほめられる人間に!──これが仏法の極意である。
 ほめられるといっても、一時の表面的なことではない。
 師弟を、わが人生の根幹に据える。人生の第一に定める。師匠が見ていないところでこそ、師と一体で広宣流布に戦い抜く。その人を、師は讃える。
 私は、この道を貫いた。ゆえに、激しい迫害の嵐を越えて、私は勝った。戸田先生とともに勝ったのだ。
 さあ創立80周年へ、自分自身の楽しき勝利劇を綴りゆこう!
 祈りこそ力だ。今の決意が未来をつくる。戦いがあるから、人生はおもしろい。
 何でもいい、何かで「一歩前進した!」「私は勝った!」「わが家は勝利した!」と万歳を叫べる行進を、一人一人が開始してまいりたい(大拍手)。

● 「座談会」こそ学会の推進力
 「原点」を大切にする組織は強い。創価学会の原点は座談会にある。座談会こそ、学会の「推進力」であり、広宣流布の「勝利の根本」であるといってもよい。
 友人の方々が、楽しく集える座談会。新会員が元気になる、和楽の座談会。普段なかなか会合に参加できない人が来ても、「本当に来てよかった」と納得する座談会──そのために、徹底して相談し、それぞれの地域、組織の特長を生かせるよう、中身を考えていただきたい。
 座談会を迎えるまでの活動が大切だ。リーダー率先の、一軒一軒への励ましが、当日の充実した集いとして結実するのである。
 座談会会場を提供してくださる方々には、いつも、さまざまなご苦労をおかけしている。私は妻とともに、日々、心から感謝の題目をお送り申し上げている。会場提供者への配慮を決して忘れてはいけない。
 また、会場には多くの人が出入りする。近隣への配慮も不可欠である。
 ともどもに、「大座談会運動」の大波を起こそう! そして明年へ、世界一、希望と喜びに満ちた創価家族のスクラムを、さらに拡大してまいりたい。
 結びに、婦人部の皆様方へ、

 偉大なる
  広布の母に
    栄光あれ

と捧げたい。 そして全同志に、

 偉大なる
  勝利の道を
   築かむと
  師弟の栄光
   いやまし光りぬ

と詠み贈って、記念のスピーチとしたい。
 いよいよ、続々と、新しいリーダーが躍り出る時だ。
 まずリーダー自身が、最前線を走って走って走り抜く。正義と真実を、しゃべって、しゃべって、しゃべり抜いて戦うのだ。
 壁を破ってこそ青年だ。後継者である。
 聡明に、希望と幸福のスクラムを広げていただきたい。
 鉄の団結で進もう!
 私と一緒に戦おう!
 勇気をもって!(大拍手)

 

わが友に贈る 2016年10月5日

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年10月 5日(水)12時54分6秒
  努力の人を見つけ
皆でたたえよう!
「分かってくれている」
その安心と喜びの心が
さらなる力を引き出す!
 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】 【33】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 5日(水)12時13分32秒
  陽光様の【問答無用 対話なき処分】のシリーズ33を抜粋してお送りしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本来ならば、池田先生の指導は「一人を大切にする人間主義」なのだ。そして対話を重んじる。
前述のように対話することなく、対話を避けて、真面目なメンバーを処分して村八分にする。
そしてローカル・メンバーに踏み絵の如く私に反対しなければならないような雰囲気を作り、私のいないところで、私のあることないことを繰り返し繰り返し脳に焼き付ける洗脳作業を続けているのだ。


トップ幹部達が寄ってたかって一人の個人を総攻撃する。これが現在の創価学会のやり方であり、姿らしい。大聖人の精神はいずこにや?創価三代の心は何処に行ってしまったのか?


アメリカの幹部は、彼らが怪文書と見なしている「教学部レポート」や「遠藤文書」を読むメンバーを極端に嫌っているようだ。


FNCCでの研修会が終わり帰宅して一ヶ月ぐらいして処分の手紙を私は貰ったのである。このような理不尽の事が起こること自体がおかしいわけだが、その後、追い打ちの如く私に悪名をきせるためにローカルで誹謗中傷が始まった。同じ内容ををメンバーに繰り返し伝えるのである。村八分にして私のいないところで話はすべて進められてきた。これが仏意仏勅の日蓮仏法を信奉して世界平和を目指す宗教団体のアメリカ創価学会の大幹部の振る舞いとは信じ難い言動である。


その会合に参加した10人弱の婦人部の中で半分ぐらいの人はインターネットが使えない人達である。多宝会のメンバーにはコンピュータそのものが使えないし、持っていない。
多宝会の人達には「陽光が宿坊の掲示板に88回も投稿している」と聞いても、ちんぷんかんぷんで寝耳に水のような話だったに違いない。新理事長にしても前理事長にしても、アメリカのトップ・リーダーとして人に対する気遣いに欠けている人達だと。


「宿坊の掲示板、宿坊の掲示板」とオウムのように繰り返し繰り返し言っても半分ぐらいの参加者にとって、それが何を意味しているのか全く分からないのだ。それはあたかも日本語の分からないスエーデン人に日本語でぺらぺら喋りかけているに等しい。言い換えれば、常識外れと言う事だ。


先生は「幹部は会員に気遣いを」と指導されている。この人達は先生の指導を真面目に勉強したのだろうか。「雖学仏教還同外道」とはこのことか。


今や宿坊の掲示板は日本の執行部のみならずアメリカ執行部および全世界の執行部に影響を与えているようだ。本掲示板には相当の論客が道理をもって真実を書きこんでいるので、それに対して怯えているのかもしれない。不正を行っている幹部にとって先生の指導通りに声を上げてもの申すメンバーは嫌なのだ。困るのだ。


従って、権力者側としては一人一人に個人的に圧力をかける必要がある。
私が投稿する内容は、自分で体験した事、また、聞いた事実を素直に書きこんでいるだけである。


私自身には何も知らされずに、本人抜きで、アメリカのトップ幹部三人が日本人の婦人部・多宝会のメンバーを前にして、極悪陽光の悪口を炊きつけているのである。私は7ヶ月以上も村八分にされていて、あることないことを一般メンバーに吹き込まれていたが、ここにきて集中砲火を浴びることになったのだ。いよいよ僭聖様のお出ましかも知れない。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10041
 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】 【32】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 5日(水)12時06分50秒
  陽光様の【問答無用 対話なき処分】のシリーズ32を抜粋してお送りしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2016年6月2日(木曜日)。新理事長の●S氏がフロリダのローカル会館にやって来た。
昨年の3月に来訪した際は、まだ壮年部長の役職であった。
その彼に教義変更について私は質問したが彼からの答えはなかった。
答えられなかったのである。その時は何も知らなかったのかもしれない。ただ「私は原田会長を信じている」と新理事長は私に言った。●S氏は日本にも滞在した経験があり、日本語も堪能な様子である。
(※私(プロジェクトX)の記憶では日本で地区部長をしていたはず。地区部長時代に本幹で活動報告していた)


午後1時からの日本人のみの会合には、10人弱のメンバー(すべて婦人部)が集まったらしい。
後に得た情報では、私と親しくしていたメンバーを特に選んでミーティングの内容は知らせずに集めたらしい。1時間ぐらいの会合だったが、最初から終わりまで丸一時間を問題児となっている私の話になった様子。


会合が始まると、新理事長の●S氏は会館の電話を拡声器に繋げて、サンタモニカ本部で待機している前理事長の永●氏および副教学部長の長●氏の三者が最初から最後まで私の話しかしなかったらしい。


フロリダとカリフォルニヤは3時間の時差がある。フロリダの午後1時は、カリフォルニヤの午前10時である。英語で発音すると同名の二人の日本人トップ幹部は、サンタモニカ本部の会議室で新理事長から電話連絡がくるのを今か今かと待ち構えていたことになる。


そして、前理事長永●氏が口火を切った。

「陽光は幹部批判をして分派活動しているんだ」
「これは異体同心を破る者で破和合僧の者である」

「陽光は危険人物で宿坊の掲示板に88回も投稿して、幹部を批判・誹謗し、悪口を言っている」
「宿坊の掲示板は、非常に危険な掲示板である」

「陽光は宿坊の掲示板で悪い縁に触れて信心がおかしくなった」
等々、盛んに宿坊の掲示板の名前を前理事長は10数回繰り返したのだった。


組織をバックに権力を持った大幹部達が力のない一人のメンバーを総攻撃するのだ。これはパワハラともイジメとも言える。滑稽な話ではあるが、異常とも異様ともいえる雰囲気が醸し出された会合とも言える。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10039
 

800万?

 投稿者:フラフラ  投稿日:2016年10月 5日(水)11時59分8秒
  そんなにいるわけないでしょう。昭和40年代後半のピーク時の話しですね。
まさに、先生が直接指揮をとって頂いていたころの昔の話し。
残念ながら統監やってる人ならみんなわかってますよ。
会員数の減少。新聞部数の減少。財務の減少。
同じ役職を何十年もされてる壮年もたくさん。
 

陳腐すぎて頭割れてるとしか…ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月 5日(水)11時34分48秒
  >妄想癖の強い 柳原さん<

ecoさん、そんな~生易しいw
 

『本物は誰だ!』でもやっているのかよ柳原さん

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年10月 5日(水)11時28分26秒
  そんな 妄想癖の強い 柳原さんに この一節をお送りいたします

『一切の業障海は皆妄想より生ず 若し懺悔せんと欲せば 端座して実相を思え』
 

名物コラムと迷物コラム

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年10月 5日(水)11時20分26秒
  他愚痴ですw所感を少し。

毎日新聞の山田編集委員は「名物コラム」

柳原さんのは「迷物コラム」

いい加減、ちゃんと取材しなくちゃ、ライターとしてどうなのか?
反板周辺の情報源では…

さすが妙法のジャーナリスト柳原さんと人びとからいわれるように。題目送ります。
 

地区統監

 投稿者:はげ  投稿日:2016年10月 5日(水)11時17分37秒
  先日、地区統監がありました。現在76世帯で3ブロックです。
数年来の長期入院の方、心の病で入院して面会ができない方などを世帯から個人へカードを移しましょうと話し処理をしようとしていました。すると地区担当の婦人部圏幹部が「ここ二年は世帯増の戦いだから」と待ったをかけてきました。
 それに対して地区婦人部長が「簡単に減らしているわけではない。引き続き部員としては残る。また世帯がやがて80を超えると地区分割になって、今でさえ限られた人間で活動しているのにさらに地区が厳しくなる」と食い下がりました。さらに地区部長も「選挙の時は投票ができないとすぐに外してしまうのに、なぜ減らせないのか?新聞や書籍、民音もすべて世帯割で来るのでたまったものではない」と。
 さすがにその幹部も「私に言われても・・・」と。「方面幹部が来るので会館に行きます」と言ってそそくさと出て行ってしまいました。あとは圏統監でどう判断するかになるでしょう。
 このままでは亡くなった方まで、「統監落とすな」となってしまうのではと危惧しています。
 一方で去年、地区で10数世帯折伏をし支部1番の世帯数になった隣の地区は、今年初めから少しずつ減らしていっていつの間にか2番目の世帯数になっています。やり方が上手?
 とにかく、数字優先でやれ何倍だ、何%だと言われ地区幹部は疲れ切っています。来年は衆院解散の話もあります。北九州市と都議選もあります。また選挙漬けの年になりそうです。
 

今日の柳原滋雄コラム日記

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月 5日(水)11時07分58秒
  既に八尋みのるさん、カンピースさんに破折されつくしていますが(笑)

本日の更新はこれまでも酷かったが、これまで以上に酷い、劣化した内容。

「昨日も宿坊板で「大石小石」というハンドルネームの人物が多くの書き込みを行ったようだ。この人物の実名は田口伸明と見られ、自分でもよく「他愚痴です」などと書き込んでいることからも明らかだ。」

(2016/10/5 柳原滋雄コラム日記より抜粋引用)

だそうである(笑)またまた何を根拠に言われているのか?

これも信濃町界隈の偏向・誤認情報。

特に弓谷君あたりの眉唾情報を真に受けた、憶測、推測、伝聞、風聞の類。何の根拠も無い。

又、「昨日は新たに「聖教新聞社報道部」という名称を用いた模様。同人は現在、関西方面に居住。中学校から一貫教育を受けながら、教団本部の職場で陰湿な幹部批判を繰り返して発覚。」

(2016/10/5 柳原滋雄コラム日記より抜粋引用)

これも何の根拠もなく、八尋大弁護士センセーあたりから吹き込まれた一方的な信濃町界隈の言

い分。

昨日の大石小石さんや聖教新聞報道部さんのご投稿はよほど図星だったのでしょう(笑)

「職員の地位を追われ、今では教団の会員資格すらも除名処分となっているため、もはや教団の活動に戻ることができない。そうした身であるためか、現在はネットでの投稿活動が唯一の憂さ晴らしのようである。」

(2016/10/5 柳原滋雄コラム日記より抜粋引用)

これも信濃町界隈の言い分そのものであり、ネットでの投稿活動云々は憶測、推測の域でありま

すね。

この様に言いながら放っておけばよいものを、今更信濃町界隈は何を恐れているのか?

柳原さんも取材も確認作業もろくにしていないくせに「同人は現在、関西方面に居住。」という

表現。これも信濃町界隈情報。

これはクライアントである信濃町界隈は現在もストーカーの様に田口氏をマークしているという

証拠でもありますね。ご苦労さんです。





 

師弟不二アーカイブより 【行動】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 5日(水)10時45分35秒
  【投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 6月16日(火)14時26分3秒】

~中略~

創価学会が正義である所以は、正しい一念の指導者を中心とした団体だからです。三代会長という正しい一念の指導者の指導を大事にし、実践しているからこそ功徳があるわけです。「三代会長の指導を正しく実践していこう」という一念に功徳が具わり、その上での行動が大事なのです。逆に行動は三代会長の指導通りでも、一念が「三代会長を利用しよう」では不可なのです。故に、どこまでいっても一念を観ていくのが信心であり、仏法は一念の因果であり、行動の因果ではないというのはこのことです。


虹と創価家族様の投稿で、最高幹部が遠藤文書を認めない理由として、「創価学会が成り立たなくなるから」とありましたが、この奥にあるのは「保身の一念」であると私は感じます。保身の一念は信心ではありませんので不可なのです。このように、仏法者というのはどこまでいっても一念に着目していくことであり、一念を観ていくことが仏眼なのです。

・・・・・(詳細は)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6509
 

2000年ごろの文化庁の調査

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月 5日(水)09時55分46秒
編集済
  540万人、570万人という数字が出ています。
公明党の支持率5%程度とほぼ一致します。

また、ある聖教記者から聞いたのは
いわゆるバリカツさんは近年100万人を切ったと。

これも、地区を見れば座談会に毎回出ている第一線の
活動家割合が2割程度ですから合致します。
 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 5日(水)09時55分6秒
編集済
  「須田論文」と合わせて忘れてはいけないのが「遠藤文書」です。
池田先生から直接薫陶を受けられた、最後の教学部長である遠藤氏。
池田先生が未来の創価教学を、遠藤氏と須田氏に託されたのは言うまでもありません。
その遠藤氏が、正義の声を上げられた事実がここにあるのです。

遠藤文書の書き出しにはこうある。

>きょうの呼び出しは、昨年来の「大御本尊・会憲問題」に関連する事柄であると推測します。
(中略)
私の立場で、あれこれ申し上げるのは、はなはだ僣越であり、躊躇いたしましたが、こと御本尊と先生に関する最重大事であり、そこにわずかでも私情を差しはさめば仏法違背になりますので、申し述べさせていただきます。この根本事を絶対にあいまいにしたり、ごまかしてはならないという一点は、もちろんご賛同願えると信じます。<

時は2014年7月10日午後。
原田会長が11月に会則改定を強行した4か月前です。

遠藤氏は、原田会長と長谷川副理事長(現理事長)に査問を受けた。
これは当日の午前中、長谷川副理事長宛てに提出した質問文書です。

遠藤文書のポイントは「証拠」があること。
遠藤氏が何かしらの方法で言質を記録に残している事です。

さて、各地で査問が行われているが、遠藤文書をデマ扱い・怪文書扱いにしている幹部もいる。
いずれ証拠が公開された時の慌てふためく顔が見ものだ。

とにかく、池田先生がおっしゃっていない事を池田先生の発言とする、師匠利用の行為を絶対に許してはいけない。
以下、遠藤文書に表記されている、最高幹部の師敵対行為をしっかりと読んで頂きたいと思う。

~~~~~~~~~~~~

【遠藤文書より】

■1.先月、長谷川本部長、谷川総長は、戒壇の大御本尊に関する教義変更について「池田先生は、大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」と明言されました。
しかし池田先生は昨年、会則における大御本尊の記述変更の報告書に対して「そこまでする必要があるのか。今は事件を起こしていくというのは小さい考え方だ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」と明快に御指導されています。
この点について谷川総長は先月、大御本尊との決別は池田先生の御意志であったが、先生が途中で判断を変えられた等の説明をしていました。しかし、この御指導には、そうした曖昧な説明を許す余地は全くありません。
しかも昨年9月から2カ月近く、10回以上行われた会議では、秋谷議長、谷川総長はじめ、だれ一人として、「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は先生の意志であった」などとは述べてはいません。
そればかりか、谷川総長は、「大御本尊(問題)に執着しているのは、実は秋谷議長である」と再三に渡って明言しています。さらに谷川総長は「大御本尊と決別できないけれども、どう決別したかのような印象を与えるかだ」等と、「実質」は無理でも「印象」さえ作れればいいという発言を繰り返しています。
こうした夥しい矛盾について、どのようにお考えでしょうか。
先月は、宮地の作成した文書のうち、昨年の9月19日、20日の出来事が焦点になりました、「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付け
る」と池田先生から御指導を受けたという原田会長の発言について、昨年の9月19日、大山第一庶務室長は、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした指導は受けていない」「こんなやり方をしていたら学会の信心も教学も崩れてしまう」と明言されました。
また翌20日、長谷川本部長は、「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」「御本尊では宗門と決別できない」「急いでやる必要など全くない」と確言されました。
さらに、その折、池田副理事長も「総本部ができて、お祝いする時にやる必要はない」「2年ぐらいして勤行会が一回りしてから考えれば十分である」等と述べています。
こうした経緯については、私自身も記録に残しております。
ところが先月、長谷川本部長は「原田会長が嘘を付いているなどということは私は絶対に言わない」と、立ち位置を180度変えられ、その後、更に「『池田先生が決着を付けると御指導された』と会長が言うなら、会長は嘘を付いているということだ」と、再び主張を変えられました。
(2013年)9月の発言は、根本尊敬の対象である御本尊に関する師匠の御指南についてです。
「戒壇の大御本尊とは決別する」「学会常住の御本尊を大御本尊と位置付ける」というのは、池田先生に決裁を頂いた方針だったのでしょうか。
もし、そうであるなら、教学部は昨年9月以来、全面的に師匠の御意向に背いていたということになります。教学部の教義的な主張が全面的に師敵対だったということになります。私も森中も、池田先生に腹を切ってお詫びすべきことになります。
教学部は全面的に師敵対であったいうことでしょうか。この点も是非とも明瞭にしていただきたいと存じます。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

 

会員数

 投稿者:世帯数  投稿日:2016年10月 5日(水)09時35分40秒
  日本は一世帯あたりの平均が約2.5人のようなので、会員数は620万人くらいですね。  

事は明白

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 5日(水)09時33分42秒
  神札問題、狸祭事件、言論問題、54年問題、宗門事件等、歴史に残る幾多の事件。
未来には、
「原田一派の創価学会乗取り事件」という歴史が刻まれるだろう。
 

柳原落書き日記ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年10月 5日(水)09時31分6秒
  もうネタないみたいだね~w
そろそろ引き際では?
ハタチ、タグチネタの内容は法匪の言い分そのもの
柳原wみっともないな~
 

世帯数

 投稿者:世帯数  投稿日:2016年10月 5日(水)09時03分58秒
  250万世帯。

ツイート人様、ありがとうございます。
 

柳チャ~ン、ホントに悩乱しちゃったの~ダイジョ~ブ?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 5日(水)08時53分20秒
  柳チャン、コラム日記更新、おめでと~(笑)ナニ書いてるのかな~と思ったら、ホントにおかしいよ~(笑)

いきなり「大石小石」様が田口氏であるという決めつけ、架空のHNになにケチ付けてんの~(笑)

おまけに「聖教新聞報道部」様にも決めつけのアラシ、も~ビックリ。

「関西方面で居住」?
「中学から一貫教育を受けた」?
「教団を追われ」?
「憂さ晴らししてる」?

これ証拠でもあるの? なんか昨日の投稿で、自分のことを言われたので腹いせに書きなぐった感が見え見えなんだけど~

一流のジャーナリストの柳チャン、少しスナック「風俗」で憂さ晴らしでもしたら?
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、珍聞の紙面がぐちゃぐちゃデスが何かあったんですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 5日(水)08時01分48秒
  おはようございます。原田怪鳥様、たしか政教珍聞の社長はお身内だと思いマスが、ぜひ忠告してもらいたいものデス。

「池田SGI会長の欧州初訪問から55周年」
「デンマークに広がる人間共和の連帯」

と銘打つなら、本来はブチ抜きで1面全部を使いましょう。1面と2面を使う意味がわかりませ~ん。

1面下部は単なる行事の報告デス。わざわざ1面でなくともよろしいのではないでしょうか?

まあ、記者の方もデンマークを訪ねたのが9月1日から3日ですから、記事にするのが1ヵ月遅れとなってることも問題と思いマス。

その間ナニしてたんですか~?、もしかしてスナック「風俗」へ入り浸っていたとか(笑)

2面のカナダ求道の研修会も同様と思いマス。

「トロント近郊のカレドン教育文化センターでは、求道の研修会が活発に行われている」

とのコトですが・・・現在進行形で書かれていることは、今でもやってるんですか? いつからいつまで開催されてたんですか?

掲載の写真は8月11日~14日の写真だそうですが、なぜ写真だけ2ヵ月遅れの写真を掲載するのですか?

紙面の情報も古い、構成もおかしい、こんな珍聞外部に啓蒙できましぇ~ん(笑)

あっ、だから多部数を内部で推進してるんでしたね(笑) 誠に失礼いたしました~。

記者の皆さんも、スナック「風俗」で遊ぶのもほどほどにして、たまには他の新聞社に研修にでも行きましょう。

自らの仕事を他者のフィルターを通して見るのも勉強ですよ~(笑)
 

信濃町の人びと様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 5日(水)07時51分21秒
編集済
  >須田論文を効果的に拡める為には、噛み砕いたものが必要でしょうか。
グリグリさんがこう述べていましたので論考シリーズに期待します。<

おはようございます。
自分も、心から期待しております。
須田論文を、是非とも現場会員の武器になるようにして頂きたいのです。

理由があるのです。
現在の創価学会の現場では、最高幹部を批判する事が「悪」とされています。
更に、酒・金・女性問題で学会に迷惑をかけた幹部さえ「反省すれば問題ない」と、悪事を許すような指導性になってきているのです。
実際に弓谷氏の女性問題を婦人部幹部にぶつけましたが、「反省すれば何も問題ない」と回答をしてきます。

・最高幹部に魔が入るはずがない。
・たとえ問題を起こしても反省すればよい。

地元幹部に、このような考えが浸透しているのです。
ましてや、最高幹部の悪事は直接自分の身に降りかからない内容です。
事の重大さがわからない故に、最高幹部の悪事からの破折も、「反省すれば問題ない」で片付けられてしまいます。

しかし教義は全学会員に関わる問題です。
信仰で幸せになるためにも無視はできない問題です。
だからこそ教義という武器を、心ある現場会員に持たせてあげたい。
心ある現場会員を守るためにも、須田論文を普及させる智慧が必要だと思います。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月 5日(水)07時34分32秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-10-5 【方面長協議会 ①】

■ 一、全国、各方面の代表の皆さん、ご苦労さまです!(大拍手)
 勝利への前進のためには、中心の車軸が、しっかりしていなければならない。
 根本は、リーダーである皆さん方が、がっちりとスクラムを組むことだ。
 そして歴史に残る、兄弟愛、同志愛を広げていくのである。
 「わが尊き『広布の友』に栄光あれ!」と深く祈り、念じつつ、スピーチを残させていただきたい(大拍手)。

● 心は青年で!
 一、日蓮大聖人は、「年は・わか(若)うなり」(御書1135㌻)と仰せである。
 たとえ、年をとっても、心まで老け込んではならない。
 妙法という生命の大法を持った我々は、生き生きと若返っていくのである。張り切って進むのである。
 大聖人の御生涯は、最後の最後まで、広宣流布の大闘争に貫かれていた。
 信心に「引退」はない。心は退《ひ》いてはならない。一生涯、わが使命の旗を高く掲げ、若々しく前進することを誓い合いたい。
 イギリスの桂冠詩人ワーズワースは、こう謳った。
 「われらは今日を新らしく、一年の初めと定めよう」(田部重治選訳『ワーズワース詩集』岩波文庫)
 いついかなる時も、自らの心が、新しい決意で立ち上がったその日から、一切が生まれ変わる。
 「本因妙」の日蓮仏法を奉ずる我らには、新生の「今日」という日が、まさしく「久遠元初」である。
 先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生の誓願を受け継ぐ我らには、「今日」という日が峻厳なる「創立の日」なのである。
 「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の一念をば、わが生命に元初の旭日の如く、烈々と燃え上がらせながら、創立八〇周年へ、今日のこの集いから勇んで出発したい(大拍手)。

● 宇宙一の幸福者
 一、それにはまず、リーダーが、自分自身の生き生きとした「人間革命」から始めることだ。
 「人」ではない。「自分」が変わるのだ。「誰かがやるだろう」ではない。「自分がやる」のだ。
 たとえ、どんな状況にあっても、頭を使い、知恵を絞り、心を前に向けて、何かを為していくことだ。
 ある時は、お題目を唱える。
 ある時は、友の激励に走る。
 ある時は、仏法対話に打ち込む。
 根本は、御本尊に真剣に唱題して、「随縁真如の智」をわき立たせ、最も価値的な行動を起こしていくことである。
 仏法とは、「動く」ことだ。仏法とは、「勝つ」ことだ。
 ともあれ、わが創価学会は、宇宙の根源の妙法を実践し、弘めゆく、ただ一つの正統の団体である。
 この中で、誉れあるリーダーとして戦えることは、全宇宙で最高の幸福者であるといっても決して過言ではない。すごいことなのである。
 この偉大な使命を自覚して、「やらせていただきます!」と自ら決然と立ち上がるのが、本当の信仰者の姿である。

 一、古代ギリシャの詩人ピンダロスは、戒めた。
 「人間のある者は無分別なうぬぼれに/栄誉から遠ざけられ、また ある者は、おのれの力を貶めるあまり/臆する心に手を後ろへ引かれて/得べかりし誉れを逸してしまう」(内田次信訳『祝勝歌集/断片選』京都大学学術出版会)
 増上慢になって、転落する者もいる。
 臆病になって、敗退する者もいる。
 どこまでも、「求道」、そして「勇気」を貫き通した人間こそ、真の「栄光」を勝ち得《え》るのだ。

● 打って出よ!
 一、私が若くして第3代の会長となり、世界広宣流布の第一歩を踏み出して、この十月二日で満四十九年となる(大拍手)。
 当初、「世界広布」といっても、夢のまた夢のように思われていた。しかし、私は、戸田先生の弟子として、勇んで打って出た。
 利害の対立や、主義主張の違いを乗り越えて、世界を舞台に対話と友情を広げてきた。

 一民間人である。一庶民である。そこから、ただ「勇気」の二字で、尊敬するわが同志とともに、今日に至る「世界広布の時代」の突破口を開いてきたのである。

 一、仏法は、慈悲が根本である。しかし、凡夫である我々の実践は、現実には、勇気であり、知恵である。
 大切なのは勇気だ。信心とは、最高の勇気なのである。皆も、勇気を持つことだ。
 ずるく臆病な幹部ではいけない。私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。
 勇気!──これが学会精神だ。
 三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである(大拍手)。

● 師弟不二の道を
 一、思えば、「師弟の真髄の道」を歩み抜かれた日興上人の「日興遺誠置文」は、いつの著作とされているのか。
 それは、日興上人の師であられる日蓮大聖人の「立宗宣言」から、満80年の折であった。
〈元弘3年(正慶《しょうきょう》2年)=1333年〉
 この「日興遺誠置文」で、日興上人は厳命された。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書1618㌻)
 ただただ「広宣流布」の大願に向かって、どこまでも、師の仰せのままに、身命を惜しまず、戦い進んでいく。
 これこそが、師弟の魂である。これこそが、永遠の学会精神である。この一点を、リーダーから銘記し合いたい。

 一、若き日より、私は、命懸けで広布を思い、誠心誠意、恩師の戸田先生にお仕えしてきた。
 戦後の混乱の中、先生が事業に失敗され、莫大な借金を背負われたときも、私が、そのすべてを返済していった。
 朝も晩も、先生をお護りした。わが青春を、師匠と学会のために捧げてきた。
 御本尊に誓って、本当に微塵も後悔なく、そう言える。
 恩師の戸田先生は、亡くなる前に私に言われた。
 「大作、お前は、私が一番大変な時に、よくやってくれた。勝ったよ。私の人生は勝った。いい人生だったよ」と。
 先生亡き後も、私はただ、苦しむ民衆を救わんとされた恩師の勇姿を偲び、恩師の心をわが心として戦ってきた。
 師弟不ニ──真実の戦いは、ここにしかない。ここにしか、仏法はない。深き人間の道もない。
 師匠に応えんとする、その一念、その祈りから、勝利の力が生まれるのだ。

● 真剣勝負で!
 一、戸田先生は、厳しく言われた。
 「自分が責任を持つのだ。手伝いをしている気持ちの人間が何万人集まろうが、本当の戦いはできない!」
 その通りだ。戦いは真剣勝負でなければ勝でない。“死ぬか生きるか”──そのくらいの覚悟がなければ、遊びだ。甘えや油断は、微塵もあってはならない。
 私は、どんな戦いでも、全力を注いできた。「不可能」さえも「可能」に!
──その決心で、師匠のため、広宣流布のために戦い抜いた。
 経済的に苦しい時もあった。真冬でもオーバーもない。新しい靴が買えず、高下駄を履いて出かけたこともある。
 しかし、心は誇り高かった。仏法が真実であるならば、未来の勝利は絶対と確信していたからだ。

 一、各地の尊き同志の皆様が、どれほど真剣に戦ってくださっているか。
 私は報告書や手紙などでうかがい、よく存じ上げているつもりである。そうした書類は、学会本部で大切に保管している。
 皆様が、広宣流布のためにどう行動し、どのような歴史を綴ってくださったのか。大事な記録として、後世のために残している。

● 「幹部が走るから皆もついてくる」
 一、人間指導者の真髄は、「率先垂範」にある。
 中国・明代の哲人指導者として名高い呂新吾《りょしんご》は述べている。
 「聖人は、手足にたこやあかぎれをつくりながら駆けずりまわり、一時も心の安まる暇はない。
 そして天下を安泰に導いてから、初めて楽しむのである。言わば、苦しみのなかに楽しみを見出すのが、聖人の楽しみにほかならない」(守屋洋編訳『呻吟語』徳間書店)
 いわんや広宣流布の指導者は、師弟の精神をたぎらせて、最前線へ、座談会へ、一軒一軒の家庭訪問へ、一対一の対話へ、徹して走り抜いていくのだ。どこまでも、同志のため、友のために行動し抜くのだ。
 この心が脈動している限り、わが学会の前進と拡大、そして勝利の道は永遠である。
 私は若き日、自分が責任者となった地域で、隅々まで、自転車に乗って、一軒一軒、同志のお宅を回った。まだ車など持てない時代である。立派な会館もなかった。
 家庭訪問の途中で、自転車がパンクしてしまったこともあった。そんな時は、同志に頼んで自転車をお借りし、再び街へと飛び出していった。
 そうやって、一人一人を立ち上がらせた。一つ一つ壁を破り、広宣流布の勝利の道を開いていったのである。
 人間の力はすごい。いわんや御本尊を持った私たちは、どれほど大きな力を発揮できることか。
 本気になって祈り、戦えば、必ず結果が出るのだ。
 不思議な信心である。だれもが、深い使命を持っている。
 正義が勝たなければ、皆が悲しむ。苦しい思いをする。混迷の社会になる。だからこそ、断じて勝利するのだ。
 今の千倍、戦おう!
 必死になって同志のもとを訪れ、励ましを贈っていこう!──最高幹部が、なかんずく壮年が、そうした決意で立ち上がることだ。
 戸田先生は「幹部が必死に走るから、皆もついてくるんだ」と語っておられた。
 皆に「やらせる」のは卑怯だ。自分が動くのだ。自分が先頭に立ってこそ、同志も一緒に戦ってくれる。これが鉄則だ。
 幹部が要領ばかりよくなり、陰で楽をするようなことがあれば、皆はついてこない。それでは学会の組織は、崩れてしまう。

● 後輩を大切に人材を育てよ
 一、指導者の責務は、後継の人材の育成である。
 どれだけ多くの優秀な人材を育て、伸ばしたか。それこそが、指導者の誠の栄光といってよい。
 どうか後輩を大切にし、よく面倒を見てあげてほしい。
 また一人一人が、後輩の模範となる、立派な指導者であっていただきたい。

 一、いよいよ、青年部の時代である。
 青年部、頼むよ!
 〈「ハイ!」と元気な返事〉
 青年部が立ち上がるのだ。日本中で、世界中で、青年部が広宣流布の大行進を開始するのだ。
 学会創立八十周年へ、拡大の大目標を掲げて、堂々と進むことだ。
 「師弟の精神」を赤々と燃やし、新しい道をどんどん切り開いていくのだ。青年部が立てば、婦人部も、壮年部も喜ぶ。
 そして、充実した大座談会運動を全世界で展開していこう。
 ともあれ、学会活動は、すべてが自分のためである。広布のためである。
 全世界の、全人類の幸福のためである。
 どこまでも楽しく、おもしろく、にぎやかに前進しよう!(大拍手)

 一、時代を変えるのは、青年だ。
 未来は、すべて青年に託す以外にない。後輩たちを励まし、頑張ってもらうのだ。
 若い人たちは、ぐんぐん伸びていく。年配の幹部を追い抜いていく面もあるだろう。
 先輩は、どんどん力を発揮させてあげるのだ。青年のために、あらゆる手を打つのだ。決して、邪魔したり、押さえつけたりしてはいけない。むしろ、先輩から声をかけ、温かく激励するのだ。
 若いからといって、下に見て、あごで使おうとするのは、大間違いだ。そうではなく、信頼し、慈愛をもって「一緒にやろう!」と応援していく。完璧に、バトンタッチしていく。そして、全員が伸び伸びと、楽しく、若々しく動いていく。そこに新たな勝利の突破口が開けるのだ。

● 大願に生き抜け
 一、日蓮大聖人は、厳しい「熱原の法難」の渦中に、若き南条時光に仰せになられた。
 「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)
 一生成仏、そして広宣流布という、人間として最極の「大願」に若き生命を燃焼させて、いかなる苦難も突破していくことを厳命なされたのである。
 この仰せに奮い立った南条青年は、師匠を護り、同志を護り、正義の勝利の旗を打ち立てていった。
 これが、広宣流布の方程式である。
 戸田先生のもとで、私も、未来永劫に消えない弟子の勝ち戦を刻み残した。
 戸田先生は、よく言われた。
 「これからの学会を背負っていくのは、青年である。諸君の手で、広宣流布の尊き大使命を達成せよ!」
 先生は、決して青年を甘やかされなかった。
 「このことは、青年部に任せよう」「この戦いは、青年部にやらせてみよう」と、名誉ある責任を一人一人にもたせ、新展開を託された。これが、先生の薫陶であった。
 師匠の期待と信頼に、私を中心に完璧に応えてきたのが、創価学会青年部の栄光である。この伝統を担い立ち、青年部が、すべてを勝ち開いていく時が、学会創立80周年であると、私は強く申し上げたい(大拍手)。
     【方面長協議会 ②】へ続く
 

Re, モーガン・フリーマン 時空を超えて「この世界は“現実”なのか?」

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)06時09分46秒
  まさに、映画の「マトリックス」の世界です。でも、現実の世界には救世主は現れない。自力救済を指し示したのが釈迦であり日蓮大聖人であり池田先生だと私は感じています。

また、映画「インセプション」のように鎮静剤で夢の中で夢を体感させる世界、何層にもわたる夢の中でターゲットを誘い込んで、強いイメージを植えさせる手法と、脳の眠りと覚醒を時間の概念を越えていくストーリーは、生死を繰り返す日常生活を示唆しているものと観ていました。同監督が作った「インターステラ」も、時間概念を扱っています。夜長の秋に若干、活動の合間にDVDで鑑賞されるともっと分かると思います。

注意!!
我々は、生身の人間です。常に喜怒哀楽を持ち合わせて十界互具を繰り返している凡夫であり常住の仏界では有りません。ちゃんと、歓喜!歓喜!大歓喜と唱題して、本をよく読むくせをつけて、便1の例のような血気盛んに女体を貪ることばかりに時間を費やしてはいけません。この時間の概念については、ブルーバックスの素数理論や分かりやすい特殊相対理論の本を読まれることを勧めます。本を読まないでダメな自分の感性のままにモーガン・フリーマンに心酔するとダメ人間になりますよ!
 

Re【須田論文と会則改定】 虹と創価家族 様

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 5日(水)05時16分35秒
編集済
  須田氏は、風の噂によると、原田会長、秋谷議長に論文を提出したらしいです。会長、議長がどのように受けとめているのか知りたいところです。


>>須田論文は怪文書ではない。
元教学部長の須田氏が、実名でホームページを立ち上げて、論文を掲載しているからです。
堂々と教義のフィールドで、正義の声を上げられたのです!<<


宮田氏の説による珍教義解釈は、そもそもの動機が不純です。教学部レポート、遠藤文書を並行して読めば、より誤りが明確になります。

また、最近明らかになった竹岡青年部長の父による
※【御本尊作って売り込み計画】なる、トンデモナイ事件も、この教義変更の下地になっていたのですから、トンデモナイ教義変更と言えるでしょう。

※竹岡男子部長の父ちゃんが御本尊つくって売り込み計画】珠玉のリンク集を参照
http://6027.teacup.com/situation/bbs/54039


>>与同の会員を一人でも減らし、池田先生を永遠の師匠とした正しい信心ができるようにするべきです。<<


須田論文を効果的に拡める為には、噛み砕いたものが必要でしょうか。グリグリさんがこう述べていましたので論考シリーズに期待します。

>須田論文については、いずれ【論考シリーズ】で取り上げたいと考えています。<


>>願わくば、現場会員のために、須田論文をわかりやすく解説する方が現れることを望む。
現場会員を賢明にし、正しい教義という力を与える事が、本来ある創価学会の姿に戻すきっかけとなるからです。
現場会員が正しい信心を貫き、幸福になることが大切なのです。<<

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

教学部レポートは
★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

【参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571
 

9月29日1面掲載の「おわび記事」について

 投稿者:-Q-  投稿日:2016年10月 5日(水)05時16分26秒
編集済
  私自身、ツイッターに流れてきた、9月14日付紙版記事を撮影した写真は見たが、現物を直接確認したわけではない。
その写真によれば、札幌市内で行われた婦人部総会において某婦人(実名・白ゆり長)が、病を得て無職となった夫を支え、10年後に社会復帰するまでの体験を語ったというもの。たったこれだけで、細かな情報は書かれていない。

この記事に、当の婦人が強く訂正を求めるほどの、編集者の不手際による重大な誤りがあったとはどうしても思えない。
不手際があったとすれば、体験談そのものが編集者による完全な創作だったと考えるほかはない。あるいは、匿名が絶対条件で取材したものを、記者の独断で実名報道したため厳重抗議を受けたということなのか。

情報が限られているので、これ以上の追求はご本人の直接証言でもないかぎり不可能だろうと思う。だが、中枢にいる幹部らにとっては、どんな仕打ちをしようと物言わぬ無告の民と高をくくっていた末端会員が、はっきり声を上げ始めたという事実はやっかいな事態だと認識するきっかけにはなるだろう。しかも、それが一婦人部員だったというのはなおのこと。

以上が1面へのおわび記事掲載という、異例の措置を取らざるを得なくなった理由ではないか。
この「事件」の意味するものは決して小さくないと、私は考える。


 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2016年10月 5日(水)05時11分33秒
      感性様、ありがとうございます。

     会長の朝日新聞、本当に「一部」の会員の考えなのか?印象操作ではないのか?

世間は、学会はあの記事どおりなんだと思っちゃいますよね。

    私も安保を理解してなかった。じゃあ会長が理解した安保を具体的に教えて欲しいです。「生命尊厳の哲学」と矛盾しないのか?一体どこに向かっているのか?わからない、政治屋さん?新聞屋さん?

なんなんだろう、本気でいってるのかしら?

私の妄想ですが、厳密には矛盾するけど、現状は自民がやりたいみたいだし米国もゴリ押ししてくるし私の立場も考えてよ。ねぇお願い!みんな、お願い!私もどうすればいいか、わからない。言うこと聞けっ、ダブルスタンダードよろしくね。権力に迎合した方がやりやすの。
って見えちゃう私の生命が汚いのでしょう。


     本来の絶対平和主義とはなりませんが、広宣流布の次なる構想の通過点として、現在の状況となりますが、まずは、昨年の夏に皆さんに御約束した折伏を必ずやりきり、真の平和を構築して参ります。みなさん安心してください!とか言ってもらった方がまだまし。


以下学会員ひとりひとりが転換すべき組織の宿命で、祈るべきと思いコピーしてありましたので、貼り付けます

【再掲】日蓮大聖人「立正安国論」について②?

?投稿者:谷川ひろし?
?投稿日:2015年 8月16日(日)09時03分30秒投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月28日(日)15時08分49秒 返信・引用

まず、

1、「善神捨国」 …万民の業感に由る故(日寛)。 = 民衆自身の活力、生命力の低下。

災難や戦争が起こるのは「善神は国を捨てて相い去」る故であると。
これを日寛は「万民の業感に由る故」と解釈していますが、現代的な言葉で「善神」とは国土や社会の活力と理解することもできます。

それが「去る」とは、民衆自身の活力、生命力の低下ととらえることができるのではないでしょうか。
日寛のいう「万民の業感」とはそういう意味でしょう。

これは、民衆自身の活力が低下するからこそ、
権力者に利用され、戦争に引き込まれてしまう、と捉えることはできないでしょうか。

もともと民衆の「民」の原義は奴隷のことであり、その文字の成り立ちは、目を針で突くことの象形であると言います。(※参考 白川静『新訂字統』二〇〇四年、平凡社刊参照)。
つまり、捕虜から視力を奪い、自由を失わせて奴隷として使ったことからきています。

また、『立正安国論』の中では『仁王経』を引いて、
「若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん」という文があります。
人と生まれてきても「兵奴」にされてしまうというのです。

「兵奴」とは言いえて妙ですね。
兵士は命令によって動かされていく存在です。
しかも最も有能な兵士とは「黙って命令を遂行する者」のことではないでしょうか。

権力者にとって、文句を言わず、黙って命令を遂行する者ほど都合のよい存在はないのです。
私たちは、決してそのような兵士・兵奴になってはならない
戦争を抑止するためには、民衆自身が自立した判断力と行動力をもつことが必要ではないかと思います。
ここでいう民衆の活力とは民衆の自立力のことでもあると思います。

では民衆の活力や自立力を知るバロメータは何んでしょうか。
それは民衆が自らの欲求不満をどこで解消しているか。不満の捌け口をどこに向けているかをみれば明らかです。

例えば、
民衆がその不満を、自分よりも弱い立場にいる人・社会的弱者・社会的にマイナーな立場の人に向けている時はどうでしょう。
民衆の活力は、まさに弱肉強食の畜生界のように低く、結果として、権力者によって家畜のように扱われてしまうことになってしまいます。

または、不満の捌け口を外に向けている時はどうでしょう。
この時も、民衆には権力者の姿がみえていない。
だから、権力者は仮想敵を作って、常に民衆の目を外へ向けようとする。
こういうところでは、決して健全な自立した民衆は育たないと思います。
 

拾いましたw ごちそうサマ!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月 5日(水)03時06分32秒
  【ドカンと拡散希望】
実名で職を奪われるのを覚悟で、苦しい立場になるのを覚悟で…声を上げられた方々。今も苦しい状況に変わりはございません。一人でも多くの方の目に

新潮45(10月号)「『反安保』で公明党に反旗を翻す創価学会員たち」

http://firestorage.jp/download.cgi?act=download&key=e28f5194d93f532b3f74a5c331dcd61e58fba062
 

創価村地下ゴールデン街に新店舗開店!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)02時38分50秒
  その名も、スナック『風俗』、いやはや開店おめでとうございます(-_-)

一般社会では、風俗と言えば、今は『ソープランド』、昔は『トルコ風呂』と呼ばれ、血気盛んな男の子なら一度は必ず行った?ところだと創価村貴族の中高年サイコ患部は言うのですが、建前は『抱いた女は女房だけ』という琴で、この真実を正義にするために、創価村地下ゴールデン街に敢えて、スナック『風俗』を開店していマス。

『いやらしい奴だ、お前、ソープランドに皆で良く行っていただろう?』と現場会員から言われたら、『いえ、いえ、それはゴールデン街にあるスナック風俗の琴です。けっしていかがわしいところでは有りません。』と釈明できる場でもあります(-_-)

実は、ユカコを含むゆみこも居るいかがわしいところなのですが、創価村貴族しか立ち入る琴の出来ない場所ですから、何とでも言い訳出来マス。
 

この6年の出来事。

 投稿者:ただ一言  投稿日:2016年10月 5日(水)02時18分22秒
編集済
  先生の事。
2010年5月 先生が本部幹部会でスピーチをされる。満身創痍のお体をおして全魂のご指導。最後に先生は会員に呼びかけ励ました「勝ってまた会おう」と。誰もがこれが最後になるとは夢にも思わなかった。

※ここからは推測も含めて…記憶違いもあると思いますが。ご了承ください。

ある日の出来事。先生のお体に異変がおとずれる。ご高齢もあり、ご家族の意向もあり大事をとって療養されることに。突然の事態にまわりは驚く。7月の本幹が近づく。当日、先生のお言葉として「広宣流布の後事を託す為、敢えて参加しない」(趣旨)とのメッセージを紹介した。この日を目指し戦い集った多くの会員は驚いた。あまりに突然なことに… ただ先生の深い思いを受け止め、今こそ先生に結果をもって!お応えしていこう!そうすれば、いずれまた先生は本幹に出て頂けるだろう!と皆は思った。

8月がすぎ9月もおわる。聖教に先生の動向が載らない…やはり何かあったのではないかと?本部には連日問い合わせが殺到していた。組織でも先生の近況はどうなのか心配の声が広がっていた。10月の初め、これも突然に聖教一面に先生と奥様が唱題をされているお写真が載る。場所は新宿区内の恩師記念室。少しお痩せになられたように見えたが確かに先生の勇姿。先生はお元気なんだと皆が一応に安堵した。そして創立80周年の創立の月。必ず先生のお写真が載るはずと多くの会員は期待して待っていた。待ちにまったその朝が来た。聖教一面には鮮やかな青いローブを纏った先生のお写真。名誉学位の授与式後の対談風景。やはり少しお痩せになられたようだが会員に勇気を与えた。その後も幹部との集合写真等々、聖教やグラフにも近況写真が掲載された。それから早6年がたった。
先生と同じ時代に男子部として、そして今壮年部として戦える事に今更ながら感謝する。

本部周辺の都心はもちろん、ある時は創価大学、またある時は埼玉、神奈川、大田区。東京富士美術館にも足を運ばれる。ときに学園生を励まし、ときに創大生を励ます。大誓堂の参加者に車から声をかけ激励。またある年の9月には聖教本社前に居合わせたアフリカのメンバーを激励。その17名に最優秀の勇者と讃えて「17人のサムライ」と名前をつける。

限りある命と戦われ今でも会員を大切に激励される先生。本当に有難い師匠である。

この大恩を決して忘れてはならない。師匠に結果をもってお応えするが、学会精神であると決意して。

もう寝ます。笑
 

ひらがなプロジェクトに投稿しました

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年10月 5日(水)02時17分53秒
  ひらがなプロジェクトに投稿しました。
日妙聖人 身軽法重抄

今の創価学会の幹部を見ると、大学を出ている人が、ほとんどですね。
そして、地方大幹部の子息も多いと思います。

幹部の子息が優秀な人材だったら、問題はありませんが、親を見て育っているので威張って、会合で
聖教新聞を読み上げれば、良いと持っている、おぼちゃま男子部はいないに決まっていますよね。

地方幹部の親が息子がどうして、職員になれないのかと、会館の事務長に談判したと聞いて、笑うしか
ありませんでした。

世の中には恥を知らない、人がいるのですね・・・。
市会議員さんに頼んで、市役所に入ったと聞いたことがありますが、口利きは、自民党のお得意裏技だと、
思っていましたが、公明党も当然のごとくやっているのですね。

これほど、組織が劣化していることは、50年前公明党の立党精神から思うと、情けない。
官僚化と口利き入学、口利き就職もあるのだろうと思ってしまいます。

政教一致でマスコミに批判されて、先生の指導が行き届きにくくなったのが、魔の所為(やのしょい)で
しょうか・・・。フッ

明電工事件では、いやの思いをしましたから・・・。( ;∀;)

・・・・・・・・・・・・・・
その人の「境涯」がどうか  p124 法華経の智慧

名誉会長: まさに“相対性”だね。 ともあれ、その人が“何界”にいるかによって、見ている世界が違う。
空間も、時間も、生命の受けとめ方がまったく違う。

・・・ 「境涯」の妙といってよい。
この一点を見るのが仏法なのです。「人間」という存在を、人種によって見るのでもない。
学歴で見るのでも、社会的地位で見るのでもない。

その人の「境涯」そのもの、「生命」そのものを、まっすぐに見つめる。

権力者だから偉いのか。権力者にも餓鬼界、畜生界の人間もいる。

庶民の中に菩薩界、仏界の人間がいる。

有名大学を出たから優秀なのか。
ある人種だから優れているのか、ある階級の人は、はじめから劣っているのか。

そうではない。
しかし、人間をそういう邪見で見てきたのが、これまでの人類史です。
それが、どれほどの悲劇を生んできたことか ・・・ 。

須田: ナチズムや日本の国家主義、血で血を洗う階級闘争など、二十世紀の歴史はまさに、そういう
邪見の悲劇でした。

斉藤: あらゆる残酷な「差別」も、そういう邪見・偏見の産物です。今の学歴主義などもそうでしょう。

 

死者への暴言 ②

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月 5日(水)01時45分49秒
編集済
  >死者への暴言   投稿者:感性   投稿日:2015年 8月20日(木)07時25分2秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29657

以下自己レス引用

ただ時の経過とともに記憶も定かではないのですが、どなたかこの自殺職員への暴言事件のことをご存知の方がいらっしゃれば聞かれた限りでかまいせんので実際はどうであったか御教示いただければ幸いです。
むろん、上述等に誤認識があれば御指摘よろしくです、
引用以上

その後、検索で以下を見つけました。
以下引用

◆「エキセン男」は市川氏


書簡には、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・する、愉快な打ち明け話や“てんかん発作”症に苦しむ党職員が市川氏から面前で“信心が足りないからだ、みっともない人間は消えてなくなれ”と全人格を否定する強い調子で叱られ、生きる自信を失って後日自殺した、などのおぞましくもおどろおどろしい“仇討物語”までが綴られる。
http://blog.goo.ne.jp/youthuman/e/27955eacb5d7954dbfc42f7865ee5e5e
引用以上

・・・・部はこのソースで初めて読み知ったことなのであえて略しました。

むろん、党職員自殺と市川発言の因果の事実関係も私には知る術もありませんが、これについては結果的に週刊誌の格好のネタになってしまったことは事実でしょう。

そして引用部の少し上のほうにも別件として千葉県在住幹部の通夜にやってきた時の振る舞い等についての言及がありますね。
このソースの書き手の内藤国夫氏(故人)は確かにアンチ学会派のジャーナリストでしたが、それだけでこの元毎日新聞編集委員の書く事が全て虚偽であるとは言い切れないような気もしています。


性懲りもなく市川が②  投稿者:感性   投稿日:2016年10月 5日(水)01時09分7秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57589
 

こんな相にはならない!

 投稿者:  投稿日:2016年10月 5日(水)01時41分0秒
  「広布の為、会員の為、これ一本で生きてきた
夜も昼もなく戦ってきた」

「1人1人の同志の肩をいだき、手を握りしめ、その頬に流れる涙を拭ってやりたかった
1人1人を背負い、平和の道を開き、三世にわたる幸の花園へ運びゆかねばならないと固く心に誓っていた」

との先生の直弟子なら、こんな相にはならないのでは?
 

性懲りもなく市川が②

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月 5日(水)01時09分7秒
編集済
  >昨日、今日と公明紙上で市川さんがPKOについて苦しい言い訳をなさっている   投稿者:臥子龍   投稿日:2016年10月 4日(火)17時49分58秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57563

「党最高顧問」(市川)は必死なんでしょう。党の内外の良識派からは安倍に追随する軍事容認への推進ぶりが指弾されていたからねえ。いまさら市川なんぞかびの生えた御仁だけど例の安倍腰ぎんちゃく右派マスコミは意図してか連載インタビューなんかも含めこの軍事オタクめいた老人に花を持たせていたような気もしています。

そもそも公明が憲法9条関連などの事案に対してまだ健全な対応をしていた頃には、市川の自称防衛理論なんぞ完全に党内では異端扱いだったでしょう。支援団体内に至っては異端扱いどころか、取り沙汰すら
されることなく市川がそのような軍事的に偏った考えの持ち主であることすら知らない会員がほとんどだったと思いますよ。
それを党が変節した今になって後出しじゃんけんみたいにいかにも党の健全な時代や当時の学会幹部のほうがおかしかったというような意味のことを鉄面皮よろしくのたまうとは、党創立者の平和思想とは真逆の己の異端談の姑息な正当化としか私には見えませんね。

それから公明が自民への唯々諾々たる補完政党に成り下がった最大の原因である選挙制度改悪に
際しては市川は公明の責任者でしたね。党勢的にも弱体化させた張本人とも言えるのではないでしょうか?

また例の練馬区の投票所事件の関与への取り沙汰まで遡ると、現在ならたとえいかなる関与であってもその時点で議員や大幹部に上昇する道は完全に途絶える事案ではありませんか?
党史にせよ学会史にせよ彼に関してはとどのつまりは両組織に多大な迷惑をかけたとの負の記述しか残らないのではないでしょうか。だからこの期に及んで糊塗みたいな取り繕いに終始しているのではありませんか?


棚上げ、黙認・放置   投稿者:感性   投稿日:2016年 3月24日(木)07時06分41秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42138
愚人にそそのかされたるは第一の恥なり (2)   投稿者:感性   投稿日:2015年12月18日(金)07時15分3秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/35438
練馬区投票所襲撃事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%B4%E9%A6%AC%E5%8C%BA%E6%8A%95%E7%A5%A8%E6%89%80%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6


以下は後編集です

死者への暴言 ②   投稿者:感性   投稿日:2016年10月 5日(水)01時45分49秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/index/detail/comm_id/57592
 

大石小石さま、ありがとうございます\(^o^)/

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)01時05分5秒
編集済
  先般の創価村貴族用語の具体例が無くて困ってました。

『踏まん分子』創価村貴族かの方々が大嫌いな学会員。『お前、ハタチ一派だろう!』と脅し、スカシの踏み絵を踏まそうとしても、意思強固で口を割らない現場学会員の事です。

逆に、昔、血気盛んな男の子だった創価村貴族の皆さんが大好きなのが『ヤリマン女子』でしてね。

きっと、皆で良く行くスナック「風俗」に居て、社交接待してくれるのでしょうか?こんなところに、若い頃から、血気盛んな男の子が出入りしていたから、現場組織の状況も分からずに何処ぞの商社みたいに数字ばかり見て、机上遊びをしているのでしょう。全く情け無い限りです。(-_-)
 

Re:「幸せな人」 様

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月 5日(水)00時19分18秒
  おはようございます。   投稿者:幸せな人   投稿日:2016年10月 4日(火)05時01分37秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57531

会長の陳腐な私見が大新聞記事を通してまるで公式見解になってしまうような現状が
あるようですからね。

法案に関する「朝日」への会長私見の問題性②   投稿者:感性   投稿日:2016年 9月27日(火)00時55分36秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57012
なし崩し   投稿者:感性   投稿日:2016年10月 4日(火)00時12分49秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57524

 

査問豊作版はこんな感じです。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年10月 5日(水)00時15分41秒
  ある方面の中心会館に?という副会長兼任の職員、大幹部がいた。

 2016年。季節は初夏に変わり始めた蒸し暑い夜。?は冷房の効いた会館会議室の机の真ん中に。部屋には県幹部、聴き取り記録係の青年部の職員が数人。

 地元組織で学会の中核だった□たちは机の対面に座させていた。腰から上が暑さで汗が額からおちてくる。

 ?が犬でも叱りつける口調で命令した。

「早く口を割れ。いつまで黙っているんだ!」

 □たちが執行部、原田会長の悪口を地元担当の組織で言いふらしているという。まるで身に覚えがない。

 威張るだけが取り柄の県職員らが嵩にかかる。

「まだ認めないのか! いっから地獄行きの地元幹部にになったんだ、ええ? 除名されたハタチ、田口らが間違ってたと執行部、会長に謝れ!」

 かれこれ四時間がたっている。めまいがして床がぐらりと傾くようだった。

 ?が癖れを切らした。

「まだ改心しないのか。だったら、幹部役職を取り上げるしかないな」

 取り上げる権限は実は地方幹部にない。区圏幹部は本部人事だ。

 最後は始末書を書かされた。「SNSなどで二度と執行部の批判はしない」「もし、そのような事実があったら、役職を取り上げられても異議はないな」。順番に署名し、拇印を押した。

始末書の宛先は原田会長だったがそれをみた県職員は「様」と加筆修正。
 

埼玉の友人から電話

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月 5日(水)00時00分50秒
  埼玉の友人から電話がきました。


友人「ねえ、年明けに選挙ってほんと?」

ひかり「あそうなの? 安倍ちゃんが否定してたじゃん」

友人「頼まないの?」

ひかり「え? 何を?」

友人「選挙」

ひかり「あー。。。選挙か」

友人「参院選、頼まなかったよね、あたしに」


ひかり「あ、そうだっけ? ははは」

友人「あたし、頼まれたんだよね」

ひかり「地元で?」

友人「ううん。○○ちゃんから」

ひかり「ああ、そう」

友人「でもさ、あたし結局公明党はやめたの」

ひかり「ふーん、何で?」

友人「演説聞いたの。 何かいいこと言ったら、入れようと思って」

ひかり「ふーん」

友人「ところがさ、最後まで聞いてたけど、共産党の悪口しか言わなかったからさ」

ひかり「ええっ、本当なんだ、それ」

友人「何よ、どっかで聞いたの?」

ひかり「うん。 ウワサで」

友人「へへえ? ほんとそれ」

ひかり「うん。 ほんと」

友人「ネット?」

ひかり「そう」

友人「ハハハ。 えーとね、それで気分悪くなってやめたの。あんなだっけ?公明党って」

ひかり「ううん。 前はあんなじゃなかった」

友人「そうか、それで応援しないのね?」

ひかり「へへへ。その通り。いやですねー」

友人「いやだねー、政治家って」

ひかり「いやだねー、裏切りモノ」







 

近年における学会員査問豊作事件と宗門の脱会運動の酷似。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年10月 4日(火)23時51分0秒
編集済
  平和と文化の大城 池田大作の軌跡より
ーーーーーーーー
〇〇市の〇〇寺に?受道という住職がいた。

 一九七九年。底冷えする二月の夜。?は庫裏で炬燵にあたっている。部屋には寺側の檀徒が数人。

 学会の■たちは火の気のない片隅で正座させられていた。腰から下が、じんじん冷える。

 ?が犬でも叱りつける口調で命令した。

「早く口を割れ。いつまで黙っているんだ!」

 学会員が檀徒の悪口を言いふらしているという。まるで身に覚えがない。

 檀徒が嵩にかかる。

「まだ認めないのか! いっから地獄行きの隊長になったんだ、ええ? 学会が間違ってた、と謝れ!」

 かれこれ四時間がたっている。めまいがして床がぐらりと傾くようだった。

 ?が癖れを切らした。

「まだ改心しないのか。だったら、御本尊を取り上げるしかないな」

 取り上げる権限は実は末寺住職にない。だが南出たちは、それを知らない。

 最後は始末書を書かされた。「二度と檀徒の批判はしない」「もし、そのような事実があったら、御本尊を取り上げられても異議はない」。順番に署名し、拇印を押した。
 

今、原田会長が問われている。一体、学会をどうするつもり?

 投稿者:ツイート人  投稿日:2016年10月 4日(火)23時45分42秒
編集済
  Twitterからです!

『須田論文は原田会長の強行した会則改定の過ちを明確にする。

先生から直接薫陶を受けた須田氏。自称一番弟子を名乗る原田会長。是非とも公の場で対論して頂きたい。

論文を拡散する程に原田会長の逃げ場はなくなる。』

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2
 

54年問題、序章

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年10月 4日(火)23時42分20秒
  まずは、第一次宗門問題。
この言い方は会内で良く使われてました。まさに宗門に問題があったといわんばかりですね。
一面ではそうかもしれませんが西山茂教授など宗教学者は、「宗創問題」と決して宗門だけの問題ではなく、学会にも何らかの問題があったとの認識です。

それはさておき。

聖教の丹治氏が深くかかわったという、いわくつきの本があります。

「若き指導者は…」
私も随分と読みましたが、正直、違和感を感じました。

当時の学会、執行部と権威だけの宗門との攻防戦がまるで描かれてなかったからです。原因は殆どが取材らしいものがなく、過去の文献から引用されたもの。
柳原氏と一緒ですかね。
 

モーガン・フリーマン 時空を超えて「この世界は“現実”なのか?」

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年10月 4日(火)22時51分48秒
  モーガン・フリーマン 時空を超えて「この世界は“現実”なのか?」10月7日金曜 NHKEテレ1 午後10時00分~ 午後10時45分

私たちが生きている世界は現実なのか?あるいは幻なのか?自分に都合よく理解できることだけを選択して、自分にとっての現実を作りだしているだけではないのだろうか?

私たちは自分の感覚器官が集める情報のうち、脳が処理できる分だけを選択して「現実」と捉えているのではないか?さらに私たちが処理できないものの他に、電波や素粒子など、知覚できない存在もある。また、三次元よりも高度の余剰次元が存在するという考え方や、二次元以下しか存在しないのではないかという説もある。夢の中に生きている、あるいはコンピューターによるシミュレーションに過ぎないという説まで多角的に謎に迫る。
 

同盟題目23時開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 4日(火)22時45分15秒
編集済
  今日もしっかり祈ります。

明日、特に西日本は台風の影響が大きいようです。
皆様、充分にお気をつけください。
 

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