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2008/1/29各部合同協議会

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月 7日(金)13時34分29秒
編集済
  下記は2008年1月29日各部合同協議会での先生の御指導からの一部抜粋です。(本部職員と外郭職員の全体会議。現在の各部代表者会議)


『わが組織に 心血を注げ』

「戸田先生は、「戸田の命よりも大事な学会の組織」と叫ばれた。

これが、世界の大偉人である戸田先生の遺言である。

本当ならば、日本が大宣揚すべき戸田先生であり、牧口先生である。浅はかな為政者などに分か

るはずもない。

この両先生が命をかけて築かれた学会伝統の組織である。そのなかで戦うこと以上の誉れも喜び

もないのだ。

皆の組織である。ゆえに、一人の人間の独裁など許してはいけない。

また、どんな小さな組織であっても、自分に与えられた組織を、きちっと固め、本当に真剣に発

展させていく。

どんな小さな立場であっても、自らの使命を自覚し、真心で励まし、人材を育てていく。

一人一人を大事にし、スクラムを拡大していく。

その地道な、人目に付かない奮闘のなかにこそ、異体同心の団結が生まれる。

会合で偉そうにしゃべって拍手を浴びている。そんなことは、大したことではない。

組織という"血肉"を大事にして、そこに心血を注いでいけば、そこから新しい人材が生まれ、育

っていくのだ。

組織が育つと、人材が育つ。人材が増える。

人材が増えれば、さらに、組織は強くなり、大きくなる。

まさに、組織と人材は、表裏一体である。

組織がなければ、皆、バラバラ。皆、不幸だ。

だからこそ、皆で一体となり、団結して、平和と幸福の土台である学会の組織を守り育ててい

く。それが広宣流布である。

学会は、世界一の仏法流布の団体である。一生成仏を成し遂げる団体である。

この組織を壊す罪はあまりに大きい。

《中略》

「文筆の力は大きい。いかなる時代も、文筆の力は絶対に必要である」これも戸田先生の重要な

指導だ。

永遠に変えてはならない、聖教新聞の魂こそ「広宣流布」である。

広宣流布は言論戦である。特にリーダーの皆は、「口」を使ってどんどん語り、「手」を使って

どんどん書くのだ。

学会の悪口を言われて黙っているような、意気地なしの男子部ではダメだ。女性もまた、毅然と

戦っていただきたい。

悪と戦わなければ、皆が混乱してしまうのだ。"臆病者"が指導者になれば、その組織は必ず

「魔」に負ける。「魔」の働きは強い。

一の暴論には、十の正論で反撃する。真実を叫びきる。この戦う言論の魂を、断じて忘れてはな

らない。黙っていてはいけない。

私は、学会を誹謗中傷する悪質なマスコミがあれば、遠くへでも、一人ででも抗議に行った。

「事実と遅います」「ここが違う」「ここも違う」「書き直してください」「謝罪してくださ

い」と、誠実に、勇気をもって抗議し、対話した。

そうやって一つ一つを積み重ねて、現在の学会をつくってきた。

特に、最高幹部は戦わねばならない。「意気地なし」は「ずるい」のであり、「卑怯」だ。卑怯

は結局「敗北」となり、「裏切り」となる。

日蓮大聖人は、「夫れ仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば

世雄と号し王をば自在となづけたり」(御書1165頁)と明快に仰せである。

学会は、この御文の通りに勝負し、そして勝ってきた。

広宣流布のために、牧口先生は獄死された。戸田先生は2年間の獄中闘争。私は反逆者らの陰謀

で、会長辞任を余儀なくされた。そうしたなかで、矢面に立って戦うべき立場にいながら、ずる

賢く立ち回った者もいた。

学会の正義は、牧口先生、戸田先生の魂を継いだ私にあると、後世のために申し上げておきた

い。

※2008/1/29 各部合同協議会御指導より抜粋。
 

またまたそうきたか~(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2016年10月 7日(金)13時19分36秒
編集済
  今日の柳原駄目雄コラム日記。もとい柳原滋雄コラム日記(笑)

今日も相変わらずの信濃町界隈の偏向・誤認情報を元に憶測、推測、伝聞、風聞の類のオンパレ

ード。

お題は「日蓮正宗批判サイトを学会幹部批判サイトに変えてしまった波田地一味」

となんとしても「宿坊の掲示板」は波田地氏絡み。投稿者も全て波田地氏関係者と一括りにした

い信濃町界隈の思惑そのもの。

やはり柳原氏は公平なジャーナリストではなくクライアントに忠実。信濃町の意向を受けろくに

取材もせず、確認作業もしない不公平な御用ジャーナリストという事で決定でしょう。

食うためとはいえ何と不甲斐無いことか。

「 また同人らの「私は池田先生を批判していない」「学会を批判しているわけではない」「学会内の悪い一部の幹部を批判しているだけだ」などとする主張も、過去の反逆者と共通する論理にすぎない。」(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

と言っているが、過去の反逆者は明らかに先生を批判し集中攻撃、そして組織を攻撃していた。

その様な連中は逆に悪い幹部職員の事は批判、攻撃していない。

柳原氏は何を根拠にこの様な事を断言しているのか?こんな事は調べればすぐ解かる事。これも

意図的に過去の退転・反逆者と同等にしようとしている信濃町界隈の思惑そのもの。

「かつて脱会した者たちも、戸田会長に反逆しているわけではない、後継のいまの体制を批判しているだけだと主張するような者がいた。だがそうした行動をとることで、「戸田の命よりも大事な創価学会の組織」といわれた教団の組織を、攪乱している実態に気づかない、あるいは敢えて見ないフリをしている点も共通している。」(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

これも意図的。特に金科玉条の様に引用する文証が戸田先生の有名な御指導。

これはあくまで私見になるが、この戸田先生の「戸田の命よりも大事な学会の組織」という意味

は教条的に組織と言う器の事のみを仰られているのではないと思います。

そこに先生と学会員さんという存在。すなわち「人間」という存在があり、信仰を根本にした広

宣流布への大感情を持った一人一人が集った「血の通った組織」が大前提に。それが「戸田の命

よりも大事な学会の組織」「広宣流布の組織」ではないかと考えます。

それを一部の幹部職員イコール執行部・最高幹部を批判したら即組織批判・学会批判にしている

信濃町界隈の一方的、作為的な論理であり、それは無理やり世界の大偉人である戸田先生の遺言

を勝手に悪用しているのと同然であると考えます。

代弁している柳原氏も同罪。

「「宿坊」ではさまざまな名前で投稿がなされる。その中には一人で多くの名前を使いまわす者もいる。波田地の場合は、その投稿内容と同人の人格などがにじみ出ていると思われる文体から、「八尋みのる」「カンピース」などが同人の投稿と見られている。」
(柳原滋雄コラム日記 2016/10/7より抜粋引用)

これも波田地氏に絡めて何の根拠もなくお得意のジャーナリストにあるまじき憶測、推測、決め

付けの戯言。

弓谷君あたりの情報を真に受けない方が良いですよ。とご忠告しておきます。



 

ジョーカー様

 投稿者:五分の魂  投稿日:2016年10月 7日(金)13時15分26秒
  全面的に同意します。
私としては、温かいか冷たいかという感覚です。池田先生が命を削って会員一人一人の激励を重ね、温かな学会組織を築き上げて下さいました。私一人だけでも、どれほどの激励を頂いたことか数知れません。
だから今の学会があるのです。「破壊は一瞬、建設は死闘」であります。
今は、上から冷気が下へ向かって降りてきているような気がします。まだ現場には温かさが残っています。しかしこの冷気が降り続けば皆は温かさを求めて他所へ行こうとするでしょう。水は流れやすい所へ流れるのが自然の摂理。今の流れを大きく変えるには大将が必要なのに、主なメンバーは気がつけば皆どこかへ消えてしまった。何処かに潜んで時が来るのを待っているものと信じたいです。
 

平成の日精

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)13時13分32秒
編集済
  ぐりぐり様と正義の走者様

ありがとうございます・・そういう、歴史があった。

この宿坊で教えていただく琴は多い・・

http://

 

聖教新聞の衰退

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 7日(金)12時59分46秒
  衰退するのは当然だ。

一騎当千の活動家を査問し処分。
処分された会員は、各地域の広宣流布をけん引するリーダです。
戦うリーダーを失った組織が、どうなるかは目に見えている。

安保法制でも会員を粛清。
時流に流される事を会員に強要した時点で、開拓精神は失われる。
聖教新聞に書かれている内容と、公明党を支援する自語相違の姿を、世間が信用するわけがない。

なによりも会則改定により、池田先生の信心とズレが生じた。
有能な聖教啓蒙者を原田執行部が自ら潰し、愚民政策により信心を弱めた報いです。

そして内容劣化の原因は社員にある。
権力に屈しない、有能な記者を更迭し移動。
社内は、権力に迎合する者しか残らない。
権力に迎合する者が書く記事が心を打つわけがない。

聖教新聞から、広宣流布への熱を感じない。
破邪顕正の熱を感じないのです。
それは2010年5月以前の聖教新聞と比較すれば一目瞭然です。

更に衰退は止まらない。
それは財務の減退にも比例する。



 

宮田氏の主張・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)12時53分16秒
編集済
  須田論文で徹底的に指摘してありますので、私なんかの出る幕ではありませんが・・

タメの批判をする人がいますので・・私なりに違和感部分を少しだけ・・

「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」より・・

(私は新潟短期大学に在職していたころ、東洋哲学研究所の研究員を兼務しており、SGIの広報から、東洋哲学研究所に、
海外のSGI会員向けに、コンパクトな教義書を発行したいという趣旨の協力依頼があったので、何人かの研究員とともに、
教学部のメンバーなどと一緒に『創価学会の理念と歴史』の作成準備に関わったことがある。

『創価学会の理念と歴史』の作成において、他に留意すべき点として、海外において日蓮本仏論を強調することは、
SGIが仏教団体ではなく、仏教から派生した異端のカルト団体とみなされる可能性があるから、
その表現に注意してほしいということであった。 )

アドバイス・・指示があったんでしょう。でも誰が・・? 此処は興味あるところです・・

(日本国内においては、日蓮正宗は700年の歴史があり、日蓮本仏論を主張してもカルト団体とは社会的に認定されないが、
世界の仏教全体の中で、釈尊以外の歴史上の人物を釈尊より上位の仏として主張することは、他の仏教宗派から、
さらには諸外国の仏教諸派が加盟する仏教協会からは仏教的主張とは見なされず、
そのことが社会的にSGIを非仏教団体と認定する根拠となるだろう。)


(大日如来や阿弥陀如来は歴史上の仏ではないから、それらを本仏とする仏教宗派はさほど問題されることもなく、
またダライ・ラマが観音菩薩の化身であるという信仰は、まだ釈尊より下位の菩薩であるから許容範囲である。
しかし日蓮は歴史上の人物であり、日蓮本仏論はその日蓮を釈尊より上位の仏として主張することであるから、
海外のSGIの運動をカルト批判という脅威にさらす可能性がある。)

日本国内で、日蓮大聖人を御本仏としている(理解している)・聞いたことがあるとする人の割合は、

日本の人口割合から行くと、現在、最大で約5~10%・・?

戸田先生が戦後一人立たれ、広布拡大をされ始めた初期、その割合は・・・

1000人/8000万人?=0.0000125となり、0.00125%・・

大聖人の立宗宣言時は一人/約500万人?=五百万分の一

から、現在、3代師匠の死を賭して戦いで5~10%までになりました・・

何を言わんとするか、お分かりですよね・・

(もちろん日蓮本仏論が日蓮自身の重要な主張であるならば、弾圧覚悟でその主張を維持することが、宗教的使命であると思うが、
日蓮自身の真蹟遺文や信頼できる直弟子写本にも、そのような思想の形跡が見られないのであれば、
そのような後代に派生したと思われる教義のために弾圧を受けるのは、世界広宣流布のためには障害にしかならない。)

大聖人ご自身、末法の御本仏(久遠仏)と宣言されている。(須田論文参照)

正しい法を広める時、必ず大難があるとは大聖人。

大聖人様も立宗宣言以降、難との闘争の生涯。学会・創価三代の歴史も難との戦いの連続である。

弟子ならば、師弟不二の道を行くのであれば・・たとえ師匠が地獄に行かれても・・その道を行くしかない。

「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」の中で紹介されているものは、

日本で作られているSGI InternationalのHPで紹介されているものだけですね・・

もっと他の国もの、ドイツ語圏、英語圏の国ものだけでもどういう差異があるのか示す必要がありました。

実際には各国HPでは、教義に関してはこのSGI internationalの教義ページにリンクさせており。

独自の教義紹介・展開は今の所、私が見たところないのですが・・

しかし、最初の指示の部分が気になります・・


生涯広布 ペンギン

http://

 

正義の走者さんの続きです。

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年10月 7日(金)12時50分4秒
編集済
  ※正義さん、横からすみません。汗

■■【宮田は平成の日精について①】■■
平成の日精  投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 6日(木)22時49分19秒
宮田はどう見ても日精ですね。
釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。

富士流をも一応認めながらも、本音には「造仏読誦」主義だった日精と、
日蓮本仏を真正面から否定せずに、釈迦本尊主義をやんわりと入れ込んでくるそのやり口もよく似ている。

京都から来て、富士の影響を受けた左京日教とは逆で、
京都から来て、富士に京風を持ち込んだ日精こそ、
宮田に譬えるに相応しい。

宮田論文は正に平成の随宜論。

日寛の末法相応抄は表向き日辰批判だが、本当の的は日精の邪義。
これに例せば、宮田を表向きの的としながら、本部の姿勢を破折する須田論文は正に平成の末法相応抄。

■■【宮田は平成の日精について②】■■大仏のグリグリのとこ

大石寺十七世法主・日精(にっせい)は「京都・要法寺」出身で、十六世日就(にちじゅ)の弟子となり、
一六三一~三二(寛永七~八)年ごろに徳島藩主の夫人が江戸・浅草に建立した法詔寺の住職となっています。

そして、あろうことか この日精、その寺になんと「釈尊の仏像」を造立したのです。

日精は一六三二(寛永九)年、法を継いで貫主になっていますが、
仏像を造立したことを批判する声が高まったのに対し、造立を正当化した「随宜論(ずいぎろん)」を書いています。

その中で、大聖人が仏像を造立しなかったのは、諸所を転々とされて居場所が定まらなかったためであり、
「日蓮の本意ではない」と主張して、釈迦像造立が堕地獄の因とするのはまちがいであると結論付けています。

大石寺第五十九世・堀日亨は

「要法寺からきた法主・日精に至って江戸に地盤を構えて末寺を増設し、教勢を拡張するに乗じて、
ついに造立読誦(仏像を造立し、法華経一部二十八品を読誦)を始めて、全く当時の要法寺流としてしまった」
(富要九)と述べています。

そもそも日興上人が身延を離山し富士方面に来たのは、身延の地頭が釈尊の仏像を本尊としたことにあります。
そして日興上人は、地頭を強く批判し、日蓮大聖人が図顕した曼荼羅本尊のみが「信仰の根本」であると主張しました。

つまり、釈尊の仏像を本尊とすることは「日蓮日興」に背く大謗法なのです。

まさに日興上人が危惧していた「仏法に相違して己義を構える」貫主が出現したのです。

しかし当時の宗門には、おかしいと批判する声はあがっても

「用いてはならない ! 謗法だ !」

と、貫主を強く呵責する信心のある者はいなかったのです。

その後、日精は信徒の有力者と仲違いをしたため、大石寺を捨てて江戸の末寺に移っています。
大石寺はそれから三年間、貫主が不在という異常な状態が続いたのです。

これによって大石寺は住職不在となり幕府の朱印(しゅいん)改めを受けられなくなったので廃絶されそうになりました。

そこで相承を受けていない貫主が誕生します。十八世・日盈(にちえい)と、十九世・日舜(にっしゅん)がそれです。
彼らは付嘱を受けないで「法主」の座に座った仮の貫主だったのです。

つまり、相承など受けなくても貫主が務まったということです。
富士門流を邪義によって濁らせたうえ、個人の感情から貫主の座を放棄し、

平気で大石寺を捨てて廃絶の危機を招くという「大謗法で無責任な法主」や、
付嘱のない形式的な法主など、信心のうえからはとても考えられないような「破法貫主・失格貫主」が宗門には何人も存在していたのです。

なお、末寺に造立された仏像は、一六八三(天和二)年に日精が死亡した後、
ようやく要法寺出身の二十二世・日俊(にっしゅん)・二十三世・日啓(にっけい)等によって撤廃されたようです。

それまで六十年近くもの間、末寺には仏像が祀られていたのです。

そのため、後に大石寺の僧侶が要法寺の仏像造立を批判したとき、逆に日精が仏像を造立した事実を指摘され、
バカにされたという情けないことも起こっています。

要法寺出身の貫主が九代続き、日蓮大聖人滅後四百年を過ぎたころの大石寺は、まさに法滅状態そのものでした。

そして、日蓮大聖人滅後四百三十七年、第二十六世・日寛が登場するのです。
 

信濃町の人々 様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年10月 7日(金)12時44分16秒
  念のためですが、
私こと、
「誰か私を呼んだ?」(当板での固定ハンドル名)は、

「誰か私に聞いた?」様とは、まったくの別人であり、
また、「誰か私に聞いた?」様がどなたか、
まったく見当もつかず、存じあげません。
ただし、名前とか発想が似ているので、親近感がわきます。できれば直にお会いしたいくらいです。

以上、先の書き込みで、若干、混同されている(勝手に文字変換されている?)みたいでしたので、念のため申し上げます。

なお、私は、今、須田さんの渾身の論文を広めることが自分にできる唯一のことと考えて、リアル世界で一対一の対話を進めています。
 

【定期案内】教学部レポートをお読みください

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)12時00分26秒
  【教義変更の経緯・今の執行部の狂いの元を知る為に】

★☆詳しくはこちらから☆★
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56053

【参考】「教学部レポートとは」(英訳あり)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/53571
 

須田晴夫氏の論文について

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年10月 7日(金)11時34分11秒
  こちらにも収録済みです。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

★師弟不二ARCHIVE★
http://sgi-shiteifuni.com/

ご利用ください。
 

広宣流布の団結

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年10月 7日(金)11時14分34秒
  人間革命五巻より
「個々に対する指導こそ、人間主義の自然の発露である。広宣流布という未聞の大事業は、幾千万の人々の血の通った団結によって、はじめて達成できるからだ。」

:::::

組織に血が通っていなければ、それは、広宣流布の団結とは言えない。団結を叫ぶのであれば、リーダー(幹部)は、血の通った組織をつくらなければならない。血の通った組織とは、皆が言いたいことを自由に言える組織であり、幹部は当然、話を聴く姿勢があってこそ成り立つ。指導に関しても、一方的な指導は、指導ではない。そこには必ず、「納得性」がなければならない。

組織主義や官僚主義は、血の通っていない組織なので、その先に広宣流布はない。それは、団結以前のレベルの問題である。故に、本当に広宣流布を推進したいのであれば、組織主義や官僚主義を徹底的に排していく必要がある。それが誠意というものだ。それもせずに、いくら団結を訴えたところで、団結のしようがない。つまり、団結とは常に、リーダー(幹部)の姿勢が問われているのである。

広宣流布の一念に立つならば、組織主義、官僚主義は毒でしかないことがわかる。それを除かずに広宣流布の団結はない。皆が広宣流布の団結ができるように手を打つのがリーダーの責務であり、役割である。何も手を打たずに、一方的に団結せよというのは無慈悲であり、血が通っていない。それでは、「お前の血の色は何色だ!」状態なのである。

教義変更や安保法制の問題の根っこも、組織に血が通っていないところにある。問題の本質は、教義の内容や安保法制の賛否ではない。話を聴かないこと、一方的な姿勢そのものが問題なのだ。ここがわからないこと自体、血が通っていない証拠である。懸念や反対意見をもつ会員を邪険に扱い、腫物とし、組織から排除する。その先には広宣流布はないからこそ、おかしい(人間主義ではない)と訴えているわけです。

血の通った組織をいかにつくっていくかが、学会総体の課題である。一人を大切にとは、まさに血を通わせるということであり、だからこそ池田先生は、一人ひとりを激励された。その絆があるからこそ、今日の創価学会の発展があることを忘れてはならない。その反対が、54年の「時流には逆らえません」発言である。これほど血の通っていない台詞があるだろうか。

血の通っていない団結は、広宣流布そのものを破壊することにもなりかねない。時流には逆らえないという一念に団結したら大変だ。血の通っていない組織は、会員に違和感を抱かせる。違和感に鈍感になるのが組織信心であり、それは、人の心がわからなくなる危険性を有している。血の通っていない人間が、どんな残酷なことも為し得てしまうことは、歴史が証明していよう。

組織に血を通わせることを意識し、行動する中に、広宣流布の団結も生まれる。号令だけでは血が通っていないので、真の団結はない。ましてや、何かあるとすぐに、「団結を乱す魔」と決めつけることは、血が凍りついている。組織に血が通っていないこと自体が、団結を乱す魔であることに気づくことができるかどうか。今、ここが問われている。
 

太ちゃん、鋭い!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)11時12分33秒
  編集云々よりも記事の中身が劣化しているのではないか。長年聖教を読んで来た方々からみると、今の聖教は違和感がありすぎるのでしょう。

新聞が本来持つ社会的な使命と聖教新聞の誕生を確認すると、

~~~~~
『戸田先生が、私に、初めて新聞発刊の構想を語ってくださったのは、昭和二十五年(一九五〇年)の八月。先生の事業は行き詰まり、苦境の最中であった。
戸田先生は一身に非難の集中砲火を浴びていた。私は一人、師を支えた。そうしたなか、先生は、未来永遠の広宣流布の発展のために、何か手を打っておかねばならないと考えておられた。
事業の破綻が決定した二日後の八月二十四日――不思議にも私の入信記念日に、先生は、私にこう言われた。
「一つの新聞をもっているということは、じつに、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、よく考えておいてくれ」と。
ここから、「聖教新聞」は始まった。私と戸田先生の、師弟の対話から生まれたのである。
また、その年の十二月。東京の新橋駅の近くの質素な大衆食堂で、戸田先生と二人で食事を取りながら、新聞発刊の具体的な話になった。
先生は「これからは言論の時代だ。断じて言論戦で、広宣流布を切り拓こう!」と強く言われた。
翌年(一九五一年)の二月には、こう言われた。
「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ!」
先生は、いつも先頭であった。真の戦人であり、「広宣流布の闘士」であられた。
ともあれ、無責任な言論が横行する世の中である。当面論の暴力″とは断固、正義の論陣で戦わねばならない。当時も、今も、そして永遠に、変わらない。』

池田大作全集ス92)巻、第二回本部幹部会、第一回四国総会 (2001年1月29日)より

~~~~~

■アタイデ総裁「新聞は歴史の行進を先取り」

アタイデ総裁は、新聞の使命について、こう述べられた。
「新聞は毎日、また常に、民衆の光輝ある力のために、現在と未来の間に立って、歴史の行進を先取りする。そして世界の地平線へ、鋭きまなざしを広げていく」

商業主義でもない。自己満足のためでもない。新聞は「民衆の勝利」のためにある。このアタイデ総裁の言に照らせば、民衆を蔑視し、民衆の敵となる新聞など、新聞とは言えない。
学会は「民衆」の団体である。聖教新聞こそ、民衆の最高に「光輝ある力」を引き出す新聞である。「歴史の行進を先取り」した新聞である。
わが聖教新聞は、これからも、世界の第一級の良識と広く深く連帯しながら、さらに力強く、さわやかに、民衆の心、人類の心を動かしてまいりたい。
一波が二波、三波、そして万波となっていくように、新世紀へ、万年の未来へ、限りない希望の生命の波を送っていく。これが聖教新聞の使命である。

池田大作全集82巻、第六十五回本部幹部会、配達員大会、東京合同総会 (1993年4月20日)より

~~~~~

なのです。聖教新聞は学会員の信心を向上させるのは当然として、教学力を高め、折伏弘教や対話の原動力になり、さらに教養を高めていく、民衆の為の新聞でなければならないのです。

聖教新聞の記者や編集者はもう一度、聖教新聞の本来の使命を全うするべく努力を怠らないで欲しいのです。

池田先生が、師匠が見ていなければ何も出来ないなら、なんと情けない弟子なのでしょうか。聖教新聞の劣化も、やはり、関係者の信心の劣化によるもの、との指摘は的を鋭くえているのです。

***********************

http://6027.teacup.com/situation/bbs/57713
一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。   投稿者:信濃町の人びと


確かに新聞業界は衰退しつつある世の中ですが。
一般紙は世相に大きく左右されます。
その「一般」はインターネットにシフトされてきてる傾向ですから。
「時代の流れ」に合わせてない一般紙では衰退はむしろ自然なことが起こってるといえます。

学会ではどうでしょう?
インターネットは敬遠気味が学会の世相に感じるのですが。
もちろん普通にインターネットをする人は多いでしょうけど、宗教話はリアルを重視してる人がほとんどに感じますが。
それでも聖教新聞の衰退。
これは聖教新聞が衰退してるというより、学会の信仰内容自体の衰退が聖教新聞に「影」として象徴されてるように見えます。
『体曲がれば影ななめなり』ですね。
学会が衰退してるから聖教新聞が衰退してる、そう映るんです。

しかし、そんな事態になってることがそもそも「おかしなこと」です。
執行部が池田先生の指導を忠実に行ってるのであれば、衰退どころか大興隆のはずです。
聖教新聞は池田先生の思想を伝える新聞ともいえますから。
他のメディアより伝えてきてるのが機関紙「聖教新聞」なのですから、一般紙とは全く別物なんですね。
本来であれば、一般紙の流れとはほとんど関係なく聖教新聞だけは大興隆のはずだったんです。

しかし、事実は会員に多大な負担をおっかぶせても赤字かどうか、という状態のようですよね。
 

曼荼羅一応本尊観

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 7日(金)09時38分35秒
編集済
  正義の走者様

・・バサーと切っていただきましたね・・

「釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。」

原田執行部の底辺では、同じ琴が行われているんでしょう__「池田先生一応師匠観」

各国の教学は独自にという琴はあり得ないので(それほどの教学力はない)、全て日本の教学が根本。

徐々に徐々に、海外の方からすり替えていこうとしているのでしょうか・・

そのうち、仏像・画像、他の曼荼羅を御本尊と一緒に飾ったり、部屋に飾ったりする・・

指導できる教学もなく、10~20年もすれば、実は釈迦が仏で大聖人はあくまで上行菩薩と・・

恐ろしい方向へ行くんでしょう・・これだけは防がないと・・断固として !

日本の劣化が世界で言われるようになって久しい。特に日本の大学の劣化はひどいと・・。

創価大学も ? さんを教授としているくらいだから、申し訳ないが相当劣化が激しいんでしょう・・



生涯広布 ペンギン

http://

 

確かに新聞業界は衰退しつつあるけど

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 7日(金)09時17分32秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/57713
一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。   投稿者:信濃町の人びと


確かに新聞業界は衰退しつつある世の中ですが。
一般紙は世相に大きく左右されます。
その「一般」はインターネットにシフトされてきてる傾向ですから。
「時代の流れ」に合わせてない一般紙では衰退はむしろ自然なことが起こってるといえます。

学会ではどうでしょう?
インターネットは敬遠気味が学会の世相に感じるのですが。
もちろん普通にインターネットをする人は多いでしょうけど、宗教話はリアルを重視してる人がほとんどに感じますが。
それでも聖教新聞の衰退。
これは聖教新聞が衰退してるというより、学会の信仰内容自体の衰退が聖教新聞に「影」として象徴されてるように見えます。
『体曲がれば影ななめなり』ですね。
学会が衰退してるから聖教新聞が衰退してる、そう映るんです。

しかし、そんな事態になってることがそもそも「おかしなこと」です。
執行部が池田先生の指導を忠実に行ってるのであれば、衰退どころか大興隆のはずです。
聖教新聞は池田先生の思想を伝える新聞ともいえますから。
他のメディアより伝えてきてるのが機関紙「聖教新聞」なのですから、一般紙とは全く別物なんですね。
本来であれば、一般紙の流れとはほとんど関係なく聖教新聞だけは大興隆のはずだったんです。

しかし、事実は会員に多大な負担をおっかぶせても赤字かどうか、という状態のようですよね。
そんな事態を招いているのは、結局のところ秋谷元会長からの「悪しき風習」が多大な影響を与えているとみえます。
原田会長の時代で「悪しき風習」をロコツに本格化させたことで、衰退を決定的にしてしまった。

また聖教新聞ならば、他にも「超問題児」の存在も無視できない。
本部に巣くう悪徳幹部、聖教にも巣くう悪徳幹部。
これで聖教新聞が衰退しないほうがむしろ不自然というもんです。

今でも覚えてるけど、かつてのC作戦の後の紙上座談会。
連日で名の知れた幹部たちによる宗門批判の紙上座談会があった。
そんなに口汚く不満と文句を連日で書き並べる罵るぐらいならば、なぜ池田先生を会長から引きずりおろしたのだ?
結局は宗門への不満と文句を聖教新聞の紙上座談会で連日で掲載することになる『与同』を最高幹部たちがやっていたことになるではないか。
それを、宗門に『責任転嫁』の丸投げし「私はなにも悪くありませ~ん!」としたのが連日の宗門非難記事になってたと見るのが自然。
『責任の隠蔽』というもんでしょそれ。

そう感じさせるのは、現在行われているH氏への『責任転嫁』と構図が同じであるから。
C作戦後のあの紙上座談会とやってることが同じに見えるのですよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 7日(金)08時56分4秒
編集済
  >私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。<

腹を決めた遠藤氏の正義の叫びだ!
創価権力を恐れず、池田先生を裏切らない弟子の姿がここにある。

その遠藤氏に対し「変わり者」とレッテルを貼り、教学部更迭・嘱託解雇をしたのが原田執行部だ。
絶対に許してはいけない、創価権力を利用した悪辣な行為です!

最高幹部である谷川氏の実態も、遠藤文書に表記されている。
酒の席での醜態。パワーハラスメント。
証言者もいるこの内容を疑う余地はない。

~~~~~~~~~~~~

【遠藤文書より】

■4.漏洩騒ぎ【注*01】の際には、調査委員会から、私のコンピューターと携帯電話が一方的に取り上げられました。
再三、不当性を訴えたにもかかわらず、今に至るまで返答がありません。
職員の就業規則に背く越権行為であると考えますがいかがでしょうか。
【注*01:教学部レポート(「大御本尊問題と会憲の問題点」)の流失を指す】

■5.そもそも、昨年9月以来、会議、打ち合わせ、尋問など全てが強権的、強圧的な雰囲気で行われてきました。
これは、明確なパワーハラスメントであると判断しております。
谷川総長自身も、昨年11 月、信原幸弘東大教授、菅野博史創大教授との酒席で、「宮地は軽い人格障害だ」と嘲笑する菅野氏に同調し、「あいつは生意気だから30分ばかし締め上げてやった」等と発言しています。
谷川総長にはパワーハラスメントをしている自覚があったのです。
必要とあらば、旧知の信原東大教授に証言していただくつもりです。
繰り返しになりますが、私たち教学部の行動は、大聖人の御指南にも、三代会長の御精神にも、些かも悖るものでないと確信しております。
誤りであると言われるなら、御書に照らして池田先生の御指導に照らして、どこが誤りであるか、指摘していただきたいと存じます。
「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」
私は、どこまでも池田先生に殉ずる覚悟でおります。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

須田晴夫氏の論文について
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

日本宗教学会 第74回学術大会 創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8030

【平成の日精】  投稿者:正義の走者
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57707
 

わが友に贈る 2016年10月7日

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2016年10月 7日(金)08時19分1秒
  一行でもいい。
御書を真剣に拝せば
智慧と勇気が湧く。
絶対の確信が生まれる。
幸の軌道を歩み抜け!
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年10月 7日(金)07時48分53秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-10-28 【新時代第34回本部幹部会 SGI総会】

■ 一、まず音楽隊の演奏に感謝したい。
 とても上手だった。
 皆さんは、時間をやりくりして、練習してこられた。私は、よく知っている。
 何と尊い努力か。本当に見事だった(大拍手)。
 〈スピーチの前に、会場で音楽隊の創価グロリア吹奏楽団が学会歌「人間革命の歌」「広布に走れ」を力強く演奏した〉
 音楽や歌のあるところは発展する。
 それが歴史の一つの鉄則である。
 学会は、その通りに進んでいる。
 音楽隊、ありがとう!(大拍手)

■ 冥益が根本
 一、伝統光る創立記念の「本部幹部会」、おめでとう、ありがとう!(大拍手)
 そして歴史に輝く「SGI(創価学会インタナショナル)総会」、本当におめでとう、ありがとう、ご苦労さま!(大拍手)
 六十カ国・地域の偉大な広宣流布の指導者の方々、ようこそお越しくださった!
 皆様は、遠く海外から仏法を求めて、ここに来られた。
 その功徳は大きいことを確信していただきたい。
 仏法の功徳は、「末法」においては「冥益」が中心である。
 今は、はっきり見えなくても、後になって出る。しかも、思いもよらないほどの大きな福徳に包まれる。

●それが仏法の法則である。
 一、創立の父・牧口常三郎先生は、すでに当時、宣言されていた。
 「大聖人の仏法は全世界に流布されるものである」と。
 そして恩師・戸田城聖先生も叫ばれた。
 「仏法の生命尊厳の法理と慈悲の精神こそ、人類を救済しゆく大哲学である。この創価の思想を全世界に弘めよ!」と。
 戸田先生は、何度も何度も、「真の生命尊厳の思想は、この仏法しかない。これを世界に弘めることは、何よりも偉大である」と述べておられた。
 その遺訓の通りに、私たちは、世界192力国・地域に妙法を弘めた。ありがとう!
 仏法史上、かつてない偉業である。
 すべては、皆さん方が弘めたのである。
 皆さん方の同志が弘めたのである。
 誰よりも、御本仏が、諸天善神が、十方の諸仏が、妙法を持《たも》ち弘める皆さん方に大喝采を贈っている。万雷の拍手を贈っている。これを忘れてはいけない。
 御書に、「日蓮が讃嘆申し上げることは、ものの数ではありません。“諸仏がおほめである”と法華経に説かれているのだから、まことに頼もしいことである」(御書1112㌻、通解)等と仰せの通りである。
 日蓮大聖人が御遺命され、恩師が夢見た世界広宣流布は、私たちが厳然と成し遂げたのである(大拍手)。
 どうか、いつまでも、いつまでも、生命力をたくましく、元気で、勝利、勝利の人生を送っていってください。
 人生に負け戦は必要ない。勝ちましょう!
 〈「ハイ!」と元気よく返事が〉
 お帰りになったら、
各国の大切な同志に、くれぐれもよろしくお伝えください。

●無事安穏を祈り合え!
 一、また、全同志の皆さん方の「健康」と「長寿」と「幸福」を、私も妻も毎日、真剣に祈っている。
 特に「100年に一度」といわれる、この不景気に、絶対に負けることなく勝利することを、強く祈っている。頑張ってください!
 全世界の一人一人の学会員が、無事安穏で、絶対の幸福に包まれて、大勝利の発展をしていくことを、皆で互いに祈り合っていきたいと思うが、どうだろうか。〈「ハイ!」と賛同の返事が〉
 ともあれ、絶対に敗北者を出してはならない。臆病や恩知らずになって、退転していくような人間だけは出してはいけない。
 途中で、どんなことがあっても、最後は必ず勝てるのが、変毒為薬の“妙法蓮華”なのである。
 今は、どんなに苦しくとも、どんな病気でも、どんなにいじめられていても、最後は必ず勝てる。絶対に勝利者になる。
 これが仏法だ。これが信心だ。
 反対に、いじめた人間、悪鬼、魔民は、最後は全部、滅びる。
 これが、“仏法は勝負”の現証である。
 ゆえに頑張るのだ。素晴らしい人生を生きよう!

●女子部国際部からの報告
 一、第一線で真剣に戦う人を大切にすることだ。そうした方々の中にこそ真実があり、正義がある。
 それをまっすぐに、正しく見て、その声を真摯に聴き、すばやく対応していくのが、仏法の指導者の役目である。
 牧口先生は、“上が偉いのではない。下が偉くなっていくために、上がいるんだ”と教えられたが、本当にその通りである。
 先日、女子部の国際部の方から報告があった。
 一人の女子部の友からの報告にも、偉大な指導が含まれている場合がある。役職とか肩書だけで見ていたら、大事なことを見逃してしまうものだ。
 この女子部の国際部の方の報告によると、「わが地域でも壮年部が奮闘しています。ぜひ、先生から、この箴言をお伝えください」とのことであった。
 それは、インドの非暴力の大英雄マハトマ・ガンジーの言葉であった。
 「男らしさとは、戦うことにある。戦いが、我らを作り上げてくれる。だから、恐れずに戦い続けるのだ。くじけるな。たとえ死力を尽くして戦った結果、倒れることがあっても、少しも落胆するな。再び立ち上がり、戦いを開始するのだ」
 私は、この言葉を探してくれた女子部の友の真心に感動した。また本当によく勉強しておられると感嘆した。
 また、ガンジーの言葉にこうある。
 「私たちは皆、恐れなき心、誠実さ、不屈の精神、正義感、正直さ、確固たる目的観という徳を高めて、国のために尽くすことができる。これこそ、真の宗教のあり方である」 まさに“良き市民”として、社会のため、国土のために貢献する、わがSGIにこそ、真実の宗教の姿があるのだ。
 さらにガンジーの言葉である。
 「逆境から学ぶべき教訓をつかむのだ。そうすれば、逆境は無意味にはならない。
 私たちは、この試練を経て、より豊かな社会的価値と、より強い正義感を持つ民衆として立ち上がることができるのだ」
 何の苦難もなく、ただ笑って、楽しんでばかり。そこから得られるものなど、大したものはない。逆境こそが人間を偉大にするのだ。
 我ら壮年部も、あらゆる試練をバネとして、今再び、立ち上がろうではないか!(大拍手)

●下から支えるリーダーたれ
 一、先日、アメリカの友から報告が寄せられた。
 それは、私と対談を行ったアメリカ実践哲学協会のマリノフ会長が、次のように語っておられたというものであった。
 「リーダーには、二つのタイプがあります。一つは、ピラミッドの頂点に立つ存在です。
 そしてもう一つは、逆の形をしたピラミッドの底辺に立ち、民衆を下から支える存在です。支配するのではなく、奉仕しながら、人々の精神を高めていくのです」
 〈マリノフ会長は、こうも述べている。
 「池田SGI会長は、すべての人々を高めようと、下から支えておられます。創価学会の発展と繁栄の秘けつは、この一点にあると、私は見ております」〉
 世界の知性の目は鋭い。
 学会のリーダーは、どこまでも広布の同志を支え、同志に尽くしていく存在である。リーダーが一人一人を本当に大切にすれば、世界広布の前進は、もっと勢いを増していくことができる。
 皆様は、どうか、この一点を深く心に刻んでいただきたい。

●誠実に、真剣に
 一、日蓮大聖人は、「撰時抄」で弟子一同に対して仰せである。
 「法華経の通り身命も惜しまず修行し、このたび仏法を試みなさい」(御書291㌻、通解)
 大聖人の門下には、長年にわたって信心してきた人も多くいた。しかし打ち続く大難の中で、疑いを起こして退転する弟子も出た。
 仏法の真髄は、あまりに深い。妙法の功力は、あまりに大きい。
 ゆえに、わが門下よ、断じて退いてはならない。妙法流布に生き抜くならば、必ず最高の幸福境涯を築くことができる──。
 御書には、御本仏の大確信が脈打っている。
 リーダーは惰性を排し、どこまでも誠実に、真剣に、広布のため、同志のために行動し抜くことだ。
 増上慢になり、油断し、横着になれば、自分が損をする。大福運を逃《のが》してしまう。特に、役職が上になり、自分が偉くなったように錯覚し、会員を下に見て、威張るようなことがあれば大変だ。
 これまでも、そうやって堕落し、ついには退転していった人間がいたのは、皆様がご存じの通りだ。
 今こそ、全リーダーが初心に立ちかえって、命を惜しまず、労苦をいとわず、思う存分、戦うことだ。
 題目を唱え抜いて、悔いなく戦いきることだ。
 必ず、永遠の成仏という大果報を勝ち取っていくことができる。
 創立80周年は、皆が大功徳を開く時なのである(大拍手)。

●全て意味がある
 一、大聖人は、大病と闘う南条時光に対して述べておられる。
 「(あなたは)上下万人から諫められたり、脅されたりしながらも、ついに信仰を捨てる心がなく、もはや成仏しそうになったので、天魔・外道が病気にさせて脅そうとしているのであろう。命にはかぎりがあるものだから、少しも驚いてはならない」(同1587㌻、通解)
 病気には深い意味がある。信心を試されているのである。ゆえに、諸天善神が護らないわけがない。
 勇気ある信心を奮い起こして、断固として祈り抜き、病魔に打ち勝つことだ。何かあっても、大聖人は厳然と見守ってくださっている。
 そのことを深く確信していただきたい(大拍手)。

■ 一、烈風の社会の中で、創価の同志の皆さんは、人類の希望の道を開くため、ただひたむきに、真剣に、戦ってくださっている。
 広宣流布の大将軍として指揮を執る者は、懸命な同志に応えて、その何倍も戦わなければいけない。このことを、よく覚えておいていただきたい。的確に、迅速に、あらゆる手を打つのだ。
 戸田先生の指導が、わが胸に響いている。
 「学会の青年部は、意気地なしでは絶対にだめである。“自分には力がある。闘争には負けないぞ”と頑張るのだ。
 一人一人が学会精神を受け継いで、本物の人材と育て!」
 皆、頼むよ!
 思うにまかせぬ現実にぶつかることもあるだろう。そのなかで、建設的な声をあげる。堂々と信条を述べる。そして立派な人、真面目な人を尊敬し、威張る者とは、断固戦う。
それでこそ青年だ。
 年をとって自分勝手になる人もいる。立場が上になり、注意や指導をしてくれる人がいなくなって、堕落する場合もある。リーダーは人一倍、自己を律しなければならない。

●生きて生き抜く
 一、戸田先生は、あえて厳しく言われた。
 「闘争に負けるようでは、創価学会の青年部ではない。広宣流布は、よほどの信心と勇気と智慧がなければ遂行できない大事業なのだ」
 私も、戸田先生のもとで徹底的に鍛えられた。“先生が広布の戦《いくさ》を進めやすいように”と終始考え、万般にわたって、人知れず準備を重ねた。
 先生は、弟子のそうした努力を、すべて、ご存じであられた。しかし、大てい、知らないふりをして、黙って見守っておられた。あの厳愛の鍛錬ありて、今の私がある。

●「皆が幸福になるように」
 一、私は毎日、御祈念している。学会員の皆さんに事故がないように。皆、幸福になるように。広宣流布のために、楽しく戦えるように──。
 その心と行動が、これからのリーダーにあるかどうかだ。嵐に負けない常勝の指揮は、小手先の“策”とは、天地雲泥なのである。
 なぜ、このように申し上げるのか。私も80代である。いよいよ、これからが本当の総仕上げだ。
 今、広宣流布の舞台は大きく開かれてきた。未来のために、世界中に堂々たる基盤が築かれた。
 万代にわたる勝利は、すべて後継の皆さんにかかっている。
 この世界には、想像を超えた、卑劣な人間や、傲慢な人間もいる。そういう者たちに、将来、大切な同志が、騙されたり、威張られたりしたら、あまりにもかわいそうだ。そうならないために今、言っておくのである。
 私は今、未来の展望を真剣に考えている。
 広布の戦は長い。難は必定だ。それを乗り越え、勝利しゆく民衆こそ王者だ。
 勝利の手柄は、その栄光は、ほかの誰でもない、同志の皆さんに輝く。これを、きょうは宣言しておきたい。

●師弟不二の仏法
 一、どこまでも師弟不二の仏法である。
 思えば、戦時中、軍国主義の時流と戦い、戸田先生は、師匠・牧口先生とともに、牢獄に入られた。
 のちに戸田先生は、牧口先生を偲んで、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝された。
 これが弟子である。
 この戸田先生の心を、私は、よく知っている。
 私自身、どれだけ、先生に尽くしたか。何一つ、悔いはない。最後に先生は、「大作、ありがとう。大作、ありがとう」と言つてくださった。
 師弟不二とは、こういうものである。

●座談会が大事
 一、戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布は私かやる!──この大確信で折伏をするのだ。自分が行ったところで自分の力を示すのだ」
 この意気で、来年も戦おう!
 真面目な女子部の皆さんは、むしろ、ゆったりとした気持ちで進んでいただきたい。婦人部は、すでに走っている。今、心新たに立ち上がるべきは、男子部であり、壮年部であり、幹部であろう。
 「広宣流布は私かやる!」──この魂を失えば、もはやリーダーの資格はない。
 苦労を避けようとして、自分のことしか考えない。それでは、信心の本当の喜びを味わうことはできない。
 自覚した一人一人が、わが師のために立ち上がるのだ。そうやって、広布の大道は開かれてきた。
 今、集い合った皆さんこそが、新しい勝利の指導者なのだ。
 「大きい会合に出れば、心は躍動するが、それだけではいけない。小単位の座談会こそ、真の指導の根本である」
 これも、重要な戸田先生の教えである。座談会を最も重視して進むのだ。
 また、婦人部、女子部に対し、戸田先生は次のように示された。
 「これからの女性は、明るく、はつらつと、周囲へ、地域へ自分自身を開いていかなくてはなりません」
 草加の尊き婦人部に最敬礼するとともに、「女子部の池田華陽会万歳!」と申し上げたい(大拍手)。

■ 一、次の御聖訓は、戦時中の弾圧の際、当局に押収された戸田先生の御書に、先生が線を引いておられた一節である。
 「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富《とめ》る者なり」(御書988㌻)
 この御境涯に連なる永遠の福徳の大長者こそ、創価の友なのである。
 戸田先生がお好きであられた『巌窟王』や『三銃士』などで有名なフランスの文豪デュマの小説に、こうある。
 「いつも勇敢に振る舞うと、どれほど威厳が出てくるか、よく目にとめておくがいい」(鈴水力衛訳『ダルタニャン物語第4巻』ブッキング)
 “臆病は恥なり”との快男児の心意気を示した一言である。
 威厳とは、人徳であり、生命の力であり、勝利のための力でもあろう。きょう集い合った男子部の諸君の中からも、必ずやこの力が出てくると私は思う。
 さらにデュマの言。 「裏切ったという永遠の恥辱はかれらの上に落ちるのだ」(同)
 その通りだ。ましてや仏法の因果は厳しい。自らの信念を裏切り、同志の信望を裏切ったた人間の末路は哀れだ。皆様がよく知っている通りである。
 戸田先生はおっしゃった。
 「戦っているような格好をしていても、戦っていない人間は、すぐわかる。10人前の信心の戦いをせよ」
 大きな責任を担う幹部への戒めとして、心すべき指導である。

■ 一、戸田先生は、こう鋭く言われた。
 「難が来たら喜ぶのだ。その時が、信心の踏ん張りどころであり、チャンスであるからだ。
 その嵐を乗り越えれば、永遠にわたる大福運をつかむことができるのだ」
 信念の人は最後に光る。驕れる者は久しからず──これが歴史の教訓である。
 ドイツの詩人ヘルダーリンは、栄枯盛衰を見つめて叫ぶ。
 「おお怠るな! いましめ 罰をくだし 勝利をかちえよ!」(川村二郎訳「敢為の霊に」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社)
 真実と偽りは、最後には明らかになると詩人はうたう。真実に生き抜かなければ、損をする。結局、苦しむだけである。

■ きょうは長時間、本当にありがとう! ご苦労さま!
 もうひと踏ん張り、本年を戦いきって、来年も勝利しよう!
 楽しく生きよう!
 〈ここでSGI会長の導師で、全員で題目を唱えた〉
 ご苦労さまでした。ありがとう! お元気で!
 海外の皆様も、遠いところ、本当にご苦労さまです。これから広布の法城も、一段と整備していく。学会は隆々と発展している。世界広布の開拓者である皆様のお名前は、永遠に輝きわたります。
 お体をお大事に!
 奥様によろしく!
 お父様によろしく!
 ご家族の皆様に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 健康第一で!
 よく睡眠をとることです。無理をしすぎて、寝不足になってはいけない。仏法は道理である。皆さんが健康であることを、仏は一番、喜ばれるのです。
 〈ここでブラジル青年部の代表が「私たちに広宣流布をおまかせください。私たちは戦ってまいります。誓願を果たしてまいります!」と力強く決意を述べた〉
 偉い! うれしい!
 素晴らしい決意、ありがとう! ありがとう! ありがとう!(大拍手)

 

信濃町さま

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 7日(金)07時43分11秒
  ご理解ありがとうございます。

横から失礼致しました。

実は私も宗門史は余り詳しくは無いのですが、日精問題については、以前ある方から教わりました。

という訳で、左京日教については、他所から来て極端な法主信仰を確立させたという点で、もし譬えるなら福島源次郎というところでしょうか。
 

聖教のおわび記事に関して

 投稿者:-Q-  投稿日:2016年10月 7日(金)07時40分17秒
編集済
  虹と創価家族さんの情報(#57709)によれば、記事に登場する婦人部員と件のライター氏とは、何らかの縁戚関係にある可能性もありますが、仮にそうだとしても、現在、当の婦人部員が模範的会員として実在していて、体験談そのものが真実であるのなら何の問題も生じないはずです。

まったくの虚構として記事をでっち上げる意味があるとも思えないので、依然として疑問は尽きませんね。

リンク先のブログには、嵐慧子さんの母親についての記述もありますが、当該本を読めば「嵐桜」の伐採理由が判明するのかもしれません。北海道以外では、国会図書館にしか置いていないような本なのが残念です。もう少し詳しく本の内容を紹介してくれる方がいればありがたいのですが。


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、責任役員会でなに話されたんですか~?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 7日(金)07時00分29秒
  昨日の論客諸兄の論を待つまでもなく、劣化激しい政教珍聞。

ちなみに本日は8面が一面広告、10面11面が一般紙面。(笑)

創価学園で記念集会は結構な事デス。ただ、先生のメッセージは2面でなく1面にするべきでしょう。

どうやら学園関係の記事では「池田名誉会長」それ以外では「池田SGI会長」と師匠の名を使い分けてるようですね~

師匠は師匠、先生は先生なのですから、「池田名誉会長」に統一しましょう。師匠の名は使い分けするものではありません。

「国民の知る権利」が広く浸透している今、「会員の知る権利」も浸透させましょう。

池田先生が表に出られない現在、「開かれた学会」をアピールしなければ、一般の方からは受け入れられませ~ん。(笑)

「都のブラックボックス」ならぬ「本部のブラックボックス」では世界公布など夢のまた夢と知りましょう。\(^o^)/
 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 7日(金)06時36分59秒
  「御本尊は、即日蓮大聖人様であられる。」
(広布第二章の指針 第14集 昭和53年池田会長講演集)

池田先生の本尊観であり、永遠に変えてはいけない指導です。
この池田先生の確信こそが、創価学会の原点ではないでしょうか。

『日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし』

この御金言を命で読む会員は、御本尊を粗末になど扱えないはずだ。
池田先生の指導通り、御本尊は日蓮大聖人様だからです。

しかし宮田教授は、御本尊に誤りがあり、部分的に削除しろと発言している。
それは大聖人様を傷つけることと同じではないか!

2014年11月の会則改定は、宮田教授がアドバイザーとして関係していると聞く。
大聖人様を傷つける人物をアドバイザーとした会則改定は、「日蓮をあしくうやまう」ことに通じる。
なによりも、池田先生の信心とは違うと断ずる。

~~~~~~~~~~~~

【須田論文より】

(2)「功徳と罰」を主張することは誤りか

特定の信仰だけに功徳があるという立場を否定する宮田氏は、別の論文でこの曼荼羅本尊の讃文を取り上げて次のように言う。
「私は日蓮の曼荼羅に書かれた禍福の讃文の予言は宗教社会学的には真理とは言えないと思っている。(中略)その意味で私は日蓮の主張は誤っていると思っているから、曼荼羅からはその記述を除外すべきだと思っている」(SGI 各国のHP の教義紹介の差異について)
氏は日蓮図顕の文字曼荼羅にも誤りがあるから、その部分を削除すべしと主張するのである。
言うまでもなく、曼荼羅本尊には日蓮の教義が凝縮して示されている。
その意味で、曼荼羅本尊にしたためられた功徳と罰の讃文には自身が生涯を賭けて確立した宗教に対する日蓮の絶対の確信が込められている。
その日蓮の、いわば命を賭けた確信の表明を宮田氏は簡単に否定するのである。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

須田晴夫氏の論文について
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

日本宗教学会 第74回学術大会 創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://sgi-shiteifuni.com/?p=8030

【平成の日精】  投稿者:正義の走者
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57707
 

池田先生の行動と言動に振り回された小心者!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)05時22分55秒
編集済
  ある時は大胆に正面から、ある時は人知れず裏口から、いきなり何をしているか探りを入れるが如き師匠の立ち振る舞い。

レ・ミゼラブルで主人公のジャン・バルジャンが細工工場の経営者となり、また市長となって貧民街を訪れる。ポケットには沢山の硬貨を入れて街中,裏路地を歩きまわり自宅に戻ってきた時には、ポケットにはひとつの硬貨も残っていなかった。更に、貧しい家族が住む部屋の鍵がこじ開けられた跡が有り、何か物色されたのかと住人が慌てふためくが、そこには金貨数枚が置かれていた。貧しき家庭を訪れて、その者のために生活資金を置いて立ち去る市長。こんなストーリーを江戸っ子の先生は、イタズラ心に考えていたのかなと、ふと思います。

仏は、どんなところにも、どんな場所にも現れる。常人では理会出来ない。そして、じっと観て居るのです。だから、悪行を行っている者は先生を怖れるし、同じ眼をした者を排除する。

本幹再放で、生き生きと体験を語る海外メンバーの眼と天井見ながら目線を合わせず、逃げるような話しか出来ない直弟子の眼とは雲泥の差があります。

その昔、本幹で『大学をそんなに立派にする必要は無いんじゃない?』とか全国指導の折、地方幹部に対して『こんな大きな講堂建てる必要はないんじゃないか?』と幹部が?と思う事を先生はバンバン言っていました。

しかし、例えば創価大のキャンパスは今,どうなったか?創立当時の旧校舎と共にブロンズ像も廃棄、万葉の池も万葉の家も叩き潰して女子寮を建てる?草創の面影も何もない高層建築物が立ち並ぶ無機質な学舎。学生歌もそのうち,放り出して、全くオカシナ新学生歌なんて出来上がるのではないかと危惧しています。

地方各方面の○○池田講堂も、大きな会合も、催しも無く年間稼働率は激減しています。この実態は施設管理で良く分かっていると思います。敢えて建設する威味があったのか?
先生の小言のような話は、今になって理会出来るようになりました。
 

歓喜、歓喜、大歓喜の無い創価になってしまったから、5・3も11・18創立記念日の慶祝会合は無くなったのか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)03時52分11秒
編集済
  先生の功績で、全世界に学会員が生まれ育って組織が出来た。そして、出来上がった組織の上を闊歩して、現場学会員を見下して、気に食わない者は、即査問・除名する。詐欺・横領・着服・淫交と悪行三昧の者でも大患部になっていれば、反省すれば職員解雇にも会員除名にもならずに、営々と仕事・生活ができる。こんな世界は現場学会員から『怒り』をもたされます。

近年は、慶祝行事も無くなった為か、記念表彰も無くなり、どうしたんでしょうか?数年前まで、○○功労賞とか○○文化賞とか、盛り沢山の贈本,記念押印和紙とか、クリアーファイルなどなど有ったと思い出しましたが、今年は10月本幹だけで創立記念日は、昨年に引き続き全休ですかね(-_-)
 

大城さま,私も先生の海外渡航のお話を伺った事があります!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 7日(金)01時51分28秒
  読者応答室のお方が、この板を常時閲覧されているのであれば、なおさら結構な事です。

青年部時代に、本部で指導を受けて或る件で伺った時に先生の海外渡航のお話を聞かせていただきました。バブル期以前の話でしたが、それ以来、会館でのコピー機の使用や消耗品の扱い方に随分、気を使った記憶があります。

先生の行動を良く知る人は、会場正面から入られないで、いきなり裏口から入って場外役員を激励されたり、けっして正面ばかりを見ているばかりではない。宿泊先もざっくばらんなところを選んで学会員が居ないのか、常に気を配っている。行動全てが会員への激励行だとお聞きしました。何のための海外渡航なのか?誰のための海外渡航なのか?全てが会員のための行動であれば、何もためらう事なく、行程も費用も明らかにされた方が良いと思います。交流団の構成もです。それが出来ないみたいな事であれば、世界広布拡大の年とは言え、国内・国外には出歩かないで下さい。訳が分からなくなります。代理受賞やら訪問激励は、何も日本の会長が飛び歩かなくとも、現地の組織代表者で充分なのでは?
 

正義の走者様 【宮田は平成の日精】について

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)00時45分9秒
  ご指摘ありがとうございます。
日精でしたか。

さすが、正義の走者様です。
左京日教が大石寺に流れ着いてから、要法寺との交流が始まったと認識していましたが、中身を見ると日精なのですね。

日精問題で日顕に破れた、原田、谷川の両名が頼ったのが、
平成の日精だとは、何たる皮肉!

>>宮田はどう見ても日精ですね。

釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。<<

>>富士流をも一応認めながらも、本音には「造仏読誦」主義だった日精と、日蓮本仏を真正面から否定せずに、釈迦本尊主義をやんわりと入れ込んでくるそのやり口もよく似ている。<<

>>京都から来て、富士の影響を受けた左京日教とは逆で、
京都から来て、富士に京風を持ち込んだ日精こそ、
宮田に譬えるに相応しい。<<

>>宮田論文は正に平成の随宜論。<<

>>日寛の末法相応抄は表向き日辰批判だが、本当の的は日精の邪義。これに例せば、宮田を表向きの的としながら、本部の姿勢を破折する須田論文は正に平成の末法相応抄。<<

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0
 

一般論として、聖教に限らず新聞の価値が下がっている現象がある。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 7日(金)00時30分30秒
編集済
  紙面割りや誤報などの個別の問題はそれぞれの理由があるのでしょう。

素人なりに敢えて考えをまとめてみると、

従来は社会面が11面、10面で、全面広告が8面というパターンが一般的だったのが、

10月6日の聖教は、社会面が11面と8面に、全面広告が10面に
入れ替わったことにより、読者からみると違和感が生じた。という事なのでしょう。

どのような紙面割りにするかは編集者が決めることであり、
この点は、誰か私が呼んだ?様の指摘の通りなのでしょう。

また、スポンサーの意向との指摘もその通りなのではないでしょうか。

聖教新聞は宗教団体の機関紙でありますが、企業の体を成していますから、赤字を垂れ流しにしていい訳はないはずです。

広告という収入源を得る営業努力の必要性は否定出来ないし、一方で、しっかりと部数を拡大する為にも、読者である学会員の声に応えて、内容の充実にも努めてもらいたいのです。
もちろん、マイ聖教や1人が多部数を購読するような、かずの押し付けは論外ですが。

そうした学会員の思いを忘れないで紙面の作成には充分に留意をお願いしたいのです。

一方で、もっと社会的な見地から、掲示板にて聖教紙面への批判がありますが、現象を俯瞰してみれば、これは近年のマスコミに対する不信感や権威の崩壊現象などがあり、聖教新聞に対しても見方が厳しくなっていることはないでしょうか。

一般的にも、新聞社の編集は努力をしていても、見る側(お金を払う側)からは、対価に見合う価値を見出せないことに対する苛立ち現象なのではと思うのです。

これらは、新聞社に限らず、普通の企業でも、お客様側に対価に見合わないサービスしか提供出来ない企業は、顧客離れが進み、市場から淘汰されてしまいかねないのと、根は同じかもしれません。

聖教新聞の記者、編集者もこのご時世ですから、どう見られるか。について意識を高く持って行くべきでしょう。

あらゆる権威的なものには対する信頼は崩壊し始めているのですから。

そして、このような現象は、既存の価値観崩壊と共に、新しい文明の誕生を予感させるのです。
 

良寛 、内村鑑三など ②

 投稿者:感性  投稿日:2016年10月 7日(金)00時27分12秒
  >聖教新聞社の広告は大いに疑問あり   投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編   投稿日:2016年10月 6日(木)22時38分21秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57705

江戸期の庶民で俗名を山本栄蔵とする良寛(鎌倉期の極楽寺良観に非ず)については以前の御投稿に対し
良寛 、内村鑑三など   投稿者:感性   投稿日:2016年 3月 5日(土)23時25分38秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/40744
でお返ししました。
ほどなくして
>感性さんへ   投稿者:太ちゃん   投稿日:2016年 3月 6日(日)07時04分56秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/40759
をいただきました。

私見では例えば将来もし聖教新聞がマザー・テレサ本をだしても世界が彼女を絶賛したことは彼女が設立したカトリック系宗教団体ではなくスラム街にどっぷりつかっての草の根福祉活動など普遍的な行動につき全く問題ないと思います。
そういえば以前、南米のある国に赴任していた某正宗僧侶は彼女を悪魔と見立てて説法したことが問題となり国外追放され世界の良識から失笑された事案もありましたね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1379645073

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年10月 6日(木)23時39分46秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目23時開始

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 6日(木)23時00分8秒
  よろしくお願いします。  

聖教お詫び記事について

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 6日(木)22時58分55秒
  >過日の聖教お詫び記事  投稿者:ツイート人<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57470

>29日おわび
『長縄さんの体験を編集部の不手際により誤った内容で掲載』<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57555

ツイート人様へ

表記の違いは「病を患い無職だった夫を10年間支えながら、社会復帰を果たす」という部分です。
削除されたこの部分に、1面でお詫びしなければならないほど
前代未聞の重大な「編集部の不手際」があったことは間違いないですね。

では、「編集部の不手際」とは何か?

ひょっとして何かこの学会批判本と関係があるのでは・・・!?
http://bookmeter.com/cmt/35509109
「崩壊すすむ 北海道の創価学会・公明党」(1979年10月1日発行)
長縄三郎

~~~~~~~~~~~~
【プロフィール】
1947年、北海道深川市に生まれる。1973年、北海道大学水産学部博士課程中退。
同年、時事通信社入社。社会部、スポーツ分野の記者として活動後の1976年からは
フリーライターとして月刊誌や週刊誌で執筆活動を展開。
~~~~~~~~~~~~

1947年生まれなら、現在69歳。
この人物が生存していて、関係者である可能性はありますね。

北海道等の学会員でこの本のことを覚えている人は
少なくないでしょう。苗字からピンと来て、猛抗議があり、
異例の1面でのお詫びとなったのでは・・・?
 

須田さんについてもまとめコメントしたほうがいいようですね

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 6日(木)22時54分31秒
  どう見てもロコツな撹乱ですね~
複数の違う話題を挿入して撹乱ですか

これは須田さんについてと、須田さんによる破折論文について「まとめコメント」がいいようですね。
二つの系統に分けて「まとめコメント」をしましょう。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

平成の日精

 投稿者:正義の走者  投稿日:2016年10月 6日(木)22時49分19秒
  宮田はどう見ても日精ですね。

釈迦本仏主義といい、曼荼羅一応本尊観といい、日精以外に例えようがない。

富士流をも一応認めながらも、本音には「造仏読誦」主義だった日精と、日蓮本仏を真正面から否定せずに、釈迦本尊主義をやんわりと入れ込んでくるそのやり口もよく似ている。

京都から来て、富士の影響を受けた左京日教とは逆で、
京都から来て、富士に京風を持ち込んだ日精こそ、
宮田に譬えるに相応しい。

宮田論文は正に平成の随宜論。

日寛の末法相応抄は表向き日辰批判だが、本当の的は日精の邪義。
これに例せば、宮田を表向きの的としながら、本部の姿勢を破折する須田論文は正に平成の末法相応抄。
 

誰か私に聞いた?かって?

 投稿者:如是我聞  投稿日:2016年10月 6日(木)22時46分8秒
  聞いてないよ。

あんた誰?
 

聖教新聞社の広告は大いに疑問あり

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年10月 6日(木)22時38分21秒
編集済
  聖教新聞社の広告の扱いに問題ないなんて変な琴を言ってる人がいるようだけどね。

聖教新聞では邪宗の本を広告に出してきてますよね。
邪宗の破折のための参考本とするにはあまり適切とは思えないような本の広告ですが。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/40673
2014年2月3日の「わが友に贈る」と同じ紙面に『良寛こころのうた 第三集 良寛詩歌 三百六十五日』という本の広告があります。
「わが友に贈る」の場所からちょうど左下方向、紙面の広告欄にあります。
これならまだ新聞を残してる人もいるかな?と。

「わが友に贈る」と同じ紙面に邪宗の本の広告って聖教新聞社は大丈夫なんでしょうかね?
同じ邪宗の本でも、研鑽目的とかならばわからないでもないけれど、詩集が研鑽になるものでしょうかf--;
『研鑽』という意味でもちょっと場違いな広告でしょう。

とりあえずは、学会員さんにはなんらメリットもない広告に感じますが?
そう感じるのは僕だけでしょうか。
聖教新聞社のメリットでしかないものでしょう。
一般の新聞ならば純粋にビジネスとして認識できることですが。

この本は宗教の宣伝目的も含まれてると広告から読めるものです。
特定の宗教の新聞では広告という意味だけではなく、特定の宗教が認めた『推奨する宗教』の意味にもなりませんか?
研鑽目的ということでも適切とは思えないものだし、むしろ邪宗の勧誘の手助けでしかない広告です。

もっとわかりやすくは、邪宗の勧誘の手助け=退転を推奨した広告ということです。
ですから僕は『謗法です』と言ってるのですよ。
しかもそれを「わが友に贈る」と同じ紙面で、普通に見れば「わが友に贈る」と一緒に視界に入る状態です。
聖教新聞社の信心の状態を垣間見てるようですよ。


http://6027.teacup.com/situation/bbs/40707
↑本自体の情報など


追伸;
聖教新聞社はカネのためなら退転する会員が出る可能性があっても広告するような酷い実態だねぇ。
八尋副会長さんもそう思いません?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

一会員さんの・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年10月 6日(木)22時37分24秒
編集済
  ・・書いてある以下の琴・・

「ここからわかることは、各国のSGIのHPによる教義の紹介には差異があって、その中で釈迦本仏論を
大いに採用し、意図的にか日蓮本仏論については触れられていない等の差異があるということ。」

つまり宮田幸一氏の日蓮本仏論見直し議論は、現況のSGIのHPによる教義紹介には差異があり、
その曖昧な対応について不満を持っていたことが根底にあり、日蓮本仏論見直しはその現況の是正という
意味もあったかと思う。」


・・答え・・

教義の差異はない。
またHPでの開示は各国のやり方で多少の差異が出るのは仕方がないが、組織で教えている内容は日本と同じのはず。

詳しい教義については、全て、SGI Internationalの教義のページにリンクしている。

以下、参考の為に、SGI International、米国、イギリス、フランスのHPの中から御本尊の説明・・

どこも釈迦本仏論などとってはいない、釈迦像など拝んでもいない。

HPの役割は各項目についての簡単な説明とSGIのプレゼンテーションが目的であり、宮田氏のような学者?

向けのHPではないので、本仏論など必要はないのです。

そのような書いても信仰をしてない人には????となりチンプンカンプン・・

まず、SGI International のHPから・・日蓮大聖人について
http://www.sgi.org/about-us/buddhist-lineage/nichiren.html

Nichiren’s triumph over this persecution at Tatsunokuchi was extremely significant for him. It confirmed that,
while he remained an ordinary being, his true and original identity was that of a Buddha with
the mission of spreading the teaching of Nam-myoho-renge-kyo,
providing the means for people to
free themselves from suffering at the most fundamental level. It was after this that he began to inscribe
the Gohonzon for his followers—

a scroll inscribed with Chinese characters that embodies the Mystic Law to which he was enlightened.

黒字のところで、きちんと本仏と言ってるでしょう。仏でありまた菩薩であり・・とつまり、菩薩仏
と書いてあるわけですよ。菩薩仏については「法華経の智慧」を参考にしてください・・
(他のところの翻訳は自分でやって下さいネ・・)

次に米国、イギリス、オーストラリア、フランスのHPから御本尊について・・
(決して釈迦像を拝んでない、釈迦仏を本仏と謳ってはいないが・・) 訳は意訳・・

アメリカSGI
https://www.sgi-usa.org/basics-of-buddhism/
The Gohonzon, a scroll practitioners chant to, was inscribed by Nichiren Daishonin and is depicted
in Chinese characters embodying the law of Nam-myoho-renge-kyo, the life of Nichiren, as well as
protective functionsof the universe.

御本尊というのは、日蓮大聖人が唱題する人の為に書かれた一幅の巻物であり。
漢字で南無妙法蓮華経の法が描かれ、は日蓮大聖人の生命であり、同様、宇宙の諸天・機能も描かれている。


イギリスSGI
http://www.sgi-uk.org/buddhism/practice/gohonzon

The large characters "Nam-myoho-renge-kyo" down the centre of the Gohonzon depict this realisation.
To the left and right of "Nam-myoho-renge-kyo," written in smaller characters, are various figures that represent
the Ten Worlds in the life of the Buddha. Nichiren graphically indicated that all ten worlds are illuminated
by Nam-myoho-renge-kyo, or the Mystic Law, and are contained within the world of Buddhahood and vice versa.

中央に描かれて居るのは南無妙法蓮華経、左と右に小さい文字で書かれて居るのは仏の十界。
十界の全ての生命は南妙法蓮華経、または妙法に照らされて居る琴を現し、それらはまた仏の生命(仏界)
に具足している琴を示す。


France Le mouvement bouddhiste Soka
http://www.soka-bouddhisme.fr/bouddhisme/pratique/le-gohonzon-une-representation-de-la-vie

Au centre est inscrit en grands caractères et de haut en bas « Nam-myoho-renge-kyo – Nichiren ».
C’est l’expression graphique de la Loi fondamentale de Nam-myoho-renge-kyo à laquelle Nichiren
Daishonin s’est éveillé. Le Gohonzon exprime l’état de vie vaste et grandiose de la bouddhéité,
celui de cette Loi fondamentale
, en représentant la configuration de l’assemblée à qui s’adresse
la prédication bouddhique à l’échelle universelle décrite dans le Sûtra du Lotus sous le nom de la
« Cérémonie dans les airs ».

上の説明とほとんど同じ・・

A droite et à gauche de « Nam-myoho-renge-kyo – Nichiren », figurent des bouddhas, bodhisattvas,
des divinités bouddhiques, ou encore des personnages participant à l’assemblée de la Cérémonie dans les airs.
南妙法蓮華経日蓮の右と左には仏(教主釈尊)の中の仏・菩薩・諸天善神。虚空会の儀式の参加者。

HPの中にBouddha Shakyamuni(ブッダ・シャカムニ)とあるが・・
これは、通称としての名前。
つまり、フランス語圏でいう釈迦仏とは、釈迦の呼び名、拝む対象としての仏ではない。

(まさかと思うが、宮田氏フランスのサイトに書いてある、このBouddha Shakyamuniをもって・・
欧州で本仏としていると思っている琴はないよな・・?)

実は欧州では、SGI以外で人々が釈迦の琴いう場合、Gautama Buddha(ゴーダマ・ブッダ)と呼ぶ方が多く

釈迦と云っても通じない場合が多かった・・

オーストラリアSGI
http://www.sgiaust.org.au/about-us/the-gohonzon/
Nichiren Daishonin depicted his enlightenment in the form of a mandala or scroll called the Gohonzon. ////
御本尊とは:日蓮大聖人が自身の悟りを描いた曼荼羅、別名御本尊という一幅の巻物

“Nam-myoho-renge-kyo, Nichiren” is written down the centre
南妙法蓮華経 日蓮とフランスと同じように書いていますね。

つまり、南妙法蓮華経の仏(教主釈尊の日蓮)となるわけです。


なんか絡んで、ひつこいところは琴によると・・かな・・

忙しいので、絡むのはやめましょう。

まず、自分で各国のHPを確認してくださいよ・・


生涯広布 ペンギン

http://

 

聖教の本社からですか?

 投稿者:如是我聞  投稿日:2016年10月 6日(木)22時35分13秒
  わざわざ言い訳のメッセージご苦労様です!
 

クレーム等は聖教読者応答室へ

 投稿者:読者応答室  投稿日:2016年10月 6日(木)22時31分45秒
  何のプロ?

ちなみに、読者応答室は、どなたでもご利用できます。
聖教新聞についてのご質問、ご意見、ご要望等々、
まじめにお聞きして、誠実に対応いたします。

平日午前10時から午後4時まで、聖教新聞社の
代表番号03-3353-6111にお電話し、
「読者応答室をお願いします」と言えば、つないで
くれます。

企業におけるクレーム受付部署の役割も担っています。
その日の電話内容等については、夕方、報告書にまとめ、
会長、理事長以下、本部・聖教の局長クラスまで
配布されますので、地元の会館や幹部らに言うより
圧倒的に早く確実に中枢へクレーム等が届きます。

どうぞ、遠慮なく、ご利用ください。
 

誰か、、様

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年10月 6日(木)22時20分52秒
  だから、何?

それと、何様ですか、あなた。

この板はって、なんかすごいよねえ、その言い方。
 

読者応答室様

 投稿者:誰か私に聞いた?  投稿日:2016年10月 6日(木)22時13分45秒
   御免なさい!
 私はプロです!




 

誰も聞いてないのに現れて無意味な投稿はおよし下さい。

 投稿者:読者応答室  投稿日:2016年10月 6日(木)22時10分30秒
  誰も聞いてないのに現れて、
無意味な投稿をするのはやめてください。

あなたの投稿で意味があるのは、

「人間の習性として、どうしても左面に目が向きます」
「全面広告は、基本的に右ページに持ってくるのが新聞社の常識です」
という箇所のみ。

今回の問題は、なぜ全面広告の定位置である8面ではなく、
10面に持ってきたか?
つまり、これまで社会面は10面、11面の見開きと決まっていたのに、
なぜ、本日付だけ、8面、11面に分けてまで、10面に全面広告を
持ってきたのかということです。

7段、8段広告なんて関係ありません。
問題の広告は15段の全面広告です。

イメージタレントに事件があると差し止めとか、
台風の影響とかも何の関係があるんですか?

全く関係ありません。

結局、最後の「あまり大きな問題ではない」と言いたいよう
ですが、これでは誤誘導の印象操作と言われてもしかたありませんよ。

あなたは、聖教編集や広告関係者ですか?
もしそうなら、なぜこんな前例のない10面全面広告、社会面分断に
至ったのか、その真相を明らかにしてください。

あなたが「大きな問題ではない」と火消しに走らなければならないほど
社内的には、大問題なんだなとますます疑念が増しました。

納得のいく回答をお願いします。

そうしないと、読者応答室はどう答えていいか対応に困っちゃうんですから・・・。
 

紙面割

 投稿者:誰か私に聞いた?  投稿日:2016年10月 6日(木)21時35分53秒
   この板は、ちょっと刺激的な投稿があると過激に反応してしまいます。だから、沈静化するのを待ちました。
 新聞の紙面づくりは、編集権の一つです。どういうページ建てにするかによって、読者の反応も違います。だから、必死になって工夫し、紙面建てします。

 新聞は、通常右開きですね。人間の習性として、どうしても左面に目が向きます。新聞社は何と言っても記事が売り物ですから、その左面に広告が載るのを避けます。例のアクセンチュアの広告が目立ちにくい2面の右ページに乗ってくるのもそのせいでしょう。広告は全体の半分以下に収めなければならない規則もあります。ちなみに、一面は体裁上、3段以下に収め、書籍紹介の広告にするのが常套とされています。

 全面広告は、基本的に右ページに持ってくるのが新聞社の常識です。むろん、スポンサーの意向もあるでしょうが、とくに全面広告の場合、どこの新聞社も右面のどのページかがおおよそ決まっています。それで大きな変更が出ることはあまりないでしょう。段数の高い、7段、8段広告となると全面広告に順じる広告ともみなされかねませんから、そのあたりの判断があったのではないでしょうか。

 また、広告出稿は、世情と切り離せません。最近は、イメージタレントに事件があると、さっそく差し止めです。何かあると、急きょ掲載取りやめということも発生しかねません。今回は、台風の影響もありますかね。あまり大きな問題ではないように思います。


 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 6日(木)21時06分15秒
  学会員ならば、この御金言を忘れてはいけない。
『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』

私たちは池田先生の指導の元、正しい信心をしてきました。
池田先生のおっしゃる通り信心するから、正しい人生を歩めたのは言うまでも御座いません。

しかし、2014年11月の会則改定以降、大聖人様をあしくうやまってはいないだろうか。
今一度、須田論文を基に、会則改定について思索して頂きたいと思う。
手遅れになっては遅いからだ。

~~~~~~~~~~~~

【須田論文より】

(1)「本門の本尊」があれば日蓮宗各派の信仰にも功徳はあるか

この「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」との「種種御振舞御書」の文は、日蓮を崇拝する在り方としても「あしく敬う」場合と「よく(正しく)敬う」場合の相違があることを示している。
どのような教義であれ日蓮を崇拝さえすればそれでよいということではない。誤って敬った場合には国が亡ぶほどの悪業になるというのである。
そうなると、曼荼羅本尊を拝みさえすればどのような宗派の信仰をもって礼拝しても応分の功徳があるという宮田氏の見解は、この文と明確に違背するのではなかろうか。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

日本宗教学会 第74回学術大会 創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57685
 

【須田論文と遠藤文書】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年10月 6日(木)20時27分38秒
編集済
  現場組織では、以下の事が浸透している。

・最高幹部を批判する会員は「悪」
・最高幹部が問題を起こしても、反省すれば問題はない

実際に、元男子部長である弓谷氏の女性問題について、婦人部幹部が「反省すれば良い」と答える。
いったい誰が、最高幹部に甘い指導を現場に吹き込んだのだろう。

残念な事だが、本部の女性職員も軽く見られたものだ。
最高幹部が女性職員に対し理不尽な行為をしても、反省すれば許される学会になってしまった。

本来、女性の権利を守るなら、弓谷氏の行為は絶対に許してはいけないと思う。
それを許してしまう前例を、最高幹部が作ってしまったのだ。

もし、自分の娘が同じ行為を最高幹部から受けても、反省すれば許せますか?
なによりも弓谷氏が、反省していると言えるのだろうか。

遠藤文書に弓谷氏について触れている部分がある。
そこに書かれている、池田先生が大変苦しまれた事について、奥様の話をお聞きした事がある。
その話を聞き、想像を絶する胸の痛みを覚えた。

弓谷氏は先生のご期待を裏切ったのです。
そのような人物が、会則改定に関わってよいのだろうか。

~~~~~~~~~~~~

【遠藤文書より】

■3.先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。
池田先生が、弓谷の不祥事で、大変に苦しまれたとうかがっています。
先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆する。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊という学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たったのでしょうか。

~~~~~~~~~~~~

【須田晴夫のホームページ】
「宮田論文への疑問――日蓮本仏論についての一考察」(論文のダウンロード可能)
http://www4.hp-ez.com/hp/haruosuda/page2

【「創価学会会則 教義条項」の改正について 全国県長会議から 原田稔会長】
(2014年11月8日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1099

【「会則の教義条項改正に関する解説」(上)(下)創価学会教学部】
(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)
http://sgi-shiteifuni.com/?p=1101

宮田氏の日本宗教学会での「釈迦本仏主義」への傾斜論理はこちらで確認できます。
https://www.youtube.com/watch?v=nInVBJ18F_0

日本宗教学会 第74回学術大会 創価大宮田幸一教授の講演内容抜粋
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57685
(通行します様、誠にありがとうございます)
 

カンピース様

 投稿者:大城  投稿日:2016年10月 6日(木)20時11分24秒
  全面的に賛成します!

池田先生の時は必要なかった
先ず第一の理由として、先生は浄財で生活されていない
また、先生が会員の浄財を無駄にされるような事は一度もなかった

先生に使って頂くことで、僅かのお金が広布に大きく役に立つことが出来た
そして、そんな健気な同志の奮闘を絶対に忘れないで心配りして下さる師匠だった
だから、皆、私心なく、健気に頑張れた

今は?
公表して下さい
原田会長等は会員の浄財で生活している
また腐敗堕落防止に不可欠です

日興上人は「袈裟」の色まで決めて、腐敗堕落防止されていました

学会は会長等が海外に行く時、飛行機はどのクラス、ホテルはいくらまでという規則はないのだろうか?

先生は規則が無くても海外に宿泊される時、質素なホテルでした
知人が海外赴任していた時、先生がいらしたそうです
先生の宿泊ホテル探したそうです
高いホテル全部探したけどいらっしゃらない
まさか、こんな質素なホテルには宿泊されないだろうと思いつつ、訪ねたら、そのホテルだった!
しかも、スタンダードルームだったと感動して話してくれました

他の友人からも聞きました
バブル絶頂期
若いOLでさえ、高級ホテルのスィートルームに泊まる時代

先生は普通のホテルの普通の部屋
日本から来た中年夫婦が安いホテルの安い部屋に泊まっている
よっぽど貧しいと思い、ホテルの掃除係りからも小馬鹿にされ失礼な態度をされていた

先生、奥様は気にも止めず、毎日忙しく出歩かれていた(対談、会合)

ある日、国王と対談された
その写真が新聞やテレビに報道された
それを見たホテル中の従業員の態度が一変した
そんな話も友人から聞きました

先生、奥様はそんな方です

そんな先生、奥様の代理として、南米に代理受賞に行った原田会長、笠貫女史
あなた達の行動で現地の「先生像」は作られます

師匠の顔に泥を塗るような行動だけはしないで欲しい
師匠が生命を削り、作り上げてきた信頼を崩すようなことはしないで欲しいと切に願います

例え会長たりといえども、師匠の精神を違える行動をしたならば、「声を上げる」
この事が当たり前になる創価学会にならなければ、会の発展はないと思う
 

世間においても、いわんや・・・

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年10月 6日(木)19時20分38秒
  千葉県の議員達による欧州出張の報告書がコピーで行われ、政務活動費を400万以上貰っていながら、報告書がまるで同じと言う事で問題視されている。

税金でメシ食ってるからには当然であろう。これが世間の常識である。

某兵庫県議の例も然りで、世間においては国民の血税から収入を得て生活並びに政治活動をするのであれば、その内容を公表するのが当然という流れである。

ところが、創価学会においては会員の浄財(国民の血税)でメシ食って、宗教活動(政治活動)してるのに、内容を一切公表しない不思議が存在する。

「世間においても・・、いわんや仏法をや」となるのが当然と小生は思うのだが、創価学会では「ところが学会では」となるのが不思議である。

人の振る舞いこそが仏法であるのならば、今の学会幹部(特に原田怪鳥様の南米旅行)の有様は、まさしく仏法に違背した姿と言わざるを得ない。
 

再掲します。宮田は平成の左京日教である!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 6日(木)19時08分26秒
  日興門流の宗史に詳しい方はわかるでしょうか。

間違いがあればご指摘を。
確か、9世日有上人時代に京都要法寺から流れてきた左京日教が、大石寺を要法寺流にしてしまったのです。

その邪義をただしたのが、26世日寛上人です。

【批判されたから後付けでしょう】
  投稿者:信濃町の人びと
投稿日:2015年12月 9日(水)14時03分26秒   通報 編集済

宮田の駄文、私は全く評価していません。
宮田氏は2009年頃から着目してますが身延的です。
平成の日精または左京日教です。

創価大学で初の宗教学会の試み
中野教授のご尽力ですが、宮田はこの場を利用した発表でしょう。原田、谷川も大学内に来て学術者と意見交換をしたとか。

教学部アドバイザーですからその立場からの発言も含んでいる。

発表内容にも、いろいろ準備しています。(てへへ)

など、これからの創価学会の教義に含みを持たせています。
誰が聞いても明らかです。

会場に青年部幹部の中核が参加していたのでは?


https://youtu.be/cvi5ADbnRkY
 

一会員様に質問します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年10月 6日(木)19時01分37秒
  池田先生のご指導の中に
釈迦本仏論を肯定するものがありますか?
池田先生のご指導の裏付けがなければ
それは、学会が教えてきた、また、学会員が信仰してきた仏法ではないと思いませんか?

貴方の論は宮田論文がベースです。
創価学会は三代の会長の信心と学会員の確信があったから
日蓮大聖人の仏法が、御本尊様が拡がったのです。

貴方の邪義には納得性がない。
もっとわかりやすく池田先生の指導を通して説明してみてください。

 

(無題)

 投稿者:一会員  投稿日:2016年10月 6日(木)18時48分17秒
  宮田幸一
「SGI各国のHPの教義紹介の差異について」
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/sgihp.html


ここからわかることは、各国のSGIのHPによる教義の紹介には差異があって、その中で釈迦本仏論を大いに採用し、意図的にか日蓮本仏論については触れられていない等の差異があるということ。



つまり宮田幸一氏の日蓮本仏論見直し議論は、現況のSGIのHPによる教義紹介には差異があり、その曖昧な対応について不満を持っていたことが根底にあり、日蓮本仏論見直しはその現況の是正という意味もあったかと思う。





各国SGIで釈迦本仏論が扱われていないという意見については、この論文を読んで当該部分について、SGI公式HPか宮田幸一氏の立論の根拠を批判することが先でしょうね。





つまり宮田幸一氏の立論の原因は、現況のSGIの教義紹介について曖昧な態度をとってきた創価学会本部の責任とも考えられるわけです。



私個人としては今更日蓮正宗の教義でもないだろう、もはや日蓮本仏論は見直すべきだという立場なので、宮田幸一氏の立論には大いに賛成なのですが、彼の立論を批判するならそれはそれでも結構です。


ただそれならまずSGI公式HPの教義紹介について、適切な対応や指導をして来なかった創価学会本部の責任、そして今後のSGIに対する指導の具体策を明確にすることが先決でしょう。
 

反板

 投稿者:  投稿日:2016年10月 6日(木)18時30分36秒
  反板が早速反応してきた
なんで先生がいなくなると旅費を公開しなければいけないのか?

分からないようなので、説明しよう

牧口先生、戸田先生は会員からお金を得ていない
生活費は自分で稼いでいました

池田先生は本をいっぱい書かれています
立場的に職員でしょうから、本部から給料を貰っているでしょう

しかし、本部が先生に支払う給料の何千倍もの寄付を先生はされています

今でこそ、弟子に随分任せておられるようですが、草創期は先生が孤軍奮闘して書かれていました

「人間革命」の印税は、創価大学に寄付された
本部は先生の本のお陰で潤っている

先生は宗門に対しも
会員は飲まず食わずで供養している
僧侶に相応しい生活態度であってほしいと何度も要請して下さいました

秋谷氏、原田氏は会員の浄財から給料を貰っている
その中から彼等が大学に寄付した話を聞いた事はない

誰もなにも言わなくなれば「権力は腐敗する」
これは世界の常識
だから、腐敗防止の策を二重三重に巡らす必要があることも世界の常識

そんな常識に関係なく、権力者が自由にしているのは、北朝鮮等限られた国や社会だけ

先生が弟子に任せ、何も言われない今
「権力は腐敗する」原理に則り、腐敗防止を考えていくことが求められている
それに納得出来ない人は、創価学会の中でも少数派だろう
情報公開は腐敗防止の為に絶対必要である

会長始め、最高幹部の皆さんの給料
海外訪問での飛行機代、ホテル代は公表するべきである

なぜならば、清貧であるべきであるからである

原田会長が自分で稼いだお金で飛行機を乗るならば、どうぞご自由に!

しかし、会員が飲まず食わずでした財務で豪遊していたならば、それは許してはいけない

日顕宗には許さない
しかし、本部は、会長は自由となったら、自語相違
会員は納得しないだろう

だから、厳しすぎるほど厳しくしていくべきではないか?


 

Re,青年部問題

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年10月 6日(木)18時05分30秒
  うちの子供は、全部家から追い出しました!
長男は、首都圏へ自活して活動家です。
長女は、彼氏と同居して女房にも住所教えず、統監は前住所のまま。来年にはJAICAでアフリカに2年間行き帰ってきません。当然に未活。次男は、本州の地方都市の大学に通い僅かな仕送りしかしていません。本人は生活に勉強に苦しんでいる事でしょう。組織は全く動いていないようで、未だ掌握されていません。呆れています(-_-)

私は、三人の子供のためにお題目を欠かすわけにはいかないのです。車に乗っていても、歩いていても題目唱えています。これが基本で親が何でもかんでも手を出したり、ハタチ越えた子供の面倒を見ていると、子供がいつまでも自立しないでバカになると言う事です。

私の兄弟(男ばかり)三人とも、高校出たら、みんな家を出ました。長男は首都圏の夜学に通い自立しました。次男は、大学の寮生活で自立、私も地元の夜学に通って自立しています。仕事に専念する期間は必要で数年間、朝の9時から朝の3時迄仕事に没頭する時もありました。でも、しっかりした先輩が居て対応してくれていれば、再び組織に戻って活動家になるのです。

便1みたいな奴がいたら、二度と組織には戻らないでしょう。それが人格であり人脈です。創価村には、引き寄せるような人格有る者が居なくなったと言う事ですね。

 

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